闇を統べる者

吉岡我龍

芽生え -恋と愛-

 元々ユリアンは最下位の天族だった。
毎日が闘いで明け暮れている天界は弱い力しか持たない者にとっては地獄そのものであり、彼もまたその中で苦しみもがく1人だった。
そんなある日、天界でもっとも大きいと言われている湖『ブハイラ』。
その最深部から更に下へ潜れば下界、すなわち人間達の住む世界に出られるという話がにわかに広まる。
戦いの事しか考えていない天族だけの世界でこのような噂話が立つ事自体が非常に珍しく、
ユリアンも伝手を繰り返してやっと自分の耳に届いたのだが彼の所に話が回ってくるまで誰もその噂を確かめようとはしなかったという。

彼ら天族の力の1つに『日付が変われば前日までの傷が治る』というものがある。

毎日名も知らぬ相手と死闘を繰り広げ、大きな怪我を負い、それでもなお翌日にはまた全力で戦い合えるようにと与えられた呪いの力。
そしてこの力は天族としての強さに比例する。強い者は死んでいるような状態からでも一瞬で全快し、弱き者は治癒に数日、数週間かかる場合もある。
ユリアンは最下位の天族。毎回四肢を失いどうしようもない状態になってから数週間をかけて回復してもまた同じような傷を負う。
当然天族も生き物でありあまりにも激しい戦いがあれば死者も出る。だが彼らのように弱き者達は殺される程激しい戦闘にはならない。
圧倒的強者たちによって一瞬で戦闘不能の重傷を負わされて後は放置されるのだ。
長い長い繰り返しの人生で心は失われ、しかし痛みははっきりと感じる。五体満足な時間はほとんど与えられず常に傷を癒す為に寝込んでいた日々。

そんな地獄から抜け出せるかもしれない手段があるのに何故誰も試そうとしないのか?

この話を聞いた夜、彼は未だ治り切っていない体を引きずって『ブハイラ』に身を投じた。







カーディアンの体を使いながら彼は悟っていた。もう長くは保たないと。
本体を失い仕方なく子種を注ぎこんでいた彼女の体にしがみ付いてはいたものの所詮は一時凌ぎ。最下位天族の限界が近づいているのだ。
120年ほど前にこの世界に堕ちてきてから随分色んなことがあった。
まず自分が崇められる存在に成り上がったという事。これは天界にいた頃では考えられなかった。
何せこの世界の人間は弱い。なのでユリアン程度の力にすらすがってくるのだ。
最初こそ戸惑いはしたが年が経って慣れてくるにつれて少しずつ心に潤いが蘇って来た。毎日を生きる事が楽しくて仕方なかった。
天界にいた時にはわからなかった事も日々の疑問から様々な実験を繰り返す事で解明していく。
人間を生死問わずに自由に操る能力、自身の身体の一部を植え付ければ意識を乗り移る事が出来る能力。
凡そ戦いに明け暮れていた天界では全く必要としない力だったが人間の世界では強大過ぎる力なのだと後々気付いて行く。
怪我や病気で余命幾何もない人間達には死を与えると共に
それを操って元気になったように見せかけたりする事で偽りの奇跡を幾度となく再現し、爆発的に信者を増やしていった。
自身の意志を移せるように若い母体を男女問わず集めて性交を繰り返し各地に送った。これには快楽も付随していたので最終的にはそちらを優先して囲ってはいたが。
最近では自身の髪を練り込んだ鉄を他国に売りつけて身に纏わせる事で遠く離れた人間達すら動かせる発見もあった。
ただこれは細かな指示を送る事は出来ず戦いに駆り立てるのが精いっぱいだった。今思えば無意識に戦いをさせる行為に繋がるというのはいかにも天族らしい。

まだ自分の意志は残っている。しかしこんな過去の事ばかりを考えるようになったのは生物としての本能がそうさせているとしか思えない。

思えばあの夢から全てが狂いだした気がする。
東の大陸に存在するヴァッツという少年。彼の強さを夢で見て、それを手に入れようと画策したあの日。
結果としては手が届かないどころか、彼の周りにいた人間達にその全てを阻まれて現在窮地に追い込まれている。
手元に残ったのは破格の強さを持った都合の良い青年センフィスだけだ。

国も信者も己の肉体までも失い天界にいた頃の絶望が日々蘇っていく中、彼らは『リングストン』の王都『リングストン』に入っていた。





 『リングストン』が『ビ=ダータ』に版図を削られて既に半年以上が経過していた。
それでも大王ネヴラディンは再度の出撃を命じなかったのは静かに水面下で動いている故らしい。
ラカンもヴァッツという少年のみを抹殺する為にあらゆる策を練りつつも大人しく国内の安定に尽力する日々が続いていた。

ところが先日、東の方から不審な人物が国境を越えてきたという情報が届く。
聞けば若い男女で空を飛べる事から『ネ=ウィン』の関係者ではないかと報告されたがそれならそれで彼の国が放っておくはずがない。
何せ飛行の術式は門外不出、戦闘国家の魔術師達が苦労して作り上げた魔術の最高傑作なのだ。
これを放置するというのは周辺国にその情報を無条件でまき散らしているに等しい、あるまじき愚行である。
「捕えて損はあるまい。全国に手配書を回して捕まえ次第本国へ送るように・・・・・いや、
恐らく相手は相当の手練れ。決して高圧的な態度を取らず友好的に話を進めるよう厳命せよ。」
取り逃がせば国の名を汚す事にもなりかねない。最大まで譲歩し、捕らえるというよりは招聘に近い扱いへと変更するラカン。
考えればこの問題は色々と危険を孕んでいる。『ネ=ウィン』との関係悪化はもちろん、その2人組の出方次第では『リングストン』の兵達を多く失う恐れもある。
この国に魔術師はほとんど存在しない為戦端が開かれた場合収めるには更なる犠牲が生まれるだろう。

しかし前回『ビ=ダータ』侵攻で見た『トリスト』という国、そして部隊。

彼らも当然のように空を飛び魔術を撃ち放っていた。未だに詳しい情報が入ってこないもののこれから先、ああいった魔術の力は必ず必要となってくるはずだ。
だとすればこれは非常に良い機会なのかもしれない。
今まで圧倒的な兵力差で周辺国を併合してきた『リングストン』。その軍事力の形を大きく見直す機会が訪れたと捉えれば2人組の来訪とやらも悪くないと考えられる。

命令を発した後ラカンは自室に戻ると執務室にある本棚の前に立ち、そこで数冊の本を移動する。

がっ・・・・・ごごごごごご・・・・・

若干の音を立てて静かにそれが横に動くと現れたのは階下へ続く石造りの階段。彼は蝋燭を片手に下へ降りていく。
やがて明かりの灯った部屋が見えてくると中から妙に悶え苦しむ声が耳に届いて来た。
だがラカンは一切気にすることなくずかずかと中に入っていくと、
「どうだ?」
「ははっ!今試している薬などは如何でしょう?」
がりがりに痩せて外套を纏った人物が薄暗い部屋の中で引きつった笑みを浮かべながら答える。
不気味な男は椅子に縛り付けられたまま机に突っ伏している人間の髪を掴んで持ち上げてると、
白目を剥いて泡を吹き、軽い痙攣が残ってはいたもののそれもすぐに収まって絶命していく様をラカンに見せた。
「口から飲ませて3秒後に効果が表れ、反応も5秒程度、10秒もあればこの通りでございます。」
正に文字通りの劇薬を飲まされた名もなき男の死体を満足そうに観察したラカンは、
「前に完成したものより効果は?」
「上だと断言出来ます。」
「よくやった。」
短いやり取りの後、労いの言葉を送ってから更なる開発に励むよう伝えると早々に執務室へと戻っていった。







センフィスには悩みがある。
それは『ネ=ウィン』を裏切った事でも残してきた両親の心配でもない。カーディアンの事だ。
彼女が処刑される前に何とか減刑を求めて走り回った日々、独房に通っては瞬く間に距離が近くなるのを感じた日々。
そして運命の日に国との決別、愛する者を救う選択をしたあの日。あれ以降彼女は自身を夫として見てくれているはずなのだ。
しかし時折全く別の彼女が姿を見せる。
最初は『ユリアン教』という聞いた事のない宗派のせいかと思っていたのだがその時の彼女は女性みに欠け、薄情さすら感じる事もあった。
大好きな人だから。自身の妻となることを約束してくれた女性だからと目を瞑り続けていたセンフィス。
だが彼女のそういった不気味とも言える部分が目立ち始めると優しく微笑んでいてくれたカーディアンの姿にすら疑問を持ち始める。

本当に彼女は俺を愛してくれているのだろうか?

独房でじっくりと話をし始めたのがなれ初めだとするとまだ1月ほどしか経っていないのでお互い知らない事だらけである。
逃亡生活中とはいえ、やはり時々は2人の関係をより良くする為の会話や触れ合いなどを交わしたい。
そう思って移動を終え、夕飯を取った後の寝る前までにある時間を使って何度も話を盛り上げようとしたのだが
あの時の独房内でのような、非常に魅力的な雰囲気を纏った彼女が顔を覗かせる事はなかった。



悶々とした状態のまま彼らは『リングストン』の王都である『リングストン』に進入する事に成功すると、
「・・・今夜は宿に泊まらない?」
一応道中に何度か寝具のある場所で体を休めはしたものの、お互いの体と服は埃塗れで汚れきっている。
『ネ=ウィン』からの逃亡兵だとばれる前に一度身の回りを整えようというのが彼女を大切に考えた彼なりの気配りから出た言葉だ。
「・・・そうですね。久しぶりにゆっくり休みましょうか。」
逃亡中の方針は全て彼女任せでここに来るまで何を言っても聞き入ってもらえなかった。
それが初めて受け入れられた驚きと喜びを胸に、久しぶりに彼女の心を感じたセンフィスは突如目覚めた下心を悟られぬように笑顔を返していた。





 『ネ=ウィン』での将軍時代、かなりの給金を貰っていたので手持ちは十分にあった。
目立ちたくはなかったので大通りから2筋ほど入った場所の湯屋や食堂を兼業しているやや大き目の宿に入ると大陸共通貨幣を渡して宿帳に偽名を書く。
「お客さん『ネ=ウィン』の人かい?珍しいね?」
しかし名前や文字のクセからすぐに異国人だとばれてしまうが大した問題にはならないだろうとセンフィスは笑顔だけ返して聞き流す。
それから2人は宿の一部屋だけを取ると早速体を洗う為に湯屋へ向かった。日も傾きかけていた為、小奇麗にしてから食事を済ませると空は真っ暗になっていた。
相変わらず会話らしい会話をする事もなく2人は黙って部屋に戻るとカーディアンは早々に寝具に入ってしまう。
ここまでは逃亡中と同じ流れだが今夜は違った。今日は野宿で辺りに気を配るような必要は無いのだ。
お互いが宿の用意した簡易的な寝巻きを纏っていたがセンフィスは今日ここで全ての愛を確かめる為にそれを静かに脱ぐと彼女の寝具に入っていく。
後ろから黙って腕を回すとそのまま両手を欲望の赴く場所に沿わせ、体は全神経を集中してその温かさを感じ取ろうと密着させる。
ずっと我慢していた彼女への気持ち。彼の欲望はとっくに限界を超えていた為拒まれても止められる自信はなかったのだが、
いくら揉みしだこうともうなじに熱い吐息や唇を這わせようともカーディアンの反応は微塵も見られなかった。
流石にまだ床に着いて数分も経っていない。本当に寝てしまったという事はないだろうが、それにしても・・・

(なるべく彼女に負担をかけないよう動いていたつもりでも相当疲れていたのかな・・・)

興奮状態で覚醒した彼も異質な反応にやや冷静さが戻ってきてそんな事を考え出す。
しかし本能は彼女の体をまさぐる手を止めることをせず、洗ったばかりの体から発せられる若い女性の匂いがより強く本能を刺激してくる。
愛と欲望が理性を塗り潰すと無抵抗な彼女の体をこちらに向けて転がした。
するとまるで初めて出会った時のような、何の感情も読めない無表情と冷ややかな視線を浮かべた彼女の顔が目の前に現れる。
そこでもまた一瞬理性が顔を覗かせるも自身がほれ込んだ女性の顔はどのような表情であっても美しいものだ。
「カーディアン・・・俺・・・護るからね。絶対。最後まで諦めずに。」
辛うじて愛の篭った本心を少しだけ言葉にすると彼は彼女が無抵抗でろくに声すら上げないのを気にする事もなく欲望のままその体を求め続けた。



(参ったな・・・・・)

数少ない食事という楽しみを得る為にユリアンは毎晩決まって体の主導権を握っていた。
そしてこの日は久しぶりにまともな寝床に体を預けられるという事でその感触を楽しむまで彼女の体は彼が使っていたのだが。

ここにきて餌をぎりぎりの所まで抑えていた獣が彼女の体に圧し掛かって来てしまう。

一応自身が身を潜める前にセンフィスへある程度の好意を振りまいておくように何度か伝えていたはずなのだが・・・
ただこれは彼の気持ちもわかる。自身も自分の体に戻れればまた囲っていた少年少女にその欲望を果たすだろう。
かといって全く興味のない青年に体をまさぐられるのは非常に不愉快だ。
(仕方がない・・・)
ユリアンは折角の心地良い睡眠を放棄して体の主導権を本来の持ち主に戻すと自身は外部からの刺激を遮断した後深い眠りについた。



(・・・・・)

自身の体内にユリアンを招き入れてから既に3か月近く経っている。
何かしら問題があった時に彼が体を突き返してくるという場面も何度かあったので今回もよく理解出来た。
自分の体は寝具に横たわっており、背後からセンフィスがこちらからの愛を求めている。
夜も更けて湯場で汚れも落とし、腹も満たされているのだ。
そして簡素ながら同じ寝具に身を預ける夫婦、となれば営みを行うには十分すぎる環境が整っていると言えるだろう。
背中から伝わってくる熱い体を感じながらも彼女は目の届く範囲で何かユリアンからの命令がないか探してみるが特に見つからない。
恐らくそれを準備する時間がなかったか言われなくてもわかるだろう?という事か。

ここで拒むと唯一の戦力が離れかねない。ならばカーディアンに課せられた使命はただ1つ。

センフィスに個人的な感情を一切持っていなかった彼女はそのまま拒む事も受け入れる事もせず、ただ彼の行為が終わるのを黙って待ち続けた。
・・・・・
すぐに終わるだろうと思っていたが彼は果てても尚体を求めてくる。
最初は早く終われと思っていたが何故か嫌だとは感じなかった。やがて何度目かの最中に必死ながらも優しい目をしていた彼を見て、
「・・・何で・・・そんなに私の事を?」
つい気持ちが口に出てしまった。表情こそ無関心を装っていたがその姿にわずかながら愛おしさを覚えてしまったカーディアン。
十年近く誰かに抱かれた事はなく、少女時代にユリアンの愛を注がれていた時はここまで何度も求められなかった。
経験人数として考えると2人だけだが、その行動に大きな差を感じた彼女は尋ねずにはいられなかったのだ。
「何でって・・・俺はカーディアンの夫だし、その・・・大好きだから。あ!今日はそんな気分じゃなかった?!」
慌てて取り繕うセンフィスに心の底からおかしいと感じたカーディアンは初めて彼の前で本物の笑みをこぼす。
今まで散々無抵抗だった自分を激しく同意なく求め続けていたのに今更何を言っているんだと思わずにはいられなかったが、
「・・・ううん。でも疲れてるから私が眠くなったら終わりね?」
ユリアンにはある程度の懐柔をしておけとは常々言われていた。今夜の夜這いはそれを怠った罰なのかもしれない。
荒々しくも優しさだけは損なう事無く求めてくる彼を眺めつつカーディアンは自分にそう言い聞かせながら朝まで体を重ね続けた。





 『ネ=ウィン』で将軍として取り立てられてから一気に名声と富が転がり込んできていたのである程度の経験はあった。
しかし自身が愛する女と求め合えるというのがこんなにも幸せな事だとは・・・・・
2人とも旅の疲れか夜の疲れかわからない状態で朝食を頂き、明らかにカーディアンがこちらに視線を向ける数が増えた事に高揚を隠せないセンフィス。
最初は全く反応されなかったので欲望に走りながらも後悔していたが蓋を開ければ非常に夫婦らしい朝を迎えることが出来た。
「今日はその・・・ゆっくり休もう・・・か?」
逃亡中は全てカーディアンが主導してきたが、ここは今後の事を考えてしっかり体を休むよう提案しておくべきだろう。
(疲れる原因を作った俺が言うのもあれかな・・・)
少し不安に思ったが彼女の口から不満などが出る事はなく優しい笑みを浮かべて、
「そうね。」
と、短くだが確かな答えが返って来た。何故か今までとは違うと感じたセンフィスはその一言だけでも心の底から湧き上がる喜びを嚙みしめていた。



とても穏やかな時間だった。
今までの逃亡がこの為にあったのだとさえ思える程幸せな時間。2人の体温を確かに感じる距離で微睡みながらただ過ごす。
『リングストン』は『ネ=ウィン』と敵対している為、追手が来ることはないだろうし自分達の素性も隠し通せているはずだ。
ここで新生活を築いていくのも悪くないな。
そんな夢を描くセンフィスは隣で安らかな寝顔を浮かべるカーディアンを眺めながら自分もいつの間にか眠りについた。







城下のとある宿に『ネ=ウィン』人らしい客が泊まっている。
宿主はその宿泊料金と密告による報酬を天秤にかけ、結果儲けが大きい方を選んだ事でその現場付近にはラカン率いる『緋色の真眼隊』が完全な包囲を完了させていた。
ただ、飛んで逃げられれば追いようがない為、彼は自身が擁する暗殺部隊から腕利きの射撃手を建物の外に待機させる。
「念の為だ。毒は仕込んでおけ。」
「りょーかい。」
大きなつばのとんがり帽子を被った男は大将軍に気のない返事を送ると背中に背負っていた大きな弓に素早く弦を張って準備を整えて少し離れた高所に移動し始めた。
全ての準備が完了するとラカンは側近の2人だけを引き連れて宿の中に入って行く。そして目的の人物が泊まっている部屋の前まで止まると、

とんとんとん

既にこの場面から交渉は始まっているのだ。優しく扉を叩いて相手の気分を損なわないように心がける。
更にいつもの鎧で身を包んでいる彼とは違い、祝典に参加する時のような清潔感がある衣装をに袖を通している為威圧感はなりを潜めていた。
「・・・どちら様?」
「私はこの国の外交官カランと申します。異国の方がここにおられるときいて少しお話をお聞かせ願えればと思って参上致しました。」
中からは若い男の声、情報ではもう1人女も一緒にいるはずだ。偽名を使って物腰柔らかに要件を伝えるラカン。
宿泊客が目的の人物以外だった場合は事を荒立てずに退かなければならない為気を緩めずに静かに待つと、

かちゃり

ゆっくり扉が開いて中から黒髪の若者が顔を覗かせる。
見た感じ強い戦士といった印象はない。ならばこれが魔術師だろうか?
(・・・いや、剣を持っているか。うむ?これは見事な・・・)
腰に佩いていた黒剣を一瞬だけ捉えると心の中で感嘆する。細工もそうだが恐らく相当な業物だろう。
目的の人物であると確信したラカンはより注意深く心を静めながら笑顔を作ると、
「ほんの少しで結構です。謝礼もいたしますので、中に入らせていただいても?」
「ここは狭い。階下の食堂で話しませんか?」
青年に話しかけたのに奥の方から女の声が聞こえてくる。狙撃手を配置してあるのはこの部屋から狙える場所なのだ。
移動されると厄介ではあったがこの程度の提案を無理に断って怪しまれる事は避けるべきだろう。
「わかりました。では参りましょう。」
部屋の中で多少着替えの音が聞こえるとすぐに若い女が見慣れない恰好で姿を現した。恐らく宗教に関わる人物だと思われる。
その後を青年が護るようについて歩くのを見てラカンはすぐに主従の関係を把握する。

3人が掛けるには十分な広さを持つ食卓を囲み、店主が水を用意すると早速、
「まずお名前と出身地を・・・いえ、どこからやってこられたかで結構です。教えていただければと思います。」
「私はカーディアン、こっちはスタール。私の夫です。西の大陸からやってきました。」
やはり女の方がすらすらと答え始める。青年は黙ったままで特に何か行動を起こす素振りも見せない。
「それはまことに興味深い。『ジョーロン』や『ダブラム』あたりから来られたのでしょうか?」
「そんなところです。」
あまりにもそっけない対応にラカンの心は苛立ちを覚えるが裏を返せば彼らが警戒しているとも受け取れる。
「船旅ですとさぞお疲れでしょう。ここは争いの無い国です。少し退屈かもしれませんがごゆっくり滞在なさってください。」
真偽は後でいくらでも調べられるのでまずは質問を続けて行こうと思った矢先、
「いいえ。私の夫が空を飛べますから船には乗っていません。」
欲していた情報がぽろりと零れ落ちた事で傍にいた側近すら一瞬表情を失ってしまった。





 確かに乗船記録を調べれば一発でわかる嘘だ。ついても仕方はないだろう。
だからといってこんな簡単に求めていた情報が手に入るとは夢にも思っていなかった。
「あの・・・空を飛べるというのはその・・・『ネ=ウィン』の魔術師団のような?」
狼狽えるそぶりを見せつつ話を引き出そうと質問を続けるラカン。
国内での騒動は東の方から報せが来ていたので西の大陸からというのも恐らく嘘なのだろう。
しかし今はその張りぼてのような嘘などはどうでも良い。彼らが空を飛ぶ技術を持っている事への確信。それから引き込めるかどうかを見極める。
「ええ。でも夫の術は彼らとは展開方式が違います。非常に速く、小回りも効く。貴方方が欲しても決して手には入りませんよ?」

・・・・・

まるで最初からこちらの思惑を全て見通していたかのような発言。
(この女、何者だ?)
彼女が断言した事で空気が一瞬でひりついたものになってしまうが仕方ない。彼は取り繕うのをやめると、
「では我々にそれを教えて頂く訳にはいかないと?」
「そ・・・」
「そうではありません。」
ここにきてずっと黙っていた青年が静かに口を開いた。それによって彼女からは怒気と表情が放たれたが彼は全く気にする事無く話を続ける。
「俺の術はこの剣によって発動しているのです。なので俺自身が何かを習得している訳じゃない。」
なんとも眉唾な話になってきたが彼はいたって真剣だ。更に先程目にしたあの黒剣、確かに何かしらの力を内包していてもおかしくはないが・・・
「・・・では一度それを手に取らせていただいても?」
ラカンは駄目元で軽く頼んでみる。話の内容はともかく立派な細工が施された美しい黒剣、手に取るだけでも価値はあるはずだ。
そして驚いた事に彼はためらう事無く腰から抜くとあっさり手渡してくれた。
(そんな大切な剣を簡単に・・・奪われたら目も当てられんぞ?)
揺さぶりをかけたつもりが逆に揺さぶられる立場となったラカンは少しだけ迷うもそれを静かに受け取ってみる。
「・・・抜いてみても構いませんか?」
「どうぞ。」
そこまで許すというのは何か意味があるのか。抜いた瞬間叩っ斬られる想像などはしないのか。
きつねにつままれたままの状態だったがここまできたら突き進むしかあるまい。彼はその柄を握って静かに引き抜こうとした瞬間。

「・・・・・ん?何か鍵のようなものが掛かってますかな?」

びくともしなかったので飾りか何かだろうかとさえ思って口を開いたが、青年は少し笑いながら手を差し伸べるのでその黒剣を返す。
そして目の前ですらりと抜いて見せた。
力をほぼ入れていないようにそれを抜剣した事実もそうだが現れた見事な刀身に強者たちが目を奪われる。
「これは俺にしか扱えないんです。」
言われて笑い飛ばしたい気持ちも湧き出てくるが青年は実際目の前でいとも簡単に引き抜いた。
・・・いや。彼にしかわからないからくりが仕込まれている可能性も十分考えられる。だが今はそれよりも、
「その黒剣の謎、我々に解明させていただけませんか?」
「いいですよ。」

・・・・・

この会話は予想外のやり取りが多すぎる。
何度目かの思考停止と言葉を失ったラカンは今一度冷静にその言葉を脳内で再生し直してから再度提案してみる。
「えっと。つまりこの黒剣を我々に預けていただいても構わないと?」
「はい。もちろん条件は加えさせていただきますけど。」
青年は笑顔でそれを鞘に戻して答えてくれた。夢ではないらしい。話が上手すぎて今起きている出来事が現実かどうかすら疑わしいと思えてきたラカン。
「ふざけるな!!センフィス貴様、誰の許しを得て勝手な真似をしている?!」
今まで無表情であり無関心を装っていた女が突如激昂して青年の胸倉を掴みかかっていった。
驚きはしたが最初から何か裏を感じていたラカンはこの姿こそが本来の彼女なのだろうと納得してその様子を見守る。
「カーディアン。俺はもう君を巻き込んで危険な橋は渡りたくない。
ここは悪くない国みたいだし彼らの研究に協力する代わりに小さな家と生活を約束してもらおう。ね?」
センフィスと呼ばれた青年は落ち着き払った居住まいでなだめるように妻を説得し始めた。
ラカンとしても彼の提案は断る理由を探すのが難しいくらいに美味しい話だ。そう、美味しすぎるので口を挟む事無く夫婦喧嘩の成り行きを更に見守る。
「それでは私の野望はどうなる?!『ユリアン教』の再興!!その為にお前は私の剣としてここまで支えてくれたのだろう?!」
「・・・ごめん。本当は君の全てを救ってあげたいけど、今朝考え直したんだ。
別に信者が少なくてもいいじゃないか。何だったら俺が改宗するし、俺達はどこか静かな場所で安らかに暮らそうよ?」
やりとりに出てきた『ユリアン教』という言葉にだけはラカンの脳が僅かに反応した。
(確か西の大陸で猛威を振るっている流行り病のような邪教だと聞いていたが・・・)
しかし話の流れからその信者は妻の方だけらしい。そして2人の話から『リングストン』への貢献を考慮して彼はやっと決断をする。

ばきゃっ!!!

「こんの・・・色馬鹿がぁっ!!」
と、同時に見かけからは想像もつかない右拳と罵倒が旦那の頬に深くめり込んだ。
「奥様!それくらいになさってあげて下さい!」
慌てる振りをしながら仲裁に入るラカンは2人を落ち着かせた後静かに座り直して、
「旦那様はセンフィス様と仰るんですね?もう少しお2人の詳しいお話と事情さえ聞かせて頂ければ
先程のやり取りで出ていた住居や生活の世話は全て『リングストン』が用意させていただきます。如何ですか?」
その言葉を聞いて青年は喜びを満面の笑みに変えて、女は不機嫌そうに腕を組んだままこちらを睨みつけていた。





 あれから拗ねる妻をよそにラカンは文官を演じつつ彼らの話を聞き出し続ける。
だがセンフィスという名前だけは片隅に記憶してあったのでその正体にはすぐ気が付けた。
最近『ネ=ウィン』で頭角を現したという若き将軍の名がセンフィスだったはずだ。となれば、
「ふむ・・・そうなれば彼の国との外交問題に発展する恐れがありますね。対策を練る為にもう少し詳しい事情をお聞かせ願えますか?」
その理由は妻の起こした騒動が原因らしい。『ジグラト』の交易都市ロークスで大規模な暴動が起きた話もまた記憶に新しい。
(やはりこの女は相当危険だな・・・)
これのどこに惚れたのか全く理解に苦しむがとにかく2人は今現在夫婦で青年はこの地に安息を求めている。
「『ネ=ウィン』が絡んでくるとなるとかなり大がかりな根回しが必要です。しかし我々はセンフィス様の気持ちに十分お応えする覚悟があります。
一度話を持ち帰って精査いたしますのでしばらくはこの街でごゆるりとなさってください。」
今日の所はそういって一旦切り上げる選択をしたラカン。ただ時間はあまりないだろう。
何せカーディアンという女は油断ならない。
この後間違いなくセンフィスを説得して街を出るか国を出るか、もしかするとロークスの時みたいに扇動を考えるかもしれないのだから。
とにかく今夜は監視を立てて明日の朝一番までに新居を手配、それからすぐに黒剣の研究を始めるべきだ。
(あとは『ネ=ウィン』を使って女を始末させるのが・・・いや、その前に女からセンフィスの気を逸らせる。うむ。ここにも根回しが必要だな。)

彼の協力によって『リングストン』の国力が飛躍的に伸びるかもしれないのだ。

ラカンは城に戻るとすぐにネヴラディンへの報告を済ませた後、国の重臣達を集めて夜遅くまでセンフィスをしっかり掌握する為の策を練り続ける。
ほぼ彼の想定通りに大筋が決まると早速朝一番に彼らを迎える為に出向き、王城近くにあった将軍達が使う屋敷を宛がう。
そしてセンフィスを正式に将軍職として迎え入れた後、軍事力の命運を握る黒剣の研究に取り掛かり始めたのだった。







同時に『ネ=ウィン』には密書が送られていた。
内容はもちろん反逆者カーディアンとその夫についてだ。ただセンフィスは正式に『リングストン』の将軍として招き入れてたとも記している。
つまり・・・・・
「・・・・・ふざけた真似を!!」
皇族にだけ知らされた密書の内容に皇帝ネクトニウスは珍しく激昂していた。
同盟国である『ジグラト』を混乱に陥れた重罪人だけでなく、それの逃亡に大きく関わった将軍をも雇い入れるという『リングストン』の行動は宣戦布告以外の何物でもない。
普段ならこの場には皇帝と皇子、そして最側近であるビアードの3名で密談が交わされる所だが、
「あら?あの男行き着く所まで走ったのですね。ある意味清々しい屑っぷりですわ。」
今までは腫れ物のように扱われていた王女もこの場に参加している。
「・・・しかし考えようによっては絶好の機会。父上、ここは全軍を以って事に当たるべきかと。」
そして男兄弟唯一の生き残りであった末弟ナルサスは静かにそう提言していた。
彼の主張は正しい。それこそが戦闘国家である『ネ=ウィン』が取るべき道だろう。だが、
「今は『ビ=ダータ』という新国、そして『トリスト』とそれに属する『アデルハイド』が目を光らせています。
いたずらに大軍を動かしてしまえば本国の護りが手薄になり、非常に危険かと。」
元々少数精鋭を掲げている為、大軍といっても万を少し超えるくらいにしかならないがそれでもビアードの指摘は正しく、
ナルサスもわかっていて発言をした部分もあり納得して頷いていた。
(うむ。皆冷静ではあるようだな。)
ネクトニウスも場が落ち着いている事を確認すると怒りを収めてから皇帝としての提案をする。
「かといってこれだけの挑発行為を放っておくわけにはいかん。今一度『暗闇夜天』への接触、そして依頼を念頭に我ら『ネ=ウィン』としてもしっかり報復しなければならない。」
そう宣言しただけで3人はその真意を汲み取ったらしく頷いて見せる。
「つまりごく一部の動きで事を済ませる、という事ですね。でしたら私がセンフィスを始末しましょう。」
だが一番厄介な仕事をやると息子が駄々をこね始めた。
確かに彼を将軍として引き立てたのはナルサスだ。皇子として責任を痛感しているのは十分理解出来るのだが奴は強い。
「・・・わかってはいると思うが、お前自ら『リングストン』に赴くような真似だけはしてくれるなよ?」
これこそ『暗闇夜天』に任せたい仕事だ。しかし息子の気持ちを蔑ろには出来ない。
結局子に甘い父は自分が敵国のど真ん中にさえ行かなければ、という条件を付けてそれを許可してしまう。
「ご安心を。」
彼もそう言われるのをわかっていたのか間髪入れずに答えてくれたのでひとまずほっとする皇帝。
ただ、その弟に何故か疑いの目を向けていた娘がやや気になったが。
「では私は『暗闇夜天』への接触を試みましょう。」
「うむ。重罪人の首だけは必ず持って帰るように伝えてくれ。」

こうして『ネ=ウィン』と『リングストン』の水面下による戦いはラカンの思惑通りに進んでいくのだった。





 エリーシアの亡骸と共に村にやって来た青年は半年以上をかけてゆっくりと元気を取り戻しつつあった。
何故カーチフが彼を助けたのかさっぱりわからなかったが腕は立つらしい。
なので将来的には部隊の一員として迎合するのかと思っていたが今のところそんな気配は一切なく、サファヴは今日も畑仕事に精を出している。
(・・・まぁあいつが何をしてても構わないんだけどな。)
『シャリーゼ』の復興作業もひと段落して帰宅途中にロークスでひと悶着あったものの無事に村へ帰って来た彼らはそのまま休暇を与えられた。
シーヴァルも実家に戻って羽を休めていたのだがどうにも心は休まらない。
原因はわかっていた。

「サファヴ!お疲れ様っ!」

カーチフの家に住み込みで働く彼は間違いなくシャルアとの距離を縮めている。これは勘違いでも何でもない。
幼馴染としてずっと彼女を見守ってきたシーヴァルにはわかるのだ。最近のシャルアはとても楽しそうに、そして可愛く笑うようになった。
だがサファヴが最愛の人を亡くしてからまだ半年・・・もう半年というべきなのか?
彼にどのような心境の変化があったのかはわからない。だが2人は時々本当の恋人同士に見えてしまう。
「ああ。もうお昼か。いつもありがとうな。」
くたびれた作業着に身を包んで汗と土だらけになった青年がゆっくりと畑から上がってくると準備された昼食の前にどかっと腰を下ろす。
「暇ならシーヴァルも手伝ってくれよ。何もせずだらだら過ごしてたら体も鈍るだろ?」
2人きりにさせまいと何とか間に入っては邪魔する自分に爽やかな笑みをこぼしながら話しかけてくるサファヴ。
彼を恨んだり憎んだりするのはお門違いだとわかってはいた。だがそれでも感情というのは上手く制御出来ないのが人というものだ。
「毎日訓練は欠かさず行ってるから鈍る事はないっすね。」
何とか声色と表情を取り繕ってはみるものの、彼らを2人だけにしたくないという理由からこうやってシャルアが弁当を持ってくる日には必ず参加していたシーヴァル。
我ながら情けない作戦だが他に何をすればよいかわからなかったから仕方がない。
(どうすればいい?どうすれば俺に振り向いてくれる?)
彼女より一歳年上のシーヴァル。思えばずっと一緒に成長してきた。もちろん他にも村の中には同い年や近い年の友人はいる。
しかしカーチフの娘という事もあってお転婆な彼女に恋心こそ抱きはしたものの彼女を自分のものにしたいと本気で考える者は今まで存在しなかった。
それはシーヴァルとて例外ではない。
彼も淡い恋心を抱いてはいたものの、どうすれば彼女を自分のものに出来るか等は考えていなかった。
自分がカーチフの部隊で戦果を上げて、いずれは義父に認められて、そうすれば自ずと流れから娘を、みたいな話になるだろう。
一番近くで想い続けていた彼の思考ですらその程度だったのだ。
ところが村の外、国境すら超えてやってきた青年が今は彼女の一番傍にいる。
納得がいかないし悔しい。しかし何をどうすればいいのかさっぱりわからないシーヴァルは毎日を悶々とした気持ちで過ごしていた。
「あ、あのさ!サファヴってもうずっとこの村にいるの?」
「うん?そうだな・・・許してもらえるのならそうしたいかな。今更『リングストン』に帰る気もないし。」
握り飯を食べながら少し憂いを帯びた表情で答えるサファヴ。
それを聞いて一瞬とても嬉しそうな表情を浮かべたのをシーヴァルは見逃さない。
駄目だ。今まで2人の邪魔をする為に無理矢理入り込んでいたがこれを見せられるのもいい加減辛い。

どうしよう・・・どうすればいいんだ・・・

答えの出ない思考の渦に巻き込まれている彼を意中のシャルアは全く気がついていなかったが、サファヴだけはその様子を真剣な眼差しで捉えていた。



その夜、シーヴァルの家にサファヴが訪ねてきた。
「話がある。」
非常に真面目な表情でそう言われると今の状態からは悪い報せしか思いつかない。
出来ればそれを断って寝具に頭を埋めたい所だが両親もいる手前無碍に追い返す訳にもいかず、
「・・・外でいいっすか?」
せめて誰にも聞かれない場所で話を聞こうと促すと2人は歩き始めた。
本当はもう少し離れたかったのだがサファヴの方は早く切り出したかったらしくすぐに足を止めると、
「なぁシーヴァル。お前さ、シャルアに気があるんだよな?」
何だそれは?この男はそんな事を言いにわざわざ夜も更けてから家にやってきたのか?
もしかして2人は既に恋仲で、自分に彼女の事は諦めてくれとか告げに来たのか?

「・・・・・何でそんな風に思うんっすか?」
「はぐらかすな。シャルアの事どう思ってるんだ?」
苛立ちを覚えて聞き返したら更に諌められて問い詰められた。
そのまま口喧嘩まで持っていってもよかったが冷静になると自分は今までその想いを口に出したことはなかった事に気が付く。
結果はもうわかっているのだ。ならば一度くらいははっきりと気持ちを表に出すべきか?
「・・・そっすね・・・好き・・・っす。」
「だったら何でさっさとその気持ちを伝えないんだ?」
何なんだ?2人が付き合ってるから云々という話ではなさそうだが俺に何を求めてるんだ?
初めて彼女への気持ちを吐露したシーヴァルは胸に込み上げてくる気持ちと彼の言動とがごっちゃになって混乱し始めた。
「だってもうあいつはサファヴの事を意識してるじゃないっすか。俺がしゃしゃり出ても何も変わらないでしょ?」
今まで口に出せなかった感情が堰を切ったかのように湧き出てくる。言ってて悲しくなってくる。
もう少し自分に勇気があれば・・・サファヴが現れる前にもっと積極的に行動出来ていればもしくは・・・
「そんな事はわからないだろ。俺もまだあいつには何も話していない。」
「・・・・・何で俺にそんな事を言うんっすか?」
恐らく両想いな2人だ。後はどちらかがしっかりと想いを告げればとんとん拍子で事は進むだろう。
となれば今サファヴがこんな事をわざわ伝えに来た理由など1つしかない。
「・・・俺を笑い者にしたいんっすか?」
シャルアの心は奪われた後だ。
つまりこの男は無理だと分かっている告白をさせる事でより彼女は自分の物だと強く宣言したいという事か。
「そんな訳あるか。・・・あのなシーヴァル。少しだけ俺の話を聞いてくれるか?」
彼は即座に否定すると畑のほうに顔を向けて自身の昔話をし始めた。





 元々エリーシアとは別に幼馴染で年下の青年アスワットという友人がいたそうだ。
そしてサファヴとアスワットがエリーシアに想いを抱いていた。
ところが3人が3人とも友人の事を気にかけてしまい、結局それらの恋は何一つ花開く事無く散っていったという。



「俺かアスワットがしっかりと想いを伝えていれば何かが変わったはずなんだ。あの時何故それが出来なかったのかと後悔しない日はない。
シーヴァル、お前にはそんな思いをしてほしくないんだ。」
寂しそうに語り終えたサファヴの横顔は月明かりに照らされて年齢以上の哀愁を浮かべている。だが話を聞いててふと疑問に思ったシーヴァルは、
「もしエリーシアとアスワッドが上手くいってもサファヴは後悔しなかったんすか?」
「ああ。俺はその為にあいつらをずっと見守り続けていたからな。2人が恋仲になれるのなら喜んで祝福しただろう。」

ばきっ!!!!

黙って聞いていたシーヴァルは怒りに任せて思いっきり彼の頬に拳を突きたてて捻りを加えるとそのまま貫き通す。
何の備えもしていなかったサファヴは自分の顔に何が当たったのかさえ理解出来なかっただろう。
そのまま真横に吹き飛びながら畑の畝に転がり落ちて動かなくなったがそんな事はどうでもいい。
「何すかそれ?!自分の気持ちに嘘ついて何がしたいんっすか?!」
サファヴの話が今の自分にそのまま当てはまってしまうと彼の激怒は動き出した拳を抑えることが出来なかったのだ。
だが気持ちを言動に現して少しだけ落ち着きを取り戻したシーヴァルは畑からゆっくり立ち上がる青年を見守って答えを待つ。
ふらつきながらも戻ってきたサファヴは虚ろな目を浮かべて、
「いいんだよ俺は。俺はもういいんだ。エリーシアに申し訳が立たない事をした。だからもう・・・」
この男は皆が思っていた以上に過去を引きずっていたらしい。その後ろ向きな言い訳にまたも怒りが頂点に達したシーヴァルが今度は左拳を放った。
元々サファヴは相当な猛者のはずだ。怒り任せの大きな動きから放たれる拳など十分かわすくらいは出来たはずなのに、

ばきゃっ!!!!

またもそれを真正面から受けて後ろに吹っ飛ぶ。
「あんた何考えてんだよ?!それでシャルアも・・・エリーシアも喜ぶと思ってんのかっ?!」
自分の恋心と彼の卑屈な気持ちに我慢出来なかったシーヴァルは言葉も拳にも遠慮がなくなっていた。
燃え滾る怒りを瞳に宿して無様に倒れている男を見下ろして答えを待つも、サファヴはまたゆっくりと立ち上がってきて、
「・・・俺にはもう・・・誰かを好きになる資格なんて・・・ないんだよ・・・」
駄目だ。このまま自分の怒りに任せてはこの軟弱な男を殴り殺しかねない。
シーヴァルは何とかしなければと怒り狂う心のまま何とか頭を働かせて1つだけ答えを絞り出す。
これはある意味自分にとっては敗北宣言になるのだがそうも言っていられない。
「そんなのわかんねぇだろ?!あんたもシャルアに気がある!!見てればわかるんだよ!!俺の事を気にする前にあんたが行動しろよ?!
上手くいくかもしんねぇだろ?!?!?」
認めたくなかった部分だが本心でもあった嘘偽りない感情だ。
「・・・安心しろ。それはもうない。」
「安心って何だよ・・・どういう意味だよ?」
「・・・さっきシャルアから好きだと告げられてな。断ったばかりだ。」

がきっ!!ばきんっ!!!どかっ・・・ぼくんぼくっ!!!

もはや心を失ったシーヴァルに喋るという選択はなかった。
ただただ怒りと悲しみの全てを言葉ではなく拳に乗せてサファヴを殴り、蹴飛ばす。
こんな男に・・・こんな男に俺はあいつを盗られたというのか!!!
こんな男が・・・俺の大切に想っていた人の心を奪ったというのか!!!
自分の心に嘘をついて、過去と現在の境目がわからなくなっているような男に!!!

「やめてっ!!シーヴァルもうやめてぇっ!!!」

突然いつもの聞き慣れた彼女の声が耳に入ってきた。と同時にかなりの腕力で胴体に腕を回されるとそのまま勢いよく体ごと後ろにずれる。
実に『剣豪』の娘らしい破天荒な仲裁方法だが同時にシャルアから発せられる柔らかくも温かい感触と匂いが彼の理性を呼び戻した。
「シャ、シャルア?!どうしてここに?!」
「サファヴがいなくなってたから探してたの!!一体何があったの?!」
何があった・・・と聞かれたら説明するのが難しい。1から話すにしてもどこを1として始めればいいのか。
見れば彼女はやや涙ぐんだ顔をしている。それが意味するものが何なのかも気になってくるとますます考えがまとまらない。
「シ、シーヴァルが、お前に大事な話がある、んだってさ。」
体を震わせながら静かに立ち上がったサファヴはまだそんな事を言ってくる。
再び怒りに火が灯るも、もう一度殴りにかかるのはシャルアの心証を損ねかねない。

(話か・・・・・)

2人がこちらに視線を向けてくるが何を話せば納得してくれるのだ?シーヴァルは今までの出来事を思い返しながら原因を探る。
数秒か数分か。
静かな時間が流れるままに彼の答えを待つ2人。そして、
「・・・俺、シャルアが好きなんだけど。結婚してくれないか?」
冷静になりきれるはずもない彼は思いつくままに自分の気持ちを伝える事から始めてみた。ただ、これにはちゃんとした理由がある。
「えっ?!?!?ええ・・・・・っと・・・・・」
今まで見せた事がないほどうろたえるシャルア。その仕草と表情は紛れも無く恋をしている女の子だ。
彼女からの返事を待とうか悩んだが、
「わかってるよ。お前サファヴが好きなんだろ?」
どうせ断れるのだ。ならばシャルアの負担を減らしたほうがいいだろうと自分から話を切り出す。
すると少し寂しそうな表情を浮かべたまま俯いて、
「う、うん・・・でも、あはは。私ふられちゃったから・・・」
「ふられてないよ。大丈夫。サファヴはお前の事ちゃんと好きだよ。」
放っておくとまた涙を零しそうなのでシーヴァルはすかさず言葉を続ける。それを聞いてシャルアは驚きながら勢い良く顔を上げた。
「何勝手な事を、言ってるんだ・・・俺にはエリーシアがいるんだよ。」
相変わらず空かした青年は顔を腫らせたまま腹の立つ御託を並べてくる。
もう少しシャルアの気持ちがこちらを向いていてくれたらこのまま彼女を奪ってやりたいとも思ったがこの勝負は完全に負け戦だ。
「あんた嘘が下手だね。俺がシャルアばっかり見てると思った?あんたがシャルアを見る目も十分わかりやすかったよ?」
「・・・・・くだらん。」
「あんたはエリーシアとアスワットが結ばれればそれでいいって言ったよな?喜んで祝福するって。そうじゃないだろ?
あんたは自分に自信がないから最後の最後までエリーシアに気持ちを伝えられなかったただの臆病者だ。」
シャルアは話が見えてこない為にやや戸惑っているようだがそこは後でゆっくり説明すればいいだろう。
今はただ自分の愛する人に対して、その愛が向けられているにも関わらず真正面から向き合わないこの男に言いたい事を全てぶつけなければならない。
そうしないと自分の怒りが収まらない。いや、それでも収まらないかもしれないのだ。
「そして今度は俺に無理矢理想いを伝えるようけしかけてきて、自分は俺やシャルアから逃げる。何回同じ事を繰り返すつもりなんだ?!」
つまりは彼が以前迎える事の出来なかった場面をシーヴァルとシャルアという代役を立てて起こそうとしているのだろう。自分の気持ちに嘘をついてまで。
それに一体何の意味があるのだ。それが腹立たしくて悔しくて仕方がないのだ。
シャルアへの想いとサファヴへの不満を一気にぶちまけたシーヴァルが怒気を放って睨み付ける。それに対してこの臆病者は何と答えるのか。
「・・・・・俺だって・・・俺だってなぁ。」
顔がはれ上がって随分不細工になったサファヴがか細い声を上げながらこちらにゆっくりと歩いてくる。
肝っ玉も声も小さい男に何故シャルアを奪われなければならないのか・・・間合いに入ったらもう一度ぶん殴ってやろうかとも考えたが、

「・・・エリーシアの顔が忘れられないんだよ・・・あいつがまだ傍にいる気がして・・・」

その言葉を聞いた途端シーヴァルの怒りが沈下するのだから亡くなった人間というのは大きく、そして狡い存在だ。
「シャルアの事は好きだ。でも・・・その気持ちには応えられない。」
更に彼がやっと素直な気持ちを吐露した事で隣にいたシャルアの表情に少しだけ希望が灯ったのだから堪ったものではない。
(脈なしにも程があるだろ・・・ったく!)
元々はサファヴがその役を買って出ていたが結果的にはそれがシーヴァルの方に回ってきた。
だがこればかりは仕方ない。多少の障害はあれど2人が相思相愛なのは間違いないのだから。
「シャルアは色々強いからな。今の言葉で絶対逃げられなくなったってのは忘れちゃいけないっすよ?」
そう言って彼女の肩を軽く叩くとすぐにサファヴの肩を担いで軽く支えに入った。それから彼らは振り返る事無くゆっくりとカーチフ家に向かって歩き出す。



「・・・きっと時間が解決してくれるさ。2人とも、幸せにな。」



どれだけ立ち尽くしていたのか。
2人の姿が闇に消えていった後、聞こえるはずもない祝福の言葉を送ると翌朝シーヴァルは村から姿を消した。

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