元天才選手の俺が同級生の女子野球部のコーチに!
辛抱強さ!
「美咲達の次の課題は三振を取らずに打たせていって。」
「一応そのつもりで投げるけど…。向こうが三振しても怒らないでよ?」
「そうならないように頭使って投げてきて。」
「んー?皐月と話し合ってみるね。」
少し難しい課題に聞こえるが、相手を追い込む前に打たせれば相手は三振しない。
打たせて取るピッチングならいくらでもやりようがあるが、三振をとったらダメとなると少しだけ難易度は上がる。
この指示で一番最初に気づかないといけないポイントが一つだけある。
それは美咲と対決する打者達は2巡目だということだ。
梨花のストレートを見てきて、MAXでも110km/hちょっとの美咲のストレートはかなり遅く見えるだろう。
逆にいえば相手はストレートの速さには目が慣れていても、変化球は今日一度も見ていない。
それを踏まえればストレートは空振りを奪いづらく、変化球にタイミングを合わせづらいだろう。
美咲は高校1年の女子のピッチャーの平均よりも、全てにおいて少しだけ優れている。
スタミナもコントロールも悪くないし、ストレートもそこそこ伸びてくる。
変化球もスライダー、カーブと一応フォークも使える。
中学時代にあれだけ弱くても、美咲が言うには大差負けをあまりしなかったらしい。
それはエースでキャプテンとして、引っ張ってきた美咲の辛抱強さのおかげだろう。
相手の尾仲さんもエースで4番でキャプテンをしているが、美咲とは性格もプレースタイルも違う。
どっちがいいかはチームによって違うのでなんとも言えないが、野球の上手くない選手をバックに投げた場合は美咲が負けているビジョンが思い浮かばなかった。
京都西は2番から始まる好打順だったが、梨花に対してあまりにも無力で抑えられていたので、普通のピッチャーに対してはどれくらい打てるかは分からなかった。
様子見なのか、初球はアウトコース気味のストレートから入ってきた。
ここまで梨花に物怖じしていた打線とは思えないくらいに強振してきた。
鋭い打球がセカンドの雪山を右側を襲っていた。
「沙依!!捕れるよ!」
「うおぉーー!」
打球反応は良くなかったが、持ち前の瞬発力を生かして、逆シングルでボールを掴んだ。
かのんがやるような逆シングルから、流れるように身体を反転させてのダイビングスロー。
そのプレーだけ見れば一流プレイヤーに見えなくもないが、そんなプレーをやったこともないで、送球は一塁ベンチに飛び込むような大暴投になってしまう。
「七瀬!ナイスカバー!」
最初から暴投をすると分かっていたのか、七瀬が全力でファーストのカバーに回っていた。
キャッチャーなのに雪山の送球に横っ飛びして、俺たちの前で砂埃を被っていた。
「こら!出来ないことをするんじゃない!!」
「ひぇ!ごめんッス!わざとじゃないッス!!」
送球があのまま一塁ベンチ入っていたら、ノーアウト2塁になっていた。
それを救った七瀬が雪山をすかさず注意していた。
「大丈夫大丈夫!沙依もナイスキャッチだったし、皐月もナイスカバーだったよ!」
1番怒りたいであろう美咲がにこやかに笑っていたので、七瀬もそれ以上は怒るつもりはないようだ。
「一塁ランナー足速そうだから盗塁警戒ね!ファーストとサードはバントも頭に入れてね!」
「ういッス!」
「オッケー!」
キャッチャーが指示を出す前に、美咲が自らマウンドで声を出していた。
一塁ランナーを警戒しつつ、ストライクゾーンで勝負していく。
カウント1-1から一塁ランナーがスタートを切ってきた。
「走ったよ!!」
その声を聞いて美咲は少し高めにボールを投げた。
バッターは一塁ランナーの盗塁をアシストするために力のないスイングで邪魔をする。
七瀬のキャッチャーとして、誰よりも優れている武器が発揮される場面が来た。
チームでも1.2を争う肩の強さで、1年生とは思えないほどの鋭いボールを2塁へ。
ショートの花田がノーバウンドで来たボールを、キャッチしてすぐさまタッチしに行く。
「アウトォー!」
「よっしゃ!ワンアウトー!」
七瀬は懇親のガッツポーズと同時に高らかにワンアウトを宣言していた。
「ナイスー!ワンアウトー!」
女子高校野球の試合で二塁盗塁をしっかりと刺したのを初めて見たかもしれない。
七瀬も自分の持ち味が出て、思わずガッツポーズをしてしまったんだろう。
この流れで抑えられると思っていたが、今度はセンターの凛が打球判断をミスして、センター前のヒットになってしまう。
凛は両手を合わせて美咲にごめんのジェスチャーをしていた。
大丈夫と言わんばかりに美咲は軽く手を振っていた。
ここで4番ピッチャーでキャプテンの尾仲さんと、3番ピッチャーでキャプテンの美咲の対決となった。
一塁ランナーはキャッチャーでそこまで足が速そうなタイプではなさそうだし、いまさっきの七瀬の強肩を見せられると盗塁はしづらい。
ランナーを背負っているが、実質ピッチャー対バッターの力比べになりそうだった。
マウンドの美咲はいつもよりも深めに帽子を被り直して、その表情はいつもの明るい美咲とは思えないものだった。
ガキィン!!
「ファール!!」
梨花のストレートのスピードに合わせてきていた尾仲さんだったが、美咲の気合いの入ったストレートに差し込まれていた。
「ファール!!ワンボールツーストライク!」
「くっそ!」
速球派でない美咲は、今日ストレートしか投げていない梨花よりも堂々とストレートで勝負していた。
少し前に測ったスピードよりも速い球を投げているんだろうが、今日投げた梨花の1番遅いストレートよりも遅いはずだ。
スピードだけが全てじゃないと言わんばかりに尾仲さんを押していく。
自分が明らかに押されていることを分かっているからこそ、尾仲さんは唇を噛んでイラついている。
押しているこの場面でも、一塁に素早い牽制を入れてランナーを一塁で釘付けにすることを忘れない。
守備が上手い美咲は、牽制もバント処理もフィールディングも白星の投手陣の中ではずば抜けて上手い。
梨花と海崎先輩が下手すぎるというのもあるが、細かいプレーでもきっちりとこなせるのが美咲というプレイヤーの長所だ。
1-2と追い込んでからの4球目。
ここまでストレートを意識させておいて、この試合初めてのフォークで勝負しに行った。
美咲のフォークはそこまでキレがある訳でもなく、スピードも出ないからこそバッターはバットに当てられる。
「サード!!ゲッツー!」
だからこそストレートを待っているバッターでも、バットに当てられてゴロを打ってしまうのだ。
代わったばかりの市ヶ谷はしっかりとボールをキャッチすると、セカンドの雪山に丁寧に送球。
雪山も市ヶ谷からの送球を落ち着いてキャッチして、滑り込んでくるランナーを避けながらファーストへ送球した。
「アウト!!スリーアウトチェンジ!」
「よしっ!咲も沙依も落ち着いたナイスプレー!」
軽くガッツポーズをしながら、市ヶ谷と雪山を褒めながらベンチへ戻ってきた。
ここまでチームメイトと心を通わせられる投手もそうはいない。
チームも美咲が投げると野手もリラックスして守れるし、チームにいい影響を与え続けられる。
「よしっ!この回も気合い入れていくぞー!」
「「おぉぉー!!」」
美咲が円陣の真ん中で声出しをしている。
この回は雪山から始まる攻撃で、意気揚々とバットを振りながら打席に向かっている。
雪山はかのんと同じフリースインガーだ。
積極的にスイングしに行って、極端に四球が少なく、初球から振りに行くのでバットコントロールがそこまで悪くなければ三振も少ない。
雪山はまだまだバットコントロールも良くないので、見逃すよりも空振りで追い込まれるパターンが多い。
マシン打撃では結構いい打撃をするようになってきたが、対人となると露骨に打撃力が落ちる。
原因はもう分かっているし、本人にも再三注意しているが、改善しそうな兆候が感じられない。
対人となると当たり前だが考えることが多くなる。
どのボールを狙うか、このカウントなら一球外してくるかもしれないなど。
そういうことはまだ考えなくていいから、打ちたい球を打てと言っているのに華麗に相手のリードを読んで、狙い済ましたような打撃をしたいんだろうか?
初球のカーブを豪快に空振りすると、変化球が苦手だと思われて、2球目も同じようなカーブを投げてきて、これはどうにかバットに当てるがファールになった。
手を出したくれたらラッキーくらいに投げてきた、ストライクから明らかなボールになるスライダーを3球目に選択してきた。
ボールになるスライダーまでもスイングしにいって、何やってんだと思っていたがバットの先っぽで拾い上げて、サードの後方にぽとりと落ちるヒットになった。
「やったッスよー!!」
「ナイスバッチー!」
「まぐれでもナイスー!!」
雪山は嬉しい公式戦初ヒットで一塁ベース上で大盛り上がりしていた。
一塁ランナーコーチをしている桔梗も、子供を見るような優しい顔をしながら祝福していた。
ここまではノーサインだったが、試しに雪山にサインを出すことにした。
『走れる時に走れ。』
雪山や花田などの初心者で足に自信がある選手には、盗塁のやり方をあらかじめ教えていた。
高校生レベルなら二塁盗塁くらい成功出来るのが普通だと言い続けてきた。
言ったことは事実だが、プレッシャーを掛けすぎたかなと今更どうしようもないことを考えていた。
「ねぇ。あのリード大丈夫?」
「え?あ、あれはやばくない?」
選手としてベンチ入りしているマネージャーに、サインを出した後に質問されていてグランドを見ていなかった。
マネージャーも俺も同時にグラントを見ると、頭を抱えたくなる光景が目に入ってきた。
「あの馬鹿…。」
とてつもないリードのデカさで、ピッチャーの尾仲さんもすぐに牽制すればよかったのに、多分雪山の無謀なリードに少し驚いているのかもしれない。
桔梗がなにやら雪山に指示しているみたいだが、その指示もやや遅かったみたいだ。
すぐに牽制を入れられ、慌てて戻ってくるはずの雪山がセカンドにスタートを切っていた。
あれだけ大きなリードは牽制をしてきた瞬間に、スタートを切るという常識的な野球をしてきた俺には分からなかった。
桔梗も謎のスタートを切った雪山を見て唖然としていた。
白星のベンチからすれば何やってんだという感じだが、相手からすれば盗塁しようとしてミスしたようにしか見えない。
スタートと言っていいのか分からないが、牽制してくる完璧なタイミングでセカンドへ走り出していた。
ファーストは慌ててセカンドに送球。
「いてぇ!!」
セカンドに投げた送球が背中に当たり、セカンドベース上で痛そうにしていた。
タイミング自体はギリギリだったので、一応盗塁成功という形にはなったが、また指導することが増えて指導者としては嬉しい限りだと思うことにした。
ホッとしたのもつかの間、8番の奈良原が初球のカーブを理想的なスイングで捉えた。
あまりにも完璧に捉えたので、高校から野球を初めた初心者とは思えないスイングに見えた。
「バックバックー!!」
鋭い打球は尾仲さんが出したグラブにたまたま入ってしまった。
確実にヒットだと思ったが、これは奈良原にとってはアンラッキーになってしまった。
それよりもアンラッキーになのは、雪山が飛び出していてダブルプレーになった。
このダブルプレーで勢いがなくなったのか、今日初打席の花田も簡単追い込まれるとインコースにズバッとくるストレートに見逃し三振。
5回裏の白星の守備はまたも少しバタバタしてしまう。
梨花の時はほとんど前にボールが飛ばなかったから分からなかったが、初心者で固められた内野陣の守備は見てて危なかしい。
それでも美咲は粘り強く投げて、エラーと内野安打でランナーを出しながらも、予定されていた2回を無失点で抑えきった。
「ふぅー。久しぶりに公式戦で投げたけど、疲れるねぇ。」
「お疲れ様。なに年寄りくさいこと言ってんだ?」
「だって中学生以来だし、高校ではピッチャーしないと思ってたし。」
「そうかな?美咲は悪くない投手だと思うけど。」
「西さんがいるからね。ピッチャー諦めたわけじゃないけど、チャンスがあればいつでも登板するからね。」
美咲は高校に入ってからはほぼ内野手としてプレーしている。
俺もキャッチャーが本職で、ピッチャーとしての能力もずば抜けていたのでピッチャーをやっていた。
野球の中心なのは間違いなくピッチャーで、美咲もピッチャーを簡単には諦められないみたいだ。
絶対に勝ちたいという執念を持っているからこそ、ピッチャーを今は諦めてチームが勝つ為に野手として練習しているんだろう。
「美咲が投手を諦めなければ、エースを掴める可能性だって残ってるよ。」
「あはは。どうだろ?」
俺の言葉を本気に捉えていないのか、笑いながら他の選手の元へ行ってしまった。
6回表。
攻撃も残り2回になって、ここまでなんとか2-0で進んできたが、少しは監督らしいことをしてみようと思うのであった。
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