魔王様、溺愛しすぎです!

necoaya

1000. 魔王城は通常運転でした

 書類の一部を修正してから署名する。条件付きの許可に、隣のリリスが印章を押した。今の彼女は魔力が使えないので、間違えて署名や印章を消してしまう心配がない。


 少し冷たい風が部屋に吹き込む。閉めようか迷ったルシファーが顔を上げると、リリスが両手で持った大きな印章にぐりぐりと体重をかけていた。あれでは疲れるだろう。少し迷って休憩を口にした。


「休まないか? リリス」


「……もう休むの?」


 さっきも休んだじゃない。そう匂わせるリリスは平気そうだが、手のひらが少し赤くなっていた。思い切り紙に押し付ける作業は、上半身をすべて使う重労働だった。魔力があれば違うが、今戻すのも危険だし……そもそも罰として封じたんだから簡単に戻せない。


 悩んだ末、自分が疲れたと口にした。リリスは素直に受け取り、わかったと頷く。


「ベルゼビュートの温室が綺麗な薔薇を咲かせたぞ。今はオレンジと黄色が見頃か」


 季節に合わせて様々な薔薇を咲かせる温室に、リリスは目を輝かせた。以前にお茶会もしたし、お風呂に薔薇を浮かべるリリスにとって、もっとも身近な花だった。


「ルカ達も誘ってお茶したいわ」


「アデーレに頼んで、ローズティを用意させよう」


 あっさり決まったお茶会を、侍女長のアデーレに命じる。大公女達は揃って護身術の勉強中だった。竜族や獣人も交えて、様々な種族と組み手や魔法での戦いを経験する。視察で後回しになったが、本来はもう終えているべきカリキュラムだった。


 単に間に合わなかった理由は、リリスである。彼女があれこれと騒動を起こしたり、死にかけたり、戻ったりしたため……勉強どころではなかった。振り回された彼女達は被害者なのだ。とにかくも前庭と呼ばれる森で訓練中なので、伝令役としてヤンが飛び出した。


「ヤンって足が速いのね」


「フェンリルだからな」


 あれでも森の守護者と呼ばれる神獣の一種だ。群れを治めるセーレの時はちゃんと威厳もあった。これも威厳が消えたのはリリスの……いや、やめよう。考えを打ち切ったルシファーは、部屋の入り口に立つ金髪の騎士に目を向けた。


「イポスも同席するんだぞ」


「……護衛任務中です」


 勝手についてくる護衛に、同席を求める。つまり一緒にテーブルにつけと命じたのだが、彼女は複雑そうな間を置いたあとで断りを口にした。


「安心しろ、命令だ」


 誰にも文句は言わせん。そう言い切ったルシファーに譲る気はない。リリスが喜ぶなら、アスタロトの叱責くらい受けようではないか。なんとも情けない覚悟を示す魔王に、イポスは肩をすくめた。それから徐に髪飾りを外す。高い位置でゆったり、ひとつに纏めるのは勤務中のイポスの決め事だった。それを外したことで、休憩中だと示す。譲歩した騎士に頷いた。


「ルシファー、ロキちゃんやアシュタはいつ帰ってくるの?」


「そんなに掛からないだろ」


「ふーん、レラジェも一緒にいなくなったのよ。探してもらおうと思ったんだけど」


 指摘されて、ルシファーは慌てた。幼い頃の自分の顔と、リリスの色を持つ子供……見失ったとなれば叱られるのは確実だ。


「陛下、お探ししましょうか」


「いや……でも、そうだな。こういう探し物は誰が得意だったか」


 唸りながら混乱から立ち直ったルシファーに、準備ができたと呼びにきたベリアルが一礼する。


「探し物でしたら、魔犬族が最適です」


 得意げに胸を逸らすコボルトは、犬の嗅覚がある。消えた子供を探すのに適任だろう。


「任せる! 見つけたら連絡してくれ」


「かしこまりました」


 言いつけられた仕事を侍従仲間と分かち合うため、ベリアルは足取りも軽く駆けていく。ここに大公の誰かがいたら叱られたかも知れないが、今は幸い誰も見ていなかった。


「ヤンも大公女達も戻る頃か、下の温室へ行こう」


 髪を解いたイポスを従え、リリスと腕を組んで階段を降りていく。行方不明のレラジェもすぐ見つかるはずだ。楽観視した魔王ルシファーは、テラスの窓を閉めなかった。吹き込んだ冷たい風が、小さな騒動の芽を運んでくるというのに。

「魔王様、溺愛しすぎです!」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く