感に入りたい方へ

形の無い悪魔

微糖

「コーヒーは缶でも旨い」

お前が俺に缶コーヒを投げる。ほんのり雪化粧の公園。角の欠けた自販機。冷たくなった木のベンチ。俺は缶をギュッと握りしめる。
「そんなに強く握ったら潰れるぞ」
自分の手を良く見ると力んで震えていた。全く気付かなかった。俺は無理やり力む自分の手を解く。缶にはへこみ一つ無かった。それがわかると今度は逆に力が全く入ら無くなって、缶を手の中で転がす。
「まだあの女が好きなんか」
24日の夜、彼女との別れは呆気無かった。眩しい街中で他の男と歩くのを見た。問い詰めると『貴方、つまらないもの』と言って男と去っていった。
「なんだ、気にすることもねぇよ。良い女はもっと一杯いるさ」
そう言われると廃城となった心が更に壊される気がして、「気にしないでくれ」と怒鳴るように言ってしまった。
「おー、元気じゃねぇか。ならさっさと飲め飲め」
なのに、お前は俺の言い様なんて気にしないで、茶化したように語りかける。何時も茶化してばっかだ。どうせ皆、俺を嗤う。お前もそうなんだろ。じゃなかったら、俺は自分も大嫌いになる。
すっかりヌルくなった缶を開けると、一気に呷った。凄く苦く、酸っぱかった。「こいつは飲みにくい」と俺は独り言のように言った。
「おかしいな、微糖のはずなんだが」
缶の表紙を見ると確かに微糖と書いてあった。だけど、俺には苦く、酸っぱかった。
その時ふと、聞かざるを得ない疑問が思い浮かんだ。「お前はどうして上手く行ってるんだ、女のこととか」と。
「さぁ、わかんねぇ。偶々だよ」
偶々なもんあるか。会社でも家庭でもお前は何時も輝いてる。勲章みたいに目に見える訳ではないが、何となくわかる。
「婚姻届は出したが、良く喧嘩もするし、どうなるかわかんねぇよ」
俺はわかる。お前は上手くいくって。「お前は何でも大丈夫だ」ってはっきり言える。だから、へりくだったような言葉はやめてくれ。よく忘れ物するとか、家事もできねぇとか、遅刻ばっかだとか、そういう自分を卑下するようなことを言わないでくれ。俺が自分をより低くみなくちゃならなくなるだろ。
俺はついに我慢できなくなって、「てめぇを卑下するな。そうされる度、俺から何か色々無くなっていく」と言ってしまった。するとお前は黙りこくった。あんまりにも沈黙が長いからお前の顔を覗き込む。

俺は驚いた。

何時もヘラヘラしているお前が真剣な顔をしていたから。
「なぁ、お前は俺を、お前自身をどう思ってるんだ」
わからない、と答えて終いたかった。何のせいかは分からないけど。だけどそうすることは、まるで城に残った最後一本の支柱を自ら破壊することのように感じた。だから真剣に答えたかった。そして、分かってはいた。俺がお前と俺自身をどう思っているかは。でも、言いたくなかった。本当のことを言って終うのはべそ搔きながら開き直ったかのように白旗を振るようなものだ、と思ってしまったのだ。自分の中でどうしようも無い板挟みに遭ってしまった。俺はただ苦々しい表情を浮かべることしか出来なかった。
「俺はな、自分がやるぞってなったことは絶対やる。それが俺で俺の誰にも負けないところなんだ」
そう言うと、お前は俺の両肩を力強く掴み言葉を続けた。
「お前にも、誰にも絶対負けないところがある。そう、車の鍵だ。お前が見付けてくれた」
確かに、そんなことあったなぁ。鍵見つけるまで終業後から夜明けまでかかったけか。
「あん時、めちゃくちゃ疲れてるはずなのに帰りもせず探してくれた。しかも翌日、俺は休みでお前は普通に会社なのに」 
そうそう、無くした日の翌日はお前が自分の彼女とデートする日だったな。お前、めちゃくちゃ楽しみにしてたんだよなぁ。休憩時間もずっとその話ばっかだった。
「お前は俺の最高のダチで、お前のそういうダチ思いなところは誰にも負けない。絶対な」
俺の目から温かいものが降りてきていた。まるで最高級の布団で自分が既に包まれているような感じがした。俺を挟む二枚の板は大きく開いたような感じもした。お前の方こそ最高のダチじゃねぇか。俺のためにわざわざ、面倒なことしてくれてよ。俺なんて鍵見付けたくらいだぞ。まぁ、いっか。「へへっ、お前には叶わねぇなぁ」

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