元天才選手の俺が同級生の女子野球部のコーチに!
VS光琳館②!
遠山先輩をベンチ裏まで連れて行き、日陰で横になっていた。
外野で倒れていた時はかなりふらついていたが、今は意識はしっかりしているので、今すぐに病院に行かないといけない訳ではなさそうだ。
「気分は悪くないですか?」
「うん。」
相変わらず口数の少ない遠山先輩だったが、いつもとあんまり変わらない感じで一先ず安心していた。
それでも少しだけ残念そうというか悔しそうな感じは伝わってきた。
野球部の顧問の教頭先生が遠山先輩を付きっきりで見てくれるらしい。
「凛、今日はもう試合には出れないから心配ならここにいてもいいよ。」
「え?ならもう少しだけここに居る。」
やっぱり怪我させてしまった遠山先輩の事が気になっているんだろう。
野球は接触プレーが他のスポーツよりは少ないし、チームメイトを怪我させる可能性のあるプレーはほぼ限られている。
たまたま凛が怪我させてしまったという形になったが、少し打球が凛寄りだったら凛がこうなっていた可能性は高い。
これが瀧上先輩だったらこんな事にはならなかっただろう。
お互いに一言声を掛ければ、防げたかもしれないプレーだけに後悔が残ってしまう形になってしまった。
「気にするなって言われても無理だろうけど、次はこんなことがないように練習あるのみだよ。」
「…………。」
手をギュッと握りしめて、泣くのを堪えているような感じだった。
ここに長居してても凛のことを慰めることしか出来ないし、今必死にプレーしている選手たちを見届けるためにベンチに戻ることにした。
「凛。気にしないで。私が下手だっただけだから。」
「そんなことないです!凛こそ本当にごめんなさい…。」
「もっとたくさん練習しようね。」
俺が立ち去ったことを見計らってなのか、遠山先輩が凛に声を掛けていた。
ベンチの中に戻る一瞬だけ凛を見たが、心が折れたわけでは無さそうで安心した。
ベンチ裏にいたのは時間にすれば5分も経ってないくらいだろう。
その間に2塁にいたはずのランナーが3塁へ進んでいた。
「遠山は大丈夫そう?」
「意識はハッキリしてますし、教頭先生もいますし大丈夫だと思います。」
「2球目のストレートを手堅く送りバントでランナー3塁に進められたね。」
勝っているこの場面で5番に送りバントは悪い作戦ではない。
明らかに浮き足立っている白星に対して、アウト1つ献上するのもやや消極的にも思えた。
グランド全体を眺めると、一際大きな声でチームに元気を入れようと夏実が絶えず声を出し続けていた。
それにしてもあの声量と声の響き方には驚かされる。
ガヤガヤしている球場の中でも、その喧騒を突き抜けて聞こえてくる夏実の声が守っている選手に届けばいいが…。
チームを立て直そうと夏実が声を出しているが、チーム自体がいい方向に向かっているようには全く見えなかった。
だからこそ一際俺の目に映ったのは、マウンドで一切表情を変えずに立っていた梨花の姿だった。
いいのか悪いのか分からないが、梨花はチームが盛り上がってるからといって、自分から混ざることもない。
周りのチームメイトからすれば、色々と思うところはあるだろうが、機嫌が悪いからといって人や物に当たることもほぼなかった。
一匹狼的な性格がこの場面ではいい方に作用している。
今、周りが悪い流れに右往左往している中で、梨花はいつもとなにも変わらないどころか、普段よりも集中しているようにも見える。
バシィ!!
「ストライク!!」
スクイズの可能性がある場面で、初球から今日1番のスピードのストレートを投げていた。
3塁ランナーを鋭い目付きで牽制しつつ、すぐさま2球目を投げた。
梨花がホームに投げるのを確認した瞬間、3塁ランナーはホームへ突っ込んできた。
光琳館は2球目にスクイズをしてきた。
3塁ランナーはスクイズを出来るだけバレないように、梨花の視線がホームに完全に移ったのを確認してからスタートしてきた。
七瀬はスクイズが来る可能性を分かっていながらも、ウエストボールを投げずに打者勝負をしてきた。
梨花は投げる少し手前で、バッターがバントの構えをしてきて、スクイズしてくることに気づいた。
器用な投手ならそこから大きく外すことも出来るだろうが、梨花はボールを挟んでいた。
ストレートなら高めに外すことも出来たかもしれない。
選んだのはスプリットで高めに投げづらいボールだった。
指からボールが離れた瞬間、明らかに低いと分かるボール球になった。
ホームベースの手前で鋭く落ちて、スプリットはワンバウンドになった。
バッターはワンバウンドしたボールを必死にバントしにいった。
ボールはフェアグランドに転がることなく、七瀬も必死にボールを逸らすまいと身体で止めにいった。
ボールは逸らさなかったが、やや大きく前方にボールを弾いていた。
スクイズ失敗したのが分かった3塁ランナーは慌てて3塁へ戻る。
七瀬は前に弾いたボールを拾い上げ、鋭い送球でランナーを刺しにいく。
「アウトォ!!」
「よしっ!」
七瀬はアウトコールを聞くと右手で軽くガッツポーズをしていた。
喜ぶ七瀬と対照的だったのがマウンド上の梨花だった。
ピンチを脱しても表情を変えることなく、サードを守っている進藤先輩にボールを返すように要求していた。
「ツーアウト!!しっかり守っていくぞー!!」
外野から守備についている全員に向かって、いち早く声を出していたのは夏実だった。
ややバラバラながらもその声につられ、全員がアウトカウントを近くの選手に声掛けしている。
スクイズに失敗して、カウントも追い込まれたバッターに、梨花の球が打てるわけがなかった。
遊び球を使わず3球勝負でスプリットをきっちりと投げ込み、バッターは為す術もなくバットは空を切っていた。
白星も結果的には三者凡退で3回の守備を切り抜けた。
「西、ナイスピッチ!」
「どーも。」
先輩から賞賛の声を受けても相変わらずの態度で、マウンドからゆっくりとベンチに戻ってきた。
ベンチでは柳生がタオルとスポーツドリンクを持って梨花を労ってた。
「美咲、あんまり気負い過ぎずに打てばいいから。」
「えへへ。気合いバッチリ過ぎたのバレちゃった?」
美咲はこういう場面は慣れているという感じだった。
その代わりに、自分がどうにかしないとという気持ちが痛いほど伝わってきた。
気負っていたのが図星だったのか、美咲には珍しく苦笑いをして打席に向かっていった。
程よく力が抜けた美咲だったが、Hスライダーを引っ掛けてサードゴロに打ち取られた。
梨花がバッターボックスに入るが、美咲とは真逆で力が抜けすぎているようにも見えた。
梨花が打席に立つ時はいつもこんな感じだ。
それでも打者としても、適度に結果を残すところに野球センスを感じられる。
この打席はストレート、カーブを2球連続で当たり損ねのファールでツーストライク。
3球目はインコースへかなり厳しいストレートを投げ込んできた。
このボールが梨花の太ももに当たってしまった。
それでも何食わぬ顔でデットボールで一塁へゆっくりと歩いていた。
コールドスプレーで軽い処置をして、特にプレーにも支障がなさそうなのでプレーは再開された。
1打席目にヒットを打っている七瀬に打席が回ってきた。
特に監督からサインは出ていない。
この点差でワンアウト1塁で、打順が8番なら送りバントはほぼ考えられない。
続く9番の夏実は公式戦初打席で、ネクストバッターサークルから緊張感がこちらの方まで伝わってくる。
氷を代打に出すことも考えているだろうけど、七瀬の打席に長打が出れば、間違いなく夏実に代わって氷が打席に立つだろう。
そんなことを考える必要はなかった。
初球のHスライダーを引っ掛けて中途半端なサードゴロで、そのまま5-4-3のゲッツーになってしまった。
この回もランナーを出しつつも、この試合2度目のゲッツーでスリーアウトチェンジ。
これは流れが悪いのもあるが、アウトカウントの巡りもよくない。
3回も4回もノーアウトランナー無しならバントという戦法も考えられるし、じっくりと攻めることも出来た。
どちらもヒッティングを選択してゲッツー。
剣崎先輩のゲッツーはあれは不運だったから例外だ。
ゲッツーを打った七瀬はベンチの前で、キャッチャーの防具を着けていた。
その視線の先には先程デットボールを受けた梨花が、足の状態を気にしながら投球練習をしていた。
左足の太ももの裏辺りで、デットボールの中でも比較的痛くない所ではある。
それでもちょっとしたことから調子を崩す投手も多い。
元々投手しかやりたくないタイプだからこそ、打撃から調子を狂わさる可能性もある。
投球練習を見る限り、俺も監督も七瀬も問題ないと判断した。
七瀬の代わりにボールを受けていた柳生に一声掛けたが、いつも通りだったとお墨付きももらった。
4回は7番の中渡瀬さんからの攻撃で、その初球に先程当てられた借りを返すように、中渡瀬さんの背中にぶつけた。
相手チームから少し野次がマウンドの梨花に飛ばされていた。
当てられた中渡瀬さんもムッとした表情で梨花の方を睨んでいた。
日本では帽子を脱いで打者に謝るが、梨花は帽子を取らずに七瀬にボールを要求していた。
その態度が梨花が報復で当てたと思わせる原因になっている。
確かに七瀬はインコース要求していたけど、それが報復のサインとは思えなかった。
わざとだろうがわざとじゃなかろうが、それは投げた梨花にしか分からないことだった。
ノーアウトランナー1塁で相手は当たり前のようにバントの構え。
バッテリーはバントのしづらい高めのストレートで勝負しにいった。
8番のバントはバットの芯に当たり、ダッシュでバント処理しにきた梨花が捕ったと同時に2塁へ送球。
ショートの大湊先輩がボールをキャッチしつつ、セカンドベースを踏んで一塁へ送球。
桔梗が柔らかい体を伸ばしてしっかりとキャッチ。
ファーストはギリギリのタイミングになったが、光琳館はこの試合2回目のバント失敗でバントゲッツー。
デットボールから約1分ちょっとでツーアウトランナー無しになった。
勢いそのままに9番バッターをスプリットで空振り三振を奪った。
この試合12個のアウトのうち6個を三振を取り、アウトを重ねている。
この回は6球という少ない球数で終わらせることが出来た。
梨花はかなりスタミナのある方だと思う。
それでもこの試合で気になることが1つだけあった。
4回を終えての梨花の投球内容はというと…。
回安振四死失責 球数
4463133 69球
69球の内26球がスプリット。
いつもならスプリットの割合が15%〜20%の梨花にしては、この試合はスプリットを投げすぎている感じがする。
いくら挟み込む力が強い梨花でも段々握力が落ちてしまって、失投出来ない場面でど真ん中に落ちないスプリットを投げ込む可能性もある。
今日26球投げているスプリットをバットに当てられたのは3.4球ほどしかなかった。
ここまでスプリットが効果的に決まっているのは、多分相手の投手陣のせいの可能性がある。
今投げてる中渡瀬さんもそうだし、昨日投げていたエースもどちらもフォーク系のボールを投げていた。
しかし、どちらも縦に落ちてるっていうレベルのフォークだった。
そのフォークを打つ練習をしていたとしたら、梨花の本物のスプリットとの違いに反応出来ていない原因になっているかもしれない。
「七瀬。スプリット少し投げさせ過ぎかも。今はいいけど、更に回が進んだ時にスプリット使えなくなるかもしれない。」
「わかった。ちょっと気をつけてみる。」
簡単にアドバイスして、いつもの席に戻ろうとすると、打席に向かっていたはずの夏実が俺のところに来た。
「あの!お願いがあるんですけど…。」
「ん?どうかした?」
「ストレートか変化球か東奈くんの予想でいいのでサイン出して欲しいんです!」
俺はここぞというタイミングか、相手の投げてくるボールを完璧に読み切っていないと、打者に狙って欲しい球種のサインは出さない。
「そうして欲しいのは分かったけど、なんで?」
「どうしても…。ランナーに出てチームの役に立ちたい。東奈くんが成長のためにあまり試合中に指示出さないのは分かってる!けど、どうしてもこの打席で結果を出したいの!今の私の実力じゃ普通に打っても厳しいと思う…。」
夏実の強い意志とその目を見ると、断るのに時間が掛かると思って仕方なく了承することにした。
「球種までは絞れないと思うけど、変化球が来ると思った時は変化球のサインを出すよ。」
「それで大丈夫!行ってくるね!」
最後はいつものニッコリとした顔をして打席に向かって行った。
俺は夏実の率直なお願いを断ることが出来なかったが、自分の実力で足りない所は俺に補ってもらおうとしている。
そこらへんの勝ちへの執念が見えるところが、俺が咄嗟に途中出場させた理由でもあった。
「手助けは出来るけど、打つか打てないかは自分次第だぞ。」
ー夏実視点ー
東奈くんがくれたチャンスをここで生かさないといけない。
本来なら氷が試合に出るべき所で、わざわざ名指して私のことを起用してくれた。
東奈くん自体は私に結果を求めている訳でないのはわかっていた。
流れが悪いのをわかっていて、実力とは別にチームの力になれそうな私が選ばれたんだろう。
そうだとしても、私もここでランナーに出て1人の選手として役に立ちたい。
バットをいつもよりもギュッと握り、バッターボックスへ。
今日の試合公式戦初打席の皐月ちゃんと美咲がヒットを打っていた。
今日はそういう初が生まれやすい日だと思って打席に立つことにした。
点差は3-1でまだ2点差で、回はもう終盤の始まりの5回表の先頭バッターが私。
ここでヒットを打てれば、上位打線に回って一点でも多く返さないと…。
キィン!
「ファール!ツーボールツーストライク!」
「はぁ…はぁ……。」
これが5球目のスライダー。
1度だけ球種を外しているだけで、ここまで東奈くんは相手のリードを読み切っている。
東奈くんの方を見るとサインはストレート。
ここまでなんの迷いもなく球種のサインを信じてきた。
それに5球目までストライクゾーンにストレートが来た時に、そのチャンスでファールにしてしまう私の実力の無さが悔しかった。
次のサインはストレート。
ここのストレートで絶対に打ってやる。
6球目。
盲信的にストレートだけを待っていた。
このボールで決着を付けようと、力が入りすぎていたのをバッテリーに読まれてしまっていた。
ピッチャーがカーブを投げてきた瞬間そう思ってしまった。
東奈くんはここまでキャッチャーがサインを出す前に、私にサインを出してくれていた。
だから、東奈くんが外したのではなく私が外させてしまった。
三振するわけにはいかないと体勢が崩れきっていても、バットだけには当てようと無理矢理スイングをした。
スイング後に無様にバッターボックスの中で転んでしまった。
ヘルメットが脱げて、ユニホームが一瞬にして土と石灰で汚れた。
「ファール!」
ユニホームの事なんて別にどうでもよかった。
審判のファールコールを聞いたら、打席の中で転んでいる恥ずかしい自分の姿なんて気にもならなかった。
いつも自分のスイングをすることを意識しろ。と教えてくれている東奈くんにはがっかりされるかもしれないけど。
「夏実ー!!ナイスファイト!!」
「次は打てるぞぉー!」
ベンチからはこんな私に声援を送ってきてくれている。
「打たないと…。」
脱げたヘルメットを被り直し、ユニホームの汚れは気合いの証と思い込んで、そのまま落とさずに打席に入り直した。
東奈くんのサインはまたストレート。
カーブに対してあの対応を見せて、ストレートを投げてくるようには思えなかったけど、東奈くんを信じるだけだ。
キャッチャーにバレないように軽く一息ついて、見た目だけでも落ち着いているように振舞おう。
『ストレートこい。ストレートこい!』
勝負の7球目。
本当に東奈くんのサイン通りにストレートが来た。
ストレートなら確実に打つ。
ここまでは打ち損じてきたけど、このストレートだけは必ずヒットにしてみせる。
あくまでもいつものバッティングを心掛けながら、強いスイングで高めのストレートを打ちに行く。
ブンッ!!
「ストライクバッターアウト!!」
ストレートが来たのは来た。
高めの釣り球で、自分の目線付近の高さのボール球に手が出てしまった。
普段なら見送れるはずの高めのボール球に釣られて三振なんて…。
「惜しかったね。あとは任せて。」
私たち1年生達が入ってきて、スタメン落ちしてしまった進藤先輩が声を掛けてくれた。
スタメン落ちしたからといって、私たち1年生に冷たくすることもなかったし、とても努力家で今日スタメンで結果も出している。
「頑張って下さい!」
「ふふ。ありがと。」
落ち込んでる顔をしたままで、下を向き続けてても仕方ない。
桜選手に声をかけると誰が見ても天使のような笑顔で笑いかけてくれた。
ベンチに戻ると監督もチームメイトもガッカリした表情もなく、よくやった。今度は打てると声を掛けてくれた。
責められないのはありがたいけど、だからこそどうしても打ちたいという気持ちが今でも強く残っている。
「惜しかったね。ストレートって分かってたから振っちゃった感じあるね。」
「うん…。球種当ててもらったのに打てなくてごめん…。」
「まぁ釣り球に手が出ちゃうのは分からなくはないけどね。それにしても、その前のあのカーブをファールにしたのはよかったよ。」
「ファールには出来たけど、ヒット打てなかったら意味無いよね…。」
「そんなことないけどね。一球でも多く投げさせることに意味もあるし、ヒットは出なくても今の打席は俺は悪くないと思う。」
「うん…。」
「ここで交代じゃないから、切り替えていこうね。心が折れたならすぐに交代するけどどうする?」
「大丈夫!守備は任せておいて!」
東奈くんはわざわざ氷じゃなくて私を試合に出してくれたのに、1打席打てなかっただけで落ち込んでる暇なんてない。
次の打席が回って来ることがあれば、最終回だからその時には代打を出されるかもしれないけど、そこまでは出来ることをやってチームの役に立つことだけを考えよう。
ー龍視点ー
夏実は残念ながら三振してしまったが、あの打席で転びながらもボールに食らいつく姿勢は、チームに気合いを入れ直した。
1番の進藤先輩はこの打席も慎重にボールを選んでいた。
可愛い顔に似合わないくらいの気合いが入っているが、あくまで冷静に打席に立っている。
カウント1-2からの4球目の真ん中低めのストレートをライト前に弾き返した。
遠山先輩と交代して今日初打席の瀧上先輩がバッターボックスへ。
瀧上先輩は性格的には大人しいが、打撃はかなりイケイケで初球からどんどん振っていくタイプだ。
この打席も多分狙い球が来れば初球からいきそうな感じだ。
俺が思った通り初球からスイングしにいった。
だが、本当に初球からいったのは一塁ランナーの進藤先輩の方だった。
瀧上先輩はアシストスイングしただけで、打つつもりはなかったようだ。
中渡瀬さんの牽制のパターンを読んでの、完璧なタイミングのスタートを切っていた。
キャッチャーは二塁に投げる素振りだけで、進藤先輩はいとも簡単に盗塁を成功させた。
進藤先輩は足の速さはチームでもそこそこのレベルでも、今の盗塁で走れるなら誰でもセーフになるだろう。
今の盗塁を見てチラチラと進藤先輩を気にしながらの2球目。
緩いカーブがやや高めに浮いてきた。
ほぼど真ん中のボールを見逃さずに強振しにいく。
打球はピッチャーの足元でワンバウンドして、センター前に勢いよく転がっていく。
二遊間は進藤先輩を気にしたのか、ややセンター寄りに守っていた。
センター前に抜けそうな打球をショートが、ギリギリグラブの先に引っ掛けるようにナイスキャッチ。
すぐに投げる体勢に入ろうとしたが、捕球体勢の時点で体のバランスを崩していたので、踏ん張れずにその場で転倒してしまった。
その隙に足の速い瀧上先輩は一塁を駆け抜け、二塁ランナーの進藤先輩も三塁へ到達していた。
ワンアウト1.3塁のチャンスで、打撃絶好調の大湊先輩へ打席が回ってきた。
バッテリーも相手の監督もどのシフトを敷くか迷っているようだった。
1打席目も2打席目もほぼ完璧に捉えている打者に対して、前進守備を敷くのは中々勇気が必要になる。
結局ゲッツーシフトよりの中間守備で、当たり損ねの打球で1点は仕方ないというシフトを敷いてきた。
流石に相手バッテリーも初球から勝負はしてこず、様子見のアウトコースのボール球から入ってきた。
2球目にはスプリットで空振りを取りにきた。
あわよくば内野正面のゴロでゲッツーという算段だったんだろう。
このボールに大湊先輩は反応してスイングするが、完全にストレート狙いのスイングで空振り。
「セーフ。」
瀧上先輩もピッチャーの癖を盗んで二塁へ盗塁していた。
これもキャッチャーは二塁に送球することが出来ず、三塁ランナーを目で牽制するだけだった。
これでランナー2.3塁に変わり、ゲッツーの心配はなくなった。
ここで出来ればヒット1本で同点。
内野ゴロでも外野フライでもいいから1点は返しておきたい。
1-1からの3球目に相手は1番得意のHスライダーを選択。
今日1番に近いアウトコース低めのギリギリストライクのいいボールを投げ込んできた。
わざわざこんな厳しいボールを打つ必要はないが、大湊先輩はスライダーを読んでいたのか、いつもよりもホームベース側に踏み込みながら打ちにいった。
あの厳しい球を完璧に捉えて、そのまま左中間方向へ流し打ち。
大湊先輩はそのつもりだったはず。
打球は角度が付かず中間守備のショートが1歩も動かずにキャッチ。
捉えたはずだったが、真芯で捉えすぎて打球が上がらなかった。
中渡瀬さんのこの試合1番のHスライダーが1枚上回って、打球を上がらせずにショートライナーで打ち取るという結果になったんだろう。
ツーアウト2.3塁のチャンスでチーム1の打者の桔梗に打席が回ってた。
明らかに不調の桔梗だが、ツーアウトのこの場面では確実にヒットを打たないと点が入らない。
逆に言えば、ツーアウトのこの場面で1本出れば同点に追いつける可能性は高い。
いつものルーティーンで打席に入っている桔梗からは、無駄な緊張も力も入ってないように見える。
中渡瀬さんはここまで82球を投げている。
この回も投球数も少ないわけではない。
気温も29度とそこまで涼しくなく、確実にスタミナは削られて疲れを感じているはずだ。
それでも彼女からは全くといっていいほど弱い心も見えないし、むしろこのピンチになって投げるボールの威力が更に増している。
それでも変化球を2球連続で、桔梗にしっかりと見極められてツーボール。
どれだけ調子が悪くても、これまでに培ってきた選球眼がここで桔梗のバッティングを支えていた。
どちらの変化球も手が出ててもおかしくなかった。
それでも手が出ないように見える人もいるかもしれないけど、今の2球は確実に見えている見逃し方だった。
「ボール!スリーボール!」
3球目はかなり力を込めてのストレートだったが、高めに浮いてスリーボールノーストライク。
キャッチャーは立ち上がらずに、大きく外に構えて桔梗との勝負を避けた。
ツーアウト満塁となって、1発が期待出来る剣崎先輩が睨みつけるように打席に入っていた。
俺がもし監督だったらここは代打に月成を起用していただろう。
月成のチャンスの強さはチームでも突出している。
公式戦の得点圏打率は2打数2安打で10割をマーク。
練習試合を含めると7打数6安打と約8割5分打っている。
この打席で打てるかは分からないが、かなり確率は高いと思っていた。
それでも監督は剣崎先輩を3打席目に送った。
確かにヒットは出てないが打席の内容は全然悪くないし、むしろ調子がいいまである。
だからこそ任せてチャンスに向かわせたはず。
月成がいなければ、今日ベンチのかのんを代打に出すよりも剣崎先輩に任せていたかもしれない。
積極的な剣崎先輩がこの打席は慎重にボールを選んでいた。
相手バッテリーも四球を出せない場面ながらも、剣崎先輩の狙い球を避けつつカウントを稼いでいった。
カウント2-2。
ここまで1度もスイングをせず真剣にボールを見ている。
スライダーをストライク、ストレートボール、スプリットボール、カーブストライクで来ている。
安全に勝負したいならスプリット。
低めからきっちりと落とせば、スイングしてきても簡単にはヒットにはされない。
ストレートは剣崎先輩に待たれている可能性は高い。
1打席目はスライダーを引っ掛けてサードゴロ、2打席目はストレートを捉えられていた。
ここまでストレートは1球投げているが、ボールだったから狙っているかは分からない。
スライダー、カーブには全く反応しなかったので、そのボールを狙っていない可能性は高い。
一貫してストレートを狙ってるようにも見えるが、ここでストレート勝負するのは全然ありだと俺は思っていた。
狙っているのにどうやって?
この回のことを思い出せばやれる事が1つある。
ストレート狙いを逆手にとっての高めの釣り球のストレートを振らせる。
高めのストレートは確かに危ないボールではある。
それでも高さを間違えなければ、かなり強力なボールにもなる。
5球目。
ピッチャーが足を上げて投げるほんの少し前に、低めに構えていたキャッチャーが中腰になって高めを要求。
夏実に投げたボールよりも低いが、バッターの目線からすれば打てないほどじゃないストレートが来ているはず。
剣崎先輩はストレートを待っていた。
相手の高めの釣り球に反応して、いつもの豪快なスイングでボールを引っ張叩いた。
カキイィーン!!
綺麗な打球音と共にセンター方向に高々と打球は舞い上がった。
スーパーファインプレーをしたセンターが半身になりながら、懸命にボールを追っている。
「よっしゃぁ!!!」
球場に響き渡る気合いの入った雄叫びを上げたのは、ピッチャーの中渡瀬さんだった。
高めの威力のあるストレートを捉えたが、ボールゾーンの球をセンターバックスクリーンまで女子選手が運ぶのは無理だった。
センターは釣り球を要求することを分かっていて、やや後ろのポジションで守っていた。
一瞬抜けると思ったが、俺が観戦した試合ではここまでセンターの守備が上手いことに気づけなかった。
センターはあっさりと打球に追いつくと軽くガッツポーズをしながら、ベンチの選手たちから手荒い歓迎を受けていた。
ここのチャンスでも1本が出ず。無得点に終わった白星のベンチのムードはまたどん底に落ちてしまった。
このままだと守備に悪影響が出るのはわかっていたが、元気に声を出している美咲や夏実の声も届いていなかった。
それでも今日2四球を選んでいる光琳館の1番バッターを、またもやスプリットで空振り三振に取った。
続く2番にはストレートで打ち取ったが、ライトの剣崎先輩が打球判断を間違って、ライト前ヒットになってしまった。
七瀬は俺の忠告をほぼ無視して、初球からスプリットをガンガン要求していた。
そのスプリットを弾いて、一塁ランナーは悠々と二塁へ進塁。
3番には執拗にスプリットを投げ込んで、勝負球はインコースのストレートを詰まらせて、ボテボテのファーストゴロに抑えた。
これが進塁打になり、ツーアウト3塁でここまで2安打している4番との対決になった。
ここでもバッテリーはスプリット中心の配球で勝負していた。
梨花は基本的に首を振れというサイン以外はサインに首を振ることがない。
気に食わないなら首を振ってもいいけど、キャッチャーを信用しているのか、言われた通りに投げればいいと思っているのかは分からない。
ストレートとスプリットだけだから、首を振る必要ないと言われると何も言い返せないけど、それでも投げたいボールがあれば意志を見せてもいい気もする。
俺のちょっとした不満も届くはずもなく、ファールを打たせながらカウントを整えていく。
相手の4番は他のバッターが手も足も出ないスプリットに反応して、スイングを崩さずにバットに当ててくる。
梨花も今のボールで84球目で、ワンボールツーストライクと追い込んだ。
そこから2球連続でスプリットをファールにされ、一旦帽子を脱いで汗を拭いながら軽く息を深呼吸している。
この試合初めて見せるほんの少しの疲れ。
セットポジションに入って、もう一度息をついてから大きく足を上げて投げたボールは…。
カキィン!!
剣崎先輩を打ち取ったと同じ高めの威力のあるストレート。
釣り球を打たせて、高々と上がった打球をすぐに振り返らずに、先程と同様に一息ついてから振り返った。
セカンドの美咲がボールを捕球した瞬間に振り返り、軽くグラブを叩きながらベンチにゆっくりと戻ってきた。
梨花以外はみんなダッシュで戻ってきているので、梨花を抜いていくタイミングでナイスピッチと声を掛けられている。
先輩でも1年生でも特に返事をすることもなく、あくまでもマイペースを貫いている。
「梨花。大丈夫?なんか大きく息をついてたけど。」
「ん?あぁ。気温が上がってきてちょっとあちぃと思ってただけ。」
「ちょっと俺の手を強く握ってみて?」
「はぁ…。これでいいじゃろ?」
握力は思ったよりも落ちていなさそうだ。
握力落ちていないのは確認出来たが、俺の中で何かが引っ掛かる。
「どこか怪我してない?」
「してないわ。打席の準備あるから後にしてや。」
怪我をしているなら、多分いまさっきの回の球は投げられないはずだけど…。
本当に疲れているだけなのか、スプリットの連投でどこかを痛めた可能性もある。
コーチとしてただ一息ついた梨花が気になっただけで、杞憂の可能性の方が高いと思ってそれ以上は何も言わなかった。
そして、残すところ攻撃は2回しかない。
今から1年生が続く打順になる。
それでも2点くらいは返せないと、九州大会に出ても通用しないだろう。
美咲が2打席目よりも鋭い目付きでバッターボックスへ向かっていった。
「スタメンに抜擢されたんだから絶対に打つ。」
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