水やり当番 ~幼馴染嫌いの植物男子~

高見南純平

アサガオ

 夕人たち三人が高校に着くと、すぐには自分たちの教室に行こうとはしなかった。
 登校したその足で、校庭の方へと赴いた。


 グランドには生徒たちは誰もいなかった。昼休みにサッカーなどをして遊ぶ生徒はいるが、朝から遊ぶものはいなかった。
 夕人たちの目的も、グラウンドで体を動かすことではなかった。校庭の脇にある、小さな花壇が目当てだった。


 その花壇には一種類の花の種が植えられていた。
 花の名はアサガオ。日本の伝統的な花で、日本人に愛されている夏の花。
 アサガオの開花時期は、七月から夏の終わりにかけてと言われている。そのため、六月の今はまだ、芽を出したばっかりだった。


「よく育てよ」


 夕人は手に持った如雨露じょうろで、アサガオの芽に優しく水を流し込む。水を上から浴びた芽は少し上下に揺れている。夕人には歓喜を現しているように思えた。


「ほんと、好きだよね」


 隣で見ていた日向が、水やりに夢中な夕人に話しかける。さっきから、アサガオではなく夕人の顔ばかり見ている。


「ああ」 


 夕人は軽く返事をした。それに心はこもっておらず、アサガオに集中していた。


「花が好きだなんて、変わった男だよね」


 夜風が呟く。集中した夕人に、何を言っても届かないことを知っていたので、それは独り言に近かった。
 その言葉に日向が敏感に反応した。


「華道部の男子、優ちゃんひとりだもんね」


 この高校には華道部が存在する。部員は三学年合わせて10人程度で、男は夕人のみ。顧問の先生も女性が担当しているので、華道部にかかわる男子は夕人だけだった。


 女子がいるから、という不純な動機で入ったわけではない。これを言うと周りの男子にひかれるが、夕人は「女には困っていない」。


 純粋に花という生き物が好きだった。真心こめて育てれれば、立派な花を咲かす。人のように喋ることはなく、ただ凛として立っている。そんな花が好きだった。


「おまけに毎日花壇の整備。そんなんだから、他の男子にいじられるのよ」


 彼は華道部だけではなく、環境委員会にも所属している。主に校内の掃除、花壇の整備などを行う。
 夕人の仕事は後者で、ほぼ毎日花壇の手入れをしている。
 夕人の前にある花壇は、今まで花はほとんど植えられていなかった。花壇は他にもあり、そのほとんどが校門前に設置されている。


 その理由はいくつかあるが、大きな理由が一つある。
 それは、見た目の問題だ。校門前に設置された花壇は、ご近所の人たちにもみられることがあるからだ。校舎という建設物の集まりの学校だが、色とりどりの花々があるだけで、ずいぶんと印象は変わる。


 そんな大人の事情のために花を育てるのは、癇に障った。なので、夕人は小さな花壇を使って、自分の好きな花を植えることにした。
 今まで、チューリップやパンジーなど、様々な花を育ててきた。


 唯一の男子華道部員で、毎日花壇の整備をしている。こういったことから、夕人は「植物男子」と呼ばれている。高校ではちょっとした有名人である。


「俺が好きだからやってるんだ。他の奴らは関係ない」


 水やりを終えた夕人。彼は如雨露を地面に置き、自信の顔をアサガオに近づけた。


「始まった」


 夜風は呆れた様子だった。このような光景を何度も見てきた。しかし、何度見てもなれることはなかった。


「夕ちゃん、さすがにまだアサガオの匂いしないでしょ?」


「そうだな」


 夕人は必死で花を引くヒクヒクさせる。まるで餌の匂いを嗅ぐ犬である。


「土の臭いしかしない」


「でしょうね」


 夜風は深いため息をついた。
 夕人はいわゆる匂いフェチの持ち主だった。特に花の香りを好んでいる。なので、毎日花に水やりを上げるたびに、花の匂いも嗅いでいた。この行為も、夕人を有名にした一つの要因だった。


「でもさ。アサガオってどんな匂いだったっけ?」


 日向にとって、夕人のこの行為は日常茶飯事だ。匂いフェチを否定するつもりはないが、アサガオの匂いが、日向の記憶にはなかった。


「小学校の頃植えたろ?」


「そうだけど。匂いしたかな?」


 小学校低学年の頃、二人は同じクラスだった。学校の授業の一環で、日向たちはアサガオを自分で育てることとなった。


 しかし、不器用で花の知識が全くなかった日向には、過酷な授業だった。
 そこで幼馴染の夕人が先導して、共に見事立派なアサガオを育て上げた。
 そのころから夕人は花を愛しており、知識も豊富だった。彼が育てたアサガオは鮮やかな紫色になり、先生も感心していた。


「私もピンとこないけど」


「するんだよ、ちゃんと」


「匂いするの、夕ちゃんだけだよ。きっと」


「そうかもな」


「あんた、鼻だけはいいよね」


「まあな」


 夕人は幼少期から、鼻が良かった。それも人よりも少し良い、というレベルではなかった。
 有名な話が一つある。小学校の時の話だ。


 小学校の給食の時間が近づくと、当然食べ物の香りがしてくる。給食室は一階で、夕人がいる教室は三階だった。香りがすると言っても、ほんのわずかだ。


 食いしん坊な男の子たちが腹を空かせる中、夕人は毎回給食の匂いだけで、今日の献立を正確に言い当てた。
 それに周りの子供たちは驚き、興味を持った。毎回給食の時間の前に、夕人が献立を当てるコーナーができるほどだ。


 ある日、クラスの注目を浴びるようになった夕人を、よく思わない子供が現れた。
 その子は「夕人君は献立表を見てるんだよ」といった。献立表は保護者が、子供が何を食べているのか把握するために、配られる給食のレシピ集だ。


 その一言で、夕人は嘘つきと呼ばれるようになってしまった。その時も同じクラスだった日向だけ、夕人をかばったが、誰も信じはしなかった。


 そんな汚名を着せられた夕人に、再び注目が浴びる事件が発生する。
 それは、給食の食材を運んでくる業者の車に入っていた食材が、その日の献立と全く違うというものだった。近くにある別の小学校と間違えたらしく、急遽献立が変わったのだ。


 そして、その時も夕人は献立を言い当てた。他の子たちは、献立表をみたとまた疑った。しかし、先生から給食が急遽変わったことを聞いて、子供たちは唖然とした。それから夕人を嘘つき呼ばわりする者は現れなかった。


 家族や友人が犬とまで表現されるその鼻は、常人が嗅ぎ取れない匂いも正確に嗅ぎ取ることができた。
 実際、アサガオの匂いはほとんどしなかった。するとしても、土や葉っぱの臭いだ。


 しかし、夕人にはアサガオの匂いがはっきりと脳裏に焼き付いている。
 そして、匂いフェチも合わさり、小学生の頃育てたアサガオを、夕人は休み時間ずっと嗅いでいた。
 夕人が花を育てるのは、匂いを嗅ぐためでもあった。


「そういえば、あんたいつから匂いフェチになったのよ」


 まだ付き合いの浅い夜風は、そのきっかけを知らなかった。


「いつだったっけな」


 夕人は小学校を入った時には、匂いフェチだったため、そのきっかけの日を正確には思い出せなかった。


「あの時じゃない?」


 日向が自慢げに語りだした。生まれてからずっと一緒にいた日向は、そのきっかけを知っているようだ。

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