青篝の短編集
銀色の龍
少年は崖から景色を眺めていた。
どこまでも続く空。
どこまでも続く海。
同じ青色の、決して混ざることのない
二つのそれらを、少年は眺めていた。
「僕もいつか…あの水平線の遥か先まで、
飛んで行ける日がくるのかな。」
少年は悲観していた。
翼を持たない自身の体を
恨めしく思っていた。
この世界に産まれ落ちて、
もう15年が過ぎ去ろうとしている。
同じ時期に産まれた子や、
少年よりもあとに産まれた子でさえ、
少年よりも早く翼を広げて
飛んでいってしまった。
少年だけが翼を持たず、
少年だけがこの世界に置き去りになっている。
翼が生える気配はない。
もうこのまま、
死ぬまで翼が生えないのか。
「はぁ…。」
少年はため息を洩らす。
今日も何もないまま。
何も変わらないまま。
一体いつまで、
こんなにも惨めな思いのまま
生きていけばいいのだろう。
いつの日か夢に見た、
輝く銀の翼で空を飛びたい。
「──なんだ!?」
何の前触れもなかった。
空は快晴。海は穏やか。
突如として少年の鼓膜を破壊するように、
轟音が響き渡った。
この世の物とは思えない、
おぞましい何かの鳴き声のようだった。
全身の毛がよだち、
ただならぬ気配を感じる。
「行かなきゃ……!」
理由は分からないが、
少年は直感した。
『それ』の正体を確かめるべきだと。
いや、正体は知っていたのかもしれない。
ただ、『それ』が待つ場所へ
どうしても行く必要があった。
理由は分からないまま、
少年は走り出した。
島の反対側にある、
見上げるように高いもう一つの崖。
そこに、手をかけた。
今まで何度も登ろうとしたけど、
一度だって半分も登れなかった。
だが今日は、登れる気がした。
「はぁ…はぁ…。」
崖を登り始めてどれだけ過ぎたか、
ようやく3分の1のところまで
登ってきただろうか。
疲れが溜まってきて、
顔も体も傷だらけだ。
なのに、力がどんどん湧いてくる。
高揚感が体を支配して、
視線は常に上を向いている。
少しずつ、少しずつ、
空が近づいてくる。
そして少年は、
ついにその高みに辿り着いた。
「やっと…着い───」
崖の頂上まで登り切り、
全身を押し上げた。
銀の鱗、銀の翼、銀の爪。
そこで少年を待っていたのは、
それはそれは美しい翼を持つ、
巨大な銀色の龍であった。
「……あ、あの…。」
龍は少年をじっと見つめている。
銀の全身によく映える、
真っ赤な紅色の瞳が
少年を捉えて離さない。
「翼を持たぬ童よ。
貴様はこの世界の果てに何を見る。」
少年は驚きのあまり、
誰に言われたのか分からなかった。
だが、キョロキョロと周りを見渡しても、
その崖の上に少年以外の人間はいない。
いるのは少年と、
眼前にいる銀の龍だけだ。
だから少年は、
ありえない出来事でも
信じることしかできなかった。
龍は真っ赤な瞳で少年を見つめ、
少年の返答を待っている。
「えっと……空、かな…?」
少年が答えると、
龍はふむ、と鼻を鳴らして、
水平線の彼方に視線を向ける。
「空…か。」
高い崖の上は強い風が吹き、
飛ばされそうな少年の横では
龍がずっしりと鎮座している。
龍が見つめる視線の先に
少年も目を向け、
暗くなりつつある空を見た。
今から降りるのは危険だろうから、
今日の夜はここで過ごそう。
そう決めた途端、
睡魔が少年を襲ってきた。
もっと、彼と言葉を交わしたい。
だが、少年の気持ちとは裏腹に、
少年は深い眠りに落ちた。
「───きよ。」
少年の意識が覚醒する頃、
すっかり朝日が昇っていた。
そして、頭の中に響くように
あの龍の声が聞こえた。
「童よ、起きよ。」
少年が目を開けると、
少年の顔の前に
龍の大きな牙が見えた。
「わっ!?」
少年は驚いて飛び起き、
銀の龍を見て更に困惑した。
だが、昨日のことを思い出して
やっと今の状況を確認できた。
「童、貴様はこの果てに
空を見ると言ったな。」
「はい。」
「では見せてやろう。
小さく力なき貴様に、
この世界の果てにあるものを。」
ゆっくりと龍は立ち上がり、
大きな咆哮を一つした。
大地にヒビが入り、雲が二つに割れ、
木々が揺れ、海が荒ぶった。
「では行くぞ。」
行くとはどこに、と
少年が言おうとしたが、
それよりも龍が早かった。
大きな爪で少年の後ろ襟を掴み、
銀の鱗で覆われた自らの背中に乗せたのだ。
少年が何かを言う暇もなく、
龍は翼をはためかせて地から足を離した。
龍は瞬く間に高度を上げ、
少年が下を見た時には既に、
少年がいた島は豆のようになっていた。
「目を閉じるなよ、童。」
銀の粒子を撒きながら、
龍は力強く飛んでいく。
龍の飛ぶ速度に比例して風圧が襲い、
思わず目を閉じてしまいそうになるが、
少年は顔を伏せながらも
なんとか目をこじ開けていた。
「見よ。」
やがて龍は速度を落とし、
その場所に留まった。
龍が呼びかけると少年は顔を上げ、
目の前に広がる景色に息を飲んだ。
「これが世界だ。」
どこまでも続く焼け野原。
しかしそれは野が焼けているのではなく、
大量の建物や車であった。
今もあちらこちらで黒煙が昇り、
人の死体が蟻のように転がっている。
焼けた鉄の匂いと
焦げた人の匂いが入り交じり、
鼻がもげそうな嫌な匂いがする。
「人間は愚かだ。
ただ少し知能があるだけの
下等生物の分際で、
自らが特別な存在であると
頑なに信じて認めない。
知能があるはずなのに争いを繰り返し、
自分より下の人間だけを
戦地へと向かわせる。
今や人間の住む世界に安寧の地などなく、
数万の人間だけが隠れ潜んでいる。
笑えるだろう?
少し前までは70億を超える人間が
この世界にいたというのに、
無意味で無駄で無謀な争いのせいで
価値ある人間さえ殺している。」
龍はそこで言葉を区切ると、
ホンの一瞬だけ悲しそうな表情をした。
「…翼を持たない貴様には、
本来このような世界を見ることなど
ありはしなかったが、
吾輩の主の遺言に従い、
貴様にはこの世界を救ってもらう。」
───これは、翼を持たない少年と、
銀色の龍が世界を救うための物語。
どこまでも続く空。
どこまでも続く海。
同じ青色の、決して混ざることのない
二つのそれらを、少年は眺めていた。
「僕もいつか…あの水平線の遥か先まで、
飛んで行ける日がくるのかな。」
少年は悲観していた。
翼を持たない自身の体を
恨めしく思っていた。
この世界に産まれ落ちて、
もう15年が過ぎ去ろうとしている。
同じ時期に産まれた子や、
少年よりもあとに産まれた子でさえ、
少年よりも早く翼を広げて
飛んでいってしまった。
少年だけが翼を持たず、
少年だけがこの世界に置き去りになっている。
翼が生える気配はない。
もうこのまま、
死ぬまで翼が生えないのか。
「はぁ…。」
少年はため息を洩らす。
今日も何もないまま。
何も変わらないまま。
一体いつまで、
こんなにも惨めな思いのまま
生きていけばいいのだろう。
いつの日か夢に見た、
輝く銀の翼で空を飛びたい。
「──なんだ!?」
何の前触れもなかった。
空は快晴。海は穏やか。
突如として少年の鼓膜を破壊するように、
轟音が響き渡った。
この世の物とは思えない、
おぞましい何かの鳴き声のようだった。
全身の毛がよだち、
ただならぬ気配を感じる。
「行かなきゃ……!」
理由は分からないが、
少年は直感した。
『それ』の正体を確かめるべきだと。
いや、正体は知っていたのかもしれない。
ただ、『それ』が待つ場所へ
どうしても行く必要があった。
理由は分からないまま、
少年は走り出した。
島の反対側にある、
見上げるように高いもう一つの崖。
そこに、手をかけた。
今まで何度も登ろうとしたけど、
一度だって半分も登れなかった。
だが今日は、登れる気がした。
「はぁ…はぁ…。」
崖を登り始めてどれだけ過ぎたか、
ようやく3分の1のところまで
登ってきただろうか。
疲れが溜まってきて、
顔も体も傷だらけだ。
なのに、力がどんどん湧いてくる。
高揚感が体を支配して、
視線は常に上を向いている。
少しずつ、少しずつ、
空が近づいてくる。
そして少年は、
ついにその高みに辿り着いた。
「やっと…着い───」
崖の頂上まで登り切り、
全身を押し上げた。
銀の鱗、銀の翼、銀の爪。
そこで少年を待っていたのは、
それはそれは美しい翼を持つ、
巨大な銀色の龍であった。
「……あ、あの…。」
龍は少年をじっと見つめている。
銀の全身によく映える、
真っ赤な紅色の瞳が
少年を捉えて離さない。
「翼を持たぬ童よ。
貴様はこの世界の果てに何を見る。」
少年は驚きのあまり、
誰に言われたのか分からなかった。
だが、キョロキョロと周りを見渡しても、
その崖の上に少年以外の人間はいない。
いるのは少年と、
眼前にいる銀の龍だけだ。
だから少年は、
ありえない出来事でも
信じることしかできなかった。
龍は真っ赤な瞳で少年を見つめ、
少年の返答を待っている。
「えっと……空、かな…?」
少年が答えると、
龍はふむ、と鼻を鳴らして、
水平線の彼方に視線を向ける。
「空…か。」
高い崖の上は強い風が吹き、
飛ばされそうな少年の横では
龍がずっしりと鎮座している。
龍が見つめる視線の先に
少年も目を向け、
暗くなりつつある空を見た。
今から降りるのは危険だろうから、
今日の夜はここで過ごそう。
そう決めた途端、
睡魔が少年を襲ってきた。
もっと、彼と言葉を交わしたい。
だが、少年の気持ちとは裏腹に、
少年は深い眠りに落ちた。
「───きよ。」
少年の意識が覚醒する頃、
すっかり朝日が昇っていた。
そして、頭の中に響くように
あの龍の声が聞こえた。
「童よ、起きよ。」
少年が目を開けると、
少年の顔の前に
龍の大きな牙が見えた。
「わっ!?」
少年は驚いて飛び起き、
銀の龍を見て更に困惑した。
だが、昨日のことを思い出して
やっと今の状況を確認できた。
「童、貴様はこの果てに
空を見ると言ったな。」
「はい。」
「では見せてやろう。
小さく力なき貴様に、
この世界の果てにあるものを。」
ゆっくりと龍は立ち上がり、
大きな咆哮を一つした。
大地にヒビが入り、雲が二つに割れ、
木々が揺れ、海が荒ぶった。
「では行くぞ。」
行くとはどこに、と
少年が言おうとしたが、
それよりも龍が早かった。
大きな爪で少年の後ろ襟を掴み、
銀の鱗で覆われた自らの背中に乗せたのだ。
少年が何かを言う暇もなく、
龍は翼をはためかせて地から足を離した。
龍は瞬く間に高度を上げ、
少年が下を見た時には既に、
少年がいた島は豆のようになっていた。
「目を閉じるなよ、童。」
銀の粒子を撒きながら、
龍は力強く飛んでいく。
龍の飛ぶ速度に比例して風圧が襲い、
思わず目を閉じてしまいそうになるが、
少年は顔を伏せながらも
なんとか目をこじ開けていた。
「見よ。」
やがて龍は速度を落とし、
その場所に留まった。
龍が呼びかけると少年は顔を上げ、
目の前に広がる景色に息を飲んだ。
「これが世界だ。」
どこまでも続く焼け野原。
しかしそれは野が焼けているのではなく、
大量の建物や車であった。
今もあちらこちらで黒煙が昇り、
人の死体が蟻のように転がっている。
焼けた鉄の匂いと
焦げた人の匂いが入り交じり、
鼻がもげそうな嫌な匂いがする。
「人間は愚かだ。
ただ少し知能があるだけの
下等生物の分際で、
自らが特別な存在であると
頑なに信じて認めない。
知能があるはずなのに争いを繰り返し、
自分より下の人間だけを
戦地へと向かわせる。
今や人間の住む世界に安寧の地などなく、
数万の人間だけが隠れ潜んでいる。
笑えるだろう?
少し前までは70億を超える人間が
この世界にいたというのに、
無意味で無駄で無謀な争いのせいで
価値ある人間さえ殺している。」
龍はそこで言葉を区切ると、
ホンの一瞬だけ悲しそうな表情をした。
「…翼を持たない貴様には、
本来このような世界を見ることなど
ありはしなかったが、
吾輩の主の遺言に従い、
貴様にはこの世界を救ってもらう。」
───これは、翼を持たない少年と、
銀色の龍が世界を救うための物語。
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