闇を統べる者

吉岡我龍

芽生え -訪れた転機-

 センフィスは黒剣を潰された後『暗闇夜天』の生き残りから絶命するに十分な一撃を貰って倒れる。意識も既に無く後は死体となるのを待つのみだ。
だが突然誰かから声を掛けられた。その内容は全く覚えていないがとにかくセンフィスはすがった。
この悲しみはまだ拭えていない。この怒りはまだ収まりを見せていないのだ。もっとだ。もっと、彼とカーディアンを殺した原因に復讐せねばならない。


「「よかろう。抗ってみよ。」」


その部分だけは確かに聞き取れた。妙に声が重なっているように感じたがそれはどうでもいい。
抗える力が貰えるのなら戴こうではないか。元々降って湧いてきた黒剣で成り上がったのだ。今更恥も外聞も無い。

びきっ!!びきききっ!!!びびびびびびび・・・・・

亡骸となっていたセンフィスの体は突然激しく震えだすと先程の影響が残っているのか、またも半分獣のような体に変貌を遂げる。
「うん?!さっきの人生きてたの?!良かった~!!」
大将軍は喜んで近づいてくるがこちらは自身の大事な武器を潰された結果命を落としたのだ。この少年もまた抹殺すべきだろう。
あまりにも無防備に近づいてきたので勢い良く立ち上がったセンフィスはそのまま掬い上げるようにヴァッツの腹部へ拳を放つ。
「ぅぅガああああああああああぁぁぁあぁっ!!!」
先程までとは全く異質の力が体中に駆け巡っている。見れば自身の足元は大きな亀裂が入っていた。どうやら大地が彼の力を支えきれなかったらしい。
破裂音と共に空気を激しく振動させて遥か上空に飛んでいったヴァッツの姿を余裕で捉えているセンフィスは本能のまま地面を蹴る。
蟻地獄のように陥没させた大地を後に一直線に飛び上がって彼に追いつくと今度は、
「ガあああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!」
有り余る力を全て振り絞ってその小さな体に右足の蹴りを浴びせる。

ぱきゅんっ・・・・!!!

一瞬の炸裂音が鳴り響くとヴァッツの体は更に上空へと吹っ飛んでいった。だが感触からわかる。彼はそれほど大きな怪我は負っていないはずだ。
更なる追撃を加える為にいつの間にか手に入れていた空を飛ぶ術を使って自身も上へと飛んでいく。そして再度彼の体を全力で殴りつけようとすると、

ばちんっ!!!

ヴァッツは掌で自身の上半身くらいの大きさがある拳を難なく受け止める。やはりこの少年、『ネ=ウィン』でも話題に上がるだけあってとんでもない強さを持っている。
「痛った~!『ヤミヲ』!なんで止めてくれないの?!」
【すまんすまん。大地が崩壊するのを恐れてそちらに気をやっていた。しかしどこから手に入れたのか今の此奴には大陸を沈めるくらいの力を持っているな。】
自身ですら理解出来ていない破格の力を手に入れたセンフィス。それを惜しみなく全力で開放しての攻撃だったにも関わらず相手は「痛い」程度で済んでいるらしい。
そして何やら独り言のようなやり取りをしている。
「よくわかんないんだけど?」
【此奴を放っておけばお前の大事な人間や国が全て滅んで海の藻屑となるといえばわかるか?】
「ええええ?!そんなの駄目だよ!!」
【ならばお前が止めるのだ。お前の祖父も大事な物を護らせる為に大将軍へと押し上げたのだろう。ヴァッツよ。この戦いに見事勝利しその責務を果たすが良い。】
聞いた事のない低く重苦しい声と少年の明るい声がいくらかの言葉を交わし合うと、大将軍ヴァッツがこちらに強い視線を送って来た。
「・・・戦うって言っちゃったしね。うん。オレなりに戦ってみるよ。」
その覚悟が伝わったのかセンフィスの心と体は一瞬で凍り付いた。これは絶対に勝てない相手なのだと本能が訴えている。
しかしいつの間にか授かったこの力、これは戦う為に譲り受けたものだ。このまま逃げたりしてもカーディアンに申し訳が立たないし何より自分が納得いかない。

「うううぅぅぅ・・・・うがあぁぁぁぁぁあああああぁぁっっ!!!!」

憎悪と憤怒を力に変えて、心を真っ黒に染めていくセンフィス。全ての本能を解放して不退転で臨むのだ。そうすれば何かが変わるかもしれない。
お互いが中空で止まって向き合っていたが彼は先に全力で飛び込んでいくと太く逞しくなった腕でその拳を叩き込む。

・・・・・どぅきゅんっ!!!!

当たってから少しして暴風と轟音が巻き起こる。これを地上で放っていたら先程の不気味な声の主が言っていたように辺り一帯が壊滅状態になっていただろう。
そして自分で放って驚いた事に少年が大きく仰け反ったのだ。
効いたのか?いや、先程の2撃ですら痛い程度で済まされた。むしろ仰け反っているだけでは先程よりも傷は浅いかもしれない。
「があぁああぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!」
そこからは一心不乱に拳と蹴りを打ち込み続ける。全てが当たってはいるものの一体どれだけの痛みと怪我を負わせる事が出来ているのかは定かではない。
だが自分にはこれしかないのだ。大した技術も力も持ち合わせていなかった青年がいきなり降って湧いてきた力を自慢げに振るっていた。
何もなかった事を忘れてただただ自己満足に浸っていた彼は例え更なる強大な力を得ても結局のところ赤子が駄々をこねる程度にしか扱えない。

「・・・そうか。そんなに辛かったんだ・・・」

何百か何千もの攻撃を当てながら不意に少年がそんな事を言って来た。辛い・・・どれの事を指しているのだろう?
『ネ=ウィン』で正規兵として軍に入隊出来なかった事か、カーディアンの死刑を止められなかった事か。カーディアンを失った事だろうか。
いつの間にか攻撃をしていた手は止まり、彼の次なる言葉に耳を傾けていたセンフィス。

「・・・オレ、あんたに変な力を植え付けた奴らも倒すよ。必ず。」

悲しそうな表情を浮かべてこちらを見つめてきた少年がそう言ってくれただけで何故か全てが救われたような気分になる。
気が付けば体はみるみる灰となって溶けていき、それらは意識と共に空へと散っていった。





 『緑緋』の力を失ったラカンは再度それを手に入れる為に自身の実験場で様々な薬物と食事を摂取する。
しかし体に漲る力が戻る事はなく、容姿は年相応かそれ以上に老けたままだった。
激しい憤りも以前のように長くは続かず、気持ちさえも老いに侵されて心身が萎縮していく。
「何という事だ・・・何という・・・」
まさか本当に、あの少年が自分の体を台無しにしてしまったというのか?今まで積み上げてきた究極の異能合成を。
怒りと憎しみで心を見失いそうになりながら何かないか、何か手立ては・・・と考え続けるラカンに周囲の目も今までと変わってくる。
ただ一人、当事者だけは気が付かずに・・・



『ネ=ウィン』から招き入れた厄のせいか、自身の右腕であるラカンが突然使い物にならなくなった。
ネヴラディンも実際自分の目で彼を見たがそれは酷い有様だった。特に力を失ったにも拘らず生き残っていたという点には目を背けたくなるほどだ。
『リングストン』の軍部は一強であるラカンがその全てを掌握していた為彼が力を失った事で従っていた者達の野心も見え隠れし始めている。
(これは早急に対応せねばなるまい・・・)
ただ、お互いがあまり知られたくない情報を握り合っている為下手な行動はそれらを世に出しかねない。何とか穏便に、且つ静かに彼を表舞台から消す必要がある。
悩んだネヴラディンはラカンを全面的に補佐するよう周囲に指示を出すと同時に、
その言動を細かく報告するよう厳命する事でもうじき迎え入れるであろう大将軍までのつなぎとして彼を繋ぎ留めておく決断を下した。






あれからルルーの癒しを再度受けて体を9割方回復させたハルカは以前と同じ4人で『暗闇夜天』の依頼報告をする為に『ネ=ウィン』へ向かっていた。
「それくらい私に任せてくれてもいいのに。」
彼女の体が心配なのかアルヴィーヌが少し不満げな顔でそう呟くも、ハルカは一族を代表する頭領だ。
命に別状がないのだがらこの顛末は自身でしっかりと説明せねばならないと使命感に燃えていた。
「でもハルカが近くにいてくれたらオレも嬉しいよ!」
馬車内で対面に座っていたヴァッツが純粋な気持ちを言葉に表してくれる。素直に嬉しいのだがそれ以上に気恥ずかしい。
どう返せばいいのかもわからず頬を染めて視線を泳がせるしか出来なかったが、ふと御者席の時雨がちらりと見えた事で自分らしい切り返しを思い付いたので、
「貴方ねぇ・・・最初出会った時は私を殺そうとしたのによくもまぁ・・・」
既に恨みらしいものは残っていなかったが敢えて演じつつも去年の出来事を持ち出して相手を困らせようとしてみる。
自分だけ妙に落ち着かないのは納得いかない。この少年にも同じような気分を味あわせてやろうといったいたずら心からの発言だ。

「え?殺す?オレは誰も殺さないよ?そんなの思った事もないし。」

・・・・・
「貴方本当に恐ろしいわね。私はあの時だけよ?自分が本当に死ぬって諦めたのは。」
ラカンの攻撃ですら防いでくれた一族秘伝の合金から成る鉢金もヴァッツはいとも簡単に握りつぶしたのだ。
あの時の彼は怒気を全身で放っていたし自分の手足は動かなかったしで忘れかけていた恐怖がみるみる蘇って来るも確かに殺気は無かったような気がする。
「大丈夫。今度ハルカにそんな事をしたら私が叱りつける。叔母として。」
隣に座るアルヴィーヌは相変わらず抑揚のない声と長い前髪で読み取りにくい表情から胸を張って力強く約束してくれる。

「ありがとう。でも、そうね・・・だったら私もヴァッツの御嫁さんになろうかな?そうすればもう二度とあんな怖い目に合う事はないでしょ?」

あまりにも強すぎる少年が自分の揺さぶりを物ともせずきょとんとしていたのが気に入らなかったのもある。
ハルカのいたずら心からそんな発言をしてみると御者席からは鬼の様な視線が向けられてきたので彼女はアルヴィーヌと共に面白がるのだった。



依頼を受けてからここに戻ってくるまで1か月弱。その迅速な働きに『ネ=ウィン』も大いに驚きつつ、そして喜んでいた。
4人は速やかに城内に通されると今回はハルカだけではなく全員が報告の場に集まる事となった。
少し大きすぎる長卓にそれぞれが座るとまず最初に、
「ごめんね皇子。私の力不足で今回は色々やらかしちゃった。これも返すわ。」
申し訳なさそうに切り出したハルカは大金の入った皮袋を取り出してそれを返す。同席していたビアードは隠す事無く驚いていたが、
「ほう?報告では万事解決したと聞いていたのだが?」
「うん。まぁ依頼の内容は完遂出来てるわね。でもそれをやったのは私じゃないの。全部大将軍サマの仕業よ。」
その物言いにヴァッツの後ろで待機していた時雨から鬼の視線が送られてくるがこれも自分の性格なのだ。彼女には諦めてもらうしかない。
「・・・なるほど。では詳細を聞いてみようか。」

そこからはハルカとヴァッツが事前にすり合わせをした通りに話を進める。
まずセンフィス。彼はヴァッツが黒剣を取り上げると同時にその亡骸が残ることなく灰となって消えていったという。
次にカーディアン。配下から直接聞く事は出来なかったが彼女の遺体は屋敷にはなく、夥しい血痕だけが残っていたらしい。
元々無力に近い彼女が逃げたとしても生き残れる可能性は無い筈だ。
そしてラカン。

「あいつと戦って負けちゃったの。で、そこをヴァッツに助けてもらったって訳。そうよね?」
「うん。『ヤミヲ』と相談してあいつの力を全部消しちゃったからもう悪さはしないと思うんだけど。」

この説明だけはハルカにもよくわからなかった。力を消すというのはどういう事なのだろう?
何度聞いても答えは同じなのでナルサスにもそのまま伝えるしかない。
「わかった。では私が厳命していた物を見せてもらおうか?」
しかしナルサスはそこを深く追求する事はなく、契約時にも強く言っていた例の黒剣を要求し始めた。
(やっぱり皇子はこれが一番の目当てだったのね・・・・・)
今回の契約に関してはハルカと『暗闇夜天』はほとんど何も出来ていない。なので自身の中では手柄は全てヴァッツのものだと強く確信している。
「じゃあヴァッツ。あれを皇子に渡してあげて?」
「うん?いいよ。はい。」

ごろっ・・・

彼の懐から取り出された黒玉を長卓に置いて見せるヴァッツ。ビアードも含めて『ネ=ウィン』側は不思議そうにそれを眺めていた。
「・・・おい。まさかこれがあの黒剣だと?」
「うん。あれ危ないからオレが丸めといた。」
彼の発言にハルカは静かに安堵の息を漏らす。これで自分に矛先が向けられる事はなくなるだろう。何せ報酬も全部返したし説明責任もきっちり果たした。
まさか皇子が一番欲していた黒剣をこんな形にしてしまうとは夢にも思わなかったのでどう言い訳をすべきかずっと悩んでいたハルカはやっと肩の荷が下りたとほくそ笑む。
「何という事をしてくれたのだ貴様は!」
流石に怒りが収まらなかったナルサスは取り繕うのも諦めて怒号を放つもそれに反応したのはヴァッツ自身ではなく、
「私の甥っ子はよくやった。褒めてあげるべきで怒るのは間違い。それ以上言うのなら私が相手になる。」
身分的にも同格のアルヴィーヌが珍しく静かな怒りを内に淡々と反論していた。そして感涙を溜めながら眺めている時雨。確かに普段の彼女を知っていれば意外だとは思うが泣くほどだろうか?
お互いの人物を知るビアードも言葉が挟めずただ見守るだけで場は完全に凍り付く。
「ふん。『暗闇夜天』も地に堕ちたな。」
最後はナルサスが嫌味を一言だけ吐くと席を立ってそのまま退室していった。





 「では一応預からせてもらいますね。」
唯一の戦利品だった黒玉はビアードの懐に仕舞われるとこの日も彼の家で歓待を受ける事になった。
「いいの?皇子があの様子じゃ今日はあまり私達と関わらない方が・・・」
ハルカはそれとなく遠慮するように促すとビアードを含めた全員が目をぱちくりとさせてこちらを凝視してくる。それから口ひげを軽く歪ませると、
「・・・お前がそんな事を気にするようになるとはな。だが心配するな。皇子には『トリスト』の国賓をしっかり持て成すように言われている。」
笑いながら背中をぱんっと叩いてくる。更に王女と大将軍は我が家のようにどかどかと中に入って行くのでもう止められない。
「では我々もご相伴に預かろうか。」
時雨も彼とは別の優しい笑みを向けてくるので若干引っかかったが折角だ。今日はあのビシールという少年について深く探ってみようと心に決めたハルカは従者の立場を忘れてその晩餐を楽しんだ。



『ネ=ウィン』から戻ったハルカは早速スラヴォフィルの下へと向かう。例の契約、それをしっかり締結する為だが、
「ヴァッツ。ちょっとついてきて。」
登城したハルカはまず主の部屋に入ってアルヴィーヌと遊んでいたヴァッツに声を掛ける。
本当なら自分もレドラの入れたお茶を楽しみたい所だがそれは全てが終わってからだ。
「何々?私もついて行っていい?」
「・・・そうね。折角だしお願いしようかな。」
話し合いの場で困る事もないだろうし2人がいてくれたら心強いのは間違いない。更に時雨も付いて来そうな様子だったが流石にそこは我慢したようだ。
ハルカはレドラに少しだけ2人を借りると断りを入れて早速国王の執務室へと向かう。3人はすぐにスラヴォフィルの部屋に通されると早速本題に入った。
「スラヴォフィル様。『暗闇夜天』との専属契約について以前の提案とは違う形でお願いしたいのですが。」
「ほう?」
その内容はこうだ。
まず他者からの依頼を引き受けない事。これでお互いの主張が食い違っていた為難航していたのだが彼女はこれを受ける事を決意する。
ただし、
「私は『トリスト』からの依頼も引き受けません。」
相手を思いやるという甘さが芽生えてしまったハルカは今後こちらから相手に戦いを挑むような仕事は全て断るとこの場で宣言した。
その真意がわかっているのかどうか、一緒に居たアルヴィーヌとヴァッツも感心しながら両手をぱちぱちと叩いている。
「ふむふむ。それはお前だけか?それとも『暗闇夜天』全てか?」
「私だけです。なのでこの契約、『暗闇夜天』ではなく私個人とに変更して下さい。」
「ふむ。ワシは構わんがこの話、故郷の両親は知っているのか?」
「いいえ。まだ何も伝えておりません。」
「ふむ。わかった。」
もっと深く追求されるかと思っていたが簡単な確認だけ取ると話はそれで終わる。が、

「最後に1つだけ尋ねておこう。ハルカよ、お前は自ら人に剣を突き立てる事はしないと言ったが降りかかる火の粉も甘んじて受けるのか?」

スラヴォフィルの問いに大事な友人達の顔が次々に思い浮かんだ。彼女達に何かあった場合に指を咥えて見ているというのは絶対に無理だ。
だがラカンとの戦いでも大いに不覚を取った。果たして今の自分は満足に戦えるのだろうか?
「大丈夫!何かあったらオレが護るよ!!」
隣で話を聞いていた主が息巻いてハルカに頷いた。しかし祖父には邪魔をするなと叱られる始末だ。
「はい。何かあればヴァッツと共に全力で護り通します。」
その様子を見て笑っていた彼女はヴァッツに心の中で人知れず感謝を述べると、彼女は今までとは違う生き方を歩んでいく決意をした。







自身の娘が人生の転機を迎えている。その為カーチフはそれが終わるまでは妻の職場であるロークスに留まるつもりでいたのだが、
「フェイカーさん・・・俺、自分が情けないっす!!」
現在お気に入りの大衆食堂でずーーっと絡み酒を披露する青年シーヴァルに連日捕まっていた。
村からいきなりやってきたかと思えば酒に溺れる毎日。理由はわかっていたのだがこればかりはどうする事も出来ずにいた。
「うんうん。まぁ・・・なんだ・・・うん。もしかすると2人が上手くいかないかもしれない・・・だろ?その時にまた頑張ればいいじゃないか?」
慰めの言葉をかけてはみるものの自分の娘が上手くいかなくなったら今度はカーチフが落ち込みそうだ。
シーヴァルにサファヴ。彼の目からしても双方遜色付けがたい好青年だったが最終的に選んだのはシャルア本人なのでそこに口出しするつもりはなかい。
(ケディにはもう1人娘を産んでもらうべきだった・・・今からでも間に合うか?)
失恋の瘴気に当てられたカーチフは酔いのせいもあるのか本気でそんな事を考え出す始末だ。
「おやおや。これはカーチフ様と有望な青年シーヴァル様ではありませんか。」
そこに杯を持ったナジュナメジナが現れて同じ卓に座りだす。彼も本当に変わった。
今まではこんな大衆食堂に近寄ろうともしなかったはずなのに今ではシーヴァルの絡み酒が面白いのか毎日姿を現している。
「おお!ナジュ、いい加減こいつをどうにか救ってやってくれ。お前なら金も女もいっぱい持ってるだろ?」
普段は敬遠しがちだがシーヴァルに付き合い始めてもうかれこれ10日は経っていた。
一応飲む量は抑えてはいるものの、流石にこう連日酔っ払っていてはいざという時に動けなくなってしまう。
背に腹は変えられぬといった考えにやはり酔いが回っているせいもあったのか、気軽に話を振るとナジュナメジナがにんまりと笑いながら、

「でしたら拠点を変えられてみてはいかがでしょう?今ですと『ボラムス』や『ビ=ダータ』など勃興したての国がとても勢いがあり賑やかです。
シーヴァル様ほどの腕前ならどこにいっても取り立てられるでしょうし新しい出会いも期待出来ますよ?」

・・・・・
何やら色んな思惑が混ざっていそうだが悪くはない提案だとカーチフは捉える。
『ジグラト』にいてはどうしてもサファヴやシャルアと顔を合わせる事になるだろうし、気持ちの整理がつかないのなら新天地という環境で一から全てをやり直す。
形は違えどサファヴがそれに近かったのだ。誰も死んでいない分シーヴァルはまだ幸せなほうなのかもしれないとさえ思えてくる。
「よし!!シーヴァル!!お前はどっかいけ!!」
「えーーーっ?!俺クビっすか?!」
「はっはっは。では『ボラムス』に参られますか?あそこの王は私の友人ですしいくらか口利き出来ますよ?」
酔っ払い2人が勢いに任せて短いやり取りを見せるとナジュナメジナが前もって準備していたのか。『ボラムス』への書状をその場で手渡す事でやっとシーヴァルの失恋酒場は閉店を迎えたのだった。





 『七神』の精霊王ガハバを倒して以来、クレイスはイルフォシアに避けられていた。
理由はわかっていたのでそれを何とか弁明したいと毎日通ってはいたのだが会えるのはいつもハイジヴラムにだけだった。
そのせいで訓練には全く身が入らず魔術に関してはいつも全ての魔力をあっという間に使い切ってしまい、ザラールに言われていた疲れが残る状態がここ数日続いている。
一緒に『トリスト』へ戻って来たカズキも何故かひどく落ち込んでいたので2人の事は兵卒周りで少し噂になっていたらしい。

いよいよ見かねたザラールはある日魔術の修行にやってきた2人を執務室へ通すと、
「お前達の落胆っぷりが随分話題にあがっているぞ?いい加減切り替えたらどうだ?」
忙しい合間を縫って稽古をつけてもらっていた宰相から相談に乗ってくれる機会を与えてもらうと2人がお互いが顔を見合わせる。
「・・・・・僕の場合はその、とても個人的な事ですし・・・カズキはどうしたの?」
「・・・俺も個人的な事なんだが・・・まぁ・・・隊長ってのをやってみて色々とな?」
「言葉を濁すな。この際はっきりと全てを説明して問題点をしっかりと拾い上げるのだ。でないと何をやっても身が入らんだろう?」
いつもは言葉数の少ないザラールがそう言ってくれるので再度2人が顔を見合わせて心に決めるとまずはクレイスから口を開いた。
「・・・僕はガハバを討伐した時にイルフォシア様に空を飛んでいる所を見られて、それを黙っていた事が酷く王女様を傷つけたらしいのです。
それ以来お会いできなくて、弁明もきいてもらえないし・・・ザラール様、何故あの時僕に口止めをされたのでしょうか?」
それが無ければこのように話が拗れる事もなかったのだと彼は言いたかった。ただ相手は国の宰相であり魔術の師でもある。
あまりにも無礼な発言は控えたものの、言葉の裏にはその意図がありありと見て取れただろう。
「・・・お前の魔術は既に我々の枠組みを外れてしまっているからな。あまり広く知れ渡るのはよくないと思ったから公言を控えるよう命じたのだ。」
少し目を伏せたザラールは口を開くとやや慎重な面持ちで説明をし始めた。
「人間が使う魔術というのは出力量がどうしても少なくなる。一般的に短時間で強大な魔術展開というのは不可能なのだ。だがクレイス、お前の展開速度は既に私を超えている。」
「えっ?!」
意外過ぎる話に声が漏れるクレイス。隣のカズキも目を丸くして話に耳を傾ける。

「お前の魔術は魔族であるウンディーネが大きく関わっているらしいな。恐らく魔力のやり取り時とやらに何かしらの影響を受けたのだろう。
それは非常に大きな強みでもあるが知識のある者からすれば大きな脅威と受け取られる。今の未熟なお前がそのような目で見られるのを避ける為に口外することを禁止したのだ。」

その話を聞いて真っ先に思い出したのが意識下での出来事だ。自身の中に入ってきたウンディーネから目を覚ます為に魔力を渡してもらったのが心の大きな傷となって刻み込まれている。
あの時確かに胸に大きな風穴が開いたかのような錯覚に囚われたがまさかあれが原因だろうか・・・
「お前は確かに魔術を使う者としてとても優位になる力を手に入れた。だがそれは不完全であり扱いきるにはまだまだ修練が必要なはずだ。
だからこそ余計な情報を外部に漏らさぬ為にもまずは黙っておくべきだと判断した。理解したかね?」
「・・・・・はい。」
難しい話だ。理解と納得が同じくらい心に浸透すればいいのにそうはいかない。
しかしいつの間にか手に入れていた魔術が持て余すような代物だったとは思いもしなかったクレイス。ならば・・・
「ザラール様、僕が魔術を使っている所を見られてしまった以上せめてイルフォシア様にはきちんと説明させていただきたいのです。その許可だけでも頂けませんか?」
ウンディーネがばらしてしまった事によりほぼ知られてしまっているのだが彼女には自分の口からきちんと説明をしたかった。
ただ今は自身に何故口止めをしたのかという明確な理由も知った上で正式な許可が欲しい。それだけでも心は随分軽くなるだろうと思ったのだ。
「良かろう。お前の悩みがそれで少しでも軽くなるのなら。ただしこれ以上の漏洩は許さんぞ?」
「は、はい!」
元々彼は2人の悩みを解決する為に呼んだのだ。こちらの希望に沿って出来る限り譲歩案は提供してくれるつもりなのだろう。
特に悩む様子もなく即答してくれた事でまだ会ってもらえないという障害は残っているものの心は大分楽になったクレイス。ほっと胸をなでおろしていると、

「で、カズキよ。お前は何を悩んでいるのだ?」

「はい・・・・・私は今回スラヴォフィル様に命じられて『剣撃士隊』の長として平定の任務に就いていました。その、途中までは何も考えずにただそれを達成する為に動いていたのですが。」
カズキは目上の相手だと一人称から何まで非常に丁寧な言動を見せる。最近気が付いた事なので未だに聞き慣れないのだが本人は真剣に話を続けた。
「隊員を21名失い、それぞれの家族や恋人に告げに行った時、初めて長としての重責に気が付かされました。」
彼らしくない、俯いた状態でそれを力なく言い切ると更に呼吸を整えて言葉を繋げる。
「スラヴォフィル様に命じられた『トリスト』の最精鋭部隊を作るという目標もまだ達成されてないというのに無駄に隊員だけを死なせてしまって・・・私は自分の無力さが情けないのです。」
出会った頃は唯我独尊が服を着たような少年だったがいつの間にこんな繊細な事を考えるようになったのだろう。
初めて聞かされるカズキの弱気な発言に驚きはしつつもその内容にはクレイスも考えさせられる部分が多い。
自分も王子の身、いつかは兵を率いて戦わねばならない時が来るのだ。その時彼のように自国の兵士が亡くなったからと落ち込んでいたら国が傾きかねない。
彼の場合も同じだ。立場は違えど部隊を率いる者は犠牲との折り合いを付けねばならないのだ。それが長としての使命なのだから。

「お前は今まで一刀斎に何を教わって来たのだ?」
不意に彼の祖父であり『孤高』の1人である名前が出てきて少年2人はザラールの顔を見る。すると先程とは違って非常に厳しい表情を浮かべながらカズキを睨みつけていた。
「・・・・・祖父には、人を斬り覚えよ。と。言葉ではそれくらいしか教わっていません。」
・・・・・
強さもさることながら自分の孫にとんでもない発言をしているなぁと内心引いていたクレイスだったがザラールはその言葉を聞くと笑いながら答えてくれる。
「ふふ。いかにもあいつらしい。その言葉には全てが詰まっているではないか。」
「「???」」
しかしその真意がわからない。斬り覚えよという過激な発言をどう捉えればいいのだろう?
「一刀斎の言葉には実戦で学べという意味が含まれている。これは個人の話だけではない。部隊も軍もそうなのだ。」
「し、しかしそれでは隊員達が・・・」
「カズキ。お前が仲間を大切にしたい気持ちはわかる。だがお前の納得する部隊を編成しようと言うのならそれこそ『孤高』を全て集めて来なければならなくなるぞ?」
「・・・・・」
何となくだがザラールの言いたい事がわかったクレイスはカズキの様子を伺いながらも彼の話の続きを待つ。
「理想を求めていては部隊の全員が免許皆伝になるまで育ちきるのを待たねばならない。しかし戦う相手は待ってはくれない。そんな悠長な事を言っている暇はないのが現実なのだ。
部隊を率いて戦うというのは最上を求めるのではなく最低限以上の仕事をこなす事を言う。そこから先は個々の力に委ねられるのであってお前が責任を負うのはその指揮系統のみ、戦死した者達の全てを背負う必要はない。」
彼は宰相でもあり『トリスト』の魔術師団を指揮している立場でもある。そんな男から彼なりの心構えをカズキに説いているのだ。
ただこの話はどちらかというとクレイスの中にすんなりと入ってきた。これは自身が未熟ながらも様々な戦いに身を投じてきたからなのかもしれない。

「・・・・・それでも私は・・・・・・」

「そうか。ならば精進するがよい。お前はお前なりの最精鋭部隊を目指せ。」
最後までカズキは己の信念を曲げる事は出来なかったらしい。ザラールもそれに対して咎める様な事はせず寧ろ背中を後押ししてくれた。





 魔術の修行もそこそこに2人が彼の部屋を退室する時クレイスを一瞬だけ呼び止めると、
「カズキの事は任せたぞ。」
小さく囁いたザラール。やはり彼としてももう少し説得したかったらしい。自分に何が出来るのかはわからなかったがこれも友人の為だ。
「はい。」
静かに答えたクレイスはその場を後にした。

イルフォシアへの弁明を正式に許可してもらえたクレイスは少し考えた後頼れる友人の部屋へ向かう。
レドラが嬉しそうに出迎えてくれると中には最近よく一緒に居るアルヴィーヌと時雨、そして珍しくハルカも椅子に座っていた。
「いらっしゃい!何か食べる?」
ヴァッツは喜んで隣に座るように促しながら手招きしてくれるのだが出来れば2人きりで相談したかったなぁと思っていたら、
「ハルカに聞きたい事があるんだけど借りていいか?」
黙ってついてきていたカズキが大将軍に断りをいれると従者を連れて共に部屋を後にする。
イルフォシアの身内が2人残った事で俄然やる気が出てきたクレイスは慌てて椅子に座ると早速相談を持ち掛けた。
「あ、あのさ!2人にちょっとお願いがあるんだけど!あのね!僕イルフォシア様に大切なお話があってね?!でも会ってもらえなくて、その何とか仲を取り持ってもらいたいんだ!」
気恥ずかしさも合わさってかなりの早口で用件を伝えると、2人が顔を見合わせてから先にアルヴィーヌが素直に尋ねてきた。
「会ってもらえないの?何で?」
「えっと・・・その、僕、イルフォシア様を傷つけちゃって・・・うん。怒らせちゃったんだ。」
「え?!そうなの?!クレイスってイルフォシアの事大好きじゃない?何で怒らせちゃったの?」
情操部分で自分よりも遥かに劣ると決めつけていたヴァッツに大好きだと言われて一気に顔を紅くするクレイス。自身の言動は彼の目から見てもわかりやすいという事なのか?
ただ今は2人が納得のいく答えをしなくては先に進めそうもない。相変わらず箝口令が大きな制限となって前に立ちはだかる中。
「え、え、え、えっと・・・か、隠し事をしてて。そ、それを黙ってたから。」
「なるほど。隠し事って何?」
アルヴィーヌが容赦なく問い詰めてくる。ただ彼女の性格はある程度理解していたつもりだ。
「それは言えないんだ。」
ここはきっぱりと断りを入れる。2人とも素直で純粋だが特にヴァッツはこちらの気持ちを機敏に汲み取ってくれるのだ。もし叔母の方がごねたとしても彼が何とかしてくれるだろう。
「よしわかった!それじゃ早速行こう!」
しかし時にそれは暴走してしまう。クレイスとしては心の準備がしたかったので日付を改めて臨みたかったのだがヴァッツが勢いよく立ち上がるとアルヴィーヌも拳を掲げて鼻息を荒げていた。
「いってらっしゃいませ。」
レドラも恭しく頭を下げるのみで話は止まりそうもない。2人に手を引かれて2つ隣の部屋まで歩いてくるとヴァッツがその扉を軽く叩く。

「はい。おお!これは大将軍様!!イルフォシア様!!ヴァッツ様が来られましたぞ!!」

嬉しそうに声を上げて呼びかけると早速中に通された3人。しかしクレイスの姿を捉えたイルフォシアはぷいっと顔を背けていた。
今までの彼なら素っ気ない態度に落ち込んでいたかもしれないが2週間近く会えなかったので彼女の姿を目に入れることが出来ただけでも感動を覚えていたクレイス。
さて、高揚感を抑えつつどうやって話を切り出せばいいのか・・・ハイジヴラムを含めて3人のいない場所に移動というのが理想だが。
「あのねイルフォシア。クレイスがどうしてもお話したいんだって。いいでしょ?」
考えも覚悟もまとまる前にヴァッツがずんずんと仲を取り持ってくれる。頼んだのはこちらなのであまり口出ししたくはないがその勢いが凄まじすぎて奥手なクレイスは完全に置いてけぼりだ。
「ほらほら。回廊なら2人きりになれる。今日は風も心地良いよ。」
アルヴィーヌもイルフォシアの手を引いて大きな外窓を開くと無理矢理外に連れ出した。ヴァッツもにこにこしながら温かい手で背中を押してくれる。
気恥ずかしさにどうにかなりそうだがここまで来たら後に引くと彼らにも失礼だ。
「あの!イルフォシア様、どうかお話を・・・お願いします!」
言葉に力を込めて頭を下げると彼女からは大きなため息が漏れる。それから困惑に笑顔を重ねてこちらに目を合わせてくれると、

「やれやれ。では2人きりでお話しましょうか。ハイジもこちらには来ないで、姉さんとヴァッツ様の御相手をなさってあげて下さい。」

小さくて可愛らしい椅子に座るイルフォシア。クレイスも多少の緊張はあるもののそれ以上の嬉しさを必死に抑えつつ小さな丸卓を挟んで座った。
「・・・・・」
「・・・クレイス様?どうぞ?何でも仰ってください。」
お互いが向かい合って座った為顔がよく見える。本当に久しぶりにその容姿と声を捉える事が出来たクレイスは半分放心状態だったが彼女の声を聞いてやっと現実に戻って来た。
「あ、あの!その、僕が魔術を使えるようになった経緯と隠していた理由なんですが・・・」

ガハバの毒にやられてウンディーネが魔力欲しさに自分の体内へ入ってきた事、その意識下で行われた魔力のやり取り。
そして『七神』のアジューズとの戦いとザラールに口止めされた理由と原因を洗いざらい告白するクレイス。
しかしイルフォシアの顔が感情に揺れる事はなくずっと黙って話を聞いていた。あまりの反応の無さに途中から本当に聞いてもらえているのか心配になるほどだ。
全てを話し終わった後しばらくの沈黙が続く。彼女がどう思ったのかはわからないがクレイスにとっては首を絞められているのではと思える程に呼吸が浅くなっていた。

「・・・ふぅ。つまり全ての元凶はあの宰相ということですね。」

「・・・ええええ?!いや!そういうお話ではなくてですね?!」
以前にも一度見たがイルフォシアはザラールの事をあまり良く思っていない節がある。確かに口止めを命じたのは彼だがこれはあくまでクレイスの事を思っての判断であり良し悪しの話ではないはずだ。
「・・・ふふふっ。冗談です。」
すると慌ててその思考を止めさせようとしていたクレイスに明るく笑いかけながら小さな舌をぺろりと出す。
その可愛い仕草といたずら心に思わず叫びたくなるが、どうやら彼女の怒りは収まったらしい。まずはそこに安堵するクレイス。
「しかしクレイス様にそのような力が・・・確かにザラール様の仰る通り、あまり知られても得にはならない情報です。でも・・・」
イルフォシアの表情がまた少し真顔に戻った事で彼の心も緊張を取り戻す。まだ何か機嫌を損ねる要素が残っていたのだろうか?

「今度からは私にだけはちゃんと教えて下さいね。こう見えて口は堅いんですよ?」

彼の心配は杞憂だったらしい。以前と同じように優しい笑顔で口に指を当てる姿を見てやっと自分の日常が戻って来たのだとクレイスは大いに喜んでいた。





 「お前もう傷は大丈夫なのか?」
ハルカが重傷を負ったのは聞いていた。そしてそれをルルーが治した後『ネ=ウィン』に暗殺依頼の報告をしに行ったのも。
「ほとんど問題ないわ。ってかあまり大きな声で言わないの。怪我した事も治してもらった事も秘密なんだから。」
そう。ルルーの力に関しては『トリスト』国内でも知る者はごくわずかだ。なので彼女の力が関わる事は極力秘密裏に進められる事が多い。
カズキは相変わらず部隊について頭がいっぱいだったのでそこまで気が回らず、今も彼女から聞きたい事があるのにどこで話をするかを考えられていない。
そんな普段と様子が違う彼を見たハルカも何かを察したのか先導して歩いて行く。そしてたどり着いたのはリリー姉妹の家だ。
「さぁ入って。ここなら何でも聞いてあげられるわよ?」
まるで我が家のように入って行くのを見て少し驚いたが彼女はすでに1年近くここに住んでいる。先住人とも仲は良いしもう本当の家族みたいなものなのだろう。
「で、どういった話
「ほう?お前がハルカに相談か。」
「何々?」
中から普段着の『緑紅』姉妹が揃って出迎えてくれると何故か彼女達まで一緒に座ってきた。まぁ隠す事ではないので構わないのだが・・・

「ハルカが率いている『暗闇夜天』、その配下が死んだ時お前はどんな気持ちになる?」

「なんだそんな話か。ちょっとは寂しいけど仕方ないよねって感じかな。」
ハルカは気軽に答えて用意された紅茶をすすっている。彼女にとって配下が亡くなる事はそれほど落ち込むような事ではないらしい。
ただカズキは少し驚きと蔑む目を向ける。彼らは高名な暗殺集団だ。その配下1人もかなりの鍛錬を積んだ者だろうしそれが失われた事に対してあまりにも軽すぎると不快に感じたのだが。
「お前軽いなぁ。仮にも頭領だろ?もう少し何かないのか?丁重に弔うとかさ。」
同じように受け取ったのはカズキだけではなかったらしい。リリーもあまりの軽さに思わず口を挟んで来た。
「まぁ弔うくらいはね。でも私達は暗殺を生業としているの。殺すことが目的なんだし殺される危険も併せ持ってるんだから一々配下が死んだ所で大騒ぎにはならないわよ?」
それでもハルカはあっけらかんとした様子でさらりと答える。そこでやっと軍に所属する部隊と暗殺者という違いに気付かされた。
軍は勝利を収める事が目的であり殺すというのはあくまで手段に過ぎない。この違いはかなりの隔たりがあるのだろう。
つまり彼女の率いる部隊の方がより死と隣り合わせな分死に対する見識が違うのだ。
「ふむ・・・・・なるほど。勉強になるな。」

「そう?あ、あとお姉さま、私もう暗殺者やめるからこれからもよろしくね。」

「えっ?!」
「そうなの?!」
相談とは全く別の大きな告白が出てきて姉妹は驚いていた。これは自分も初めて聞いた内容なので一緒に驚いておこう。
「どういった風の吹き回しだ?」
「うん。今回『ネ=ウィン』から頼まれた依頼が全然こなせなくてね。原因もわかったしもう暗殺業は無理かな~って。でもお姉さまとルルーは死んでも護り通すから安心してね!」
随分と軽い調子で説明するハルカ。しかし後悔や後ろ髪を引かれるような事は一切ないらしく非常にさっぱりとした様子だ。
「・・・そうか。お前がそう決めたんならあたしは何も言わないよ。うん。でも故郷はどうするんだ?」
「そこはスラヴォフィル様にお任せする予定よ。私から言うと角が立ちそうだし。」
「じゃあもうハルカちゃん大きな怪我をしたりしない?」
「そうね。無いとは言い切れないけどほぼ無いんじゃないかしら?私の主はヴァッツだしね。」
詳しくは聞いていないが今回『リングストン』内で起こった騒ぎというのはそれほどのものだったのか。しかも以前にも増してヴァッツを頼りにしている感じだ。
だたこの報せはリリー達にとってはとても明るい話題となった。3人が笑顔で会話を弾ませているとこれ以上カズキが口を開くのは憚られる。
なので静かに黙って立ち去ろうとしたのだが、
「あ。そうだ。貴方には教えておくわ。『リングストン』の大将軍ラカンが持つ暗殺集団、現在は30人規模で王城近辺に拠点があるんだって。」
またこの少女はさらりと重大な発言を落としてきた。これに一番驚いたのがリリーで、
「おい。何でそんな事を知って・・・・・お前、まさかそれを調べる為にあんな大怪我をしたんじゃないだろうな?!」
「えへ♪だってお姉さまとルーを3年間も縛り付けてた奴らを私が黙って見過ごす訳ないじゃない?」
この時初めてリリー姉妹の過去を少しだけ垣間見たカズキ。だが本人はそれどころではなく、自分達の為に良からぬ事を企てていたハルカの頭に両拳をこすりつけていた。
「いたたた!時雨と同じ方法で怒るのはやめてお姉さま!」
「お姉ちゃん。これはハルカちゃんが悪い!もう危険な事しちゃ駄目だって前から言われてるのに!!」
妹の方も助け船を出すつもりはないらしい。これが暗殺業から足を洗ってまでハルカの望む世界なのなら誰も文句は言えまい。
「わかった。まぁ頭の片隅には置いておくよ。今日は有難うな。」
普段傍若無人の彼が素直に感謝を述べると場は静かになるがカズキはそれを気に留める事なく温かい姉妹の家を後にした。



ザラールとハルカの話を聞いても未だ満足のいく答えが見つからないカズキ。
いや。それぞれの答えはあったのだがそれに対して自分が首を縦に振っていないだけだ。やはり犠牲は当然と受け止めていかねばならないのだろうか。
城に戻る中でも彼は考える。そもそもいつからこんな完璧主義のような偏った思考になったのだろう。
「・・・そこはやっぱりヴァッツだよなぁ。」
何でも出来る力を持つ少年。やはり彼の存在が大きいのは疑う余地が無い。彼は1人で万の軍を退け、どれだけ強い武人相手にでも絶対に負けないだろう。
自分もあれほど強ければと思う反面、無い物ねだりはダサいなと戒める部分も顔を出す。結局のところ自分は自分なのだ。その中で納得なり妥協なりをしていかねばならない。
訓練場を通り過ぎて適当に城内をうろつく。気が付けば足は自然とスラヴォフィルの部屋へ向かっているようだ。
彼ならもっと別の道を示してくれるのではないだろうか?心の奥底ではそう願っていたのかもしれない。

「おや?カズキではないですか。平定ご苦労様です。」

しかし久しぶりに会った友人に声を掛けられた事でカズキはショウに相談していなかった事を思い出すと早速話を切り出した。





 思えば平定に向かってから1か月以上彼には会っていなかった。
任務期間だけ見れば10日程で終わっていたが隊員の死に落ち込んでいたカズキは2週間ほどクレイスと同じように抜け殻のような日々を送っていたのだ。
ショウは宰相補佐という立場にも関わらず未だ個人の大部屋は与えて貰えていなかった為、
「少し席を外しますので『東の大森林』に関しての区画整理と物資、家屋の建造計画はそれまでに終わらせておいてください。あとは亡くなったご家族への保障手続きが遅れています。
ロラン様、しっかりとお願いしますね?」
「は、はいっ!!」
彼の仕事場である総務の大部屋に通される。中は書類が所狭しと積み重なっており、ショウがリリー姉妹の兄に作り笑顔で指示を出していた。
ロランの反応から普段もかなりの仕事を押し付けて・・・いや、頼りにしているらしい。
その中にある小さな扉を開けると中には辛うじて座れる椅子があるもののここにも多大な書類が山積していた。どうやら『トリスト』の政務というのは相当な激務らしい。
「まぁここなら話が聞かれる事もないでしょう。で、ご相談というのは?」
彼も力を失っているとはいえ生粋の公人だ。当然軍や部隊の事などにも詳しいだろうと思って今日3度目になる部隊と長の在り方について話をしてみたのだが、

「・・・ふむ。面白いですね。いや~面白い!!」

ウンディーネから貰ったらしい右目を伏せたまま、ショウが残りの目を輝かせて興奮している。
面白い事など何もないはずなのだが彼の違った一面を垣間見たカズキの方こそ内心面白く感じてその様子を見守っていた。やがて、
「いや失礼。面白いという表現は少し場違いでしたか。しかしそうですか。カズキがそのような事を・・・うふふ。」
謝りはしたもののやはり面白いという根幹部分は変わらないらしい。少し声を漏らしながらも居住まいを正すとショウは真面目な表情を向けて欲しがっていた答えを述べる。

「それは簡単ですよ。貴方には大事な志が欠落している。故に隊員が死んだ程度の事に動揺してしまうのですよ。」

「大事な志だと?」
意外な指摘に笑われた事よりも腹が立ってしまったカズキ。彼はスラヴォフィルから命じられた最精鋭部隊を作り上げるという立派過ぎる志がある。しかしショウもカズキの怒りを理解していたのか一から話をし始めた。
「はい。貴方はスラヴォフィル様から大きな仕事を任された。『トリスト』国内でも最精鋭の部隊を作れと。それを目指すのは当然です。何せ国王様の命ですから。
ですがその部隊、『剣撃士隊』とは一体何の為に作られたのでしょう?」
「何度も言ってるだろ!国内で一番の最精鋭を目指す為に作られたんだ!!」
思わず語気にも力が入る。それを目指していると再三伝えているのだ。ショウは頭が良い筈なのにこいつこそ何を言っているんだという気持ちになる。


「いいえ違いますね。『剣撃士隊』は『トリスト』の為に作られたのです。」


だが彼はそれを即座に否定すると静かに答えを教えてくれる。あまりにも堂々と自信満々に言い放つのでカズキのほうが気圧される始末だ。
「・・・俺はあんまり頭がよくないからな。わかるようにしっかり説明しろよ?」
「やれやれ。まぁ貴方らしいといえば貴方らしい。」
襟の部分を整えたショウは軽く呼吸を整えた後カズキに語り掛けるようにゆっくりと自身の考えを並べ始める。

「まず大前提として兵士であろうと平民であろうと皆がどこかしらの国に属しています。
そして彼らは時に国王の命令が無くとも戦い、労働に勤しむ。これは国民達が根幹に最も大事な志を持っているからなのです。」

『シャリーゼ』の愛国狂は非常に彼らしい論理を並べあげる。ここまでだと今までのショウを見ていればある程度理解出来た。
「それと俺の隊員が死んでいく事と何が関係あるんだよ?」

「まだわかりませんか?彼らは彼らの大事な志の為に戦い死んでいったのです。命を賭けてでも護り通したい大切なものの為に。
そしてそれを隊長である貴方が理解出来ていない。だから私は可笑しくて笑っていたのです。」

「・・・・・」
「貴方には『トリスト』の為という志が全く足りていない。相変わらず自分の事だけしか考えていないからそんな見当違いな思い込みで落ち込むのです。
兵士が死ぬのは当然です。殺し合いをしている訳ですからね。その死に対して志を考慮していない貴方の言動は国を愛する者からすればとても不快でしょうね?」
「・・・・・・・・・・」
今までどこの国にも所属した事のなかったカズキは言葉が出て来なくなる程の衝撃を受けていた。
確かに今カズキは『トリスト』という国の人間だ。しかし国の為などという考え方は誰にも教わっていない。これは祖父がどこにも所属していない故かもしれない。

「貴方は国の為に部隊を任されたのです。そして隊員達も貴方や国王に命じられただけではなく、自分の国の為に戦っているという志がある事を忘れないであげて下さい。」

そこまで言い終えたショウは静かに微笑むと部屋を去っていく。
残されたカズキはただ自分の未熟さに呆然と立ち尽くすだけだった。

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