あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第20話(第135話)

雨野孝道のことを、仕事はできるが生活力は皆無だとみかなは言っていたけれど、パソコンに向かう彼の背中を見て納得した。

彼にはもう、わたしたちの声は聞こえてはいなかった。

彼は今、まわりの声や音が聞こえないほどに、目の前のモニターの中のプログラムにだけ集中していた。

将棋盤や碁盤に向かう、将棋や囲碁の天才棋士のように見えた。
芸術家や小説家が、神が降りてきた、と表現するような状態のようにも見えた。

シャーマンのトランス状態とは、こういった状態を指すのではないかと思えるほどだった。

彼には今、神が降りてきているのだ。


小説家に神が降りるとき、小説家はその神に肉体を明け渡し、その身体は自動書記機械のようになるのだという。

わたしが嫌いな、あのただただ胸くそが悪くなるだけのケータイ小説を書いた天才小説家、二代目花房ルリヲが確かそう言っていた。
テレビで彼がそう言っているのをわたしが見聞きしたのか、雑誌のインタビューに答えていたり、小説の後書きなどに書かれているものを読んだのかまでは覚えてはいなかったけれど。

ただし、彼はその神は実際には存在せず、降りてくるわけでもない、と言っていた。神でもなんでもないものだと言っていた。

その神のようなものは、自分の中に常に存在し、普段の自分が忘れているような記憶を、母親の胎内にいた頃から現在に至るまでの記憶をすべて持っており、それゆえに感受性や表現力等が普段の自分よりも高い、もうひとりの自分なのだと。

おそらく、普段は10%程度しか機能していない人間の脳のリミッターがはずされた状態にある自分の脳そのものなのではないか、と分析していた。


わたしはなんとなくだけれど、みかなの友達の羽衣という女の子の恋人であり、孝道が互いに天才であると認め合っているという若い小説家とは、二代目花房ルリヲなのではないかと思った。
羽衣と共に昨年の12月にこの村を訪れたマナブという男こそが、二代目花房ルリヲなのではないかと思った。


わたしは梨沙に、電磁波やプログラムのことはよくわからないから、わたしがこれから話すことの中でわからないことがあったら後で彼に聞いて、と前置きした。

彼は、前世紀末に本当に現れた救世主と呼ばれている凄腕のハッカーであり……


「ごめん、真依。それってどっちのせいきまつ? 蝋人形にしてくるほう?」

「してこない方。世界が核の炎につつまれたりする方」

「みかなのお兄さんは北斗神拳の継承者、と。メモメモ」

「ばかなの? 梨沙、あんた本当に女王の血筋を引いてるの? てか、本当にメモすんな」


それはまるで、みかなと芽衣がするようなやり取りで、わたしは思わず笑ってしまった。
梨沙も笑っていた。

わたしは、わたしと寝入は、自分たちは双璧の家の子だからと、次期当主だからと、勝手に壁を作り殻に閉じ籠るようなことをしなければ、幼い頃からこんな風に彼女と過ごすことができたのかもしれなかったのだ。

それは梨沙に限ったことだけではなかった。
村に同じ年に産まれた子どもたちとも仲良くできたかもしれなかった。


数年前、都会で深夜に放送されたアニメに、まるでこの村のように昔ながらの村社会の様相を残す村落で発生した連続怪死・失踪事件の顛末を描いた連作式のミステリーがあった。
どうやらゲームが原作のアニメのようだったけれど。

寝入が、そのアニメの存在を知り、観てみたいと言った。
□□市内のレンタルビデオ店に行き、わたしたちは生まれてはじめてDVDを借りた。
借り方もわからなかったから、パッケージごとレジに持っていき、店員さんを困らせてしまったのをよく覚えている。

寝入の家で、ふたりで一緒に観た。
確か、去年の夏休みのことだ。寝入が殺されてしまう3ヶ月か4ヶ月か前のことだった。

そのアニメには、この村の双璧の家のように御三家と呼ばれる名家が存在し、その筆頭である家の次期当主の女の子が、都会から引っ越してきた主人公の男の子のクラスメイトだった。
同じクラスには、御三家のもうひとつの家の子もいた。

御三家の筆頭の家に生まれた彼女は、次期当主であることを受け入れながらも、自ら盛り上げ役に徹することで皆と仲良く遊んでいた。
彼女は、そんな風にして過ごせるのは次期当主である今のうちだけだと知っていたからだ。

そんな彼女にわたしたちは憧れていた。

わたしたちはただ彼女に憧れるだけで、彼女のようになろうとはしなかった。変わろうとしなかった。

あのときわたしたちがもし変わろうとしていたなら、あのアニメが何度も悲惨な結末を向かえながらも、土地神の力を借りてループを繰り返し、最後には皆で力をあわせ幸福な結末を勝ち取ったように、わたしたちは今とは違う「今」を共に生きていたかもしれない。

わたしたちには、寝入が死んでもループは起きなかった。
この先事件の真相を暴いていく中で、わたしや梨沙が死んだとしても、おそらくループは起きない。
やり直すことはできない。

やり直すことができないからこそ、わたしと寝入は、あのときに変わるべきだった。変わらなければいけなかった。

あのときが、わたしにとっては最初の、寝入にとっては最初で最後の変わるチャンスだった。

そして、今はわたしにとって、二度目の、おそらく三度目はない、最後のチャンスだ。

寝入はもういない。

でもわたしのそばには孝道や梨沙がいる。
みかなや芽衣がわたしを変えてくれたから。
わたし自身がさらに変わろうとしていたから。

だから、わたしは寝入のためにも、わたしのためにも、梨沙のためにも、みかなや芽衣、そして孝道のためにも、今度こそ本当に変わらなければいけない。


もしシャーマンの力が本当に存在するのなら、わたしではなく、きっと梨沙のような子が使えるのではないかと思った。

シャーマンの、邪馬台国の女王の力は、その血や血の濃さで与えられるものではなく、きっと無自覚に天然で無自覚に天才で、それでいて真っ白なキャンバスのように純粋無垢な女の子に与えられるものなのだ。

無自覚に天然でなければ、必ず超自然的な存在に疑問を抱く。
わたしはそうではないから、すでに疑問を抱いてしまっている。

孝道もまた無自覚にみかなやわたしの母性をくすぐる天然であり、天才だ。
わたしが考えるシャーマンとしての才能を充たしている。だから彼には今、ハッカーの神が降りてきている。
けれど、彼は天才であるがゆえに、ハッカーとして警察に捜査協力をしてきたため、神の存在やその教えといったものに懐疑的な立場になってしまったため、だから彼もまたシャーマンにはなれない。

おそらく、二代目花房ルリヲもシャーマンとしての才能を充たしているだろう。
しかし、自分に降りてくる神について、リミッターがはずされた自分の脳そのものであるとまで分析してしまった彼もまたシャーマンにはなれないだろう。


梨沙がおばかなことを聞いてきたものだから、わたしの思考は少し脱線してしまった。

だから、わたしは頭を一度切り替えることにした。


          

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品