あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第4話

それから何日かが過ぎて、同じ数だけの男の人たちにアタシが抱かれているうちに夏休みが始まってしまった。

お客さんは、お医者さんとか、中学校の先生とか、タクシーの運転手とか、牧師さんとかいろいろ。

男の人はセックスのことしかきっと頭にないんだと思う。


終業式の日、式の後の教室でアタシたちには夏休みの正しい過ごし方というプリントが配られた。

担任の棗先生がそのプリントを面倒くさそうに読みあげた。

「一応きまりだからね」

先生はそう言った。

きっと職員室の朝のミーティングで、ちゃんと読みあげるようにと、校長とか教頭からお達しが出たのだろう。

規則正しい生活をしましょうとか、そんな内容のプリントだった。

そこには不純異性交遊をしない、という項目があった。
要するにセックスをするなって意味。

なぜ高校生がセックスをしてはいけないかと言えば、それはけっしてアタシたちのために書かれた言葉などではないということは、大人たちが考えているほどアタシたちはバカじゃないからわかる。

セックスをしてこどもなんか出来たり、ときどきテレビのニュースになるように妊娠を誰にも悟られないままこどもをトイレとかで出産して殺しちゃう子なんかが出てきたりしたら、教師たちの責任が問われることになるからだ。

大人たちは自分のことしか考えていないくせに、いつもアタシたちのことを気にかけてるふりをする。

だから誰も信用できない。

アタシもいつかそんな大人になってしまうのかな。


「まぁ、なんだ、お前たちくらいの年頃の子に不純異性交遊をするななんて今時言う方がおかしいと先生なんかは思っちゃうわけなんだけど、みんなほどほどにな」

先生の言葉にアタシたちはみんな笑った。

棗先生は他のおとなたちとは違う。

棗先生とかハーちゃんみたいな大人になりたいなとアタシは思った。

山ほど出た宿題を受け取って、通知表をもらって、アタシの成績は相変わらず中の中で、それから下校になった。

yoshiにはいつでも会えるけれど、棗先生にしばらく会えなくなってしまうのが寂しくて、アタシはみんなが帰りはじめる中、凛と一緒に先生を教室に呼び止めて、しばらく会えなくても平気なくらい先生とおしゃべりを楽しんだ。

アタシは先生のことがyoshiと同じくらい好きだった。

先生に別れを告げて教室を出ると、ケータイに美嘉から今日も夕方いつものファミレスで待ってるとメールが入っていた。



「ナナセくんに美嘉ちゃんをレイプしてもらおうと思うんだ」

アタシは数日前に凛からそんな計画をもちかけられた。

その日アタシはすぐには返事ができないと答えたけれど、もう気持ちは固まっていた。

アタシは凛の計画に乗るつもりでいた。

ナナセのケータイの番号を凛に教えるのは簡単だ。
yoshiに聞けば番号くらいすぐに教えてもらえるだろう。

ナナセは中学の卒業アルバムとかで美嘉の住所くらい知ってるはずだった。
住所がわかれば、夏休みになってしまっても生活範囲が大体わかる。

ナナセに美嘉をレイプさせることくらい簡単にできてしまいそうだった。

「でも……」

凛はアタシとふたりきりになると、

「ただレイプされるだけじゃ、美嘉ちゃんには足りないと思うんだ」

そう言って、数日間かけて考えたに違いない計画をアタシに話した。

「夕方までに戻ればいいんだよね。秋葉原に行こう。
買いたいものがあるんだ。電車の中で詳しいこと説明する」



アタシたちが住む横浜から秋葉原は、何度か電車を乗り換えなければいけないけど、そんなに遠いわけじゃなかった。

「レイプくらいじゃ足りない。
生まれてきたことを後悔するくらい酷い目に、一度あわせてあげないとあの子は更正しない」

凛はアタシたち以外には誰も乗っていない電車の中でそう言った。

凛は何も教えてはくれなかったけれど、アタシはそんな風に怒りをあらわにする彼女を見るのははじめてで少し戸惑った。

きっと美嘉に何かされたのだろう。

凛はアタシにケータイを差し出した。
そこには「神奈川県立緑南高校一年二組掲示板」とあった。

「お兄ちゃんに頼んで、アタシたちのクラスの学校裏サイトを作ってもらったの」

凛にお兄さんがいることは知っていた。

凛がお兄さんのただの兄妹じゃないことも。

凛は中学のときからお兄さんとセックスしてる。
美嘉たちは知らない、アタシと凛だけの秘密だった。

掲示板には匿名で、たぶん凛が書き込んだんだと思うけれど、美嘉のことばかりが書かれていた。

美嘉がどんな家に住んで、どんな親を持ち、どんな家庭に生まれ育ったのか、記されていた。

父親は職を転々とし、現在は無職であること、母親はネズミ講にハマっていておかしな宗教の信者であること、どこまで本当かはわからないけれど書かれていた。

書き込みはケータイの画面をスクロールするたびにエスカレートして差別的な言葉が並んでいた。

家の写真まで貼りつけられていた。

「この写真は美嘉の家?」

アタシは美嘉の家を知らなかったからそう聞いた。

凛は、うん、とうなづいた。

「お兄ちゃんがインターネットで見付けてくれたの」

パソコンをあまり触らないアタシにはよくわからなかったけれど、インターネットの検索サイトでは特定の誰かの家の写真まで手に入れることができるらしかった。

その家は女王様のように振る舞う美嘉とは正反対の、築何十年立っているかわからないほどオンボロの平屋の家だった。

最後の書き込みにはURLが貼られていた。

「ここに飛べばいいの?」

凛は黙ってうなづいた。

そこには、アタシたち女子中高生がプロフって呼んでる、ほとんどの子たちが登録してるっていうサイトだった。

自分の簡単なプロフィールと写真を公開して、学校も住むところも違う相手と交流をしたりする場所だった。

そこに裸の写メを載せたりする女の子が結構な数いることが問題になって、少し前にテレビのニュースで取り上げられたこともあった。

それは美嘉のプロフィールだった。

だけどアタシが知っている彼女のプロフとは少し違っていた。

確かに美嘉の誕生日や血液型、好きなブランドやアーティストまで、美嘉がこたえそうなことが書き綴られていたけれど、そこには美嘉の裸の写真が載っていた。

「どうやって手に入れたの?」

と尋ねると、

「アイコラだよ」

と凛は答えた。

顔は美嘉のものだけれど、裸の体は別の女の子の写真だそうだ。

そんなふうにはとても見えないくらい、それはよく出来ていた。

「アタシのお兄ちゃん、ネットではちょっと有名なアイコラ職人なんだ」

凛のお兄さんは、ツムギという名前でアイコラサイトを運営していて、一日に数万人が彼のサイトを訪れるのだという。

まだ大学一年なのに、そのサイトの広告収入で月に数十万円の収入があるのだそうだ。

凛はこの学校裏サイトのURLをアタシたちのグループを除いたクラスメイト全員のケータイに今夜送るのだと言った。

だけどそれは、凛の復讐計画のほんの一部に過ぎなかった。

「秋葉原には何を買いに行くの?」

アタシは聞いた。

「わたしもよくわからないんだ。全部お兄ちゃんにお願いしてあるから」

秋葉原でお兄ちゃんが待ってるの。

凛はそう言って、アタシが見たこともない顔で笑った。



凛は、美嘉がアタシのお客さんを捕まえてくるツーショットダイヤルについて、少し調べてくれていた。

出会い系サイトだって家出少女サイトだってあるのに、いまどきどうしてツーショットダイヤルなんて古臭いものを、ってアタシは思っていた。

「美香が使っているのは、"Love promise"という携帯サイト。
サイトを通じて女の子と生電話するみたい」

名前を聞いたことがあるだけで、どういったものかわかっていなかったけれど、ツーショットダイヤルというのは、ダイヤルQ2とか、一般の公衆回線、国際電話回線を利用した男性有料・女性無料の双方向会話サービスだという。

男女の出会いや交際を目的としていて90年代に若者の間で人気だったらしい。

ハーちゃんや棗先生がまだわたしたちと同じ年くらいの頃の話だ。
アタシたちが生まれた頃でもある。

その頃にはもう、そんなものがこの国にはあったんだと思うと、なんだか怖かった。

だけど九〇年代後半にはもう、インターネットや携帯電話の出会い系サイトの普及によって、ツーショットダイヤルは次第に衰退していったそうだ。一方で、SMやスカトロといった特殊マニア向けのツーショットダイヤルは依然男女ともに、気軽に話せると根強い人気なんだという。

「なるほどね。SMにスカトロかぁ……」

アタシは美香たちが作っていた料金一覧表を思い出した。

そこには確かオプションでスカトロが入っていた。

「アタシもいつかすることになっちゃうのかな」

アタシが呟くと、

「案外悪いものじゃないよ」

凛がそう言った。

したことあるの? なんて、こわくて聞けなかった。


電車は、もうすぐ秋葉原につく。



アタシは凛のお兄さんのことを、電車男に出てくるような典型的なオタクの人だと思い込んでいた。
A―BOYっていうんだっけ。

何が入ってるのかわからないけどパンパンに膨れ上がったリュックを背負って、バンダナを頭に巻いて、シャツをズボンに必ずインしてる感じの。
ちょっといやなにおいがするような。

お兄さんのことが大好きな凛は、つまりはそういう男の人が好みなわけで、アタシはこの子は絶対幸せになれないんだろうなって、なんとなく思ってた。

だから秋葉原の駅で、凛に手を振っている男の人を見つけたときも、凛がその人をお兄ちゃんて呼んだときも、アタシは驚いて何度もまばたきを繰り返した。

凛のお兄さんは、まるでモデルみたいにすらりとしていて、まだ最近日本に上陸したばかりの"crying face"のスーツを見事に着こなしていた。

黒縁のセルフレームのメガネがよくにあっていて、音楽レーベルか何かをしていそうな感じだった。

とてもこの人が夜な夜なアイコラを作ってるなんて想像できなかった。

凛が他の男の子にあんまり興味がないのがよくわかる気がした。
アタシだってこんなかっこいいお兄ちゃんがいたらきっと好きになってしまう。


「この子が麻衣ちゃん?」

声もテレビでよく見るオタクのように早口でも甲高くなくて、落ち着いたゆっくりとした話し方だった。

「はじめまして。凛の兄で、ツムギといいます」

だけどケータイのストラップにはアニメキャラのデフォルメフィギュアが何十個もついていて、

「お昼まだでしょ。お腹すいてるよね」

案内されたのはメイドカフェだった。

アタシはこんなにかっこいい人がオタクだなんて信じられなかった。

秋葉原にはいろんな人がいる。



秋葉原に来たのは、アタシは実ははじめてだった。

もちろんメイドカフェもはじめての経験だった。

メイドカフェはビルの地下にあって、店の入り口には人、人、人。

どうやら大変込み合っているようだった。そして皆、くたびれた表情で、くたびれた服を着ていた。

およそお洒落とはかけ離れた格好のご主人様とお嬢様たちがベンチに座り首を長くしてメイドさんから名前を呼ばれるのを待っていた。

メイドさんから説明を聞くと、どうやら10組以上お待ちなんだとか。

「ご予約のお名前は?」

「山汐で」

山汐というのは、凛やツムギの苗字だ。

アタシたちが予約を済ませると、お店からは大変ご満悦の表情の、よきにはからえと言わんばかりのご主人様が出てきた。

「いってらっしゃいませー。ご主人様ー」

きっとあのご主人様も入店前はくたびれた表情で、くたびれた服を着ていたはずだ。
くたびれた服はそのままだったけれど、表情が違っていた。

一体中では何が行われているんだろう、とアタシが思ったそのとき、


「一名様でお待ちのレンニン様ー。レンニン様、いらっしゃいませんかー」


レンニン様?

アタシがポカンとしていると、

「あぁ、ハンドルネームでも予約できるからね、ここ」

ツムギは言った。

「麻衣ちゃん何にも知らないんだね」

凛が笑った。

ハンドルネームっていうのは確か、インターネットで名乗る名前のことだ。

そんな名前で予約をするなんて恥ずかしいよ、レンニン様、とアタシは思った。

しかもレンニン様は長い待ち時間に痺れをきらし、店の前を外していらっしゃったようで、

「きっとまんだらけとか、ゲーマーズとかに行っているんだろうなぁ」

ツムギはそう言った。アタシにはもう違う世界の言葉。


「一名様でお待ちのレンニン様ー。レンニン様、いらっしゃいませんかー」


自分の恥ずかしいハンドルネームが連呼されていることも知らず、今頃レンニン様は美少女フィギュアでも片手にニヘラニヘラしているのだろう。


「一名様でお待ちのレンニン様ー。レンニン様、いらっしゃいませんかー」


段々、聞いているこっちが恥ずかしくなってきたよ、レンニン様。

アタシは恥ずかしさをぐっとこらえることにした。

「三名様でお待ちの山汐様ー」

そして、いよいよというか、ようやくというか、アタシのメイドカフェデビューの瞬間が訪れた。
別に念願のでもなかったから、嬉しくもなんともなかったけれど。

「いらっしゃいませ。ご主人様。お嬢様」

アタシたちはメイドさんに案内されて席についた。

店内はとても落ち着いた雰囲気だった。

テレビでよく見る秋葉原のメイドカフェとは若干お店の雰囲気が違うお店のようだった。

サラリーマン風のご主人様が、胸ポケットに入れたスカーフを「素敵です、ご主人様」と、メイドさんに誉められていた。

就職活動帰りのお嬢様が、「もういやんなっちゃうわ。全然内定もらえないし」メイドさんに愚痴をこぼしていた。

学生風のご主人様が参考書とノートと電卓をテーブルに広げて、ひたすら勉強をしていた。

がむしゃらに小説を読んでいるご主人様もいた。

それはメイドカフェでは当たり前の光景なのかもしれないけれど、アタシにはなんだかとても異様なものに見えた。

アタシたちはメイドさんからメニューを受け取った。

凛やツムギはメイドさんと楽しげに会話を交わしてた。

「ご注文がお決まりになられましたら、こちらの鈴をお鳴らしください」

アタシは和風チキンサンドとアイスコーヒー、凛はストロベリーティーとチョコバナナサンド、ツムギはオムライスとアイスコーヒーを頼むことにした。

アタシはメニューのデザートの欄にあった、フレンチメルヘン、島唄、というふたつのデザートの名前に目を奪われていた。

「まったく想像がつかないね…」

アタシがそう言うと、

「うん、頼んでみようか…」

凛がそう言って、頼んでみることにした。

「これ、わたしが鳴らしてもいい?」

凛が鈴に手を伸ばした。凛はなんだかとても楽しそうだった。

チリンチリン、と音を鳴らすと、メイドさんはすぐに駆けつけてくれた。

アタシたちが一通り注文すると、

「こ、こんなにたくさん。ありがとうございます!」

なぜかメイドさんに感謝された。

どうやら普通メイドカフェではこんなに注文するご主人様もお嬢様もいないみたいだった。

メイドさんが運んできたツムギのオムライスにケチャップで絵を描いてくれた。

ツムギはケータイにもストラップがついていた、アニメのキャラクターの絵を描いてもらっていた。

「確か、友達の美嘉ちゃんて子にちょっと痛い目をあわせたいって話だったよね」

ケチャップで描かれた絵を崩してしまわないようにスプーンでオムライスを口に運ぶとツムギは言った。

アタシたちはうなづいた。

「インターネットに女の子の部屋を生中継してるサイトがあるんだけど」

ツムギは言った。

アタシが意味がよくわからないでいると、

「女の子の部屋にカメラを仕込んでて、着替えとかオナニーとかさ、部屋に訪ねてきた彼氏とのセックスとかさ、その女の子が部屋でしてること全部インターネットで全世界に生中継されてるんだ」

凛が説明してくれた。

「それと同じことを、美嘉ちゃんにもしてあげるの」

「それって犯罪じゃないの?」

アタシがそう言うと、

「美嘉が麻衣ちゃんがさせてることだって犯罪だよ。もちろん麻衣ちゃんがしてることだって」

凛に言われてしまった。

「それでね、電車の中で見せた学校裏サイトとか、プロフとか、全部ナナセくんがやってることにするんだ」

凛は続けた。

「ナナセくんには美嘉ちゃんの本当のストーカーになってもらおうと思うんだ」


秋葉原にはそのために必要なものを買い揃えるために来たらしかった。

アタシには凛が何故そこまで美嘉に恨みを抱いているのか、わからなかった。



その後落ち着いた店内で、アタシたちは食事をしながら談笑し、会計をすませると店を出た。

「いってらっしゃいませ、お嬢様。いってらっしゃいませ、ご主人様ー」

店を出たアタシたちは、大変ご満悦の表情の、よきにはからえと言わんばかりの表情で、くたびれた顔とくたびれた服で自分の名前が呼ばれるのを待つご主人様お嬢様の前を通りすぎていった。

「想像してたのと違ってたけど、よかった」

「うん、またこようね」

アタシはいつの間にかすっかりメイドカフェにのめりこみ、お店をあとにした。

アタシは、楽しいひと時をくれたかわいいメイドさんたちに感謝の気持ちでいっぱいだった。

名前も知らないアタシのメイドさんたち、今日は本当にありがとう。
なぜだかそんな気持ちになっていた。

振り返ると、アタシたちを見送ってくれたメイドさんが、ちょうど次のご主人様の名前を呼ぶところだった。


「一名様でお待ちのレンニン様ー。レンニン様、いらっしゃいませんかー」



          

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