魔王様、溺愛しすぎです!

necoaya

480. 不安という仮面の下の思惑

 用意された部屋で、聖女アンナは清潔なシーツが整えられたベッドに横たわった。弱って細くなった腕を、兄の手がそっと擦ってくれる。子供の頃もそうだった。病気で具合が悪いと、こうやって隣で見守ってくれる。武術をたしなむごつごつして荒れた手は温かくて、甘やかしてくれた。


「アンナは……いや、お父さんが心配してるだろうな」


 帰りたくないのか? 先ほどの会話で感じた疑問を飲み込んだ兄の優しさに、アンナは付け込むように眉尻を下げた。不安そうな表情を作れば、すぐに抱き締めてくれる。イザヤの背に手を回して抱き着いた。


「お兄ちゃんが危ないなら、私は帰れなくてもいい」


「俺も同じだ」


 父子家庭の彼らは常に2人で寄り添ってきた。幼い頃にいじめられた妹を守るために兄は武術を習い、大切な兄に喜んでもらうために妹は料理を覚えた。互いに補い合う関係は兄妹の枠に囚われず、独占欲や嫉妬を生み出す。


「……向こうの世界で、私達……どうなってるんだろう」


 アンナの声に滲んだ不安を、兄はどう受け止めたらいいかわからなかった。身体ごと異世界に飛ばされたのか、それとも精神が身体を新たに構築したのか。判断がつかない。向こうに身体が残されていれば、事故死や自殺を疑われる事態だった。突然消えたのなら、失踪や家出だと思われたかも知れない。


「私ね、聖女だって言われたとき……怖かった。お兄ちゃんに会えなくなると思った」


 聖女だと祭り上げて帰れない状態にされたら、二度と兄に会えない。そんな最悪の事態を想像した恐怖を思い出し、アンナは抱き着く腕に力を込めた。それでも衰えた体力では腕が落ちてくる。


「お兄ちゃんがいれば、私は帰らなくていい」


 先ほどと同じ言葉のようで、込められた意味も願いも全く違う。正確にいうなら「帰りたくない」のだ。元の世界に戻ったら、兄はいずれ別の女性に取られてしまう。でもこの世界なら……不安だと縋ったら兄は私を見捨てたり出来ないはず。


「アンナは俺が守る、心配するな」


 期待を込めた妹の眼差しに、兄は穏やかに微笑んで答えた。狡い女だと自覚していても、この手を離すくらいなら狡いままでいい。


 荒れていた肌も髪も元通りになった妹を抱き締めながら、イザヤは帰らずに済む理由を考えていた。誰より大切にして、常に近くで見守ってきただ。危険な目に遭わせるわけに行かないし、誰かに奪われるのも許せなかった。


「少し休め。俺は阿部の様子を見てくる」


 こうして抱き締めていると、幼い頃とは違うと思い知らされる。妹なのに、女として見てしまう。想いを知られる前に、自分が襲い掛かる前に離れたかった。それでも手を伸ばす妹の無防備な姿を、突き放せずに抱き寄せてしまう。


 不毛な関係だと言われなくても理解している。だから必死に笑顔を作って妹をベッドに寝かせた。触れていたい手をゆっくり引き剥がす。


「阿部君、ここだとアベルって呼ばれてたね」


「そうだな。俺達もアベルと呼ぶか?」


 互いの想いを隠したまま笑い合い、絡めた指を他愛ない話で解いた。部屋を出る兄の後ろ姿を見送り、アンナは天蓋を見上げる。ベッドを包む薄絹も、柔らかな肌触りのシーツも、清潔な衣服も心は満たしてくれない。


「早く戻ってきてね、お兄ちゃん」












 イザヤの部屋を中心に右側にアンナ、左側にアベルの部屋がある。客間として用意された一角を解放してもらえたため、居心地のよい部屋だった。自分の部屋の前を通り抜け、もうひとつ先の扉をノックする。


 少し待つと、わずかに扉が開いた。焦らず待てば、こちらを確認したアベルが思いつめた顔で扉を開ける。顔色が悪いが、具合が悪いのか。そう尋ねるより先に、アベルが部屋の中へ入るよう促した。


「どうぞ、先輩」


「ああ。どこか具合が悪いのか?」


「いえ……少し考え事をしてたんで」


 勧められたソファに座ると、アベルは向かいに腰を下ろして膝の上で両手を強く組んだ。絡んだ指が白くなるほど力を入れた後、緊張した様子で口を開く。


「僕の短慮で、すみません。ご迷惑をおかけしました」


 いきなり始まった謝罪に、イザヤは驚きすぎて反応できなかった。

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