あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第32話

これは、あたしが戸田という刑事から聞いた話。

九年前、戸田が安田という刑事と共に捜査に参加した少女ギロチン連続殺人事件。

逮捕されたのはまだ中学生の少女だったけれど、第一容疑者として名が上がったのが要雅雪だったという。

被害者少女の中に、かつて彼と恋愛関係にあった教え子がいたから、というのが彼の名が捜査線上に浮かんだ理由だそうだった。

結局逮捕されたのは中学生の少女で、真犯人はその少女の兄だった。安田の妻だった名古屋マユミと共に海外に逃亡中であり、要は事件には無関係であったのだけれど、少女ギロチン連続殺人事件が事実上の解決を迎えた日、要雅雪は別件で逮捕されていた。

中学校教師であった要は女子中学生を誘拐、監禁していた。

逮捕したのは戸田と安田だったという。

要は裁判ですべての罪を認め、そして四年間刑務所に服役している。

誘拐は殺人に次いで罪が重く刑期が長いことで知られているけれど、彼の刑期が四年と短かったのは、誘拐が営利目的のものではなかったこと、そして不思議な話なのだけれど被害者少女が彼の無実を訴えたこと、それから刑務所において彼が模範囚であったことによるらしい。

出所後の要は職を転々としていたらしいけれど、二年前に教員時代の彼の高い指導力に目をつけた城戸女学園の学長から誘いを受けて再び教員となっていた。

それが、城戸女学園国語教師要雅雪の素顔だった。

彼をはじめて見たとき、あたしはどこかで見た顔だと思った。

それもそのはずで、あたしはまだ幼い頃に、誘拐犯として逮捕された要をテレビで見ていたのだ。

要が起こした事件は、少女ギロチン連続殺人事件の陰に隠れてしまって目立った報道がされることはなかったから、あたしが事件のことを記憶していなかったのはそのせいだった。

ただ偶然見た要の顔だけがあたしの頭に刷り込まれていた。


要はあたしの問いに一瞬顔を曇らせたけれど、すぐにいつもの作りものめいた笑顔に戻り、あたしを数学教室にエスコートして職員室に戻っていった。

要は夏目メイから、あたしがもう数日学校に来ているのに授業を受けていないことを聞いたらしかった。

「せっかく出来た新しい友達といっしょに授業を受けたいので探してほしい」

そう頼まれたそうだ。

「夏目さんをあまり困らせないようにね」

そう言い残して、片足をひきずって歩く要の後ろ姿をあたしはぼんやりと眺めていた。

夏目メイは随分、要に取り入っているみたいだった。

三十代もなかばにさしかっているだろう要は、仕立てのいいスーツを上手に着崩していて、まだ二十代後半にしか見えない。

そのくせ、物腰は柔らかで、年相応に紳士的だった。

年上好きの女の子から見たらさぞかし魅力的な男性に写るだろう。

彼が過去に誘拐事件を起こしていることを知らなければ。

あたしは少しだけ開いた教室のドアから、物音を立てて目立ってしまわないようにこっそりと教室に入り、今日も黒板に向かい難しい定理を解く女教師が振り返らないことを祈りながら、身を屈めながら夏目メイの姿を探した。

夏目メイはすぐに見付かった。

教室の比較的後ろの席で、草詰アリスや小島ゆきと並んで座っていた。

あたしはその隣の席に座った。

そんなあたしを夏目メイは笑顔で出迎えた。

きっと夏目メイは要が起こした事件を知らないだろう。

夏目メイは要のことが好きなのかもしれない、とあたしは思った。

付き合っているなんてことはないだろうけれど、要もまんざらではないのかもしれない。

女子中学生を誘拐するような男なのだから。

麻衣に売春を強要し、麻衣からすべてを奪い取っておきながら、夏目メイは普通の女の子のふりをして、普通の恋をしているのだ。

そんな夏目メイの笑顔をまのあたりにして、あたしはやっぱり彼女を許してはおけないと思った。


「鬼頭さん、ハルさんの術後の容態はいかがですか?」

放課後、駅へ向かうバスの中で、夏目メイの唇からこぼれた言葉にあたしは耳を疑った。

「ハル?」

「何の話?」

夏目メイの言葉に、草詰アリスや小島ゆきがそんな反応した。

それがたぶんあたりまえの反応だった。

あたしは彼女たちに、一度もハルの話をしたことがなかったからだ。

もちろん夏目メイにも。

「ハルさんというのは、鬼頭さんのおうちが経営なさってる建設会社で働いてらっしゃる方で、鬼頭さんの彼氏さんでいらっしゃる方なんですよ」

しかし夏目メイは当たり前のように、ハルのことをふたりに説明した。

「先日、お仕事中に事故にあわれたんです。鬼頭さんは毎日学校帰りにお見舞いに行かれているんです」

驚いた。

けれど、驚くようなことじゃないとあたしはすぐに思い直した。

夏目メイは探偵を使って麻衣の身辺調査をしていた。

ナオの知り合いだという探偵だ。

その調査対象が麻衣からあたしに移っただけなのだろうと思った。

ということはつまり、あたしが夏目組と対立する鬼頭組の頭の孫だということを、夏目メイはもう気付いているに違いなかった。

「ええ、おかげさまで」

あたしは笑顔を作ってそう言った。

ハルはまだ目を覚ましてはいなかったけれど。

「メイは、結衣のこと何でも知ってるんだね」

アリスが頬を膨らませて、唇を尖らせてそう言った。

何も知らない彼女はやきもちをやいているのだ。

「お友達ですから」

夏目メイはアリスをなだめるようにそう言った。

「アリスのことだって、わたしは何でも知ってますよ」

ゆきは何も言わなかった。

あたしが何のためにこの学園にやってきたのか、その目的まではまだ知られてはいないだろうけれど、知られているかもしれないと考えておいたほうがいいかもしれない。

もうあまり時間がないかもしれない。

じいさんの命令に従うにしても、麻衣の復讐をするにしても、早く行動にうつさなければいけないと思った。


――女子高生ごっこはもうおしまい。


口にはしなかったけれど、あたしはまっすぐ夏目メイを見つめて、そう思った。

夏目メイも、まっすぐあたしを見据えてきた。

そろそろお互いヤクザの家のこどもらしく、抗争をはじめよう。


そう思った。


夏目メイの顔もそう言っているように見えた。

けれど、組なんて関係なかった。

あたしはただ目の前にいるこの夏目メイという女を許すことなどできないだけだった。

いつか見た古いドラマで、タイマンを張り続ける不良の女の子同士が、いつまでこんな争いを続けるのか、と問うシーンがあった。

問われた女の子はこう答えた。

「勝った方が負けた奴の骨壺を蹴飛ばすまでよ」

一生続くようなそんな長い戦いを、あたしは夏目メイとするつもりはなかった。

秋が終わるまでに、冬が来るまでに決着をつけるつもりだった。


もう10月が終わり、11月に入っていた。

だから、そろそろ宣戦布告をしてもいい頃だと思った。


「夏目さんは、内藤美嘉さんのお見舞いには行かれてないみたいですけど」


夏目メイがあたしのことを調べて何もかも知っているように、あたしも夏目メイのことを調べつくしていることを、彼女に教えてあげようと思った。

内藤美嘉の名が出た瞬間、夏目メイの表情が変わった。


「内藤美嘉?」

先ほどと同じように、アリスが尋ねてきた。

「夏目さんの前の学校のお友達」

と、あたしはアリスに教えてあげた。


ゆきはたぶん知っているのだろう、何も言わなかった。


「あたしも夏目さんのこと何でも知ってるの」

友達だからね。

そう言って笑いかけると、夏目メイはあたしの顔を睨んだ。


駅前であたしたちはアリスとゆきと別れた。

「話があるんだけど」

ふたりきりになると夏目メイは良家の世間知らずのお嬢様ではない口調でそう言った。

「ちょうどよかった。あたしもあんたに話があったんだ」

あたしはそう言って、

「どこかでお茶でもする? 保土ヶ谷の緑南高校のそばのガストとかで。
あんたが麻衣に客を待たせてた、さ」

夏目メイの、ヤクザの娘の顔を睨みつけた。

「美嘉のことだけじゃなくて、麻衣のことまで知ってるんだ?」

夏目メイはさほど驚いた様子も見せず、長く艶のある黒髪をかきあげながらそう言った。

「場所、変えよっか。人気のないところがいいな、あたし」

夏目メイはそう言うと、線路ぞいの道を歩き始めた。

道路の線路の間のフェンスに手をあてて、不愉快な音を立てながら。

あたしはその背中を追い掛けて歩いた。


簡単に殴り倒せてしまうような気さえする隙だらけの背中だった。

夏目メイはガード下で足を止めた。


「内藤美嘉や麻衣だけじゃない。山汐凛のことも知ってる。それからあんたの恋人だったyoshiって男の子のことも」

あたしは鞄からケータイを取り出して、夏目メイとお揃いのストラップを見せた。

「ふぅん。だから、はじめて会った日にケータイ忘れたなんて嘘ついたんだ?」

さすがの夏目メイも、あたしが同じストラップをケータイにつけていたことには驚いたようだった。

「あんたのことは全部知ってるよ。
七代目夏目組組長、夏目秋桜(なつめあきざくら)の娘。
緑南高校のバスケ部員に覚醒剤を流した張本人。
女子高校生売春強要事件の犯人グループのリーダーだってこともね」

あたしはストラップを引きちぎって、夏目メイに投げつけた。

夏目メイはストラップを避けず、それは彼女の頬をかすめた。

頬が切れて、つつつと血が垂れた。

「さすがは六代目鬼頭組組長鬼頭龍逢の孫だけはあるわね。
情報の出どころはあんたの組に出入りしてる刑事ってところかしら?」

「警察と一切の関わりを禁じてるあんたの組には真似できないでしょうけどね。
あんたにできるのは探偵を雇って身辺調査するくらいだもんね」

そして、あたしたちは同時に、鞄から拳銃を取り出した。

ガード下に人気はなく、誰もあたしたちに目を向けるものはなかった。

あたしたちは銃口を互いに向けた。

たとえ誰かがあたしたちが握りしめる拳銃に気付いたとしても、あたしたちはふたりとも城戸女学園の制服を着た良家のお嬢様にしか見えない。

まさか本物の拳銃だとは思わないだろう。

あたしたちが持つ拳銃は、同じ銀色の拳銃だった。

「それ、yoshiの拳銃よね」

夏目メイは言った。

「あの男、一発もじいさんにかすりもさせられなかったわよ。
クスリ漬けのガキを鉄砲玉に寄越して、うちのじいさんを本気で殺れると思った?」

夏目メイは薄く笑みを浮かべた。

「最初から殺せるなんて思ってないわ」

そう言った。

「あたしね、クスリまで使って麻衣からあいつを奪ってあたしのものにしたんだけど、思ってたのとちょっと違ってたの。だから邪魔になっちゃったの」

夏目メイはまるで玩具かペットの話をしているかのように言った。

「だからね、うちのパパがずっと鉄砲玉をやってくれる奴を探してたから、ちょうどいいと思ってあいつにやらせるように仕向けたんだ。
あんたの組には感謝してる。あいつを始末してくれた上に、轟とか言ったっけ、幹部が捕まってくれたでしょ」

すべて夏目メイの思惑通りに進んでいたことを、あたしはそのときはじめて知った。

夏目メイはもう夏に麻衣にしたように自ら手を汚すことなく、邪魔な人間を片付ける術を知っているのだ。

「あたしね、フツーの女の子になりたいの。フツーに恋をして、フツーに笑って。ずっと麻衣がうらやましかった。麻衣みたいになりたいと思ってた。
あんたならわかるよね?」

あたしにしかわからないだろうと思った。

あたしたちは同じだった。

出会い方が違ったらあたしたちはひょっとしたら友達になれたかもしれなかった。

だけどあたしたちはこんな出会い方しかできなかった。

「あたし今、恋、してるんだ。
だからあんたなんかに邪魔させない」

お互いに拳銃を向けあうことしかできない。


「死になよ、結衣」

そのとき、はじめてあたしは夏目メイに名前を呼ばれた。


          

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