あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第22話(第137話)

「4人を殺した犯人は、写本を見つけることができなかった。
写本は何冊かに分かれていたから、もしかしたら一冊くらいは見つけたかもしれないけどね」

孝道は、破れや黄ばみの酷い紙の束をわたしたちの前に置いた。紙は藁半紙のようだった。
紙のサイズはB5より少し小さいくらいだろうか。それぐらいの大きさが、写しやすく、隠しやすいサイズだったのかもしれない。
右側に穴が二つ空けられており、細い縄のようにも見える荒い作りの紐で結ばれて本のようになってはいたけれど、その紐は今にも千切れてしまいそうだった。

『伝照天王女』

表紙には墨と筆で横書きでそう書かれていた。
戦時中までは確か、横書きの際は左からではなく右から読んでいたはずだ。

だから、そこに書かれているのは『女王天照(アマテラス)伝』だった。

「これが、その写本?」

わたしは尋ねた。

そうだよ、と孝道は言った。

「今は芽衣が使わせてもらってるんだけど、寝入ちゃんの部屋にあった勉強机の右側の四段ある引き出しの奥に、隠し扉のようなものがあって、それはそこにあった。
この家にはそういった隠し扉がいくつもあった。たぶんまだ全部は見つけられてはいないと思う。
別のところ、寝入ちゃんのお姉さんの夜子ちゃんの部屋には、これがあった」

もう一冊、わたしたちの前に置かれた写本には『書文村戸岩天』とあった。
『天岩戸村文書』だ。


「おそらく、寝入ちゃんのお父さんが、隠し場所を頻繁に変えていたんだろうね」

必死で探してくれただろう彼には申し訳なかったけれど、写本が隠されていた場所よりも、そこに記された名前の方が、わたしには気になってしまった。

「どうして、この村の成り立ちや歴史が書かれているはずのものに、日本神話に出てくる神様の名前や場所がつけられているの?
写本だと気づかせないため?」

そう思うよね、と彼は苦笑した。でも違うんだ、と彼は二冊の表紙の左下を指差した。
そこには、写本、とご丁寧にわかりやすく書かれていた。

「一冊目の『女王天照伝』は、邪馬台国の女王であった卑弥呼について書かれている。
皮肉なことに、卑弥呼は、日本神話における高天原の最高神アマテラスと同一人物だったようだよ。

調べてみたら、そういう説が確かにあった。
魏の国の書物に記されているような人物であれば、この国でも特別な存在として人々の記憶に残るはずで、卑弥呼について記された書物が存在しないわけがないという、まぁ、なんていうか、言われてみたらそうだよなぁ、っていう点に着目した、ちょっと強引で無理のある説だったけど。

神話の神や歴史上の偉人は、ぼくたちが知る名前以外にも、他の名前があったり、別の漢字があてられている場合があるんだ。

アマテラスの別名は、オオヒルメノムチ。
『ヒルメ』の『ル』は、ぼくたちが助詞として使う『ノ』にあたる古語になるらしい。
だから、ヒルメとは『日の女』となり、太陽に仕える巫女を意味する言葉だそうだよ。
そして、卑弥呼は、『陽巫女』と書くこともある。
どちらも、太陽に仕える巫女なんだ。

その説を唱えた学者は、日本の書物で卑弥呼に匹敵する人物は、アマテラスしかいないと考えた。
卑弥呼の弟は名前すら残されていないけれど、スサノオのことだったのではないかと。
アマテラスが自ら閉じ籠った天岩戸は、卑弥呼が女王だった時代に二度ほど起きたと推測されている、皆既日食を指しているのだと。

ただ、邪馬台国がどこにあったのかいまだにわかってなくて、近畿説や九州説があるように、卑弥呼の正体についても他にもさまざまな説があったけどね。

でも、ここには、その学者の説とほぼ同様のことが書かれていた。

邪馬台国の女王やその民の子孫が書き残したものだから、ほぼ間違いないと思う。

もし日本神話のアマテラスが実在し、それが卑弥呼と同一人物であるとしたら、初代天皇である神武天皇よりも800年も後にアマテラスが産まれたことになる。
神話が根底から覆されてしまうから、軍はどちらにせよ回収しなければいけなかったんだろうね」


そして、彼は、もう一冊の写本「天岩戸村文書」を指差した。


「天岩戸村というのは、たぶんこの村が今の名前になる前の名前だ。
二つとも原本はおそらくかなり古いもので、名前が変わる前に書かれたんだと思う。
写本には、村の歴史について追加事項として後から書き加えられたものがいくつかあったけれど、村の名前がいつ変わったのかまでは、わからなかった。
この村の成り立ちや歴史については、ぼくが真依ちゃんに話し、真依ちゃんがさっき梨沙ちゃんに話した通りだよ」


そう話す彼は、なぜだかとても悲しそうだった。
つらそうにしていた。苦しそうにしていた。

もし、わたしが彼を抱きしめてあげることが許されるのなら、今すぐにでも抱きしめてあげたかった。
頭を撫でてあげたかった。
胸に顔を埋めさせてあげたかった。
キスをしてあげたかった。

彼の気持ちが少しでも楽になるのなら、わたしを抱いてほしいと思った。
何をされたっていい。
わたしの身体を好きなようにしてくれて構わないと思った。
それで彼が喜んでくれるなら。
彼の子を妊娠することになったとしてもいいと思った。
わたしはきっと後悔はしない。

だけど、この気持ちは本当に彼のため?
わたしが彼にそうしてほしいだけ?


彼が今抱えている悲しみやつらさ、苦しみを、わたしはほんの数時間前まで、彼一人にすべて押し付けようとしていた。

はじめて好きになった男の人に。
わたしのすべてを捧げたいと、彼の子どもを産みたいと思えるくらいに好きな人に。
わたしはすべてを委ねようとしていた。

そんな自分が許せなかった。

だから、わたしは今、ここにいる。
わたしにできることがあるのなら、どんなことだってする。

わたしはもう、目を背けない。

変わることを恐れて何もしないまま、大切な人を失うような過ちは絶対にしない。

彼がわたしを守ってくれるなら、彼のことはわたしが守る。

みかなも芽衣も梨沙も、彼が今守ろうとしている大切な人たちは、わたしにとっても大切な人たちばかりだ。
だから、わたしも彼と一緒に彼女たちを守る。


「きっとぼくは、信頼する人に騙されていたんだろうね。
きっとあの人は、村ぐるみの事件隠蔽の真相についてはどうでもよかったんだ。
あの人がぼくに期待していたのは、写本を見つけること。
ただそれだけだったんだろうな……」


彼は、もしかしたらもう、事件の黒幕の正体に気づいているのかもしれない。


「梨沙ちゃん、この村の人たちや君は、シャーマンの力によって記憶を消されたわけじゃないんだ。
シャーマンの力なんて存在しない。
神なんてものが存在しないように。
黄泉の国も、死者の魂も存在しないように。

君は、通話中の携帯電話が発する電磁波を利用して、記憶を消されただけなんだ」


梨沙は、孝道の話を、意味がわからないといった顔で聞いていた。


「ぼくは、最初からシャーマンの力については懐疑的だった。
だから、何らかの科学的な方法で、脳に干渉し、記憶を消したのだろうと考えていた。

そして、ぼくは、ぼくが過去に関わった事件から、携帯電話の電磁波を使えばそれが可能だと気づいたんだ。

実際にぼくは、電磁波を利用して通話相手の記憶を消すことができる携帯電話を作ることができた。

ぼくがみかなや芽衣の記憶の一部を消すところを、真依ちゃんは実際に見ている。

真依ちゃんがさっきぼくに言ったのは、ぼくが作ったこの記憶を消すことができる携帯電話なら、プログラムを少しいじれば消された記憶をもとに戻すこともできるんじゃないか、ということなんだ」


梨沙はおそらく何も理解できていないのだろう。
ずっと、意味がわからないという、ぽかんとした表情で、孝道を見ていた。


彼の手には二台の携帯電話があり、おそらくすでに通話中だった。

彼は、右手に持った一台を、梨沙の耳にあてた。


何かがおかしい。

わたしは思った。

でも、何が?


「梨沙ちゃん、君が璧隣家の4人が亡くなってから今日までに知った、この村ことはすべて忘れて」

そして彼は、梨沙にそう言った。


そのときになって、わたしは何がおかしかったのか、ようやく気づいた。

どれだけ彼が凄腕の天才ハッカーだとしても、記憶を消したり、消された記憶を取り戻させたりするような、電磁波を利用して相手の脳に干渉する危険な代物を、試すこともせずに使うわけがなかった。

彼は、記憶を消す携帯電話を作ったとき、まずそれを自分で試したといっていた。
後遺症やその他の問題がないことがわかっていたから、みかなや芽衣にそれを使っていた。


「璧隣家のことも忘れて。ぼくのことも忘れて。
でも、みかなと芽衣と過ごした時間だけは忘れないであげて。
それから、ぼくやみかなや芽衣がいなくなっても、これからも真依ちゃんのそばにいてあげて」

彼のその言葉の後半は、彼の願いや祈りだった。


梨沙は、わかった、とだけ言うと、意識を失った。


          

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