あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第16話

メイがどうして、アタシたちが公園で夜を明かしたことを知っていたのか、アタシにはわからなかった。

けれど、彼女は特にアタシに特別何か用があったわけじゃなかったらしく、お幸せに、とだけ言って、どこかへ行ってしまった。

アタシや凛のことは何でもわかる、いつかメイはアタシにそう言った。

友達だからだと。

だけど友達だからって何でもわかりあえるわけじゃないし、そもそもアタシたちは友達なんかじゃなかった。

メイはきっと、彼女がアタシのことを何らかの方法を使って何でもわかっているということ、それを伝えるためだけに、やってきたのだと思った。


十和が目を覚ましたのは、メイがどこかへ行ってしまった後だった。

メイに十和を会わせたくなかったからアタシは少しほっとしていた。

「今何時?」

と十和は聞いた。

「雨、強くなってるね」

彼は腕時計をしていなかった。

アタシも腕時計は何個か持っていたけれど、身に付ける習慣がなくて、時間が知りたいときはいつもケータイに頼りきりだった。

電池が残り少なくなっていたアタシのケータイのデジタル時計は、

「お昼すぎ」

を示していた。

「何か食べにいこっか」

と十和は言った。

「今の子だろ、麻衣にウリさせてるの」


アタシたちは雨に濡れながら手をつないで走って、朝ご飯だかお昼ご飯だかわからない食事を食べに、国道沿いのデニーズに入った。

「何食べる?」

メニューを広げた十和にそう聞かれて、アタシはあんまりお腹が空いていないことに気付いた。

言いにくそうにしていると、

「お腹あんまり空いてないって顔してる」

十和に言われてしまった。

「実はぼくもなんだ」

だけどアタシは、何か甘いものをふたりで食べたかった。

十和が広げたメニューにあった、自家製の苺のガレットの写真にアタシは一目惚れした。

店員さんを呼んで、アタシたちは苺のガレットをひとつとドリンクバーをふたつ注文した。


苺のガレットが運ばれてくるまでの間に、アタシはトイレで用を足したり化粧を直したり、髪を整えたりした。

ふと思い立って、アタシはケータイでメイがアタシの写真を投稿したサイトを開いた。

昨日の投稿がきっともう反映されている頃だと思った。

あいかわらず意味のわからない言葉の羅列のようなトップページをスクロールさせていくと、

「No.1はダレだ!?  PVアクセスランキング」

という言葉の羅列が目についた。

PVというのはたぶんプロモーションビデオじゃなくてプレビュー数のことで、誰だ、と問いかけていることから、どれだけ多くの人に画像を閲覧されたか、その投稿者のランキングだとわかった。

アタシはまさかねと思いながら、そのランキングを開いた。

ランキングは多岐にわたっていて、昨日一日のランキングや週間のランキング、月間ランキング、それからサイトが運営されはじめた日から昨日までの通算ランキングまであった。

アタシの写メがこのサイトに投稿されたのは昨日だから、昨日のランキングをアタシは見てみることにした。

そこにはアタシの名前が一位に上がっていた。

10万以上の人たちがアタシの写メを見ていた。

オークションではしまむらで買ったワンセット千円もしないような安物の下着が、アタシが写真撮影のため一度身に付けたというだけで何十倍もの値段で売買されていた。

何千人もの人たちがアタシの顔が写った裸の写真や動画を買っていた。

アタシは一番多くの人に閲覧されたらしい体操服をめくりあげてブラを見せている写メを見ながら、これは本当にアタシなのだろうかと思った。

アタシだということはわかっていた。
アタシだけれど、アタシじゃないような気がしていた。

ひょっとしたらアタシはそう思い込みたかっただけなのかもしれない。

気持ちが悪かった。


「顔色悪いみたいだけど大丈夫?」

トイレから戻ると苺のガレットがもうテーブルにあって、十和はアタシが戻ってくるのを待ってくれていたみたいだった。

「なんでもない。大丈夫」

アタシはそう言って十和の隣に座った。

向かいあわせじゃなくて隣に座りたかった。

十和の横で、彼の呼吸や優しさを感じていたいと思った。


十和は苺を避けて食べた。

「苺、嫌いなの?」

とアタシはもしそうだったら悪いことしちゃったなと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「ううん、麻衣、苺好きだもんな」

と言った。

アタシはどうしてわかるんだろうと不思議だった。

「見てたらわかるよ」

と十和は言った。

十和と飲んだ赤いハーブティーはすごくあったかくて、ちょっとだけ酸っぱくて、あんまりきれいなピンクだから、アタシは泣きたくなった。


デニーズを出た後で、コンビニで透明なビニール傘を買った。

十和が傘を持ってくれて、アタシたちは身を寄せあってふたりで相合い傘しながら街を歩いた。

「気付いてるか?」

雨の音にかき消されてしまいそうな小声で十和が言った。

「ゆうべからずっとぼくたち、誰かにつけられてる」

そんなこと、アタシはまったく気付いていなかった。

振り返ろうとしたアタシに、振り返らないで聞いて、と十和は言った。

「素肌の上にオーバーオールを着てる変な男だよ。年は二十代か三十代か、ちょっとよくわからないけど」

そう言われて、そんな奇妙な格好の人を、昨日マクドナルドで見たような気がした。

デニーズにも、さっき入ったコンビニでも見たような気がした。

「最初、ぼくをつけてる私服の刑事かと思った」

十和はそのときなぜか、そんな物騒な言葉を口にして、

「でも私服の刑事にしては格好が不自然すぎる」

と言った。

「たぶん探偵か興信所だ」

興信所という言葉をアタシはその日はじめて耳にした。

そんなアタシに十和は、探偵みたいなものだよと説明した。

お金持ちの家の人が、こどもが結婚相手に選んだ相手が自分のこどもや家にとってふさわしい相手かどうか、要するにおかしな宗教に入っていないかとか、親族に犯罪者がいないかとか、その相手のことや家のことを調べたりするときに利用するところなのだそうだ。

興信所にしてもあの格好は不自然だけれどね、と十和は言った。

じゃあ、たぶん探偵なのだろう、とアタシは思った。

「たぶん、ぼくじゃなくて君をつけてる」

そう言った十和が、なぜだかほっとしたような顔を浮かべていたのが不思議だった。

アタシはそれを、自分もそうだからあんまり考えたことがなかったけれど、十和も男の人に体を売っている犯罪者だからだ、と理解した。

だけど彼は、体を売ってるくらいじゃ探偵に尾行はされない、と言った。

「何か身に覚えはある?」

そう尋ねられて、アタシは山ほど身に覚えがあることに気付いた。

「さっき、公園で会った子ね、アタシにウリをさせてる、あの子がね、アタシのこと何でも知ってるんだ」

とアタシは言った。

メイは、凛とツムギが作った、アタシたちの学校の裏サイトや、美嘉の偽物のプロフ、「美嘉の部屋」のことを知っていた。

yoshiやバスケ部の人たちがみんな、クスリをやっていることもあの子は知っていた。

凛とアタシだけの秘密だった、彼女がツムギとセックスしてることや妊娠してることを知っていた。

棗先生が、教師として人として人生に絶望して死にたがっていることを知っていた。先生の心中相手にぴったりな相手がいるよ、と彼女はアタシを先生に紹介した。

それからメイがアタシにあてがった男の人たちは、みんなアタシたちの学校の教師ばかりだった。

アタシと十和が、今朝あの公園で夜をいっしょに過ごしたことをあの子は知っていた。

それだけじゃなかった。

あの子はいつも、アタシがあの子に会いたくないときにかぎって、アタシがどこにいてもアタシの前に必ず姿を現した。

あの子はそんなとき決まって、アタシのことは何でもわかるよと言った。

友達だからだと言った。

アタシはお馬鹿な女の子だけれど、その探偵だか興信所だかの人は、メイに雇われているのだとわかった。

もうずっと前から、少なくとも夏休みが始まる頃からずっと、メイはアタシの身辺調査をしていたのだ。

だからメイはアタシや凛のこと、棗先生のことを何でも知っていたのだ。

「確かめようか。駅の近くのガード下なら人気もないし」

十和がそう言ったので、アタシは大きくうなづいた。



ガード下に差し掛かったとき、十和は路駐されていた車の蔭に身を隠した。

アタシは足を止めて、アタシを尾行する素肌にオーバーオールの男がガード下にやってくるのを待った。

エアマックスを裸足ではくその足音が、アタシのすぐ後ろで止まって、アタシたちの真上をJRが通り過ぎていった。

アタシは振り返って、

「アタシに何かご用ですか?」

探偵にそう尋ねた。

十和も同時に姿を現して、

「なんであんたこの子を尾行してるんだ?」

アタシたちはガード下でオーバーオールの男をはさみうちにした。

「まさか気付かれてるとは思いませんでした」

オーバーオールの男はそう言いながら笑って、両手を上げて、降参のポーズをとった。

「はじめまして。私立探偵の硲裕葵と申します」

はざまゆうきという名前らしい、その探偵はそう名乗った。

オーバーオールのお腹のポケットに一度両手をしまい、もう一度手を広げたとき、彼の両手には名刺が握られていた。

ひょうひょうとしていてつかみどころがない、それがアタシが彼に対して持った印象だった。

現実の探偵は小説や映画のように殺人事件を捜査するようなことはきっとないのだろうけれど、事件の真相を解明する途中でたとえ犯人に追い詰められて八方塞がりの状況に置かれてしまっても、くぐりぬけられるだけの自信と余裕が彼にはあるように見えた。

アタシと十和は、お互いにそれに手を伸ばした。

名刺には、「硲探偵事務所所長」という彼の肩書きがあった。

「助手もいない、ひとりで事務所を構える、しがない私立探偵です」

素肌にオーバーオールという奇妙な格好といい、探偵はアタシにはうさんくささの代名詞のように見えた。

「その探偵さんがこの子に何の用があるんだ?」

十和が問う。

「別に用があるというわけじゃありません。ただぼくはある方から彼女の身辺の調査を依頼されて、彼女のことを調べている、それだけです」

「夏目メイという子でしょ」

アタシが尋ねると、

「ぼくには依頼人の依頼に関する守秘義務がありますからお答えできかねます」

探偵はそう言った。

その言葉は、依頼人がメイだと認めているようなものだった。

「あんたさ、人を尾行しておいて、守秘義務といえば済むと、ぼくらがそれで納得するとでも思ってるのか?」

そう言って十和は探偵に何かをつきつけた。

「話してもらおうか。あらいざらい、全部」

それはバタフライナイフだった。


「驚いたろ。ナイフなんか出したりしたから」

探偵を追い払った後で十和が言った。

探偵はやはりメイに依頼されて、夏休みが始まる前からアタシの身辺調査をしていたそうだった。

探偵が話してくれて、彼が知っていたのはそれくらいのことだけで、メイが何故アタシの身辺調査を彼に依頼したのか、

「さぁ、ぼくはただ依頼された仕事を遂行するだけですから。依頼の理由には興味がありませんので」

その理由まではわからなかった。

「ですが尾行に気付かれてしまった以上、ぼくの仕事はこれで終わりです」

探偵は潔い人だった。

「なかなか割りの良い仕事だったので残念です」

彼がもらう一日あたりの報酬は、通常探偵が身辺調査でもらう金額の倍以上だったそうだ。

メイの家はお金持ちだと聞いてはいたけれど、そんな高額な報酬を彼女が支払えてしまえるのがアタシには不思議だった。

「男に体なんて売ってると何があるかわかんないから、護身用に持つようにしたんだ」

やるだけやって金を払わないような奴がいるかもしれないし、逆に金を巻き上げられることになるかもしれない、殺されるようなことがあるかもしれない、十和はいつかツムギがアタシに話したことと同じことを話した。

体を売るということは、売る方も買う方も犯罪者で、お互いにとても危険が伴う行為だった。

アタシはううんと首を横に振った。

「アタシも一応持ってるから」

まだ一度も使ったことはなかったけれど。

「ナイフか?」

「ううん、スタンガン。友達のお兄さんがくれたの」

ウリをするときにはアタシの鞄の中には必ず、ツムギにもらったインスタントカメラを改造したスタンガンが入っていた。

それを使うようなことにならないようにアタシはいつも祈りながら体を売った。

十和が探偵につきつけたバタフライナイフには赤黒い血の固まりのようなものがこびりついていた。

十和は使ったことがあるのだ。

アタシはそのことに気付いていないふりをした。


          

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