あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。
第33話(第77話)
とても悲しい話だった。
山汐凛も、紡も、芽衣も、その両親も、悪くない。
悪いのは、すべて紡を殺した祖父だ。
数億円は、確かに大金だ。
大金という言葉では済ませられないほどの大金だ。
わたしには一生かかってもそれだけのお金を貯めるどころか、稼ぐことさえできないだろう。
だが、夏目組は覚醒剤を横浜中で売りさばいていた。
数億円なんて、その祖父にとってははした金だったのではないか?
それとも、お金の問題などではなく、数億の値がつくほどの、芸術史に名を残すような貴重な花瓶が、世界から失われたことが許せなかったのか?
絶対に違う。
それほどまでにその花瓶を愛していたというのなら、こどもが手の届く場所に置くべきではないし、そもそも自分の物になどせず美術館にでも寄贈し、たくさんの人々の目に触れる機会を与えるべきだ。
わたしは、山汐凛の祖父を知らないが、その祖父にとって、その花瓶は、以前わたしが加藤学と話した車のようなものだ。
自己顕示欲と承認欲求を満たすものにすぎない。
そんなもののために、その祖父は孫の命を奪ったのだ。
紡はまともに葬式もあげてもらってはいないだろう。
身元がわからないようにしてから遺体を処理されるなどしたにちがいない。
孫を殺したことの罪すら償わず、それによって、凛の母親は流産し、産まれてくるはずだった芽衣も産まれることができなかった。
両親は別居し、凛は父親と暮らすことさえもできなくなった。
だが、その祖父は、鬼頭組と夏目組の抗争ですでに死んでしまっている。
ヤクザ同士の抗争で死んだところで、紡を殺した罪が償えるわけじゃない。
そもそも、死ぬことで償える罪などないのだ。
死んだ人は帰ってはこないのだから。
「でも、あんたはいまさら、わたしがこんな話をしたところで、信じないでしょ」
夏目メイは言った。
「信じるよ」
と、わたしは言った。
わたしには、夏目メイが嘘をついているようには思えなかった。
「嘘だったとしても、信じるよ」
わたしは言った。
「お人好しね。麻衣みたい」
夏目メイにそう言われて、わたしは、きっと加藤麻衣もこんな気持ちだったんだろうな、と思った。
「もうひとつ、聞いていい?」
「いいわよ」
「山汐芽衣だった頃のあなたは、あなたの中にまだいるの?」
「いるわ。山汐芽衣が、他の人格の残りカスを集めたきぐるみを着たのがわたしだから」
「だったら、そのきぐるみを脱いだらいいだけじゃないの?」
「脱げない」
「どうして?」
「わたしがそのきぐるみを脱いだり、わたしがいなくなってきぐるみが残ったりしたら、お姉ちゃんが、凛が、わたしみたいになるから」
「お姉さんのことが好きなんだね」
「好きよ。産まれてくることができなかったわたしを、産んでくれたんだもの。
お姉ちゃんは、わたしの創造主。神と同じ」
「お姉さんは神か……。
だから、あなたは天使でいることもできたのに、堕天してしまってもいいから、お姉さんを、神であり続けさせようと、守ろうとしているのね」
「そんないい話じゃないわよ。
あんた、自分がわたしに何をされたか、今何をされてるか、ちゃんとわかってる?」
わたしは、もちろんわかっていた。
「あなたが話してくれたお姉さんの話、お兄さんの話は、たぶん嘘じゃない。
でも、あなたがわたしの兄を殺したというのは、たぶん嘘。
そうでしょう?」
夏目メイは、そう言ったわたしの顔を、信じられない、という顔をして見ていた。
「あなたは、学さんの人格を、この携帯電話を、わたしに大切に持っているように言った。
あなたは、悪者のふりをしているだけ。
加藤麻衣や鬼頭結衣と過ごした時間のあなたと、今のあなたはたぶんちがう。
あなたは今、きぐるみを着てるふりをしてるだけ。
たぶん、今のあなたは、そのきぐるみを、お姉さんが産み出してしまったたくさんの人格の残りカスのようなものを、抑え込むことができるようになっている。
そして、自分が夏目メイじゃなくて、山汐芽衣に戻っていることにも気づいている。
夏目メイとしてしてきたことを、後悔して、反省して、取り返しのつかないことをしてしまったと、本当は泣きたい気持ちでいっぱいなんじゃない?」
夏目メイの瞳から涙がこぼれた。
「本当にあんたはお人好しだね」
夏目メイは、携帯電話を取り出した。
「この身体は、あんたの恋人に返すわ」
わたしが大切に握りしめていた学の携帯電話が鳴った。
夏目メイは、わたしに手を差し出し、わたしは彼の携帯電話をその手の上に置いた。
「加藤学が帰ってきたら、この携帯を壊して」
彼女はそう言って、自分の携帯電話をわたしに差し出した。
そして、彼女は学の携帯電話に出た。
「わたしは消えるわ。
もうあなたの大切な恋人の身体を奪うつもりはないし、危害を加えるつもりもない」
それは、わたしに対して言っているようでもあり、学に対して言っているようでもあった。
「だから、あなたは、大切な人のそばにいてあげて」
夏目メイはそう言って目を閉じた。
そして、その目が開いたとき、加藤学が帰ってきた。
          
山汐凛も、紡も、芽衣も、その両親も、悪くない。
悪いのは、すべて紡を殺した祖父だ。
数億円は、確かに大金だ。
大金という言葉では済ませられないほどの大金だ。
わたしには一生かかってもそれだけのお金を貯めるどころか、稼ぐことさえできないだろう。
だが、夏目組は覚醒剤を横浜中で売りさばいていた。
数億円なんて、その祖父にとってははした金だったのではないか?
それとも、お金の問題などではなく、数億の値がつくほどの、芸術史に名を残すような貴重な花瓶が、世界から失われたことが許せなかったのか?
絶対に違う。
それほどまでにその花瓶を愛していたというのなら、こどもが手の届く場所に置くべきではないし、そもそも自分の物になどせず美術館にでも寄贈し、たくさんの人々の目に触れる機会を与えるべきだ。
わたしは、山汐凛の祖父を知らないが、その祖父にとって、その花瓶は、以前わたしが加藤学と話した車のようなものだ。
自己顕示欲と承認欲求を満たすものにすぎない。
そんなもののために、その祖父は孫の命を奪ったのだ。
紡はまともに葬式もあげてもらってはいないだろう。
身元がわからないようにしてから遺体を処理されるなどしたにちがいない。
孫を殺したことの罪すら償わず、それによって、凛の母親は流産し、産まれてくるはずだった芽衣も産まれることができなかった。
両親は別居し、凛は父親と暮らすことさえもできなくなった。
だが、その祖父は、鬼頭組と夏目組の抗争ですでに死んでしまっている。
ヤクザ同士の抗争で死んだところで、紡を殺した罪が償えるわけじゃない。
そもそも、死ぬことで償える罪などないのだ。
死んだ人は帰ってはこないのだから。
「でも、あんたはいまさら、わたしがこんな話をしたところで、信じないでしょ」
夏目メイは言った。
「信じるよ」
と、わたしは言った。
わたしには、夏目メイが嘘をついているようには思えなかった。
「嘘だったとしても、信じるよ」
わたしは言った。
「お人好しね。麻衣みたい」
夏目メイにそう言われて、わたしは、きっと加藤麻衣もこんな気持ちだったんだろうな、と思った。
「もうひとつ、聞いていい?」
「いいわよ」
「山汐芽衣だった頃のあなたは、あなたの中にまだいるの?」
「いるわ。山汐芽衣が、他の人格の残りカスを集めたきぐるみを着たのがわたしだから」
「だったら、そのきぐるみを脱いだらいいだけじゃないの?」
「脱げない」
「どうして?」
「わたしがそのきぐるみを脱いだり、わたしがいなくなってきぐるみが残ったりしたら、お姉ちゃんが、凛が、わたしみたいになるから」
「お姉さんのことが好きなんだね」
「好きよ。産まれてくることができなかったわたしを、産んでくれたんだもの。
お姉ちゃんは、わたしの創造主。神と同じ」
「お姉さんは神か……。
だから、あなたは天使でいることもできたのに、堕天してしまってもいいから、お姉さんを、神であり続けさせようと、守ろうとしているのね」
「そんないい話じゃないわよ。
あんた、自分がわたしに何をされたか、今何をされてるか、ちゃんとわかってる?」
わたしは、もちろんわかっていた。
「あなたが話してくれたお姉さんの話、お兄さんの話は、たぶん嘘じゃない。
でも、あなたがわたしの兄を殺したというのは、たぶん嘘。
そうでしょう?」
夏目メイは、そう言ったわたしの顔を、信じられない、という顔をして見ていた。
「あなたは、学さんの人格を、この携帯電話を、わたしに大切に持っているように言った。
あなたは、悪者のふりをしているだけ。
加藤麻衣や鬼頭結衣と過ごした時間のあなたと、今のあなたはたぶんちがう。
あなたは今、きぐるみを着てるふりをしてるだけ。
たぶん、今のあなたは、そのきぐるみを、お姉さんが産み出してしまったたくさんの人格の残りカスのようなものを、抑え込むことができるようになっている。
そして、自分が夏目メイじゃなくて、山汐芽衣に戻っていることにも気づいている。
夏目メイとしてしてきたことを、後悔して、反省して、取り返しのつかないことをしてしまったと、本当は泣きたい気持ちでいっぱいなんじゃない?」
夏目メイの瞳から涙がこぼれた。
「本当にあんたはお人好しだね」
夏目メイは、携帯電話を取り出した。
「この身体は、あんたの恋人に返すわ」
わたしが大切に握りしめていた学の携帯電話が鳴った。
夏目メイは、わたしに手を差し出し、わたしは彼の携帯電話をその手の上に置いた。
「加藤学が帰ってきたら、この携帯を壊して」
彼女はそう言って、自分の携帯電話をわたしに差し出した。
そして、彼女は学の携帯電話に出た。
「わたしは消えるわ。
もうあなたの大切な恋人の身体を奪うつもりはないし、危害を加えるつもりもない」
それは、わたしに対して言っているようでもあり、学に対して言っているようでもあった。
「だから、あなたは、大切な人のそばにいてあげて」
夏目メイはそう言って目を閉じた。
そして、その目が開いたとき、加藤学が帰ってきた。
          
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