闇を統べる者

吉岡我龍

戦闘狂と愛国狂 -王族の責務-

 この世には様々な異能の力を持つ種族が存在している。それらは世界のあらゆる局面において度々顔を出しては多大な爪痕を残してきた。
人間達もその存在と有用性には十分気付いており一部の権力者はそれらを囲う、担ぎ上げる、隷属させる等あらゆる方法でそれらを利用しようとするのだが彼らも素直に従っていた訳ではない。
理不尽すぎる要求は彼らの異能の力によって滅ぼされ、無駄な争いを避けるものは僻地に身を隠す。平均的な種族から見て異能を持つ種族はいつの時代も畏怖され利用され忌諱されてきた世界。
やがて不完全ながら魔術という手段を確立していった人類の一部が1つの仮説を打ち立てた。



人為的に異能の力を埋め込む事は出来ないだろうか?



そこで完成体を国の軍部へ献上するという約束の元、神への冒涜や道徳観などを捨て去った研究員達が金と人脈のある国へこの話を持ちかけ始めた。
成功すれば世界の情勢が引っくり返る研究企画に『シャリーゼ』王国が承諾したものの、想像を絶する非人道的な実験内容と壮絶な成果に僅か3ヶ月で終焉を迎える事となる。

「残ったのは3人だけか?」

細身の長身であり顔も面長な中年男性モレストは研究を監視する第三者機関の代表だ。
そんな彼は上がってきた報告書を片手に破棄された所内を衛兵と歩いている。中には牢屋に近い部屋や人を鎖で繋いでおく部屋、研究員らの書斎と実験室などがあり目立った道具や置物は撤去されていた。
「恐らく。残りの実験体は全て変死しております。ご覧になられますか?」
「・・・見たくはないが、見ない訳にはいかないだろう。」
立場上愚痴程度に留めていたが心の中では大きなため息に見舞われる。何故なら研究所外の広場に丁寧に並べられている10歳以下の少年少女の遺体は339人にものぼるからだ。
報告書を読んで情報こそ掴んでいたが凡そ人の体とは想像出来ない突起物や歪み、変色などが全ての遺体から見て取れる。顔が確認できればまだいい方で手足がなくなった者、逆に増えている者、体色が緑やら紫やら、加えて異臭も立ち込めていて頭がおかしくなりそうだ。
「酷いな・・・これらは本当に人間だったのか?」
「間違いありません。監査官が変貌する場に立ち会っていたので後ほど証言をお聞きください。」
これを人間がやったというのだから鬼の所業という言葉以外出てこない。

「やれやれ。功を焦りすぎたのか超えてはならぬ一歩を踏み出してしまったのか・・・。結果を求める為とはいえ背負うにはあまりにも業が深すぎるな。」

既に研究員は全て捕らえてあり、この所業をまとめた書類も押収済みだが今後の処理を考えると頭を抱えずにはいられない。
周辺の列強国からの自衛手段を求めるが為に倫理観を蔑ろにするような研究に手を出してしまった結果最悪な結末を迎えてしまった商業国家『シャリーゼ』。
自身もこの研究には賛成していた為責任の一端はあるが、更に責任感の強い女王はこの結果を見て首でも括らないだろうか心配になってくる。
だがこれら全てを含めて宰相の仕事だ。



 「ふむ・・・わかりました。」



その夜、静かに報告を聞き終えたアン女王は短く答える。そもそも『シャリーゼ』では人の血が流れる出来事自体が極めて少ないのだ。
しかし研究員達を拷問にかけて情報を吐かせた後全てを処断する為、最終的には351人もの死体が生まれる事になるだろう。
過去に例を見ない凄惨な研究結果を前に会議室の重臣達も悲痛な面持ちでこの先の指示を聞き逃すまいと女王の顔に視線を寄せている。
「まず、実験体での生存者が3名いるそうですね。その3名は私が責任を持って育て上げます。」
その言葉に一同が強く頷く。

そう。辛うじて生き残った被験者3人、全て赤子だが運よく生き残った生存者達がいた。

それら全てが女王の下に置かれる事になったのだ。ここはモレストの予想通りだったと言える。責任感のある女王が生き残った赤子を施設に放り込むとは考えにくかった。
「研究員は全て殺さないように、情報を吐かせる為に10日間の拷問を与えなさい。11日目以降はただ殺さないように拷問を与え続けなさい。」
だが次の命令を聞くと全員が血の気を引きながら俯いた。普段は温厚だが怒らすと怖い女王の性格が顕著に現れた為だ。
しかしその理由にも納得がいく。何せ年端も行かぬ子供達を集めては体内に異物を埋め込み、結果として数多の変死体を生み出してしまったのだから。
「はっ!畏まりました。」
処刑担当の責任者もその強い意志を汲み取ったのか立ち上がりしっかり頭を下げて返すと女王は少し悲しみの残る笑みを向ける。

こうして一部の重臣のみが知る事件は後に『非人』と呼ばれ、国の最高機密としてごく少数の人間が後世に語り継ぐ事となる。





 赤子は3人とも腕から異能の力を持つ何かしらを魔の術式によって埋め込まれていたらしい。
だが突然の変死を防ぐべく彼らはそれを取り出そうとしたが既に同化か消化していたのか、何も見つけられなかった。

そして異変は突然起きる。保護してから半年も経った頃、その中の1人が突如形を変えだしたのだ。

赤子だったということもあり衛兵達が何とか取り押さえようとしたが、その体はどんどん大きく膨らんでいくと本能のままに暴れだす。
まだ自我が芽生えてなかったのも大きな理由だろう。本人の意思や周囲の呼びかけでは制御不能だと判断されると赤子はあえなくそこで処断された。







以降残った2人の動向も非常に注視されつつ6年の月日が流れた。お互いが燃えるような紅い髪ではあったもののそれ以外は特に変わった様子も無く普通の子供として成長していた。
そんな何の問題も無く過ぎた6年により周囲もすっかり安心し始めていた。彼らは普通の子供だから大丈夫だと。しかしそれは直後に裏切られて思い知らされる事となる。

ある日、天気の良かったお昼時に女王と2人の少年は庭で昼食を採った後心地よい太陽の下で各々寛いでいた。
兄弟同然に育った2人の少年が駆け回る姿を微笑ましく見守る女王とその側近達。
(このまま何事もなく育って欲しい・・・)
子のいない女王は常にそう強く願っていた。しかし突如1人の少年が何の前触れも無くいきなり燃え出した事でまたも悪夢が顔を覗かせてきたのだ。
見守っていた一行も何事かと慌てふためくがアンはまず水を用意するよう冷静に命じる。そしてもう1人の少年は慌てて女王の下に戻ってくると彼女を庇うように前に立ちはだかっていた。
「アン様!!下がって!!」
少年とは思えぬほど力強く促されたので言われるまま側近に守られながら下がっていくと今度はその少年自身が赤く激しい炎を纏いながら兄弟へ向かって走っていくので周囲は別の意味で再び驚かされる。

しかし今回はその違いが明確にあった。何せ片方は己の意思で炎を纏っていたのに対しもう片方は四肢を変形させつつ悶えながら炎上していたのだから。
体を変形させる事無く自我を保っていた少年は炎の力のお陰なのか、目にも止まらぬ速さで巨大な肉塊と化した少年に近づくと今まで見せたことの無い動きでそれを殴りつける。

ばちぃぃん!!ばちぃばちぃばばばっ!!!!

叩いて正気を取り戻させようとしているのか、それともアンが逃げる時間を稼いでいるのか。真意は分からないが大人と比べても数倍以上ある物体を休み無く殴り続けている光景は驚愕と勇猛で思わず見とれてしまう。
だが変異した少年が元の体に戻るような気配はなく、むしろどんどんと巨大化が進んでいく事で危機感から正気に戻ったアンは速やかに巨大弩を持ってくるように命じた。
これは本来攻城時などに使われる巨大な弩なのだがまさか人に向けて放つ日が来るとは思いもしなかった。愛を注いでいた少年が見るも無残な形へと変わっていく中早くも喪失感で心の軋みを感じていたが今は無事な少年の方を助ける意味でも早急な対応を求められている。
(せめてショウだけは助けないと!!)
供養は後でいくらでもしよう。もしここで判断を誤り2人共失ってはそれこそ犠牲になった者達へ申し訳が立たない。
逸る気持ちを他所に衛兵達が削った丸太をそのまま打ち込める巨大弩を三門、やっと準備が整ったと報告をしてきたのでアンは間髪入れずに射出を命じた。
質量がある為その速度は遅いものの威力は絶大だ。ただ気をつけねばならないのがショウを巻き込まないよう射線を確保せねばならない点だ。
「ショウ!!下がりなさい!!」
アンの声に素早く反応したショウはゆっくりと飛んでくる丸太を確認する余裕を見せつつそれが当たったのを見届けた後も更に殴り始める。
処断するにしても元の姿に戻そうとするにしてもまだ足りないらしい。速やかに第二射の用意を命じて再度それを放つとやっと動きに陰りが見えた。
「ごおおおお#ぉぉぉ・・・・##」
同時に少年だった塊から燃えるような断末魔も聞こえてきてアンは気が狂いそうになる。

6年だ。6年もの間、償いとして一緒に暮らし我が子のように育てていた少年がこのような最後を迎えるとは・・・

もちろん覚悟もしていた。その為に商業国家『シャリーゼ』では絶対に必要の無い巨大弩の準備までしていたのだ。

「三の矢、準備出来ております!」
気が付けば衛兵長が声を掛けてきていた。巨大な炎の塊を未だに殴り続けているショウもちらちらとこちらを心配そうに見てくる。
そうだ。覚悟は出来ていたはずだ。再び腹を括り直したアンはその目に僅かな涙を溜めたまま最後の命令を下す。

「・・・放てっ!!!!」

どどどっっ!!!

9本もの丸太の矢を受けた元少年は遂に動く事が無くなり、纏っていた炎も消えると同時にその命の終わりも告げた。





 「ショウを手放しましょう。」
その夜、やはり6年前と同じ会議室で重臣達が集められると各々が意見を述べていた。といってもほぼ全員が実験体の生き残りであるショウの放棄を口にしている。
問題なく成長していたと思われていた少年がまたも変貌してしまったのだ。最後の1人がこうならないと証明するほうが難しいだろう。
「・・・・・」
既に何人もが忠言しているが肝心の女王は一向に反応する気配を見せない。
(そりゃそうだろう。あれだけ可愛がっていたのに・・・)
国として脅威と感じたからこそ彼らは忠言しているのだ。国務という面からみれば非常に全うで正しい行動である。
しかし女王は国の王という立場と同時に親としての心が芽生えてしまっている為もはや理論だけで動ける状態ではなくなっているのだ。

「女王様。どうかご決断を。」

これまで一言の意見も述べなかった宰相モレストがここに来て最終判断を促す。もはやこれ以上は時間の無駄だろう。周囲は放棄論調で埋め尽くされておりそれが覆る気配は無い。後は決定を下すだけなのだ。

「・・・ショウは今まで通り、城内で育て続けます。」

アン女王へ視線が集まる中、その決断が会議室にいる全員の耳に届くと痛く感じるほどの沈黙が降りる。
(まぁそうだろうな。)
六年間一緒に、親子のように過ごしてきたのを皆も見て来ている。城内にいる全員がそうだ。
反対すべきなら今しかなかったのに全員がその微笑ましい光景を見てきただけに理解と難解の狭間に囚われた彼らが反対意見を述べる事など出来なかったのだ。

「ただし、もしこの先。ショウに変貌の気が見られた場合、その処分と同時に私は王の座を退きます。」

だが次の一言で今度は全員が青ざめた。
彼女が女王の座について30年、現在は54歳になる。少なくともまだ10年以上は機敏に国政を執れるだろう。
清廉潔白な性格や最年少で女王の座についた事、今までの政務内容も含め国民に絶大な人気のある彼女に引退などされては国が傾きかねないからだ。
そこまでの覚悟を持って決断された事に周囲は大いに畏まるがこれを放置しては本当に難局が訪れかねない。
「女王様、流石に王位を退くというのはいかがなものかと。」
なのでずっと口を開かずに見守っていた宰相モレストが最後にその発言だけを諌める仕事をする。
放棄の話など最初から頭に無い。アン女王は頑なな性格と高い責任感で必ずそう決定するのは目に見えていたからだ。
後は彼女自身がこの諫言を利用して会議に幕を引けばよい。そう思っていたのだが。

「いいえモレスト。私は一人の親として、そして女王としてこれ以上ない決断だと自負しています。以上が最終判断であり今後この件に関しての発言を一切禁止します。いいですね?」

彼が思っていた以上に愛情に溢れた母親は彼が思っていた頑なな責任感を軽く跳ね除ける。こうして唖然とするモレストを他所に最終決断が覆る事無く会議は幕を閉じた。





 迷わせの森から遠い西にある分厚く高い城壁に囲まれた大きな湖の畔にある街、『シャリーゼ』王国の城下街を走る大通りには様々な商業が店を構え人で溢れかえっていた。
城門を行き来する荷馬車の数もひっきりなしで世界を代表する商いの国という肩書が伊達ではないと一目でわかる。

そんないつもの光景を湖の上にある王城、その一室から眺める長身の男がいた。
「では今回の会談、私が代表ということで出席すればよろしいのですね?」
男は振り返ることなく後ろの長椅子に体を預けていた女性に確認を取ってくる。
「ええ。『ネ=ウィン』が『シャリーゼ』と『リングストン』に声を掛けるなんて絶対ろくでもない内容だもの。時間と労力の無駄!」
飾り気はないが清楚な衣装を身にまとった中年の女性はしかめっ面で首を横に振りながら全力でうんざりを表現してみせた。
「我等としてはあの軍事力が後ろ盾にあるからこそ商業発展に全力を注げるのです。あまり邪険にあしらうと『また』法外な要求が来ますよ?」
「その時は『また』交渉するわよ。商業国家のやり方でね?」
元々の性格なのだろう。女性はいたずらっ子のような表情でそう言い返すとお互いが軽い笑い声を上げた。
「やれやれ。私としても事は荒立てたくないのである程度の条件は受ける方向で進めてきますよ?」
「お願いねモレスト。報告は事後で大丈夫だけど私の方も意見書はまとめてあるの。道中にでも目を通しておいて。」
「畏まりました。」
話が終わると宰相モレストは恭しく頭を下げた後に部屋を出て行く。
会談まではまだ10日以上の猶予はあったものの余裕と不慮の出来事に備える為、翌日彼は馬車で片道7日の距離にある『ジグラト』王国の巨大都市ロークスに向かって出立した。

この時それを見送った女王はほっと一安心すると我が子のように愛する側近と次の休暇にどこへ遊びに行こうか計画を立てていたという。



それから3日後。旧友の急報により事態は一変、アン女王の浮かれ気分は淡い霞のように消え去っていた。
「ああもうあの馬鹿!もっと早くに連絡しなさいよ!そうすればモレストと一緒に向かわせたのに!!ほんっとにもう!!」
独り言で悪態をついていたのは決して本心ではない。折角立てていた休暇の予定が潰れた事を隠す為の憂さ晴らしだ。
しかし旅立った方ではなく残された方に不測の事態が起こるとは思ってなかった。召使に慌しく指示を出し多頭引きの馬車に荷物を積ませるとアンは赤毛の少年を優しく抱きしめた。
「いいことショウ。手紙によると巨大都市で行われる会談が開催される頃にその子もロークスに来るらしいの。命の危険もあるみたいだから貴方が力になってあげて。無事にここまで案内してあげてね。」
手短にそう伝えるとショウと呼ばれた少年は嬉しそうに頷く。

『シャリーゼ』国内で知る人ぞ知る悪夢の事件『非人』

その生き残りであり5年前の変事に自身の地位を賭けてまで守り抜いた息子のような存在に別れの抱擁が済むとショウも静かに口を開いた。
「ご安心ください。必ず女王陛下のご期待に、十全にお応えしてみせます。」
彼の心の底から出た言葉に曇りは無くその笑顔は太陽のようであったという。





 『暗闇夜天族』の襲撃から一夜明け、怪我人を2人乗せた馬車は一路街道を西に進んでいた。
重厚な鎧を身に纏っていたリリーもそこかしこに痣が見られるが友人であり、クレイス達を離れて護衛していた時雨という忍びは太腿の刺し傷が酷く1人で歩く事も困難だった。
「無理すんなって!ヴァッツ様も良いって仰ってるんだから!」
「そうそう!ここに残していけないし一緒に行こう!」
「し、しかし・・・・・」
当初彼女は立場上甘える訳にはいかないと断り続けていたのだが押しの強い2人の説得に折れて同乗することになり今に至るという訳だ。

「ところで昨日のあいつらって何しに来たんだろ?」
馬車が走り出すとヴァッツは気になっていた事を3人に尋ねてきた。
「恐らくクレイス様の身柄が目当てでしょう。彼らは『ネ=ウィン』の手の者。『アデルハイド』の・・・・・王族の血を根絶やしにする為・・・です、ね。はい。」
途中から歯切れが悪くなる時雨の説明にクレイスは思わず首を傾げていたのだが、それでもヴァッツはうんうんと頷いて納得する様子を見せる。
「あ、あの。王族っていうだけでそこまで狙われるものなんでしょうか?」
ついで、と言っては何だが自身が全く国政に関わってこなかったせいでその血の意味を深く理解していないクレイスは無知蒙昧を隠す事無く質問を重ねてみた。
時雨とリリーが非常に驚いた表情を向けてきた時は流石に後悔したがそれでも微笑みを浮かべ直した時雨は優しく答えてくれる。
「そうですね。例えば貴方が『アデルハイド』を取り戻す為に国民に呼びかけたらどれだけの人間が集まると思われますか?」
しかしそれは自分が望んだものではなく、むしろ質問というか問題となって返ってきた。考えた事のない内容に思わず顎に手をやり考え込んでしまうがすぐ答えは見つかった。

「え、えっと。僕はお城で大した仕事もしていなくて、父や剣術の修行からも逃げちゃったので、そんな僕が呼びかけても誰も集まってくれない、と、思いま・・・す。」

言ってて段々情けなくなってきたのか声が細くなっていく。だがこれが事実だ。自身は王族として何もしてこなかったのだから。
そんなクレイスに優しい笑顔を向けたまま時雨が静かに首を横に振ると今度こそ答えを教えてくれた。
「いいえ。国民全てが貴方の元に集まるでしょう。それはクレイス様自身というより『アデルハイド』王家の今までの働きと功績を国民が認知しているからです。」
「ええええ?!」
慰めにしても誇大表現が過ぎてひどく驚いた。その様子に隣で据わっていたヴァッツもクレイスの方を見て驚いている。
「で、でも、いくら『アデルハイド』王家が凄かったとしても、僕は本当に何も・・・」

・・・何もしてこなかった。

国に何の貢献もしてこなかった少年の呼びかけに国民が応じ命を賭けるというのだろうか?非常に不思議でとても理解し難い話に頭が混乱する。
「それが王族の血というものです。」
「クレイスが何かやるんだったらオレも手伝うよ?」
クレイスが苦悶の表情を浮かべているとヴァッツがきょとんとした表情で小首を傾げながら話に入ってきた。
「う、うん・・・・・その時は是非お願いするよ。」
何気ないやりとりに時雨がぎょっとした表情を浮かべていたがそれに気づけなかったクレイスは友人の頼もしい申し出を軽く受け流す。

「・・・王族の血、か。」

それからぽつりと呟いた後、生まれて初めて自身の立場を認識したクレイスは長い旅でそれと真剣に向き合い始めるのだった。





 その日のうちに小さな村にたどり着いたクレイス達は食材などの補充を済ませると早々に宿に入る。
歩行に支障をきたしている時雨の臀部を両手で軽く持ち上げたヴァッツはそのまま寝具まで運び込み、その様子を眺めていたクレイスとリリーは目を丸くしながら後に続いていた。
「あ、あの。ヴァッツ様。少しの距離でしたら歩けますので・・・」
「だめ。」
手厚い介護を受ける時雨は非常に申し訳なさそうだが彼にしてみれば彼女を持ち上げるのも大した苦にはならないのだろう。
「迎えが来るまではヴァッツ様の言うとおりにするんだ。いいな?」
友人であるリリーは面白そうに笑みを浮かべて釘を刺し時雨はむくれ顔で渋々頷いている。その夜一行は雨風の凌げる家屋内で久しぶりに食卓を囲んでの食事を堪能した。
就寝時はもしもの襲撃に備えるべく1部屋で4人が寝具を並べて一夜を過ごすと翌朝、時雨の交代と迎えとして3人の忍びが宿を訪れる。

「ではヴァッツ様、クレイス様。私は一度拠点に戻ります。全くお役に立てず誠に申し訳ありません。」
「何言ってるの!!そんな事より早く怪我を治してね?!」
脚の怪我があるので椅子に座ったまま頭を深々と下げる時雨にヴァッツが彼女の両肩をがっしり掴んで軽く揺さぶりながら別れを惜しんでいた。
「それで怪我が治ったらまた戻ってきてね?!折角だから一緒に旅をしよう?ずっと離れてついて来るんじゃなくてさ。ね?」
(そうか。ヴァッツはずっと『迷わせの森』にいたから・・・)
折角出来た旅の道連れとの別れがとても寂しいらしい。家族以外の人物との触れ合いも少なかった故か、彼がそう懇願するのもわかる気がする。
「は、はい。必ず・・・!」
その熱意に何かを感じたのか時雨もうれしそうに力強く答えている。しかしクレイス達にはあまり時間がない。
のんびりしているとまた『ネ=ウィン』からの追手が迫って来る可能性があるのだ。
名残惜しいが時雨は迎えの馬車にもヴァッツの手で優しく乗せてもらうと深々としたお辞儀を見せつつ東へと帰っていった。

「・・・ヴァッツ様。時雨がずっと離れてついて来ていたのはいつから気づいておられたのですか?」

「え?森の中からずっと離れてついてきてたよね?なんで?」
「い、いえ・・・そうですか。」
見送りが終わった後リリーとの何気ないやり取りにクレイスが特に気に留めることはない。しかしヴァッツは旅が始まる前から時雨の気配をしっかりと感じていたようだ。
この時リリーだけは彼の底知れぬ力に僅かな驚愕を浮かべていたが2人はこの旅で更なる威光の力を垣間見ることになる。





 時雨と別れてから更に西に向かう事5日。クレイス達は大きな森を抜けて物々しい雰囲気の国境線が見える所まで辿り着いていた。
次の関所は中立を掲げる『ジグラト』王国の管轄なのでリリーの話では特に労せず通れるだろうという事だ。

この時多少旅に慣れてきたクレイスは自身の中にある王族の血について考えていた。

といっても知識や経験が足りない為時雨とのやりとり以降大した進展はないのだがそれでも考えていた。そうしないと父やよく尽くしてくれた召使い、将軍達の事を思い出してしまうから。
悔しさはない。怖くて逃げて来ただけであり戦う術や気概を持ち合わせていないクレイスにそんな気持ちは存在しないのだ。
ただ寂しくて悲しい気持ちだけはどうにも抑えられなかった。放っておくとこれが自身の心をじわじわと蝕んでいくのを確かに感じるのだ。気が付けば涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。
「クレイス?大丈夫?」
時折ヴァッツが優しく話しかけて来てくれるお蔭で何とか気丈に振舞えていた・・・と思っていた後から聞くとリリーにですら気落ちしていたのがばればれだったらしい。
それでも友人の真心に応えようとこの時は必死に取り繕っていた。そして考えていたのだ。自身が国民に呼びかければ侵略してきた『ネ=ウィン』から国を取り返せるのか?と。
(でもお城には『ネ=ウィン』の兵士が一杯いるんだよね。そこにいた『アデルハイド』の兵士や将軍は・・・捕虜とかになってるのかな?)
となるとそれを解放する所から始まるのだろうか?いや、相手は戦闘国家だ。生半可な戦力で王城に攻め入っても返り討ちに会う未来しか見えない。
そもそも国民の大半は農家であり次いで商人だ。専業で戦士をやる人間は最初から国に所属しているだろうしいくら数を集めた所で王城を取り返せるとは思えない。

いくら国民に呼びかけて集まったとしても戦力でも数でも難しい気がする。

悲しみからの逃避が主な理由であった考えていくと何と厄介な国に目を付けられ、そして侵略を許してしまったのかと溜息しか出ない。
だがそんな時でもヴァッツが底無しの笑顔を振りまいてくれるからこちらもつい笑顔が移ってしまう。同時にふと思った事を口にしてみた。
「・・・あのさ。もし僕が国を取り戻したいって言ったら手伝ってくれる?」
「うん?いいよ!」
予想以上の快諾を受けて多少心は明るくなるもその具体案は何もないのだ。今はただその気持ちだけを有難く頂いておこう。
お互いが真意を汲み取る事なく、しかしそれが可笑しかったのか2人は声を出して笑い始めると馬車が急に停まった。
「「???」」
まだ関所には遠い。なのに街道の途中で動かなくなった理由がわからなくて2人は顔を見合わせる。
「リリー?どしたの?」
「・・・何やら前方で争いごとが起こっているようです。」
ヴァッツが御者席に身を乗り出して問いかけるとリリーは真っ直ぐ前を向いたまま答えてくれた。
気になったクレイスもこっそり顔を覗かせてみると確かに武器を構えて対峙している姿が見える。リリーも馬車を走らせようとしない所をみると事が済むまでここで待機するようだ。
クレイスやヴァッツを危険に合わせない為の選択だと捉えると納得はいく。

しかし対峙している1人がこちらに走ってきた事で彼らは無理矢理いざこざに巻き込まれる事となる。

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