魔王様、溺愛しすぎです!
403. 本人の好きにさせよう
優雅に挨拶して前に出たアスタロトの足元は、血が赤く地面を染め始めた。最初に飛びかかった自称勇者を、右手に召喚した虹色の剣で一刀両断。彼の右腕を根元から斬りおとす。喚き散らす男の右腕を剣の先で拾い上げると、見せつけるように細かく切って捨てた。
この時点で、エルフ自慢のチクチクしない芝は赤く染まる。腕を抑えて蹲る自称勇者の脇から、剣士が「しね」と個性のない叫び声で大きな剣を振り抜いた。軽い動きで受け止めてから払い、たたらを踏んだところに背中を叩いて気絶させる。
アスタロトがいきなりバラバラにしなかったのは、ここ最近娯楽に飢えていた住人達へのサービスらしい。歓声に笑顔で応えながら、魔術師が放った火球をホームラン。剣で魔法を弾くのは、人族にとって驚愕の事象だった。魔法は、物理的な剣や矢で防ぐものではない。彼らの常識を粉々に打ち砕いた。
「楽しそうだな……」
「パパも戦うの?」
「もし勇者が動くなら、戦うしかないだろう」
勇者の相手は魔王――白の理と同じくらい当然の常識だ。荷物運び扱いされた本物勇者は、彼らの戦いを冷めた目で見ていた。すぐに助けに入る気はなさそうだ。
「卑怯だぞ」
「卑怯、ですか? 実力差を卑怯と言われても困りますね」
人族に以前同じことを言われたルシファーが「言われちゃったか」と苦笑いする。強固な結界を張ったら、強すぎて卑怯だと言われた記憶が過った。今になれば笑い話だが、彼らにとって魔族の強さは卑怯なのだろう。
足元に倒れた剣士を避けて進んだアスタロトに、横から騎士が無言で切りつける。
「少しは学習しましたか」
いつも「しね」や「もらった!」と自分の居場所を知らせる攻撃ばかりの人族だが、この青年は少し賢い。まるで道端の犬猫を褒めるように口にしたアスタロトが、少し身を捻って剣先を避けた。地面に突き刺さる剣を諦めて後ろに引いた男が、手探りで自称勇者の剣を拾う。
切り刻まれた腕の血がべっとりついた柄を、マントの端で丁寧に拭った。彼が剣を拾うまで待ったアスタロトは、ようやくまともに剣を構える。そのまま剣先を、男の顔に突きつけた。まっすぐ伸ばした腕の延長となった剣が、男の動きを簡単に制する。
アスタロトが2歩踏み込んだら死ぬ状況で、ごくりと騎士の喉が鳴る。
「あいつを殺せっ、くそ……俺の腕が……っ」
後ろで泣き叫ぶ自称勇者にちらりと視線を向けたが、男の感情は揺らがなかった。自業自得だと思っているのかもしれない。この態度の悪さから考えれば、自称勇者は全員に厳しく当たっていた可能性がある。
事実、血止めにあたる魔術師の一人は、血は止めるが痛みはそのまま放置していた。出来ないのではなく、やらないのだろう。魔術師が使った魔法陣を読みながら、ルシファーは状況を見守る。彼らの中で気になるのは、本物の動向だけだった。
「うるさいですよ」
アスタロトが唾を吐く雑さで吐き捨てる。鋭く冷たい眼差しに、びくりと怯えた自称勇者が尻で後ずさった。無様な姿に、アスタロトの口元が歪む。
「あ……これは死んだ」
こういう場面で、アスタロトが優先するのは目の前で対峙する騎士ではない。無様に逃げ回る青年を追い回すのだ。恐怖を煽り、助けようとする仲間を奪いながら、精神が崩壊するまで追い詰めるのが手だった。
「リリス、もう行こうか」
「やだぁ」
ぶんぶんと首を横に振って、殺伐とした現場を見つめる。リリスの知識や記憶が12歳前後なら、別に構わないか。いや……女の子をこんな殺伐とした場所に置くのは間違ってるだろ。
内心の葛藤をよそに、表面上は穏やかな表情で苦悩するルシファーは情けない結論を導き出す。本人の好きにさせよう――人はそれを思考を放棄したと表現するのだが、ルシファーに自覚はなかった。
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