第九十四話 ダメな理由

飛び込こんだ先にはクラーケンの目と口が見える。


「ギョォォォッ!」


俺たちを見たクラーケンはそのイカのようなエンペラを揺ゆらし、大きく口を開けて叫さけんだ。


開いた口から見えるのは、まるで針はりの山のような無数むすうの尖とがった歯は。


それは、クラーケンに飲み込こまれたら死しを意味いみする光景こうけいだった。


そして、何十本なんじゅうぽんもある触手しゅくしゅが俺たちに向かって襲おそいかかってくる。


普通ふつうの飛んでいたのではとても避よけきれそうにない。


「ファストドライブッ!」


俺は速度そくどを上げる魔法まほうを唱となえ、なんとか触手から逃げ出す。


それでも追おってくる無数の触手。


俺たちは囮おとりになってクラーケンを誘導ゆうどうするはずだったが、もう逃げるので精一杯せいいっぱいだった。


「どうしようソニック!? ねえどうしようッ!? 」


今さら恐怖きょうふを感じたのか、ビクニは震ふるえながらも近づく触手に剣を振ふっていた。


出会ったばかりの頃ころに比くらべればだいぶマシだが、それでもこの場でビクニは頼たよりにはならない。


「このままじゃ私たち、あいつに食べられちゃうよッ!」


「わかってるッ! だが今は触手を払はらうことだけ考えろッ!」


「そうだッ! 前にググの魔力まりょくを使って結界けっかいみたいなのを張はったじゃないッ! それをまたやればッ!」


「あれは前もって魔法陣まほうじんを仕掛しかけておかねえと発動はつどうできねえんだよッ!」


この場でもググの魔力まりょくを借かりて使える魔法まほうはあるが、それをさせてくれるほどの余裕よゆうをクラーケンは与あたえてはくれない。


何か……何かねえのか……。


「それならあれだよ。ソニックが私の血ちを吸すって……」


「それはダメだって言っただろうがッ!」


言葉を遮さえぎって言った俺にビクニは喚わめき始めたが、それは前にも注意ちゅういしていたことだったので俺のほうが正ただしい。


たしかに俺がビクニの血を吸えば、本来ほんらいの魔力を取り戻し、クラーケンごときに後おくれを取ることはない。


だが、できない理由りゆうがちゃんとあるんだ。


「なんでダメなのッ! あの後だって結局けっきょく話してくれなかったじゃんッ!」


「お前は……こんなときに……」


「いいから話してよッ! どうしてダメなのッ!」


この非常事態ひじょうじたいにこの女は……。


全まったく本当に困こまった奴やつだ。


だが、言わないと収おさまりそうにない。


「わかったッ! 言ってやるよッ! このまま俺がお前の血を吸い続けたら吸血鬼きゅうけつきになっちまうんだぁッ!」


「えっ……?」


俺がそう言った瞬間しゅんかん――。


俺たちの目の前が突然真まっ暗くらになった。


そのせいで、つい速度を落としてしまった。


クラーケンはその一瞬いっしゅんの隙すきを見逃みのがさず、ビクニの体は触手によって捕つかまえられてしまう。


「ビクニッ!? クソッ! 今助けるぞッ!」


だが、このときの俺は冷静れいせいさを欠かいていた。


非力ひりきな今の俺では、クラーケンの触手からビクニを助けられないことはわかりきっていたはずなのに。


やぶれかぶれでクラーケンの懐ふところに飛び込もうとしていたんだ。


だが、そのとき――。


「ソニックッ! ググッ! 私のことはいいから逃げてッ!」


ビクニの叫び声が聞こえた。


……バカが。


俺たちの心配しんぱいよりも自分の心配をしろよ。


あいつに会ってから俺はずっと調子ちょうしが狂くるいっぱなしだ。


「ギョォォォッ!」


ビクニがクラーケンの食われる。


ちくしょう……ここで旅たびが終わるのかよ……。


なんとか……なんとかあいつだけでも……。


「あんまり調子ちょうしに乗るなよ。イカタコ野郎やろう」


ビクニが飲み込まれそうになった瞬間に、クラーケンが激しく仰のけけ反ぞった。


そして、ビクニの体に巻き付いていた触手が、飛んできた金属きんぞくの輪わのようなもので切り落とされていく。


そこには刃はがあまりにも大きな斧おの――バルディッシュを担かついでいるダークエルフの男と、大きな金属の輪――チャクラムを持った人狼ワーウルフの女が立っていた。


「イルソーレにラルーナッ!」


喜よろこびの声をあげるビクニを見て、イルソーレは親指おやゆびを立て、ラルーナは尻尾しっぽを振ってニッコリと笑った。


俺とググは地上ちじょうに降おり、二人とビクニと合流ごうりゅう。


「ったくよ、お前らムチャクチャすんなぁ」


「ホントだよぉ。クラーケン相手に勝てるわけないのにぃ」


イルソーレとラルーナの言う通りだったし、わかってはいるつもりだったが、ドジったのたしかなので何も言い返せない。


「あなたちって……強かったんだ」


「助けてもらってその台詞せりふかよッ!?」


ビクニの言葉にイルソーレが怒鳴どなりあげたが、ラルーナが「まあまあ」と止めていた。


どうもビクニは二人のことを、ただルバートのことを褒ほめるだけの大したことない奴らだと思っていたらしい。


助けてもらっておいて失礼しつれいな本音ほんねを言うなよ。


全くどんな神経しんけいしてんだ、ビクニの奴。


「でも、助けてくれてありがとうね。これでこっちは四人と一匹。二人は頼りになりそうだし、これでどうにかできそうだよ」


ビクニが礼れいを言うと、イルソーレもラルーナも笑ってはいたが――。


「たぶん……期待きたいには応こたえられねえと思うぜ」


その顔は共ともに引き攣つっていた。