あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。
第11話(第93話)
『学は今、脳死の状態で横浜市内の病院に入院している』
「あの人」が、脳死状態?
一体彼に何が起きたというのだろう?
芽衣はいつの間にか、おにーちゃんのベッドで眠ってしまっていた。
えっちなイラストの抱き枕を抱いて。
きっと、疲れていたのだろう。
お姉ちゃんやお兄ちゃんがどこにいるのかわからなくて、すごく心細かったのだろう。
わたしは、彼女をわたしの部屋のベッドに運ぼうとした。
けれど、おにーちゃんはそれを制した。
「ぼくたちがみかなの部屋に行けばいいよ」
おにーちゃんは、そう言った。
「おにーちゃん、部屋から出られるの?」
「それは出てみないとわからないけどさ。
ぼくが話した、山汐凛や紡や夏目メイの話は、学や羽衣ちゃんから聞いただけで、ぼくは実際のこの子たちのことを何にも知らないんだけどさ……
たぶん、この子は、この子の中で眠っている凛も、紡も、ひさしぶりに気持ちよく寝られているんだと思う。
きっと、加藤麻衣が凛を救ったように、久東羽衣が夏目メイを救ったように、みかながこの子を救ったんだよ。
今この子を起こしてしまうくらいなら、ぼくはひきこもりをやめるよ。
この部屋を出るよ。
せっかく来てくれた学に顔を見せることもできなかったときから、あれが彼に会える最初で最後のチャンスだったかもしれなかったとわかったときから、いい加減この部屋から出なきゃいけないってずっと思ってたんだ」
おにーちゃんはそう言って、ムスヒの扉を開けた。
「このドアは今日から鍵をかけない。
ムスヒの扉なんて名前もやめる。
ぼくとみかなが10年近く続けてきたさっきの儀式も、あれで最後だ」
おにーちゃんは、部屋の外に出た。
簡易トイレやシャワールームを部屋の中に作ってから、もう何年もおにーちゃんは本当にこの部屋から一歩も外に出たことがなかった。
わたしは、自分が芽衣を救ったなんて感覚はまるでなかったけれど、芽衣がおにーちゃんを救ってくれたのだと思った。
おにーちゃんは部屋を出た瞬間、激しいめまいと吐き気に襲われた。
それは立っていられないほど強いもので、おにーちゃんはそれでも部屋には戻ろうとはしなかった。
床を這って、わたしの部屋のドアへと向かっていった。
「情けない兄貴でごめんな」
と、顔中に冷や汗をかきながらおにーちゃんは言った。
わたしは、その言葉を聞いた瞬間、
――兄っていう生き物は、妹の前でかっこつけたいものなんだよ。
「あの人」の、加藤学の言葉を思い出していた。
「おにーちゃんのことを情けないなんて思ったこと、みかなは一度もないよ」
わたしは言った。
「おにーちゃん、何も話してくれなかったけど、わたし、知ってたよ。
学さんが、教えてくれたの。
あの四台の携帯電話の中のプログラムを解析できるのは、世界でおにーちゃんだけだって。
おにーちゃんは知らないかもしれないけど、おにーちゃん宛に警察から何度も感謝状が送られてきてる。
おとーさんもおかーさんも、それを額にいれてリビングに飾ってる。
おにーちゃんはすごいハッカーで、でも悪いこととかをするクラッカー? っていうのじゃなくて、警察から捜査協力を依頼されたりしてるすごい人なんだって、おとーさんもおかーさんもいつも自慢してるよ。
おにーちゃんがどうしてひきこもるようになっちゃったのかも、おかーさんから聞いた。
おにーちゃんは何にも悪くない、わたしたちの理解が足りなかったんだって言ってた」
おにーちゃんは10年前、まだ14歳で中学2年生だった。
今のわたしよりふたつも年下。
10年前のパソコンは今とは比べ物にならないほど低いスペックだったし、インターネットの回線もものすごく遅かった。ISDNとかっていうADSLよりも前のやつ。
だけど、この国でおにーちゃんだけが、警察よりも早く、大昔の預言者が書いた人類滅亡の預言を実行しようとしていたテロ組織の存在を知って、その本部施設のコンピュータをハッキングしたらしかった。
この国に存在すること自体が許されない大量破壊兵器を無効化し、テロを未然に防いだ。
テロ組織のメンバーたちは、この中に誰か裏切り者がいると疑心暗鬼になり、最後のひとりになるまで殺しあいを続け、最後のひとりも自ら命を絶ったそうだった。
当時のおにーちゃんは、まだハッカーとして未熟? だったのか(十分すごいっていうか、すごすぎると思うんだけど)、ハッキングの痕跡をテロ組織のコンピュータに残してしまった。
それで公安の刑事がおにーちゃんを訪ねてきて、おにーちゃんは警察で取り調べを受けることになった。
インターネットのことを何にも知らなかったおとーさんやおかーさんは、公安の刑事が来た、というだけで、おにーちゃんが国家反逆罪か何かに該当するようなことをしでかしたのだと勘違いした。
おにーちゃんは、何十万人か、もしかしたら何百万人もの命を助けたのに、警察から帰ってきたおにーちゃんを、非国民だとか人でなしだとか恥さらしだとか、育て方を間違えただとか、産んだことが間違いだったとか、おにーちゃんのすべてを否定するほど、罵ってしまったらしかった。
ふたりが、おにーちゃんがどれだけすごいことをしたのかを理解したときには、おにーちゃんはもう心を完全に閉ざしてしまっていた。
「おにーちゃんは、シノバズって名前のすごいハッカーなんでしょ?
ハッカーなのに、忍ばないんでしょ?
そんなすごいおにーちゃんが、ずっと部屋にとじこもるようになったのは、自分たちのせいなんだって、ふたりともすごく後悔してるんだよ」
わたしは、ずっとおにーちゃんに伝えたかったことを、ようやく伝えることができた。
おにーちゃんは、ゆっくりと立ち上がった。
そして、何度も転びそうになりながら、それでもその度になんとか踏ん張って、わたしの部屋のドアまでたどりついた。
わたしがドアを開けると、崩れ落ちるように部屋の中に向かって倒れた。
「みかな、知ってるか?」
息をするだけでも苦しそうなのに、おにーちゃんはわたしに顔を向けて言った。
「兄貴っていう生き物は、妹の前ではかっこつけたいもんなんだよ」
わたしは、うん、知ってるよ、と言った。
「でも、かっこつけなくても、おにーちゃんはずっと、みかなにとって世界で一番かっこいい人だよ」
おにーちゃんがずっとそばにいてくれるから、学校の男の子たちがめちゃくちゃださく見えるんだよ。
わたしはそう思ったけど、口にはしなかった。
わたしたちは、兄妹だから。
兄妹は恋なんてしないから。
          
「あの人」が、脳死状態?
一体彼に何が起きたというのだろう?
芽衣はいつの間にか、おにーちゃんのベッドで眠ってしまっていた。
えっちなイラストの抱き枕を抱いて。
きっと、疲れていたのだろう。
お姉ちゃんやお兄ちゃんがどこにいるのかわからなくて、すごく心細かったのだろう。
わたしは、彼女をわたしの部屋のベッドに運ぼうとした。
けれど、おにーちゃんはそれを制した。
「ぼくたちがみかなの部屋に行けばいいよ」
おにーちゃんは、そう言った。
「おにーちゃん、部屋から出られるの?」
「それは出てみないとわからないけどさ。
ぼくが話した、山汐凛や紡や夏目メイの話は、学や羽衣ちゃんから聞いただけで、ぼくは実際のこの子たちのことを何にも知らないんだけどさ……
たぶん、この子は、この子の中で眠っている凛も、紡も、ひさしぶりに気持ちよく寝られているんだと思う。
きっと、加藤麻衣が凛を救ったように、久東羽衣が夏目メイを救ったように、みかながこの子を救ったんだよ。
今この子を起こしてしまうくらいなら、ぼくはひきこもりをやめるよ。
この部屋を出るよ。
せっかく来てくれた学に顔を見せることもできなかったときから、あれが彼に会える最初で最後のチャンスだったかもしれなかったとわかったときから、いい加減この部屋から出なきゃいけないってずっと思ってたんだ」
おにーちゃんはそう言って、ムスヒの扉を開けた。
「このドアは今日から鍵をかけない。
ムスヒの扉なんて名前もやめる。
ぼくとみかなが10年近く続けてきたさっきの儀式も、あれで最後だ」
おにーちゃんは、部屋の外に出た。
簡易トイレやシャワールームを部屋の中に作ってから、もう何年もおにーちゃんは本当にこの部屋から一歩も外に出たことがなかった。
わたしは、自分が芽衣を救ったなんて感覚はまるでなかったけれど、芽衣がおにーちゃんを救ってくれたのだと思った。
おにーちゃんは部屋を出た瞬間、激しいめまいと吐き気に襲われた。
それは立っていられないほど強いもので、おにーちゃんはそれでも部屋には戻ろうとはしなかった。
床を這って、わたしの部屋のドアへと向かっていった。
「情けない兄貴でごめんな」
と、顔中に冷や汗をかきながらおにーちゃんは言った。
わたしは、その言葉を聞いた瞬間、
――兄っていう生き物は、妹の前でかっこつけたいものなんだよ。
「あの人」の、加藤学の言葉を思い出していた。
「おにーちゃんのことを情けないなんて思ったこと、みかなは一度もないよ」
わたしは言った。
「おにーちゃん、何も話してくれなかったけど、わたし、知ってたよ。
学さんが、教えてくれたの。
あの四台の携帯電話の中のプログラムを解析できるのは、世界でおにーちゃんだけだって。
おにーちゃんは知らないかもしれないけど、おにーちゃん宛に警察から何度も感謝状が送られてきてる。
おとーさんもおかーさんも、それを額にいれてリビングに飾ってる。
おにーちゃんはすごいハッカーで、でも悪いこととかをするクラッカー? っていうのじゃなくて、警察から捜査協力を依頼されたりしてるすごい人なんだって、おとーさんもおかーさんもいつも自慢してるよ。
おにーちゃんがどうしてひきこもるようになっちゃったのかも、おかーさんから聞いた。
おにーちゃんは何にも悪くない、わたしたちの理解が足りなかったんだって言ってた」
おにーちゃんは10年前、まだ14歳で中学2年生だった。
今のわたしよりふたつも年下。
10年前のパソコンは今とは比べ物にならないほど低いスペックだったし、インターネットの回線もものすごく遅かった。ISDNとかっていうADSLよりも前のやつ。
だけど、この国でおにーちゃんだけが、警察よりも早く、大昔の預言者が書いた人類滅亡の預言を実行しようとしていたテロ組織の存在を知って、その本部施設のコンピュータをハッキングしたらしかった。
この国に存在すること自体が許されない大量破壊兵器を無効化し、テロを未然に防いだ。
テロ組織のメンバーたちは、この中に誰か裏切り者がいると疑心暗鬼になり、最後のひとりになるまで殺しあいを続け、最後のひとりも自ら命を絶ったそうだった。
当時のおにーちゃんは、まだハッカーとして未熟? だったのか(十分すごいっていうか、すごすぎると思うんだけど)、ハッキングの痕跡をテロ組織のコンピュータに残してしまった。
それで公安の刑事がおにーちゃんを訪ねてきて、おにーちゃんは警察で取り調べを受けることになった。
インターネットのことを何にも知らなかったおとーさんやおかーさんは、公安の刑事が来た、というだけで、おにーちゃんが国家反逆罪か何かに該当するようなことをしでかしたのだと勘違いした。
おにーちゃんは、何十万人か、もしかしたら何百万人もの命を助けたのに、警察から帰ってきたおにーちゃんを、非国民だとか人でなしだとか恥さらしだとか、育て方を間違えただとか、産んだことが間違いだったとか、おにーちゃんのすべてを否定するほど、罵ってしまったらしかった。
ふたりが、おにーちゃんがどれだけすごいことをしたのかを理解したときには、おにーちゃんはもう心を完全に閉ざしてしまっていた。
「おにーちゃんは、シノバズって名前のすごいハッカーなんでしょ?
ハッカーなのに、忍ばないんでしょ?
そんなすごいおにーちゃんが、ずっと部屋にとじこもるようになったのは、自分たちのせいなんだって、ふたりともすごく後悔してるんだよ」
わたしは、ずっとおにーちゃんに伝えたかったことを、ようやく伝えることができた。
おにーちゃんは、ゆっくりと立ち上がった。
そして、何度も転びそうになりながら、それでもその度になんとか踏ん張って、わたしの部屋のドアまでたどりついた。
わたしがドアを開けると、崩れ落ちるように部屋の中に向かって倒れた。
「みかな、知ってるか?」
息をするだけでも苦しそうなのに、おにーちゃんはわたしに顔を向けて言った。
「兄貴っていう生き物は、妹の前ではかっこつけたいもんなんだよ」
わたしは、うん、知ってるよ、と言った。
「でも、かっこつけなくても、おにーちゃんはずっと、みかなにとって世界で一番かっこいい人だよ」
おにーちゃんがずっとそばにいてくれるから、学校の男の子たちがめちゃくちゃださく見えるんだよ。
わたしはそう思ったけど、口にはしなかった。
わたしたちは、兄妹だから。
兄妹は恋なんてしないから。
          
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