あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。
第10話(第125話)
その頃(7月に入る頃)には、みかなと芽衣とわたしは、平日も週末もどこへ行くにも常に一緒に行動するようになっていた。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
ふたりといるときだけ、わたしは返璧(たまがえし)や双璧(そうへき)、あの村に縛られることのない、普通の女子高生でいることができた。
学校帰りに、他校の男の子たちに声をかけられて、カラオケに行ったりもした。
私服の時は、大学生に声をかけられたこともあった。
何人かの男の子と連絡先を交換したりもした。
村に帰ると携帯電話が使えなくなるから、あまり意味はなかったし、わたしはふたりと過ごす時間を大切にしたかったから、恋愛とかそういうものにはまだ興味を持てなかったけれど。
こんなことが、わたしの人生にも起きるんだな、と思った。
どうしてここに、寝入(ねいる)がいないんだろう、と思った。
寝入といっしょに変わりたかった。
四人で過ごせたなら、きっともっと楽しかっただろうな、と思った。
寝入は、天国かどこかで、わたしを見てるのかな。
変わったわたしを見て喜んでくれてたらいいな。
だけど、わたしが変わっていくことを、寝入は喜んでいないかもしれない。
自分でも寝入といっしょにいた頃の自分じゃなくなっていくのがわかるから。
寝入から見たら、きっとどんどんわたしが離れていくように見えているかもしれない。
わたしは、どんなに笑っていても、どんなにはしゃいでいても、いつもそんな風に寝入のことを考えていた。
だからわたしは、ふたりが住む旧璧隣邸にだけは、行くことができなかった。
学校でわたしたちと昼食を共にするのは白璧 梨沙(しらたま りさ)だけだった。
梨沙は、苗字に「璧」の字が入っていることからもわかるように、■■■村の人間だった。
ふたりが住む旧璧隣邸の隣にある家に住む女の子だった。
双璧の家に生まれたわたしや寝入(ねいる)のそばにはこれまで近づきもしなかったけれど、今では普通にわたしを芽衣と同じように「まよまよ」と呼ぶ。
きっとわたしや寝入が勝手に壁を作っていたからなのだろう。
家のことや村のこと、次期当主であること、わたしたちは今はまだ考えなくてもいいことばかり考えて悩んで、壁を作り殻に閉じ籠っていた。
もっと早く、寝入といっしょにいるときに気づきたかった。
家が隣同士だったからか、梨沙はふたりといつの間にか仲良くなっていた。
わたしと同じようにみかなたちからおしゃれを学んで、それからわたしが丁重にお断りした「みかな流あざと女子処世術」まで学んでいた。どうやらそれは、一冊本を出せるくらいの内容と情報量らしい。
わたしは梨沙に寝入のことを覚えているか訊きたかった。
だけど、訊くのがこわかった。
返ってくる答えが怖かった。
訊いてしまったら、すべてが壊れてしまう気がしていた。
間もなく昼休みも終わるという頃、芽衣がトイレに行きたいと言い出した。
5分ほど前にみかなが芽衣に確認したばかりだった。
お互いに高校2年だというのに、みかなは芽衣にそんな確認を毎日しなければならず、芽衣は大丈夫というくせにいつもぎりぎりになって大丈夫じゃなかったと気づく。
本当にふたりは、友達でありながら姉妹のようでもあり、母娘のようでもあった。
みかな曰く、手がかかるのは芽衣だけでなく、みかなの兄もそうらしかった。
ひとりがふたりに増えたところであまり変わらないと、前に彼女は言っていた。
家では、彼女はほとんど母親のような役回りらしい。
けれど、それがみかなには楽しくてしかたがないらしい。毎日がしあわせでしかたがないのだという。
みかなは仕方ないなぁという顔をして、
「もうすぐ授業始まるから、はやく行っておいで」
と言った。
間に合わなかったら先生にはお腹をこわしたみたいって言っておくから、と。
20年くらい前に悪役プロレスラーが口から吐いていた毒霧みたいなものを今まさにおしりから出しているから、と。
「みかなお姉ちゃん、ついてきてくれないの?」
と、芽衣は、別に転校初日のように恐怖やストレスから子ども返りしたわけでもないのに、みかなのことをそう呼んだ。
元々芽衣は舌足らずなかわいい声をしていて、高校2年には見えないほど小柄で華奢で童顔な美少女だった。
そんな女の子に、上目遣いで目を潤ませながらそんな風に言われたら、きっとみかなでなくてもついていくだろう。
わたしは必ずついていく。
梨沙はどうか知らないけれど。
「わたし、なんか最近、こういうあざとい女子嫌いになってきた」
「みかなんがそれ言うとか、チョーウケルんだけど」
みかな流あざと女子処世術の門下生? である梨沙が言った。
「だよね」
と、みかなは舌をペロッとあざとく出して、笑った。
「はいはい、お姉ちゃんがかわいい妹のためについて行ってあげますよー」
みかなは棒読みでそんな台詞を言って、だけど優しく芽衣の手を握り、そのままふたりは手を繋いで教室を出ていった。
「雨野みかなと山汐芽衣か……」
ふたりの姿が見えなくなると、
「わたしたちの村にも、この学校にも、あのふたりは来るべくして来た、来ないなんていう『もしも』はありえなかった、そんな運命的なものを感じることってない?」
梨沙は真面目な顔でわたしに言った。
あるよ、とわたしは答えた。
本当にそう思っていたから。
彼女たちが転校してきてくれなければ、寝入(ねいる)を失ったわたしは、まるで半身を失ったかのような喪失感を抱えたまま、何も変わることができず、何も気づくこともできず、誰とも親しい関係を作らないまま高校を卒業していっただろう。
その後は、返璧家に産まれた人間としての責務を、璧隣家や寝入の分も請け負い、ただただ全うするだけの、大人になっていっただろう。
何も楽しくもなければ、何ひとつ幸せを感じることもない人生を生き、■■■村の多くの村人たちと同様に、短命な人生を終えていっただろう。
おそらく恋をすることもない。
けれど返璧家の当主として、子は残さねばならない。
だから母が決めた村の男と結婚し、愛してもいない男に抱かれ、何人かこどもを産み、育てるのだろう。
みかなや芽衣に出会うまでのわたしは、そんな人生を送ることを受け入れようとしていたのだ。
つい1ヶ月程前までの自分に、わたしはゾッとした。
「返璧 真依(たまがえし まより)」
梨沙はわたしとふたりきりになった途端、急にそんなまじめな話をし始めたかと思えば、わたしのことを「まよまよ」ではなく、フルネームで呼んだ。
「知ってると思うけど、雨野みかなと山汐芽衣は、みかなの兄・雨野孝道(あめの たかみ)と3人で暮らしてる。
みかなの実家は今も横浜にちゃんとあって、両親は横浜に住んでる。
あのふたり、身寄りのない芽衣を引き取るために、それに反対だった親と芽衣を天秤にかけて、芽衣を選んだんだってね」
わたしは驚かされた。
まさかふたりが、わたしだけでなく梨沙にまでその話をしているとは思わなかったからだった。
「あ、安心して。これは別にみかなや芽衣から聞いたわけじゃないから。
もちろん、みかなの兄から聞いたわけでもないよ」
と、梨沙は見透かすように、そして謎めいたことを言った。
みかなの兄が■■■村のことを調べているように、■■■村の誰かもまたみかなたちのことを調べている?
だから、梨沙はその誰かから聞かされたから知っている、ということだろうか?
だとすれば、もしかしたら■■■村の全員が、あの3人についてわたしが知らないことまでも、共通認識として把握している可能性があった。
「でも、みかなの兄が■■■村を引っ越し先に選んだ理由を、あのふたりは何も知らないみたいだね」
梨沙は言った。
「ねぇ、知ってた?」
そして、
「璧隣 朝月、昼子、夜子、それに寝入。
殺された璧隣家の4人について、■■■村の人間はね、知らないふりをしてるんじゃないんだよ。
記憶を消されたから、本当に知らないんだよ。覚えてないんだよ。
覚えているのは、たぶんわたしと真依だけ。
わたしたちだけが、村人の中で特に血が濃いから。
あの4人はね、もう戸籍から何もかも存在しなかったことになってるんだ。
最初からいなかったことにされちゃったんだよ」
梨沙は目に涙を浮かべて、そう言った。
          
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
ふたりといるときだけ、わたしは返璧(たまがえし)や双璧(そうへき)、あの村に縛られることのない、普通の女子高生でいることができた。
学校帰りに、他校の男の子たちに声をかけられて、カラオケに行ったりもした。
私服の時は、大学生に声をかけられたこともあった。
何人かの男の子と連絡先を交換したりもした。
村に帰ると携帯電話が使えなくなるから、あまり意味はなかったし、わたしはふたりと過ごす時間を大切にしたかったから、恋愛とかそういうものにはまだ興味を持てなかったけれど。
こんなことが、わたしの人生にも起きるんだな、と思った。
どうしてここに、寝入(ねいる)がいないんだろう、と思った。
寝入といっしょに変わりたかった。
四人で過ごせたなら、きっともっと楽しかっただろうな、と思った。
寝入は、天国かどこかで、わたしを見てるのかな。
変わったわたしを見て喜んでくれてたらいいな。
だけど、わたしが変わっていくことを、寝入は喜んでいないかもしれない。
自分でも寝入といっしょにいた頃の自分じゃなくなっていくのがわかるから。
寝入から見たら、きっとどんどんわたしが離れていくように見えているかもしれない。
わたしは、どんなに笑っていても、どんなにはしゃいでいても、いつもそんな風に寝入のことを考えていた。
だからわたしは、ふたりが住む旧璧隣邸にだけは、行くことができなかった。
学校でわたしたちと昼食を共にするのは白璧 梨沙(しらたま りさ)だけだった。
梨沙は、苗字に「璧」の字が入っていることからもわかるように、■■■村の人間だった。
ふたりが住む旧璧隣邸の隣にある家に住む女の子だった。
双璧の家に生まれたわたしや寝入(ねいる)のそばにはこれまで近づきもしなかったけれど、今では普通にわたしを芽衣と同じように「まよまよ」と呼ぶ。
きっとわたしや寝入が勝手に壁を作っていたからなのだろう。
家のことや村のこと、次期当主であること、わたしたちは今はまだ考えなくてもいいことばかり考えて悩んで、壁を作り殻に閉じ籠っていた。
もっと早く、寝入といっしょにいるときに気づきたかった。
家が隣同士だったからか、梨沙はふたりといつの間にか仲良くなっていた。
わたしと同じようにみかなたちからおしゃれを学んで、それからわたしが丁重にお断りした「みかな流あざと女子処世術」まで学んでいた。どうやらそれは、一冊本を出せるくらいの内容と情報量らしい。
わたしは梨沙に寝入のことを覚えているか訊きたかった。
だけど、訊くのがこわかった。
返ってくる答えが怖かった。
訊いてしまったら、すべてが壊れてしまう気がしていた。
間もなく昼休みも終わるという頃、芽衣がトイレに行きたいと言い出した。
5分ほど前にみかなが芽衣に確認したばかりだった。
お互いに高校2年だというのに、みかなは芽衣にそんな確認を毎日しなければならず、芽衣は大丈夫というくせにいつもぎりぎりになって大丈夫じゃなかったと気づく。
本当にふたりは、友達でありながら姉妹のようでもあり、母娘のようでもあった。
みかな曰く、手がかかるのは芽衣だけでなく、みかなの兄もそうらしかった。
ひとりがふたりに増えたところであまり変わらないと、前に彼女は言っていた。
家では、彼女はほとんど母親のような役回りらしい。
けれど、それがみかなには楽しくてしかたがないらしい。毎日がしあわせでしかたがないのだという。
みかなは仕方ないなぁという顔をして、
「もうすぐ授業始まるから、はやく行っておいで」
と言った。
間に合わなかったら先生にはお腹をこわしたみたいって言っておくから、と。
20年くらい前に悪役プロレスラーが口から吐いていた毒霧みたいなものを今まさにおしりから出しているから、と。
「みかなお姉ちゃん、ついてきてくれないの?」
と、芽衣は、別に転校初日のように恐怖やストレスから子ども返りしたわけでもないのに、みかなのことをそう呼んだ。
元々芽衣は舌足らずなかわいい声をしていて、高校2年には見えないほど小柄で華奢で童顔な美少女だった。
そんな女の子に、上目遣いで目を潤ませながらそんな風に言われたら、きっとみかなでなくてもついていくだろう。
わたしは必ずついていく。
梨沙はどうか知らないけれど。
「わたし、なんか最近、こういうあざとい女子嫌いになってきた」
「みかなんがそれ言うとか、チョーウケルんだけど」
みかな流あざと女子処世術の門下生? である梨沙が言った。
「だよね」
と、みかなは舌をペロッとあざとく出して、笑った。
「はいはい、お姉ちゃんがかわいい妹のためについて行ってあげますよー」
みかなは棒読みでそんな台詞を言って、だけど優しく芽衣の手を握り、そのままふたりは手を繋いで教室を出ていった。
「雨野みかなと山汐芽衣か……」
ふたりの姿が見えなくなると、
「わたしたちの村にも、この学校にも、あのふたりは来るべくして来た、来ないなんていう『もしも』はありえなかった、そんな運命的なものを感じることってない?」
梨沙は真面目な顔でわたしに言った。
あるよ、とわたしは答えた。
本当にそう思っていたから。
彼女たちが転校してきてくれなければ、寝入(ねいる)を失ったわたしは、まるで半身を失ったかのような喪失感を抱えたまま、何も変わることができず、何も気づくこともできず、誰とも親しい関係を作らないまま高校を卒業していっただろう。
その後は、返璧家に産まれた人間としての責務を、璧隣家や寝入の分も請け負い、ただただ全うするだけの、大人になっていっただろう。
何も楽しくもなければ、何ひとつ幸せを感じることもない人生を生き、■■■村の多くの村人たちと同様に、短命な人生を終えていっただろう。
おそらく恋をすることもない。
けれど返璧家の当主として、子は残さねばならない。
だから母が決めた村の男と結婚し、愛してもいない男に抱かれ、何人かこどもを産み、育てるのだろう。
みかなや芽衣に出会うまでのわたしは、そんな人生を送ることを受け入れようとしていたのだ。
つい1ヶ月程前までの自分に、わたしはゾッとした。
「返璧 真依(たまがえし まより)」
梨沙はわたしとふたりきりになった途端、急にそんなまじめな話をし始めたかと思えば、わたしのことを「まよまよ」ではなく、フルネームで呼んだ。
「知ってると思うけど、雨野みかなと山汐芽衣は、みかなの兄・雨野孝道(あめの たかみ)と3人で暮らしてる。
みかなの実家は今も横浜にちゃんとあって、両親は横浜に住んでる。
あのふたり、身寄りのない芽衣を引き取るために、それに反対だった親と芽衣を天秤にかけて、芽衣を選んだんだってね」
わたしは驚かされた。
まさかふたりが、わたしだけでなく梨沙にまでその話をしているとは思わなかったからだった。
「あ、安心して。これは別にみかなや芽衣から聞いたわけじゃないから。
もちろん、みかなの兄から聞いたわけでもないよ」
と、梨沙は見透かすように、そして謎めいたことを言った。
みかなの兄が■■■村のことを調べているように、■■■村の誰かもまたみかなたちのことを調べている?
だから、梨沙はその誰かから聞かされたから知っている、ということだろうか?
だとすれば、もしかしたら■■■村の全員が、あの3人についてわたしが知らないことまでも、共通認識として把握している可能性があった。
「でも、みかなの兄が■■■村を引っ越し先に選んだ理由を、あのふたりは何も知らないみたいだね」
梨沙は言った。
「ねぇ、知ってた?」
そして、
「璧隣 朝月、昼子、夜子、それに寝入。
殺された璧隣家の4人について、■■■村の人間はね、知らないふりをしてるんじゃないんだよ。
記憶を消されたから、本当に知らないんだよ。覚えてないんだよ。
覚えているのは、たぶんわたしと真依だけ。
わたしたちだけが、村人の中で特に血が濃いから。
あの4人はね、もう戸籍から何もかも存在しなかったことになってるんだ。
最初からいなかったことにされちゃったんだよ」
梨沙は目に涙を浮かべて、そう言った。
          
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