獄卒鬼の暇つぶし
第7話
気がつくと私はビルの前にいた。駅前から百メートルほど離れた場所、そのビルは壁一面が窓ガラスのようでありもあり、向かいの歩道橋やビルの非常階段が反射して映っている。
ついさっきまで晴れやかな晴天だった頭上の空が次第に黒々とした雲に覆われ始めた。まるで地獄の鬼たちの隆々とした筋肉を思わせる膨らみがあり、今にも一雨きそうだ。
ビルのエントランスの自動ドアに反射する私は野暮ったいジーンズをはき無地のパーカーを羽織ったいかにもだらしない大学生のような格好であった。おそらく着物姿であった私が必要に目立たないように馬頭と牛頭の計らいだろうが、私としてはもう少しおしゃれな服装でも良かったと思う。これでは初めて都会にきた田舎者のようではないか。
「とりあえずはこの服をなんとかしなくては」
私は都合よく足下に落ちていた木の枝に息を吹きかけ、ビニール傘に変化させると我が物顔で繁華街を闊歩する。空からしとしとと雨が垂れ始め、街の騒音が少しだけ掻き消されていく。永遠に降りやむことがないような粘り強さを感じさせた。そういえば二代目と浮世に出向いたときは天候に恵まれないことが多かった気がする。
牛頭にもらった巾着袋からいきなりコミカルなメロディが鳴り出して驚いて取り出し中身を確認した。
中に入っていたのは、長方形の形をした板のようなもので手に取ると振動していた。わけも分からずいろいろいじっているうちに板から声が聞こえた。
「坊っちゃん無事に浮世に着きましたか。私の声が聞こえたらそれを耳に当ててください」
牛頭の声だ。私は言われた通りに板を耳に当てた。
「牛頭、どうなってる? 本当にこんなところに二代目がいるのか? あとこの板はなんだ?」
「順を追って説明しますのでちょっとお待ちを……」
牛頭の話によるとこの長方形の形をした板は浮世の通信機器でスマートフォンというらしい。現代に生きる人間にとっては必要不可欠な道具だそうだ。
私は牛頭に基本的な操作説明受けた。現代ではこの一枚の板で買い物ができたり、運命の相手さえも見つけてくれるという。こんなものにそこまでの性能があるなんてにわかに考えられないがこれが文明の進化を物語っている。
「百年でここまで変わるのか?」そう尋ねると牛頭は「文明開化ですよ」と言った。
更に浮世でも地獄にいても通話できるよう改良したというのだから凄い。しかし充電の減りが通常の倍はやい欠点があるようだ。
「坊っちゃん。目的地を教えますので若様のところまで行ってください」
「あぁ分かった」
「くれぐれも通話切らないでくださいよ」
用途をある程度聞ければ詳しいことは手渡せた紙切れに記されているので問題ない。それよりも充電の減りが心配だ。
「こいつさえあればなんだってできるな」
「ちょっと坊ちゃん聞いてます?」
この時私の頭の中には閻魔大王から預かった命をすっかり忘れていた。
小雨が傘を叩き道行く人は予期せぬ雨を恨めしく思ったのかみな訝し気な表情で歩いていた。私はさきほど購入した腕時計を見る。五時三十七分。秒針は狂うことなく動いていた。ガラス越しに映る自分の姿に心酔しているのは、五分ほど前にふらっと入ったファッションショップで働く人間に浮世で最新のコーディネートを施してもらったからだ。
「やっぱりスマートなのが一番だよ、うんうん」
「坊ちゃんおしゃれはいいですが、このお金は経費ですよ」
イヤホン越しに聞こえる牛頭の小言が聞こえる。
「分かってる、浮世で目立たないために仕方なく着飾っているのだ」
やや大きくなった私たちの会話は雨の音に溶け、誰も私を怪しむ者などいない。
「早く若様のところへいかないと」
「問題ないっていって、そうだ浮世参上祝いに一杯やりたいどこかいい店はないか」
「何をおっしゃいます、若様のところについたらすぐに閻魔大王様に報告しなければいけません」
「はいはい」
人ごみをふわりふわりと交わしながら今度は酒が飲める場所を牛頭に訊ねて言われた通りに足を進めていると、前方から衝撃を受け私はその場に倒れ込んだ。
「いたたた」
「すまない、立てるか?」
視線をあげるとそこには黒いジャケットを羽織った男が感情の欠片もない顔で手を差し伸べている。
「いや私も前をよく見ていなかった」
「そうかではお互い様だな」
男は淡々とそう言って私の手を握りぐいっと手前に引っ張って起こし上げた。
「それでは、先を急ぐのでな」
似合わない笑顔を引っ提げて男はその場を立ち去った。
「まったくひどい目にあったな牛頭、おい牛頭?」
イヤホンからノイズしか聞こえてこない。まさかと思ってズボンの後ろポケットに入れた機械を取り出すと液晶がバキバキに割れ、画面に手を触れても何の反応もしない。
「あやつめ、弁償してもらう」
私は突然湧き出てきた怒りを抑えられず男を追いかける。追いかけながらその男の去り際の笑顔を思い返すと人間のそれとは少し違和感があった。
肩がぶつかったくらいでは一言謝ればすむが、ぶつかった相手を倒してしまったら普通の人間はある程度動揺を表情に出すものである。そしてあの不気味を通り越してもはや出来の悪いホラーのような笑顔。私は無意識に男の動向を目で追っていた。
「あいつ他の人間には見えていないのか?」
つぶやく、男に握られた手から霊力を感じた。私はすぐに悟った。あの男は浮世の存在ではない別の何かということを、私は胸の高揚感を抑えるのに必死だった。どうやら男も誰かの後をつけているらしい。私は好奇心のままに男の背中を追いかけた。
ついさっきまで晴れやかな晴天だった頭上の空が次第に黒々とした雲に覆われ始めた。まるで地獄の鬼たちの隆々とした筋肉を思わせる膨らみがあり、今にも一雨きそうだ。
ビルのエントランスの自動ドアに反射する私は野暮ったいジーンズをはき無地のパーカーを羽織ったいかにもだらしない大学生のような格好であった。おそらく着物姿であった私が必要に目立たないように馬頭と牛頭の計らいだろうが、私としてはもう少しおしゃれな服装でも良かったと思う。これでは初めて都会にきた田舎者のようではないか。
「とりあえずはこの服をなんとかしなくては」
私は都合よく足下に落ちていた木の枝に息を吹きかけ、ビニール傘に変化させると我が物顔で繁華街を闊歩する。空からしとしとと雨が垂れ始め、街の騒音が少しだけ掻き消されていく。永遠に降りやむことがないような粘り強さを感じさせた。そういえば二代目と浮世に出向いたときは天候に恵まれないことが多かった気がする。
牛頭にもらった巾着袋からいきなりコミカルなメロディが鳴り出して驚いて取り出し中身を確認した。
中に入っていたのは、長方形の形をした板のようなもので手に取ると振動していた。わけも分からずいろいろいじっているうちに板から声が聞こえた。
「坊っちゃん無事に浮世に着きましたか。私の声が聞こえたらそれを耳に当ててください」
牛頭の声だ。私は言われた通りに板を耳に当てた。
「牛頭、どうなってる? 本当にこんなところに二代目がいるのか? あとこの板はなんだ?」
「順を追って説明しますのでちょっとお待ちを……」
牛頭の話によるとこの長方形の形をした板は浮世の通信機器でスマートフォンというらしい。現代に生きる人間にとっては必要不可欠な道具だそうだ。
私は牛頭に基本的な操作説明受けた。現代ではこの一枚の板で買い物ができたり、運命の相手さえも見つけてくれるという。こんなものにそこまでの性能があるなんてにわかに考えられないがこれが文明の進化を物語っている。
「百年でここまで変わるのか?」そう尋ねると牛頭は「文明開化ですよ」と言った。
更に浮世でも地獄にいても通話できるよう改良したというのだから凄い。しかし充電の減りが通常の倍はやい欠点があるようだ。
「坊っちゃん。目的地を教えますので若様のところまで行ってください」
「あぁ分かった」
「くれぐれも通話切らないでくださいよ」
用途をある程度聞ければ詳しいことは手渡せた紙切れに記されているので問題ない。それよりも充電の減りが心配だ。
「こいつさえあればなんだってできるな」
「ちょっと坊ちゃん聞いてます?」
この時私の頭の中には閻魔大王から預かった命をすっかり忘れていた。
小雨が傘を叩き道行く人は予期せぬ雨を恨めしく思ったのかみな訝し気な表情で歩いていた。私はさきほど購入した腕時計を見る。五時三十七分。秒針は狂うことなく動いていた。ガラス越しに映る自分の姿に心酔しているのは、五分ほど前にふらっと入ったファッションショップで働く人間に浮世で最新のコーディネートを施してもらったからだ。
「やっぱりスマートなのが一番だよ、うんうん」
「坊ちゃんおしゃれはいいですが、このお金は経費ですよ」
イヤホン越しに聞こえる牛頭の小言が聞こえる。
「分かってる、浮世で目立たないために仕方なく着飾っているのだ」
やや大きくなった私たちの会話は雨の音に溶け、誰も私を怪しむ者などいない。
「早く若様のところへいかないと」
「問題ないっていって、そうだ浮世参上祝いに一杯やりたいどこかいい店はないか」
「何をおっしゃいます、若様のところについたらすぐに閻魔大王様に報告しなければいけません」
「はいはい」
人ごみをふわりふわりと交わしながら今度は酒が飲める場所を牛頭に訊ねて言われた通りに足を進めていると、前方から衝撃を受け私はその場に倒れ込んだ。
「いたたた」
「すまない、立てるか?」
視線をあげるとそこには黒いジャケットを羽織った男が感情の欠片もない顔で手を差し伸べている。
「いや私も前をよく見ていなかった」
「そうかではお互い様だな」
男は淡々とそう言って私の手を握りぐいっと手前に引っ張って起こし上げた。
「それでは、先を急ぐのでな」
似合わない笑顔を引っ提げて男はその場を立ち去った。
「まったくひどい目にあったな牛頭、おい牛頭?」
イヤホンからノイズしか聞こえてこない。まさかと思ってズボンの後ろポケットに入れた機械を取り出すと液晶がバキバキに割れ、画面に手を触れても何の反応もしない。
「あやつめ、弁償してもらう」
私は突然湧き出てきた怒りを抑えられず男を追いかける。追いかけながらその男の去り際の笑顔を思い返すと人間のそれとは少し違和感があった。
肩がぶつかったくらいでは一言謝ればすむが、ぶつかった相手を倒してしまったら普通の人間はある程度動揺を表情に出すものである。そしてあの不気味を通り越してもはや出来の悪いホラーのような笑顔。私は無意識に男の動向を目で追っていた。
「あいつ他の人間には見えていないのか?」
つぶやく、男に握られた手から霊力を感じた。私はすぐに悟った。あの男は浮世の存在ではない別の何かということを、私は胸の高揚感を抑えるのに必死だった。どうやら男も誰かの後をつけているらしい。私は好奇心のままに男の背中を追いかけた。
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