あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。
第33話
「死ななきゃいけないのはあたしじゃなくてあんただよ、メイ。
あんたは麻衣の、あたしの友達の人生をめちゃくちゃにした。
内藤美嘉も山汐凛もその報いを受けた。
だけどあんただけ、何の報いも受けずにフツーの女の子になろうとしてる。
そんなことが許されると思う?」
許されるわけがないと思った。
この世界に神様なんかいないから、この世界にいるのは、信者からお布施と称して金を巻き上げ、あわよくば政治にまで手をだして国を動かそうとするような自称神の代理人だけだから、だからあたしは「たとえ神様が許しても」なんていう安っぽい言葉は口にしない。
断罪する神がいないかわりに、この世界には法律がある。
その法が夏目メイを裁かないなら、あたしが彼女を裁く、ただそれだけ。
「あんた、麻衣の何なの?」
夏目メイは薄く笑みを浮かべたままの顔でそう訊いた。
「友達だよ」
だからあたしはそう答えた。
「ふぅん。あの子にあんたみたいな友達がいたなんて知らなかったな。
そういえばあんたって、じいさんの命令でヤクザ相手にウリやらされてたんだっけ。
ひょっとして、類が友を呼んじゃった感じ?」
彼女のその言葉に、あたしは思わず引き金を引いていた。
乾いた銃声がガード下に響いた。
「黙れよ」
弾は夏目メイには当たらず、アスファルトを削った。
夏目メイは微動だにしなかった。
銃口をあたしに向けたまま、あたしにゆっくりと近付いてきた。
「今の、威嚇射撃ってわけじゃないよね? あたしを殺すつもりで撃ったのに当たらなかったんだよね。
あんたさ、銃なんて撃ったことないんでしょ?
殺すつもりならさ」
夏目メイはあたしの心臓の上に銃口を当てた。
「ここか」
次は頭。
「ここを狙わなきゃ。
あたしが銃の撃ち方教えてあげるよ。でも、せっかく教えても、あんたすぐ死んじゃうけど」
殺される。
と、思った。
死ぬのは恐くなかった。
ハルがあんなことになってから、あたしはいつ死んでも構わないと思うようになっていた。
だからナオに抱かれていた。
眠れなくなっていた。
けれどあたしが夜眠れなくなったのは、今にはじまったことじゃなかった。
3年前、あたしが熱を出してしまったせいで、ついて行くはずだった家族旅行にいけなくなった。
父と母は、二泊三日のはずの旅行から、一週間が過ぎて我が家に帰ってきた。
生前の面影などまるで残っていない、事故死した遺体で。
その時から、あたしは不眠症になっていた。
不眠は母からの遺伝だったのか、生前母が飲んでいたらしい睡眠薬が、あたしの家の薬箱には大量に残っていて、その薬をあたしは13歳から飲み続けていた。
14になってヤクザに抱かれるようになってから、抱かれた日は睡眠薬をお酒で飲んで意識を失うように眠った。
15歳になる前の晩、大量の睡眠薬をお酒で飲んで、本当に意識不明になったことがあった。
目を覚ましたときあたしがいたのは、内藤美嘉が入院しているあの病院の8階の精神科病棟の、内藤美嘉と同じクワイエットルームと呼ばれる病室だった。
あたしは二週間をその病室で拘束具をつけられて過ごし、一ヶ月後に退院した。
それ以来、睡眠薬もお酒を飲んでいなかったのに、ハルがあんなことになってからはまた、毎日睡眠薬をお酒で飲み意識を失うようにして眠るようになっていた。
だから死ぬのは恐くなかった。
ただ、夏目メイに何の報いも受けさせられないまま死ぬのは悔しかった。
嫌だと思った。
あたしの手は震えてしまっていて、もう満足に拳銃を握ることさえできなくなっていた。
あたしには夏目メイに対して、もう何ひとつ抵抗する術は残されていなかった。
だからあたしは目をつぶった。
あたしは死を受け入れることにした。
「あんたたちをふたりきりにさせたら、どうせこういうことになるって思ってた」
奇妙な関西弁ではない小島ゆきの声が聞こえて、あたしは目を開けた。
夏目メイの拳銃はまだあたしに向けられたままだった。
ゆきはソーイングセットの小さなはさみを、夏目メイの喉元につきつけていた。
夏目メイはそんなゆきを睨みつけていた。
「メイ、この子があんたの邪魔になるかどうか、まだわかんないでしょ。
あんた、フツーの女の子になるんじゃなかった? 人殺しはまずいんじゃない?」
夏目メイは深いため息をつくと、ゆきの言葉を素直に聞き、拳銃を鞄の中にしまった。
「どうしても邪魔になったらあたしに言えばいいよ。あんたの前からこの子を消すくらい簡単だから」
あたしにはふたりの関係がよくわからなかった。
夏目メイは内藤美嘉を言葉巧みに操って麻衣に売春をさせた。
それがいけないことだとわかっていながら山汐凛はふたりに異議を唱えることができなかった。
夏目メイは城戸女学園で、再び緑南高校と同じ人間関係を作ったのだとばかり思っていた。
内藤美嘉に代わるのが小島ゆきで、山汐凛に代わるのが草詰アリスなのだと。
そしてあたしが加藤麻衣なのだと思っていた。
だけど違っていた。
小島ゆきは夏目メイの秘密を知っていた。
知っていて、夏目メイに協力しているように見えた。
ふたりが対等な関係であるように見えた。
「あんたもだよ、結衣。拳銃、しまいなよ。
場所変えよ。さっきの銃声を聞き付けて、誰が110番通報してるかわからない。警察が来るかもしれないから」
そういえば、駅のそばには交番があった。
あたしも拳銃を鞄にしまおうとした。
だけど震える手は拳銃をしっかりと握り締めていることすらできず、あたしは拳銃をアスファルトの上に落としてしまった。
銃が暴発して、その瞬間、もう一度だけ乾いた音がした。
あたしたちは誰かが駆け付けてくる前に、ガード下から逃げ出した。
あたしの拳銃は、小島ゆきに没収されてしまった。
夏目メイと駅で別れて、
「アリスは?」
「横浜駅」
あたしとゆきはいつかと同じように並んで座って電車に揺られていた。
「シュウって男の子のとこ」
ゆきはそう言った。
あたしは、そう、とだけ答えた。
「メイから聞いてるでしょ。アリスが好きだった男の話」
「アリスと会った日に、新幹線に飛び込んだって……」
お互いに好きなのに、すれ違いが生んでしまった悲しい恋だった。
「うん、それ以来アリスは情緒不安定になっちゃって、二学期が始まってからは毎日、学校帰りに終電の時間までそのホームで過ごしてるんだ」
ゆきは言った。
いつか横浜駅でアリスを見掛けたことがあった。
アリスは何か探しているように見えた。
「電車にひかれるとね、体がばらばらに、ぐちゃぐちゃになるんだって。
鉄道会社とか警察とかが必死で体の一部を探して集めるんだけど、線路ぞいの家の屋根まで飛んじゃったりして、全部見付からないことが結構あるんだ。
シュウって子の場合はホームで新幹線に飛び込んだから、ほとんど見付かったんだけど、でもどうしても見付からないものがあってね。
シュウって子の耳、探してるんだ、あの子」
小島ゆきは言った。
あたしはぞっとした。
「お葬式に行きたくても、アリスはシュウって子のパソコンのメールアドレスとケータイの番号とアドレスしか知らなかったんだ。ケータイは新幹線にひかれたときに壊れちゃって、アリスにはシュウの住所もわからなくて。
何か遺品がほしかったんだと思うんだ。会ったらお揃いのもの何か買おうねって約束してたんだけど、あの子はシュウと満足に話すこともできなくて、それは叶わなくて。
だからあの子、見付からなかった耳、探してるの」
見つかるといいね、とはあたしは言わなかった。
それを見つけてアリスが幸せになれるとはあたしには思えなかった。
耳を見つけてしまったら、アリスはもう目的を失ってしまう。
どうにかして肌身離さず持つようになって、シュウのことを忘れられなくなってしまうと思った。
死んでしまった人を、もう会えない人のことをいつまでも思い続けるのはとても悲しいことだ。
あたしはその日、アリスと本当の友達になりたいと思った。
横浜駅で電車を降りたあたしたちは、今日も「耳」を探すアリスを遠巻きに眺めた。
駅のそばのマクドナルドで買ったマックフルーリーの抹茶オレオを食べながら。
こう見えてもあたしは案外箱入り娘で、世間知らずで、マクドナルドで何か買って食べるなんてはじめてだった。
「マクドナルドってミミズの肉使ってるんでしょ」
そう言ったあたしをゆきは笑った。
「ケンタッキーは独自の工場で遺伝子改造した三本足の鶏使ってるって聞いたよ」
あんたいつの時代の人よってゆきは笑った。
マクドナルドはジャンクフードってイメージが強かったけれど、CMを見てずっと食べたいと思っていたそれは抹茶のいい香りがした。
「うちのじいさんが政治家だって話、したことあったでしょ」
マックフルーリーのなんだか機械的なスプーンを口に運びながらゆきは言った。
ゆきの祖父は確か参議院議員の金児陽三だった。
苗字が違うのはその議員先生が、ゆきの母方の祖父にあたるからだ。
「メイから聞いたんだけど、結衣の家は、警察と手を結んでるんでしょ」
たぶん夏目メイから聞いたのだろう、ゆきはあたしの家のこともよく知っていた。
「メイの家はね、警察と手を結ばない代わりに政治家に多額の献金をしてるの。
それがうちのじいさんってわけ」
それを聞いて、あたしはなるほどと思った。
警察と手を結んでいても、組の構成員が事件を起こせば轟のように逮捕される者が出てくる。
だけど政治家と手を結べば、警察に圧力をかけて事件そのものを揉み消すことができるというわけだ。
考えたものだと思った。
「だからね、あたしとメイはこどもの頃から顔見知りだったの。
しばらく会ってなかったけど、ずっと友達、だったんだ。
あの子がバスケ部にクスリ流したり、売春強要事件なんかしでかしたりして逮捕されたのに不起訴になったのはうちのじいさんのおかげ」
スプーンを口に運ぶたびにゆきは顔をしかめた。
電動歯ブラシで歯を研きすぎたせいで、歯の削れてはいけないところが削れてしまい知覚過敏になってしまったそうだった。
「あの子ね、今、フツーの女の子になりたがってるの。そのために頑張ってるんだ」
夏休みの終わりに事件のニュースが世間を少しだけ騒がせて、秋のはじめに夏目メイが不起訴になって、ゆきは彼女に三年ぶりに再会した。
「あたし、フツーの女の子になりたい」
夏目メイは泣きながらそう言ったそうだ。
だからゆきは夏目メイに城戸女学園への編入を勧めたのだという。
夏目メイのことを誰も知らない場所で、彼女がフツーの女の子になるために。
「結衣がなんのために城戸女学園に来たのかはわからないけど、メイの邪魔だけはしないであげて。あの子、今恋をしてるの」
耳を探すアリスは探し疲れたのか、ホームのひんやりと冷たく堅いベンチに腰を下ろしてため息をついていた。
人が死んだ部屋には誰も住みたがらないのに、シュウが死んだホームには今日も人があふれていて、どこへ行って何をするのかはわからないけれどシュウを殺したかもしれない新幹線に乗る。
アリスはその光景をぼんやりと眺めていた。
「声、かけていかないの? アリスもあんたの友達なんでしょ?」
「友達だよ。でもなんて声かけたらいいの?」
教えてよ。
ゆきはあたしにそう言った。
あたしにもアリスに何て声をかけたらいいかなんてわからなかった。
マックフルーリーを食べ終わると、あたしたちは帰路についた。
別れ際、あたしはゆきに夏目メイの好きな人のことを聞いた。
「あたしたちの担任だよ」
ゆきは言って、あたしはやっぱりそうかと思った。
          
あんたは麻衣の、あたしの友達の人生をめちゃくちゃにした。
内藤美嘉も山汐凛もその報いを受けた。
だけどあんただけ、何の報いも受けずにフツーの女の子になろうとしてる。
そんなことが許されると思う?」
許されるわけがないと思った。
この世界に神様なんかいないから、この世界にいるのは、信者からお布施と称して金を巻き上げ、あわよくば政治にまで手をだして国を動かそうとするような自称神の代理人だけだから、だからあたしは「たとえ神様が許しても」なんていう安っぽい言葉は口にしない。
断罪する神がいないかわりに、この世界には法律がある。
その法が夏目メイを裁かないなら、あたしが彼女を裁く、ただそれだけ。
「あんた、麻衣の何なの?」
夏目メイは薄く笑みを浮かべたままの顔でそう訊いた。
「友達だよ」
だからあたしはそう答えた。
「ふぅん。あの子にあんたみたいな友達がいたなんて知らなかったな。
そういえばあんたって、じいさんの命令でヤクザ相手にウリやらされてたんだっけ。
ひょっとして、類が友を呼んじゃった感じ?」
彼女のその言葉に、あたしは思わず引き金を引いていた。
乾いた銃声がガード下に響いた。
「黙れよ」
弾は夏目メイには当たらず、アスファルトを削った。
夏目メイは微動だにしなかった。
銃口をあたしに向けたまま、あたしにゆっくりと近付いてきた。
「今の、威嚇射撃ってわけじゃないよね? あたしを殺すつもりで撃ったのに当たらなかったんだよね。
あんたさ、銃なんて撃ったことないんでしょ?
殺すつもりならさ」
夏目メイはあたしの心臓の上に銃口を当てた。
「ここか」
次は頭。
「ここを狙わなきゃ。
あたしが銃の撃ち方教えてあげるよ。でも、せっかく教えても、あんたすぐ死んじゃうけど」
殺される。
と、思った。
死ぬのは恐くなかった。
ハルがあんなことになってから、あたしはいつ死んでも構わないと思うようになっていた。
だからナオに抱かれていた。
眠れなくなっていた。
けれどあたしが夜眠れなくなったのは、今にはじまったことじゃなかった。
3年前、あたしが熱を出してしまったせいで、ついて行くはずだった家族旅行にいけなくなった。
父と母は、二泊三日のはずの旅行から、一週間が過ぎて我が家に帰ってきた。
生前の面影などまるで残っていない、事故死した遺体で。
その時から、あたしは不眠症になっていた。
不眠は母からの遺伝だったのか、生前母が飲んでいたらしい睡眠薬が、あたしの家の薬箱には大量に残っていて、その薬をあたしは13歳から飲み続けていた。
14になってヤクザに抱かれるようになってから、抱かれた日は睡眠薬をお酒で飲んで意識を失うように眠った。
15歳になる前の晩、大量の睡眠薬をお酒で飲んで、本当に意識不明になったことがあった。
目を覚ましたときあたしがいたのは、内藤美嘉が入院しているあの病院の8階の精神科病棟の、内藤美嘉と同じクワイエットルームと呼ばれる病室だった。
あたしは二週間をその病室で拘束具をつけられて過ごし、一ヶ月後に退院した。
それ以来、睡眠薬もお酒を飲んでいなかったのに、ハルがあんなことになってからはまた、毎日睡眠薬をお酒で飲み意識を失うようにして眠るようになっていた。
だから死ぬのは恐くなかった。
ただ、夏目メイに何の報いも受けさせられないまま死ぬのは悔しかった。
嫌だと思った。
あたしの手は震えてしまっていて、もう満足に拳銃を握ることさえできなくなっていた。
あたしには夏目メイに対して、もう何ひとつ抵抗する術は残されていなかった。
だからあたしは目をつぶった。
あたしは死を受け入れることにした。
「あんたたちをふたりきりにさせたら、どうせこういうことになるって思ってた」
奇妙な関西弁ではない小島ゆきの声が聞こえて、あたしは目を開けた。
夏目メイの拳銃はまだあたしに向けられたままだった。
ゆきはソーイングセットの小さなはさみを、夏目メイの喉元につきつけていた。
夏目メイはそんなゆきを睨みつけていた。
「メイ、この子があんたの邪魔になるかどうか、まだわかんないでしょ。
あんた、フツーの女の子になるんじゃなかった? 人殺しはまずいんじゃない?」
夏目メイは深いため息をつくと、ゆきの言葉を素直に聞き、拳銃を鞄の中にしまった。
「どうしても邪魔になったらあたしに言えばいいよ。あんたの前からこの子を消すくらい簡単だから」
あたしにはふたりの関係がよくわからなかった。
夏目メイは内藤美嘉を言葉巧みに操って麻衣に売春をさせた。
それがいけないことだとわかっていながら山汐凛はふたりに異議を唱えることができなかった。
夏目メイは城戸女学園で、再び緑南高校と同じ人間関係を作ったのだとばかり思っていた。
内藤美嘉に代わるのが小島ゆきで、山汐凛に代わるのが草詰アリスなのだと。
そしてあたしが加藤麻衣なのだと思っていた。
だけど違っていた。
小島ゆきは夏目メイの秘密を知っていた。
知っていて、夏目メイに協力しているように見えた。
ふたりが対等な関係であるように見えた。
「あんたもだよ、結衣。拳銃、しまいなよ。
場所変えよ。さっきの銃声を聞き付けて、誰が110番通報してるかわからない。警察が来るかもしれないから」
そういえば、駅のそばには交番があった。
あたしも拳銃を鞄にしまおうとした。
だけど震える手は拳銃をしっかりと握り締めていることすらできず、あたしは拳銃をアスファルトの上に落としてしまった。
銃が暴発して、その瞬間、もう一度だけ乾いた音がした。
あたしたちは誰かが駆け付けてくる前に、ガード下から逃げ出した。
あたしの拳銃は、小島ゆきに没収されてしまった。
夏目メイと駅で別れて、
「アリスは?」
「横浜駅」
あたしとゆきはいつかと同じように並んで座って電車に揺られていた。
「シュウって男の子のとこ」
ゆきはそう言った。
あたしは、そう、とだけ答えた。
「メイから聞いてるでしょ。アリスが好きだった男の話」
「アリスと会った日に、新幹線に飛び込んだって……」
お互いに好きなのに、すれ違いが生んでしまった悲しい恋だった。
「うん、それ以来アリスは情緒不安定になっちゃって、二学期が始まってからは毎日、学校帰りに終電の時間までそのホームで過ごしてるんだ」
ゆきは言った。
いつか横浜駅でアリスを見掛けたことがあった。
アリスは何か探しているように見えた。
「電車にひかれるとね、体がばらばらに、ぐちゃぐちゃになるんだって。
鉄道会社とか警察とかが必死で体の一部を探して集めるんだけど、線路ぞいの家の屋根まで飛んじゃったりして、全部見付からないことが結構あるんだ。
シュウって子の場合はホームで新幹線に飛び込んだから、ほとんど見付かったんだけど、でもどうしても見付からないものがあってね。
シュウって子の耳、探してるんだ、あの子」
小島ゆきは言った。
あたしはぞっとした。
「お葬式に行きたくても、アリスはシュウって子のパソコンのメールアドレスとケータイの番号とアドレスしか知らなかったんだ。ケータイは新幹線にひかれたときに壊れちゃって、アリスにはシュウの住所もわからなくて。
何か遺品がほしかったんだと思うんだ。会ったらお揃いのもの何か買おうねって約束してたんだけど、あの子はシュウと満足に話すこともできなくて、それは叶わなくて。
だからあの子、見付からなかった耳、探してるの」
見つかるといいね、とはあたしは言わなかった。
それを見つけてアリスが幸せになれるとはあたしには思えなかった。
耳を見つけてしまったら、アリスはもう目的を失ってしまう。
どうにかして肌身離さず持つようになって、シュウのことを忘れられなくなってしまうと思った。
死んでしまった人を、もう会えない人のことをいつまでも思い続けるのはとても悲しいことだ。
あたしはその日、アリスと本当の友達になりたいと思った。
横浜駅で電車を降りたあたしたちは、今日も「耳」を探すアリスを遠巻きに眺めた。
駅のそばのマクドナルドで買ったマックフルーリーの抹茶オレオを食べながら。
こう見えてもあたしは案外箱入り娘で、世間知らずで、マクドナルドで何か買って食べるなんてはじめてだった。
「マクドナルドってミミズの肉使ってるんでしょ」
そう言ったあたしをゆきは笑った。
「ケンタッキーは独自の工場で遺伝子改造した三本足の鶏使ってるって聞いたよ」
あんたいつの時代の人よってゆきは笑った。
マクドナルドはジャンクフードってイメージが強かったけれど、CMを見てずっと食べたいと思っていたそれは抹茶のいい香りがした。
「うちのじいさんが政治家だって話、したことあったでしょ」
マックフルーリーのなんだか機械的なスプーンを口に運びながらゆきは言った。
ゆきの祖父は確か参議院議員の金児陽三だった。
苗字が違うのはその議員先生が、ゆきの母方の祖父にあたるからだ。
「メイから聞いたんだけど、結衣の家は、警察と手を結んでるんでしょ」
たぶん夏目メイから聞いたのだろう、ゆきはあたしの家のこともよく知っていた。
「メイの家はね、警察と手を結ばない代わりに政治家に多額の献金をしてるの。
それがうちのじいさんってわけ」
それを聞いて、あたしはなるほどと思った。
警察と手を結んでいても、組の構成員が事件を起こせば轟のように逮捕される者が出てくる。
だけど政治家と手を結べば、警察に圧力をかけて事件そのものを揉み消すことができるというわけだ。
考えたものだと思った。
「だからね、あたしとメイはこどもの頃から顔見知りだったの。
しばらく会ってなかったけど、ずっと友達、だったんだ。
あの子がバスケ部にクスリ流したり、売春強要事件なんかしでかしたりして逮捕されたのに不起訴になったのはうちのじいさんのおかげ」
スプーンを口に運ぶたびにゆきは顔をしかめた。
電動歯ブラシで歯を研きすぎたせいで、歯の削れてはいけないところが削れてしまい知覚過敏になってしまったそうだった。
「あの子ね、今、フツーの女の子になりたがってるの。そのために頑張ってるんだ」
夏休みの終わりに事件のニュースが世間を少しだけ騒がせて、秋のはじめに夏目メイが不起訴になって、ゆきは彼女に三年ぶりに再会した。
「あたし、フツーの女の子になりたい」
夏目メイは泣きながらそう言ったそうだ。
だからゆきは夏目メイに城戸女学園への編入を勧めたのだという。
夏目メイのことを誰も知らない場所で、彼女がフツーの女の子になるために。
「結衣がなんのために城戸女学園に来たのかはわからないけど、メイの邪魔だけはしないであげて。あの子、今恋をしてるの」
耳を探すアリスは探し疲れたのか、ホームのひんやりと冷たく堅いベンチに腰を下ろしてため息をついていた。
人が死んだ部屋には誰も住みたがらないのに、シュウが死んだホームには今日も人があふれていて、どこへ行って何をするのかはわからないけれどシュウを殺したかもしれない新幹線に乗る。
アリスはその光景をぼんやりと眺めていた。
「声、かけていかないの? アリスもあんたの友達なんでしょ?」
「友達だよ。でもなんて声かけたらいいの?」
教えてよ。
ゆきはあたしにそう言った。
あたしにもアリスに何て声をかけたらいいかなんてわからなかった。
マックフルーリーを食べ終わると、あたしたちは帰路についた。
別れ際、あたしはゆきに夏目メイの好きな人のことを聞いた。
「あたしたちの担任だよ」
ゆきは言って、あたしはやっぱりそうかと思った。
          
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