或る病院職員の生活とその後

りえぽち

或る病院職員の生活とその後

今日も大変だったなあ。。

わたしは病院の事務職員。
薬剤師の方の助手をやっています。
同じ病院で前は病棟クラークでした。

長く働くことを目指して、医療事務の勉強をして病院職員になりました。

ただ、病院って命に関わるからしんどいね。
小さな間違えが大きな事故の元になるから大変。

今日も、忙しくて処方を間違えて書いてしまって、確認してもらって発覚して怒られて。。

「いっつもじぶんは漏れがあんねん!」

「何度も言ってるでしょ!これで何回目なん?!」

だんだんみんなとも距離ができる。
ここはそんな職場。

仕事って厳しいよね。
がんばって良かったこともあるけど、コミュニケーション難しい。

「仕事はチームでやるの。バレーボールを乱す人はだめ!」

わかってるんやけどなあ。。
思ったように仕事するのは難しい。

「りーちゃん、大変やもんなあ。がんばろな。りーちゃんの顔見るとほっとするわ。」

終業してロッカー室でそんな言葉をかけてもらったこともある。

泣いたこともたくさんある。

話を聞いてもらったり、ご飯を食べて慰められたり。

ユニバに初めて行けたのもこの職場でがんばってたから。

仕事だけじゃ人生ないから、家には持ち帰ったらあかんよとか言ってくれる上司。

怒ってたけど、同僚の人にはなにかわたしが言ってなかったかとそっと聞いてたという上司。

みんなに心配されてたのかな。
こうやって考えると、怒られて凹んで、パニックになってるのかな。
落ち込んでるのかな。

朝起きるのがしんどかったり、休日寝込んだり。

休みの日は、映画をみたりその原作の本を買って読んでみたり。

音楽を聞きに行く日もあった。

気づけば10年くらいになる。

親には「りーはがんばったね。」
「みんなに感謝せんとあかんね。」

母や父にも安心して貰いたくてがんばってきた。

でもこんなに勤められたのは、みんなのおかげなのかな。

環境もあるのかな。

病棟勤務の頃、あるとき、急変した患者さんが出て、詰所は大騒ぎ。

「〇〇さん急変!」

モニターのアラームをバン!って止めて病室へ向かう看護師さん。

朝から急変したこともある。

帰る直前に熱発して、そこから先生に指示をもらったり。
気づいたら1時間経ってたり。

患者さんの最期にも、何回も立ち会った。

昨日はしゃべってた患者さんの声がもう聞けない。

元気になって、家に戻ったり、転院したりして退院していく患者さんもたくさん見送ってきた。
仲良くなった患者さんから折り紙で折ったかごをもらって今も大切にしてる。

できないことがあったり、間違えて落ち込んだり。。
うまくみんなと関われなくて悩んだり。。

でもこの病院のおかげで、生きれるし、人生勉強にもなってる。

薬局に移ってからは、仕事が違うけどやっぱり怒られて自分の心は重だるい。

死にたくなったこともある。

でも仕事するのは好きだった。

病院で働くのが、小さい子どもの頃の夢だった。

病院にかかって、そこで働いてる人たちを見て働きたいなと思ってた。

でも仕事は厳しい。

緊迫感があって心臓が苦しくなったこともある。

健康診断で心臓が少し弱いと教えてもらった。

血圧も下が90になってることがあり、危ないねって内科で診てもらってたこともある。

生理もたまに止まったり、遅れたり、量がいきなり減って、心配で婦人科にも行った。

心配ないよとはどちらも言われたけど、体重もふえてぽっちゃりした。

仕事を終えたらそこからは私的な時間で家に帰ったら、一時買い物してご飯の支度をしてた。

体調悪い母の代わりをしてた。

お母さんってすごいなあと思った。

いつも応援してくれる父と母。

最近は母が元気になり、作ってくれた
ご飯食べて、お風呂掃除してお風呂沸かして入ってしばらくしたらスマホをいじる。

日記をつけたりしてる。

働くのに少ししんどいけど、自信がでたかな。

プライベートの時間を大切に思うようになったのも、働きだしてからの変化。

ロッカーで休憩する時とか、着替えたりするとき、ほっとできるようにロッカーにいろんなもの置いてた。

ウォールポケットにシュシュとかヘアゴム好きなもの置いたり、ハミガキセットや櫛を置いたり。
夏は汗ふきシート置いたり。

春夏秋冬の変化も大切になりました。

季節と共に服装が変わっていって、今日は何着ようとか。
夏はサンダル履いたり、冬はマフラー付けたり。

彼氏ができたこともあったな。

結婚は難しかったけど、やさしくしてくれて大切な人だった。

こんな経験をしながら10年が流れた。

「りーにはいろんな人に会ってほしい。色々ごめん。」

そう言って、お別れして日々は流れていった。

職員の人とうまく行かなくて悩んでた時も、彼がいたときは話を聞いてもらったり、励まされたり。

職場が切迫した雰囲気の時はいつもプライベートが癒やしの時間だった。

のんびり好きなハーブティーを飲んで、スマホをみたり本を読んだり。

編み物するのも覚えた。

かぎ針編みを始めたら、下手なりに楽しくて、いろんな作品をたくさん作った。

仕事で疲れた体や心を編み物が癒やしてくれた。

仕事って、苦しいこともあるし、めまい持ちのうつ持ちなので薬のお世話にもなってる。

お薬飲むことで、暮らしていくのが少し楽になった。

主治医の先生もやさしい。

スタッフさんも良くしてくださる。

みんなやさしい世界。

のんびり生きれたらな。
いつもそう思う。

休みの日が大切に感じるのは働きだしてから。

前の事務の仕事で、心と体をストレスで壊してしまって、そこからくすりとは長年のおつきあい。


なんでわたしって弱いのかな。
働きたいけど、体や心が言うこと聞いてくれない。

ちょっとしたこと、怒られたことに動揺したり、寝れなくなる日もあった。

でも今日も無事に終わった。
なんかそれでもうホッとして帰る日々。

このまま、毎日が流れていくのかな。
慣れたところが良いから、続けたいんやけどな。

そんなことを考えて1年が過ぎていく。

1日、1週間、1ヶ月が過ぎていく。

わたしは仕事のことで、うまくいかなくてみんなとうまくいかないこともあった。

「上原(わたし)さんは自閉症ちゃうん?!まわりとコミュニケーションとれへんやん!!」

自閉症ではないけど。。。
病気に理解のある職場ではなくて。

「上原、自分薬局のみんなから総スカンくらっとーで!!」

仕事の出来具合が全てで、パートスタッフさんに嫌われる状態。

でも相手もできないことあるのに。。

できないこととかやってるのにお互いさまじゃないのかな。

詰所の上司は、
「あなたは思い込みで指示を取ってるのよ!」
「あー、イライラするわ!!」

冷たい言葉ばかり、無能だなあと思い知らされた。
睨まれ、怒鳴られ、それが毎日。

命がかかってるからとはいうけど、辛いなあ。

スタッフさん同士がケンカになったり、雰囲気悪かったり。。

仕事はたくさんあるから、ゼエゼエ喘息になりかけて。

一時、辞めさせられそうになったこともある。

医療に、向いてないと言われた。

あなたの心が壊れるよとか。

まだ2年くらいやっと経ったとこやったから、そんな。。。と思ってた。

色々なことがあって詰所の事務から薬局の事務になって8年位。

最初も薬局も大変で、お風呂に入れなくなった。

眠くてそのまま寝てしまって、早朝とか深夜に起きてシャワー浴びたり。

めまいが死ぬんじゃないかというぐらい、しんどく重くなって、めまい止め薬を増やされた。

めまいで上を向き続けて、帰ってきて倒れたこともある。

病院の仕事でそれだけストレス感じてたのかな。

自分の事務の仕事なんだけど。。

土曜日の昼まで仕事なので、土曜日は父が朝、送ってくれた。

車の中で、お前シゴトできとるんか?大丈夫なんか?貯金せんとあかんで。と心配されていた。

お給料手取りで14万くらいの事務職員。

奨学金とか携帯料金、将来心配で個人年金の支払いとか生活必需品のお買い物とかのカード払いとかでいろんなお金がかかるので、思った以上に実家で暮らしてるのにあかんなあと思った。

それに大阪に息抜きに行ったら、すぐお金なくなってしまう。
服もセール品とかUNIQLOとかしまむら。

奨学金はもうちょいで完済やからそれが終わったら少しは軽くなるかな。

個人年金の他にも積立貯金しててやっとそれが10万くらいになったとこ。

カードの関係でつみたてられた。

辞めたほうが良いのかな。
環境変えたほうが良いのかな。

思いながらも慣れたところが良いかなと、自分から辞めることはできなかった。

上司が変わったある日。
あと何ヶ月かで勤続10年になるころ。

新しい上司からもう面倒を見れないので辞めるように言われた。
総務の上司にも、異動が難しいとのことで、相談の上自己都合退職になった。

退職金が少し出るのと、少しボーナスが残ってたので、失業保険もらえば少しはゆっくり仕事探せるかなと承諾した。

有給休暇も使ってなかったので2ヶ月後に正式な退職になった。

簡単な引き継ぎをして、最終日にロッカーを片付けて、鍵を同僚の子に預けて荷物をまとめて帰りました。

みんなが揃う最後の日には、お花とお菓子をもらいましたが、ロッカーで最後にパートさんに低い声で睨まれてさようならと言われた。


ここまで仲良かった人とも関係が、壊れる怖いとこもある病院だった。

生活していかないといけないし、結婚も出来そうになかったし、みんながみんな怖いわけじゃなかったからいたけど。。

これからどうしようかなと思ったら、仕事に悩んでる人のための福祉施設のチラシが郵便受けに退職決まった日に入ってた。

体調が悪い人とか人とうまく関われない人のための施設みたい。

有休中になるし、仕事見つかるか不安やし、行ってみようかな。

勤務最終日に思い切ってメールを、送ってみた。
数日後、セミナー申込み了解のお返事。

当日、行って見るとやさしそうなスタッフさんが2人。
雨だから来ないかなとおもってたんですが。。
とのんびりされた方々。

資格でも取ってみようかって話になり、MOSのエキスパートを目指してみることに。
最初はスペシャリストの勉強を週2回お昼から。
スペシャリストは古いバージョンで持ってるけど、模擬試験で合格レベルになるのに3ヶ月かかりました。


一緒にがんばってた、おじいちゃんの利用者さんは週6来てる。
すごいなあと思った。

もうすぐ就職決まって卒業される。

女の子の利用者の子も元の職場に戻って、卒業された。

わたしは年明けから少しずつ就職活動する予定。

長く働きたいけど無理のない働きかたを考えているところで施設で相談しています。

うまくいくと良いな。

こんな10年です。
わたしみたいな人間もいます。

みんな人それぞれ生き方があるよね。
頑張れるかなと思って今日も生きます。

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