魔王様、溺愛しすぎです!
307. 浅ましい本能に引きずられ
「第一師団に褒美が必要だな」
この狂化状態の吸血鬼王相手に、これだけの反撃が出来たなら表彰ものだ。なんとか止めようとした痕跡に表情が和らぐ。剣を構え直すアスタロトの手に、赤い血が流れた。
肩か? いや、首だな。大きく抉れた傷口がまだ塞がらずに血を溢れさせる。原因らしき傷を見つけたルシファーの右手に魔法陣がひとつ浮かぶ。ぱちんと指を鳴らして魔法陣を転送した。傷口が見る間に塞がっていく。まずはこれ以上の出血を抑えることが先決だった。
「アスタロト」
名を呼ぶ。普段と同じ響きで、彼が答えないことはなかった。苦笑いや穏やかな表情、叱りつけてくる時も、この男はいつだってオレの声を聞き逃さない。
見つめる赤い瞳は、獣の瞳孔が縦に裂けた異形の目だった。まっすぐに見つめ返し、もう一度同じように名を呼んだ。ぴくりと身を震わせたアスタロトが「あ…っ、うぐ……」と何かを呟く。聞き取れない言葉に苛立つことなく、次の魔法陣を右手に呼んだ。
「こんな姿、仲間に見せるもんじゃないぞ。ベルゼがビビってたじゃないか」
窘める砕けた口調で話しかけ、新しい魔法陣をデスサイズの上に重ねる。黒鋼色の暗い刃に、美しい銀の文字が浮かび上がった。
「解放してよいのか?」
「ああ」
尋ねるデスサイズに頷いてやる。数段階の封印がなされた武器の能力をひとつを解放したことにより、浄化の力が強くなったはずだ。アスタロトの魔力を変質させて心を縛る呪いを抑えるために、必要な措置だった。同時にアスタロトの身は危険に晒される。
吸血種族は浄化の魔法に弱い。封印を呼び起こして呪いを抑えるために浄化は効果的だが、一歩間違えるとアスタロト自身を傷つけてしまう。ぎりぎりの手加減を迫られるルシファーは、緊張に乾いた唇に舌を這わせた。
「アスタロト、余に剣を捧げたはずだ」
その剣を余に向けるのか? 魔王としての立場で語り掛ける。堅物なこの男が行うはずがない行動は、矛盾となってアスタロトの意識を揺らした。
「う……っ」
頭を抱えて、それでも右手の剣を振りかざす。先ほどまでと違い、迷いの滲んだ太刀筋をデスサイズが弾いた。銀色に輝く魔法文字が、触れた剣へ流れ込む。
「ぎゃぁっ」
獣のような声を上げてアスタロトが剣を手放した。傷つけられたと判断したのか、鋭い爪と牙を剥いて威嚇してくる。吸血種族でありながら、彼は他者の血を吸わない。その理由がこの呪いだった。活性化させてしまうのだ。
本能は血を求めるのに、理性で押さえつけてきた。その歪みがこうして発露したのだろう。首筋の傷をみれば、何らかの理由で負った手傷で大量の出血を招いた事実が伺える。生命維持の危険を感じた本能が暴走したとしたら、その本能を満たしてやればいいだけ。
「デスサイズ、頼む」
「……承知したくはないが」
文句を言いながらも、デスサイズは素直に従った。巨大な三日月の刃を自らの右手に滑らせる。肘から手首まで、大きく切り裂いてアスタロトの前に突き出した。デスサイズの刃に刻んだ浄化の魔法陣が、血を鮮やかに輝かせる。
「アスタロト」
痛みを感じさせない声色で、招くように右手を動かす。釣られて数歩近づいたアスタロトの視線は傷口に釘付けだった。ぽたりと血が石畳に落ちる。
「早くしろ」
獣の用心深さで動きを止めたアスタロトを嗾ければ、鋭い牙で傷口を抉るように噛みついた。両手で手首と肘を掴み、腕を食いちぎる勢いで血を啜る。彼に理性が残っていたら、浅ましいからと絶対に厭う方法で本能を満たしていく。ごくりと喉が動いて、鉄錆びた臭いの血を飲んだ。
アスタロトの白い肌をルシファーの赤が汚し染める。
「あ……あぁ、へ……ぃか?」
数口飲んだところでアスタロトの動きが止まった。
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