魔王様、溺愛しすぎです!

necoaya

625. お願いがあるの

 この部屋に彼がいない。記憶が戻ったのにどうして? 泣き出しそうな声で呟いた彼女へ、後ろのイポスが肩に手を置いて説明を引き継いだ。


「陛下はいま、ルキフェル大公が連れ出しておられます。姫に……決めていただきたいことがあります」


「なぁに?」


 幼女の頃と同じ響きで首を傾げる。どこまでも本質は変わらず、その資質が魔王ルシファーを引きつけるのだろう。


「今の陛下に、半日の記憶が欠けたことをお話しするかどうか。皆が迷っております。リリス様の見解をお伺いしたく存じます」


「イポスはいつも堅苦しい言い方で、他の子が嫌がる役を引き受けるのね」


 先ほどまでの言い争いを聞いていない筈なのに、物言いたげな側近達の様子に何か察したらしい。リリスは口元を手で押さえて、くすくすと小さく笑った。肩を滑る黒髪を指先で後ろへ戻しながら、斜め後ろのイポスを振り返る。


「私はこのままがいいわ。だってね、あの人が忘れているなら、それは必要ない記憶なの。今回失った記憶だって、必要だから戻ってきた。ルシファーは森の番人よ。世界を守るため尽くしてくれる王を、森は絶対に見捨てない」


 予言のような言葉を口にし、わずかに俯いた。祈るように両手を組む。その背に白い翼が出現し、頭上に光る輪が浮かんだ。魔族の特徴として認識されるが、種族は不明のリリスがもつ翼は鳥に似て、どこまでもルシファーに似ている。


 白い翼と黒髪、純白の髪と漆黒の翼――まるで互いに色を入れ替えたような、不思議な組み合わせだった。


「ルシファー!」


 リリスの声が魔力を乗せて響く。次の瞬間、部屋の中に飛び込んだのはルシファーだった。目を輝かせて近づくと、ヘッドボードにクッションを置いて上半身を預けるリリスに駆け寄る。


「起きたのか? どこか具合が悪いところがあるか。治すぞ」


「ありがとう、何も……あ、ルシファーにお願いがあるの」


「なんだ?」


 なんでも叶えてやると甘い声が、優しい眼差しが注がれる。それが泣けるほど嬉しくて、鼻の奥がツンとした。潤んだ目から零れそうな涙を、数回の瞬きで誤魔化した。感情があふれる胸を包むドレスを、白い手がきゅっと掴んだ。


 愛する人が戻ってきた。私を「大切だ」と言葉より仕草や態度で示してくれる、どこまでも純粋で強く、脆い人。震えそうになる唇を、左右に引いて笑みを浮かべた。


 堪えきれず、1粒だけ雫が頬を伝う。


「リ、リリス?」


 どうしようと困惑しながら、ベッドの端に腰掛けたルシファーが指を伸ばす。白い指先が涙を拭い、頬を包んだ。


「抱き締めて、二度と私を離さないで」


 目を見開き、彼女の願いを反芻する。まるで一度ルシファーが手を離したような言い方に、唇を噛んだ。心当たりがあるのは、半日の空白だ。あのケガをした後に、オレはリリスが伸ばした手を振り払ったのだろうか。


 あり得ないと思う反面、不安定な笑みを浮かべるリリスの顔に触れた指先から伝わる震えが、懸念を肯定した。きっと、オレは混乱した中でリリスを傷つけたのだ。


「もちろんだ。オレの唯一のお嫁さんだぞ。絶対に離さない。愛してるよ、リリス」


 少しでも安心させたくて、周囲の目を無視して手を伸ばした。抱き締めた腕の中で、やはり震えるリリスが背に回した手は冷たい。緊張した時に人は指先などの末端から血が引く。申し訳なさに胸が詰まり、言葉が出てこなかった。


 ただ強く、しっかりと抱きしめる。オレを置いて行くならリリスだと思った。オレがリリスの手を離す未来なんて考えられず、だから不安になるのはいつも自分だと。


 最愛のリリスが揺らぐ姿に、形のない心が締め付けられる。


 アスタロトが苦笑しながら退出を促せば、全員がぞろぞろと出口へ向かった。感動的なシーンを邪魔する無粋な輩はいない。先頭に立ったルーシアが手をかけたドアが、外側から乱暴に開かれた。


 

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