元天才選手の俺が同級生の女子野球部のコーチに!
白星vs友愛⑥!
6回表。
打順は6.7.8の下位打線。
7番の木下さんには注意しておかないと彼女は思ったよりいいバッターだった。
予定通りマウンドには美咲が上がっている。
センターラインのセカンドショートが、ほぼ初心者の雪山、花田コンビなのは不安だけど、だからこそ投手美咲が上手くハマると俺は思っていた。
「聖美、沙依ー。無理なプレーせずに1つずつアウト取っていこうね!」
「「はーい!」」
普通なら野手が投手に声を掛けたりするものだけど、美咲は2人のことを気遣って積極的に声掛けをしている。
ずっと弱いチームの主将でエースをやってきただけのことはある。
美咲は中学生の頃から比べると大分投球フォームを改善してきている。
俺が美咲にアドバイスしたことは自分のプレーを客観的に見て、自分がどんな癖があるのか、長所短所を自分で見つけることが大切だと伝えた。
美咲はずっと小中とチームで一番上手い位置で野球をしてきて、他のメンバーに野球を教えることはあっても教えられることがあまりないと俺は思っていた。
そういう選手によくあるのが、自分のプレーをあまり見直さずに自分は完璧にできてると思い込むことがある。
美咲は確かにバランスのいい選手。
身体能力も高めで、投手としても野手としてもそこそこのレベルにある。
それでもそこそこの域を超えてこない。
だから自分で何が良くて何が悪いかを考えさせる為に、美咲のプレーをまとめた動画を作って、最低でも100回は見てそれをノートにまとめて俺に提出させる課題を出した。
美咲がノートにまとめてきた内容を毎回確認した。
俺もその動画を何度も見て美咲と同じくノートにポイントとしてまとめていた。
俺は実際に自分の目でも美咲のプレーを見てたし、動画も時間がある時に何度も見返した。
些細な癖や仕草まで覚えるほどに見てきたからこそ、俺のノートと比べると美咲のノートは内容がかなり薄く感じる。
答え合わせの為にノートを見せたりはしない。
全然関係ないことを書いてたら赤ペンで線を引く。
ちゃんと合っていたら丸を書く。
一通り確認が終われば美咲にノートを返して、美咲はその内容によって自分の改善すべき点を自ら見つけて、その都度俺にアドバイスを貰いに来るという形にしている。
美咲は野球のレベルは全体的に中級者になってきて、その次のステップに上がれずにいるという感じだ。
かのんや桔梗はその壁を越して、もう一つ二つ先の技術のところにいる。
初心者から抜け出すには俺は付きっきりで基礎を教え込む。
美咲も基礎的なことはかなりマスターしているが、まだ甘いところがあるからそこら辺はきっちりと教える。
俺が納得出来るレベルになれば、次は自分がどういうプレイヤーになれるかを考える時期になってくる。
そこからもっと上手くなるために練習をするが、そこで壁に大体の選手は当たる。
そのパターンになった選手には美咲と同じ方式で自分のプレーを見直させ、そこから自分の理解度を深めさせる予定で、その第1号が美咲なのだ。
長所を伸ばするのか、短所を修正するのかは自分で考えて決めさせる。
美咲は高校に入ってから長所を伸ばすよりは、少しずつ短所を修正していく方を選択した。
「よーし!しまっていくぞぉー!」
「「おぉーー!」」
キャッチャーじゃなく美咲が守っている野手陣に声掛けした。
美咲はマウンドに上がるといつもよりも深々と帽子を被って、帽子で影になって少し表情が分かりずらくなる。
投げる時はかなり真剣な表情になるせいか、雪山とか明るい美咲を知っている子達は密かに二重人格を疑っているらしい。
セットポジションでやや顔は下向きで表情がわかりずらく、投げるまではホームベースの方を見ずに投球モーションに入って、足を上げて前に踏み込む瞬間にやっとホームの方向を見る。
「ストライク!」
キャッチャーから返球されてボールを捕ってから、セットポジションに入るまでは守っているメンバーをチェックしたり声掛けしたりするが、セットポジションに入ると雰囲気が変わる。
「うしっ!」
美咲から投げる瞬間に気合いの乗った声が漏れている。
「ストライク!ストライクツー!」
今日の美咲は七瀬と真逆でコントロール抜群だ。
1球目アウト低めギリギリのストレート、2球目インコース低めギリギリのストレートであっさり追い込んだ。
「美咲!今日いいボール来てるよ!」
「えへへ。ありがとっ!」
柳生からお褒めの言葉とボールを返されてニコニコしながら軽く手を振っている。
美咲が登板すると内野陣が活気づくのが目に見えてわかる。
美咲が個別に声をかけたりして、気を使うからこそ周りも美咲を助けてあげないとという気持ちが伝わってくる。
「美咲!どんどん行くっスよー!」
「美咲ちゃん!ナイスボールだよー!」
ニコニコして軽く手を振っているが、セットポジションに入ると雰囲気が変わるから二重人格って呼ばれているのもわからなくはないけど、数人はこれくらい真剣にプレーすることを覚えて欲しい。
「ボール!」
美咲と柳生は2人ともかなり冷静だ。
みんなこれまで球数を使わない為にストライク勝負してきたが、しっかりとボール球を使ってきている。
ストライクからボールになるカーブ。
どうにかバットが止まり、カウント1-2でまだまだ投手有利なカウント。
4球目。
美咲が中学の時には投げていなかったカットボール。
1ヶ月前の公式戦で竹葉高校の右田さんが、投げていたカットボールの映像を食い入るように見ていた。
打つ為ではなく投げる為に技術を吸収しようとしていた。
しっかりとコントロールされていて、この前右田さん投げていたカットボールを上手くコピー出来ている。
流石に曲がりの大きさ、キレは遠く及ばないがカットボールとしてなら普通に通用するレベルだと思う。
やや高いがアウトコースギリギリに決まりそうなカットボール。
カキィン!
カットボールを打ち損じてセカンドゴロ。
よく野球の格言で代わった所にボールが飛ぶと言うがさっきの回も雪山に飛んだし、今は花田のところにセカンドゴロが飛んでいる。
「聖美!ゆっくりねー!」
花田はボールをしっかりとキャッチしてファーストに送球。
あんまり綺麗な形ではなかったけど、落ち着いてエラーせずにワンアウトを取った。
「ワンアウトー!聖美その調子でね!」
「オッケー!」
俺は一般生ながら地味な基礎練を文句も言わずやって、着実に野球の動きを覚えいく花田を見て凄く感動した。
その隣にいるショートの雪山は他人事のように花田を褒めているが、彼女には危機感が無いのだろうか…。
ここで好打者の7番の木下さん。
俺には少し気になることがあったけど、それに柳生が気づいてリード出来るか?
初球。
ど真ん中低めのカーブを選択してきた。
俺でもここはカーブがスライダー要求すると思う。
ブンッ!!
「ストライク!」
一、二打席目とも初球のストレートを打ってきていた。
もしかしたらストレート打つのが上手くて変化球が苦手なのか?
2球目はスライダー要求。
「ボール。」
いいコースから曲がるスライダーだったが、これは外れてカウント1-1。
これで分かった。
彼女は変化球を苦手にしている。
こういう時にするリードは変化球を投げておけばいいと思われがちだけど、実はそうではない。
変化球が苦手なのを分かって、変化球攻めしたら完全に変化球に的を絞って打ってくることが多い。
そういう時に使えるのがストレートだ。
ボール球でも打つのが得意なストレートなら少々強引でも振ってくるし、変化球待ちしていたら少なからずストレートに1テンポか2テンポくらいは遅れる。
だからこそ変化球攻めにストレートを差し込むことで逆に変化球を生かすことにもなる。
キイィン!
柳生はそれを理解しているのか、厳しいインコースのボール球にストレートを要求してきた。
今日コントロール抜群な美咲はしっかりと投げ込んできた。
流石にストレートに強いだけはある。
あんな厳しいコースでもきっちりと振り抜いて芯で捉えてくる。
それでもあのコースはインフィールドには飛ばせない。
「ファール!」
ここまでテンポよく追い込んだ。
野手もよく声が出てるし、とにかく今は雰囲気が良い。
友愛もベンチから応援なのか野次なのか分からないが声は出ている。
美咲はこの試合初めてのフォークを投げてきた。
これもかなりコントロールされている。
ストライクから少しだけボールになる厳しい球にバッターの木下さんは中途半端なスイング。
ボール球と気づいた時にはバットがかなり出ていた。
「スイング!ストライクバッターアウト!」
ハーフスイングで空振り三振。
「ツーアウト!ツーアウト!」
内野陣がボールを回している時に美咲は内野に声掛けして、それに合わせてみんなも声掛けしている。
「東奈!代打だ!」
「よろしくお願いしますっ!」
代打に中野さんという女子を代打に出てきた。
身長も体格も普通という感じで、練習を見ていて目を引くような所はなかったはずだけど…。
バシッ!
「よしっ!」
「ストライクツー!」
初球はカットボールを打たせてファール、今のボールはアウトコースギリギリに決まるストレートを見逃して簡単に追い込んだ。
美咲は本当に調子がいいのか下位打線とはいえ友愛高校のバッターを寄せつけていない。
美咲と柳生の相性がバッチリなのか、美咲がサインに合わせているのか首を1度も横に振らずにあっさりとサインを決める。
さっき三振を取ったフォークかと思ったが、やや低めのインコースのカットボール。
カキィン!
「レフトー!」
インコースのカットボールを上手く打ったが、芯を外されてなんでも無い打球がレフトの氷へ。
バシッ
「アウト!スリーアウトチェンジ!」
「よしよし!みんないい感じ!」
美咲は駆け足でベンチの前まで戻り、みんなが戻ってくるのを待って一人一人に一言声をかけている。
ピッチャーでも関係なく選手を気遣える美咲はキャプテンに相応しいと思う。
「美咲ちゃんナイスピッチ!三者凡退って初回以来だよー!」
「そうだっけ?けど今日調子よさげだし、この調子で最終回も期待しててねっ!」
「おぉー!美咲ちゃんがエースに見える!」
夏実と美咲はWキャプテンとして仲良さそうにしている。
2人は似たような性格をしているので、喧嘩のしようが無いという感じだ。
「夏実もこの打席ヒット打てば猛打賞だよっ!がんばー!」
「猛打賞かぁ。猛打賞とかした気がしないなぁ。」
2安打以上打つことをマルチヒット。
これは複数安打で使われる。
3安打以上を日本のプロ野球だけで猛打賞と言われる。
戦後から使われている言葉で、スポンサーから3安打以上打つと猛打賞という賞がもらえたらしく、今のプロ野球では現金で多少なり貰えると思う。
高校野球ではそんなことは無いが、なにかご褒美に甘いものでもあげて選手が喜ぶなら俺の小遣いを使って猛打賞デザートを作ろうか?
適当に頭の中で考えていたことだったが、結局猛打賞デザートはすぐに広まって定番化してしまうのであった。
この回も友愛のマウンドには樹林さんが上がっている。
彼女が投げられるボールはさっきの回だけで言うと、ストレートと変化の大きいカーブだけだ。
そして野手とは思えない位ストレートにノビを感じられる。
スピードもそこそこあるし、ストレートの質もいい。
一ノ瀬さんの右に左に落ちるストレートと、樹林さんの伸びるストレートを打つ的に、その差を修正しきれなかったんだろう。
「ボール!ツーボールワンストライク!」
夏実はここまで積極的にスイングしてきたが、この打席は樹林さんのボールをじっくりと観察している。
前の3人が抑えられた理由をちゃんと把握している?
夏実はスタメンとしてあまり試合には出れない代わりに俺や監督の近くにいて、話を聞いたり質問してきたりしている。
野球脳が成長している?
今日は俺が指示していなくても自分で正解にたどり着いている。
野球の腕がまだまだでもこれだけ野球を理解していたら、どうしたら最善のプレーが出来るかという答えにたどり着けているはずだ。
4球目はストレート。
カキィーン!
綺麗な打球音と共に3塁線へ強烈な当たりが飛んでいる。
サードの最上さんはすぐさま反応してダイビングキャッチ。
が、あと少しのところでボールに追い付けなかった。
完全に長打コースで夏実は早くも次の塁を狙うために走り出していた。
「ファール!!!」
「え!?」
「えー!」
「え…?」
2人のプレイヤーと1人の審判がほぼ同じ反応をした。
三塁塁審が高らかにファールコール。
打った夏実もフェアだと思って走り出しているし、捕れなかった最上さんもすぐに起き上がって次のプレーへ移行しようとしていた。
ホームから見ていた俺もさっき考えていた猛打賞デザートを、夏実にあげようかどうか考えた時にファールコール。
三塁塁審はこの回は雪山がやっている。
内心雪山なら仕方ないかと思ったが、打った夏美にとってはたまったもんじゃない。
逆に得したのは友愛の方で、最上さんもわざわざさっきのはフェアじゃないかとか聞いたりはしない。
際どい打球なのは間違いないが、さっきのはベース上を通った時はフェアゾーンにボールが残っていて、その後すぐにバウンドした時は確かにファールゾーンに落ちていた。
フェアゾーンでバウンドした打球がベース上を越した時に、フェアゾーンにボールがあるならその後にファールゾーンに転がってもフェアだ。
塁審が目の前の打球を見ているので、普通ならファールで納得出来るけど、近くで守っていた最上さんも打った夏実も主審の俺もフェアだと思っているということは多分フェアなんだろう。
「え?いまのファールッスよ!!」
「はいはい。ツーボールツーストライク。プレイ!」
1度ファールと言った打球をフェアと扱うのはかなり厳しい。
その打球をレフトが最速で処理してセカンドで刺す可能性もあるし、レフトが怠慢で三塁打になる可能性だってある。
夏実も気持ちを切り替えたのか、打ち気十分で打席で構えている。
樹林さんからは自信満々な雰囲気を感じられる。
もしかすると夏実を抑えられる絶対の自信があるのか?
ここまで投げていないボールを投げてくるつもりかもしれない。
「え!」
やっぱりきた。
ここでタイミングを外すチェンジアップ?いや、最近あまり見ないパームボールに近いかもしれない。
夏実はタイミングを外されて体勢を崩されてしまう。
一応バットを振りに行くが、ここまでタイミングを崩されてからファールにしたり打ち返したりする技術はまだ夏実にはない。
ゴンッ!
バットの先のプラスチックの部分に当たったのか変な音がしてサードの最上さんの元へ。
変な回転をしていたが、しっかりと最後までボールを見てグラブに入ったと同時に投げてる手に持ち替えてランニングスロー。
「アウト!!」
「うぅ…。さっきのヒット…。」
夏実は珍しく悔しそうにしている。
雪山を睨んだり怒ったりせずに打てなかったことを悔しがっているのはいいことだ。
1番に戻ってバッターは途中から出場している花田。
陸上出身で足も速く野球の上達も早いけど、流石に樹林さんの球を打つのは難しいと思う。
ここまで美咲、雪山、凛、夏実が連続で抑えられている。
樹林さんは元々投手なのか、今も投手として練習しているかは分からないが低いレベルの投手ではない。
ブンッ!
「ダメか。」
多分初心者というのがバレてカーブを連投してきた。
ストレートなら弾き返せる可能性もあるが、変化球を初心者が打つのは相当難易度が高い。
あっさりと花田は三振。
2番はここまで2安打している氷の打席。
一ノ瀬さんのことは完全に攻略していた感じするが、樹林さんに対してはどんな打席を見せるのか。
初球から氷は珍しく力強いスイングをしてきた。
カキィーン!!
「アウトォ!!」
「あれ?」
氷は初球のストレートを完璧のタイミングで打ったが、ほんのわずかの差なのだろうが、大きな打球をセンターがどうにか追いついてナイスキャッチされた。
「んーん?打ち損じた?がっくし。」
氷は今の打球に納得出来ないようで、見てわかるガックリした表情とトボトボとした歩き方でベンチへ戻って行った。
ホームランを狙ったとは思えないけど、氷の感覚でいえば今のは長打になっていたんだろう。
俺も現役の時に同じような感覚になった時がある。
ホームランと確信していたらフェンス手前で失速してアウトになることもあった。
芯で捉えて飛んでいく角度と音を手と耳は覚えている。
それと同じような感覚でもほんの僅かな差。
バットの上で捉えすぎて完全にボールに力を伝達出来ずに最後の最後で1.2mの伸びが足りずにアウトになる。
逆に言えば氷はその感覚を持っているレベルの打者で、チームにとってあの打撃能力は絶対に欠かせない選手というのがよく分かる打席だった。
「よーし!最終回しっかりと抑えていくぞー!」
「「よーし!!」」
最終回。
点差は7-6で白星が1点リードしていて、友愛高校は9.1.2番の打順。
今日の美咲は最近の中で最も調子がいい。
この回で1番気をつけないといけないのはとにかく3人で終わらせること。
1人でもランナーに出すと最上さんに打席が回るし、最上さんとの勝負を避けたとしても4番の樹林さんに打席に回る。
9番は途中交代でバットを振らなかった代打の長嶺さんがバッターボックスへ。
さっきはスイングしてこなかったが、今のコントロール抜群の美咲には、体が小さいだけで四球を取れるほど甘い投手ではない。
初球。
カーブをど真ん中よりやや低めのストライクゾーンに投げてきた。
長嶺さんはこのボールに反応せずにあっさりと見送った。
「ストライク!」
やっぱりあんまりスイングしてくる様子がない。
ここまでバットを振ってこないと何を狙っているのかの見当がつかない。
長嶺さんとして分かることは足が速いと思う。
一ノ瀬さんの代打で出てきて、センターを守ったいた選手が樹林さんの代わりにファースト、ファーストの樹林さんがピッチャー、空いたセンターに長嶺さんが入る形になった。
いまさっきの氷の打球も最初は抜けると思ったが、打球を追うスピードもいいスピードだったし打球判断もいい物を持っている。
続く2球目。
ここで長嶺さんは動いてきた。
俺は3塁の足の遅い円城寺を狙ってセフティーバントをしてくるかと思ったが、中途半端なスイングで打ち損じの打球がショート方向へ。
「沙依!落ち着いて!」
打ち損じた打球は守っている選手たちが1番飛んで欲しくないと思っている雪山の元へ。
ボテボテの打球を雪山は少しだけ待って捕ってすぐにファーストに投げようとした。
「早く投げて!!」
桔梗が雪山に大きな声でボールを要求していた。
俺は雪山がとんでもないエラーをしないようにじっとそっちを見ていたが、長嶺さんは俺が思ったよりも足が速かった。
あの中途半端なスイングは最初から内野安打を狙って、一塁に走り出しながら打つソフトボールに使われる走り打ちというやつだ。
確かあれはスラップ打法と呼ばていたはず。
塁間が狭いソフトボールだと内野安打が出やすい為、それに特化した打ち方だ。
野球にもいないことはないが、男子野球だとあんまり見た事がない。
女子野球にはたまにいるし、俺も何度かスカウトの時に見た事がある。
女子はやっぱり守備も男子と比べると劣るし、肩の強さが違うから内野安打も女子野球では多い。
内野ゴロを転がして足が速ければ場所によっては内野安打をもぎ取れるから有効だとは思う。
ソフトボールと違うことは変化球が多彩なのと、ボールが小さいから走りながらだとボールをミートするのが難しい点にあると思う。
今まさに目の前で走り打ちしてきて、守備の穴とほぼバレている雪山の前にボールを転がしてきた。
「足はやっ!!」
雪山が焦って投げている時にはもう遅い。
雪山は投げ方もまだしっかりしておらず、身体能力に任せて投げているからいいボールを投げることが出来ない。
急いで送球してややボールが逸れたが、桔梗が問題なくその送球を処理した。
「セーフ!!」
内野安打でランナーを出してしまった。
雪山のプレーは確かに最善ではなかったが、別に悪い訳でもなかった。
バウンドが合わないから少しボールを待って捕球しやすいバウンドでボールをキャッチしてからファーストへ送球。
雪山ならこのプレーは80点をあげられる。
美咲やかのんだったら不満が残るプレーにはなると思う。
「うぅ…。やっちゃったッス…。」
「気にしなくていいよ!今のはバッターが足速すぎただけだよ?私がショートでもアウトに出来なかったよ。」
「そうッスか?それならいいッス!」
美咲のフォローで元気よくショートのポジションに戻って行った。
夏実と美咲のキャプテンとの違いは美咲はフォローが上手で精神的支柱に近い役割で、夏実は的確な指示とそれをみんなに伝えられる声の良さとひたむきさにある。
近いようで試合中の役割は明確に違うと俺は思っている。
1番の犬山さんがバッターボックスへ。
美咲は犬山さんを抑えられるだろうか?
タイプ的に犬山さんは美咲のようなバランスのいい投手を得意にしていると思う。
バットコントロールに自信がある打者は基本的にどんなボールにも対応出来る。
打てないとしたら1級品の変化球やストレートは、いくらいいバットコンロールがあってもそれを上回ると打てない。
「よーし。打つぞぉ!」
バットをくるくる回しながら打席にやってきた犬山さん。
緊張してる様子もなく、負けているチームのバッターという感じもしない。
リラックスしているというよりも負けていることを気にしておらず、いつも通りという感じで打席に入ってきた。
美咲はランナーを気にしつつ、柳生のサインに首を振ってじっとセットポジション入った。
初球。
右田さんのコピーしてカットボールを投げてきた。
アウトコース低めにコントロールされたかなりいいボール。
「それそれ!」
カキィーン!
犬山さんはカットボールを狙っていたみたいだ。
完全にタイミングを合わされ、アウトコースのボールを逆らわずに三遊間へ。
円城寺は反応するが瞬発力が足りていないのか追いつきそうにない。
「うぉぉぉ!!!」
その打球にいいスピードで追いついてきたのここまで情けない守備をしてきた雪山だった。
逆シングルでボールをキャッチすると同時にぎごちない体勢でセカンドへ送球。
タイミングは際どいが…。
「アウト!!」
「ベース踏んでないっ!」
「あ?セ、セーフ!」
二塁塁審をしていた梨花が一瞬アウトコールをしたが、一塁ランナーの長嶺さんの申告でセーフに切りかえた。
「なんでッスか!嫌がらせッスか!!」
ファインプレーでチームを救ったと思ったら急にセーフコールに変えられて、いつもビビっている梨花に対して突っかかっていた。
「あ?嫌がらせでそんなことする訳ないじゃろうが。相手から言われてすぐ確認して、花田が体を伸ばしてたんじゃけど、足がベースから離れてたからセーフにしただけじゃ。」
「聖美ほんとに離れてたッスか?」
「うーん…。離れてるような離れてないような…。必死だったから分からない。」
「納得いかないッス!アウトって最初に言ったじゃないッスか!」
「気持ちは分かるんじゃけど、セーフはセーフじゃ。」
梨花もいつもビビってる雪山があれだけ詰めてきたのにびっくりしてるのか、いつもなら怒りそうな場面でも落ち着いて対処しようとしている。
「他の審判にも聞いて欲しいッス!!今のはウチのファインプレーだったッス!」
雪山がここまで自分のファインプレーを成立させようと必死なのに俺は驚いた。
カッコつけとは思っていたが、いつもは怖がってる梨花に突っかかるほどのことなのか?
それとも試合に勝つために必死なのか?
一応一塁塁審と三塁塁審に抗議したが2人ともそこまでは分からないと言っている。
梨花はベースから少しだけ離れていたことを少し遅れて気付いて、アウトコールから言い直してセーフコール。
これ自体は別におかしなことでは無い。
スライディングとか接触プレーによくあるが、タイミングがアウトでアウトコールをした後に、タッチした選手のグラブからボールが溢れていた場合はもちろんセーフ。
溢れているのに最初にアウトと言ったからという理由でセーフにならないというのは誰も納得出来ないだろう。
今回も同じことでタイミングはギリギリアウトで、梨花もそう思ったからアウトと宣告したが、ベースから足が離れていればセーフと言わざるおえない。
雪山がなぜここまで言ってるのかは分からないが、相手が離れていると言ってきて、それをそのまま受け入れてセーフにした梨花に怒っている可能性もある。
「雪山!流石に梨花がセーフコールに切り替えたのは、ちゃんと自分の目でセーフな理由があったからセーフにしたんやと思う。納得出来ないってのも分かるけど。」
俺はヒートアップしている雪山に説明をしたが、ほとんど意味がなかったようだ。
「一塁ランナーの異議をそのまま受けて入れてアウトにしたとしか思えないッス!嫌ってるウチの嫌がらせッスよ!」
「てめぇ。ふざけんなよ?」
ここまで大人しかった梨花がキレて雪山の胸ぐらを掴んだ。
「梨花!やめろ!」
俺は直ぐに2人を引き離した。
梨花は怒りが収まらないのか俺にも掴みかかってきた。
「梨花!落ち着いて。」
桔梗が梨花を後ろから抱きついて俺から引き離してくれた。
さすがに桔梗から抑えられた梨花は落ち着いたようだ。
「桔梗、もう大丈夫じゃ。離して。」
「本当に?」
心配するように梨花を離そうとしない桔梗だったが、正面から見ている俺は梨花が落ち着いたことに気づいた。
桔梗と目が合ったので軽く頷くと桔梗は梨花のことを離した。
「おい。雪山。ワシはお前のこと好きじゃねぇけど、嫌いって訳でもねぇよ。じゃけど、ワシが野球で仕返しすると思われた事は許さん。」
「ふん。口じゃなんとも言えるッスよ!わざわざアウトをセーフにするなんて陰湿ッス。」
雪山は全然納得いっていないようだ。
梨花は落ち着いたようだが、雪山の方は相当キレているみたいだ。
「はぁ…。お前さっきの回、江波のあの打球ファールにしたけど、あれフェアだったじゃろ?けど誰も何も言わなかったのはなんでか分かるか?」
「はぁ!?あれはファールだったッスよ?何言ってるんッスか?」
「雪山、あれは主審の俺が見てもフェアだったと思う。サードベースを越してすぐにファールゾーンとフェアゾーンでバウンドしたけど、サードベース上はフェアだった。」
「え?審判の前でファールになったらファールじゃないんッスか?」
「ちげぇよ。じゃけど、江波からしたらわざとファールにしたかもしれないじゃろ?何も言わなかったのはお前が審判だったからじゃ。審判に突っかかるってことは、花田の足が絶対に離れていないという確証があってやっとスタートラインじゃ。」
梨花の言っていることは正しい。
雪山がアウトがセーフになったことに納得出来ないまでは分かるけど、そこから先の絶対に足が離れていないというのは雪山のあの位置からは見えなかったはず。
感情論で突っかかってきたのかもしれないが、試合中どんな事があっても審判に対しては暴力、暴言は厳禁だ。
審判が絶対正しいとは思わないけど、審判が公平にジャッジしてるから野球は成立する。
間違いはあったとしても、それが好き嫌いとかの感情でアウトセーフが決まることはあってはならない。
「2人ともそこまで。」
「雪山、梨花はそういうタイプじゃないの分かるだろ。遠回しに嫌がらせとかしてこないよ。」
「梨花は梨花で胸ぐら掴んだりするのはよくない。同じチームメイトなんやから、出来るだけ話し合いしないとね。」
2人ともやっぱり納得できないようだ。
雪山は多分勘違いだろうが、今は梨花が嫌がらせしたとしか思えないんだろう。
梨花は普通通りにジャッジしていきなり意味わからない因縁を付けられているのだ、納得できないのもわかる。
梨花は雪山にはいつも冷たくて好きじゃないオーラが漂っていたから、ずっと雪山は梨花のことが怖かったり不満があったんだろう。
それがこういう形で爆発してしまった。
本当なら雪山がよくないとは俺もわかっているが、ここで雪山だけを叱ったりすると、この二人の関係も俺と雪山の関係も終わるような気がした。
いきなりの事で周りの選手たちは唖然としていた。
とりあえず雪山と梨花は頭を冷やせる為に雪山をベンチに下げた。
梨花は落ち着いていそうだったので、そのまま審判をしてもらうことにした。
「月成!いいとこに戻ってきた!ショート守ってくれ!」
「えぇ!揉めてたみたいだけどどうしたの?」
「それは後!とりあえずショート守って。」
困惑しつつもグラブを持ってショートの位置に駆け足で向かっている。
「いやッス!いまさっきのことは謝るッスけど、胸ぐら掴まれたウチが下がって、西さんが残るのは納得できないッス。」
どこまで頑固なんだ。
絶対にこのポジションは譲らないという固い意思を感じて、交代しに来た月成はただオドオドしてるだけだ。
「龍、ワシが代わる。月成が二塁塁審したらいいじゃろ。」
そういうと梨花はベンチに戻って行った。
月成はわけが分からないながらも、グラブを持ったまま置き去りにされて二塁塁審をやることになった。
「東奈くん、西さんと雪山は大丈夫?」
「うーん。落ち着いたらちゃんと話してみるよ。」
ノーアウトランナー1.2塁。
2番バッターが打席入ってきた。
チームの雰囲気はいい訳もなく、さっきまでの明るい雰囲気はぶっ壊れた。
「みーーんーーなーー!!試合中だぞーー!!試合のこと考えないなら交代しろぉぉぉ!!」
凄い通る声で大声で叫んでいるのはライトの夏実だった。
あまり厳しい事を言わないが、今の現状を変える為に相手のチームにも聞こえるように喝を入れた。
「そうだよ!!勝手にチームで揉めて友愛との試合を勝手にぶち壊す方がダメでしょ!!」
その言葉にハッとした美咲も内野陣に激をを飛ばす。
雪山は拗ねたままだが、他のチームメイト達は前を向いて試合にもう一度気持ちを入れ直した。
「プレイ!」
拗ねている雪山が気になったが、友愛のバッターがもう構えているのにこれ以上こちらの揉め事に付き合わせることは出来ない。
最後の最後で野球だけじゃない仲間同士の喧嘩というピンチに追い込まれたが、これを白星ベンチは乗り越えることが出来るのだろうか?
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