魔王様、溺愛しすぎです!

necoaya

620. 取り戻す方法はあるか

 突然呼び捨てにした黒髪の少女が、魔王妃だという。礼儀作法にうるさいアスタロトが何も言わずに見ている様子から、これが日常だったのだと判断した。だから注意の言葉を飲み込む。


 持ってきた薔薇をベルゼビュートに渡したリリスが、優雅に一礼した。礼儀作法は一通り修めているらしい。冷静に判断しながら、リリスに微笑み掛けた。


「こちらへどうぞ、お姫様」


 手を差し出してエスコートしようとする魔王へ、リリスが白い手を差し出した。触れた手は温かく、不思議なほど落ち着く。


 仮にも魔王妃殿下と呼称されるご令嬢ならば、誰か貴族の娘だと考えたルシファーの対応に、凍りついた周囲がざわめく。意味がわからないのはルシファーただ一人だった。


 ベルゼビュートは空の花瓶に薔薇を活けて、目を細める。植物や自然に縁の深い精霊なので、気持ちが落ち着いた。息苦しい状況を払拭する薔薇の香りが部屋を満たす。


 リリスの赤い瞳は上手に感情を隠している。にっこりと愛らしい笑顔を浮かべて、嬉しそうに導かれるままソファに歩み寄った。ここで困惑したのは、ルシファーの方だ。


 ソファは2人が掛けだが、この少女と並んで座るのか? 並んで座った後、どうしたら……。


「座らないの?」


 尋ねるリリスの黒髪がさらりと揺れて、薔薇の香りが漂う。照れながら、彼女を座らせて隣に腰掛けた。視線が集中していることに気づいて顔を向けると、慌てて視線を逸らされる。


「アシュタ、どこまで話しているの?」


 リリスの言葉に「アシュタ?」と繰り返したルシファーに、向かいでアンナが「え? そこ?」と呟いた。


「確かに、ルシファーの反応する場所、そこじゃないよね」


 ルキフェルがくすくす笑いながら話に便乗する。


「僕の方は演算が終わったから、すぐにでも書き替えに入れるよ」


 複数層に積み上げた魔法陣を見せる。きらきらと輝きながら回転する魔法陣に、アスタロトは満足そうに頷いた。


「では、今日中に変更しましょう。よろしいですね、ルシファー様」


「任せる。それと……オレの記憶は800年分ほど消えたというが」


 隣のお姫様が僅かに肩を震わせた。触れていた肌から気付いたルシファーが言葉を止める。


「リリス姫、顔色が……」


「平気よ。何もないわ」


 気丈に答えるリリスだが、微笑みがぎこちない。心配そうな側近達の視線を感じながら、用意された紅茶に手を伸ばして……そのまま倒れた。崩れるように寄り掛かったリリスの黒髪が、彼女の表情を隠す。


「……っ、アスタロト! 客間を用意しろ」


「はっ」


 ぐったりと崩れる柔らかな身体を抱き上げる。淡い薔薇色のドレスを着た彼女は、思っていたより軽かった。


「リリス様!」


「なんてこと、無理をなさっていたのね」


「……やっぱりまだ早かったわ」


 様々な少女達の声に、腕の中にいる子がどれだけ無理をしていたのか。可哀想なことをした。抱き上げて廊下を足早に進む。すこし離れた部屋で、アスタロトがベッドを示した。


 横たえて、ベット端に腰かける。ぎしりと軋む音がして、ルシファーはリリスの顔にかかった黒髪を指先で梳いた。驚くほど肌に馴染む。ずっとこうしていたみたいだった。


 ふと、欠けた時間を取り戻したいと思う。この子をこれほど傷つけたのが自分で、その原因が記憶の有無にあるなら。きっと、このままではいけない。


「アスタロト、記憶を……戻す方法はあるか?」

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