長い間透明であった旋風のような歌声

円窓般若桜

星を越えた簒奪

ⅩⅠ 星を越えた簒奪


アマノガワ銀河軍は装甲車で進軍した。
人口は少ないが面積は小さくはないノバラの市街地を何台もの装甲車が進撃する光景は異様だったが、それにもまして人が姿を消しもぬけの殻となった家屋や店舗やビルや公園の空虚さが非常事態を高らかに伝えていた。
「よくもまあ、ここまで」
ノバラの住民は老若男女すべてが冥王星軍の管制下にあり、隅々まで統制のきいた管理にレグルスが唸った。
「そういや、8000の人質ってどうなったんすかね?」
「はったり(ブラフ)だったってよ。配備を整えるための時間稼ぎさ」
「じゃあ、敵兵隊は26000ってこと?」
「そうなるな」
ミアプラキドスとベクルックスの疑問にプロキオンが答えた。
アマノガワ銀河軍は東西南北の砦を目指して一斉に出撃した。
先頭の装甲車に各梯団長が、縦列して各副梯団長が同車両に乗り込み、各兵士がそれに続いた。
「数は問題じゃないさ。敵はクリスタルと13人の幹部だ」
「さっさと終わらせて、地球に行くわよ」
車両前列のレグルスとベガが前方を向いたままそう言った。
「シャウラさんの報告かー。とんでもないっぽいっすね」
プロキオンの言葉に、「え?なになに?」とミアプラキドスとベクルックスが反応した。
「あー、お前ら祈り子と遊んでたから聞いてねんだな。地球の化け物な、とんでもねえんだって。何でも食って、食ったもん全部都合の良いように消化して変換して再構築すんだと」
「なにそれ、無敵じゃないっすか」
「しかもな、南極の氷を自由自在だそうだ。シャウラさんが言うには、まさに“シヴァ神”だってよ」
「シヴァ神?ヒンドゥーの?なんで氷でシヴァ神なの?」
「え?」「え?」
ベクルックスの問い掛けにプロキオンとレグルスが意外な声を出した。
「確かにシヴァ神って、絶対不変のブラフマンで世界のアートマンとされる主神っすけど、氷は関連ないっすよ?」
「え?」「え?」
振り返ったレグルスは、あからさまに「お前ら、マジか」という呆れた表情をしていた。
「シヴァっつったら氷の女神だろうが。これだから女ってのは」
呆れた表情のまま自信たっぷりにそう言ったレグルスはプロキオンと眼を合わせ同意を求めた。さも当然のようにプロキオンは腕組みをして大きく頷いた。
「はああ?シヴァは男性神っすよ」
「ヒンドゥーの女神なら、デーヴィとかパールヴァティでしょ」
「テレビゲームの話よ。ミア、ミモ、ほっときなさい。男は誰でも一度は夢中になるの。ガキなのよ」
反論するミアプラキドスとベクルックスを、車両前方を向いたままベガが窘(たしな)めた。ティエラアトランティスを通じてルナベーヌスにもたらされた、地球生まれのゲームソフトの世界観は幼少のルナベーヌスの男子をすべからく虜にし、ゲームの世界ではシヴァ神は美しい氷の女神として何度も登場した。
「まあ、なんでもいいっすけどー。それより地球にって、応援要請来たんすか?ベガ姉。ご指名っすか?」
「違うわよ、バカ。いまだかつてない化物を退治したってなったら、彼も認めざるを得ないでしょ。結局、星の血祭りじゃいっつも最後には手を抜かれるんだから」
ミアプラキドスの冷やかしに、ベガはぷりぷりとした口調でそう答えた。
「彼って、シリウスか?認めさせてどうするんだ?」
「子種を貰うのよ」
レグルスの質問に対するベガの思いがけない答えに、後部座席の3梯団長と運転手が一斉に吹き出した。装甲車は横に3列のシート揃えだった。
「ええー!?ベガ姉もシリウス様狙いっすか!?」
「いけません!ベガ様!ご自分を大切に!」
「はっはっは、お似合いだなー、すげえ子が生まれそう」
3人同時に発声する声は、前座席で大笑いをするレグルスには雛の鳴き声に聞こえ、
(こんなにはっきり言うヤツだったか?)
と疑って見たベガの横顔には、覚悟がありありと顕相していた。
「いーじゃない!わたしも、もう35なの!ぎりぎりなの!ミア!あんたみたいなお子ちゃま、相手にされるわけないじゃない!」
「お子ちゃまじゃないですー!ミアも、もう22ですー、しかも、ベガ姉よりぴちぴちっすから!だいたいベガ姉、結婚とか興味ないんじゃないんすかー、戦闘が恋人でしょー、はっ!そう言えば、ナナユウもシリウス様狙いっす」
「嘘っ!?」
「ほんとっす。“シリウスさんの子を生もうかな”って、吹っ切れた良い顔で言ってたっす」
「おのれ、小娘・・・。いーわ、ミア。多く敵を狩った方からアタックする約束にしましょ。戦闘に参加しない小娘は一番最後ね。当然、わたしが一番になるから、わたしがアタックするまで、あんたら待機だから。小娘の首輪きつくしときなさい。いい?約束よ?もちろん、勝負だからあんたらの分もわたし、横取りするから、そこは恨みっこなしね」
「望むところっす!」
ベガとミアプラキドスのやり取りに、プロキオンが腹を抱えて大笑いを続け、尊敬する上司の乙女全開にベクルックスが頭を抱えぶつぶつと下を向いた。
「アタックって古いな、お前ら」
やり取りの最中も表情から消えないベガの覚悟から、この戦争の難しさ、もしかしたら死ぬかもしれない、命が最後になるかもしれないという予感が伝わり、勝負という名目でベガは3人の若い梯団長を守ろうともしているのだろうとレグルスは感じた。
「やれやれ。バツイチやもめがモテモテだねえ」
そう呟くレグルスの視界に、市民病院と酒蔵の間の道路をバリケード封鎖した南砦が見えてきた。

             §

「おでましだ」
バリケード封鎖した哨所がよく見渡せる市民病院の院長室から、ぞくぞくと集結するアマノガワ銀河軍の紋章が輝く装甲車を見据えてエクスカリバーが言った。手には先端と中腹にクリスタルを嵌め込んだ刃の広い剣を握っていた。
「ゲイボルグが行ったよ。気の早い奴だ。ほら見ろ、早速だ。従えてんのは、ありゃ、ベヒモスにモルボル、ゴブリン、アダマンタイマイ、ボムか。お手並み拝見だな」
院長室の厚みのある檜(ひのき)の机に腰かけて眼下を眺めながらレーヴァテインが応えた。檜の机には両刃のブーメラン型の武器が置かれ、持ち手となる中央の柄には2個のクリスタルが嵌められていた。
「相手は・・おお、第5だ。それに第21、第8、第30、第19か。大当たりだな」
アマノガワ銀河軍の梯団長の名と顔はルナベーヌス全土によく知れ渡っていた。
「やはり、局地戦に乗ってきたな。宝玉(クリスタル)を犠牲にして殺しまくった甲斐があったってもんだ」
アンタレス隊と対峙し、クリスタルを酷使して撃破した結果を指してレーヴァテインは言った。
「おかげで12個もおしゃかになっちまったけどな。クソ、貴重なのによ」
「首尾は上々さ。思った通り、兵隊は備えだ。クリスタルの特質は大規模攻撃と大量破壊にあるって刷り込みが効いたのさ。銀河軍の規模で総力戦をやられたら、流石に保たねえよ。おっ、始まるな。はは、バリケードの意味ねえじゃねえか」
檜の机から腰を上げてレーヴァテインは、砦のバリケード封鎖をわざわざ開放する友軍の兵隊を眺めた。
ゲイボルグの指示で開放されたバリケードを、先に名前を挙げたクリスタル持ちの5人の百人隊長が、バリケードの前で整列して様子を窺う5人の梯団長の前に躍り出た。
アイテルとヘメレがコスモフレアに気づかれない様こそこそと持ち出したクリスタルで扱いの訓練はすでに十分に積んでいた百人隊長たちは、クリスタルの有する破壊力と研鑽の成果を自負し、居並ぶアマノガワ銀河軍梯団長にも強気の態度を示した。
ノバラ冥王星軍の中隊を成すクリスタル持ちの隊長を中心にした百人部隊は、市庁舎周りに60隊、南砦に40隊、東西北砦に20隊ずつ配備されていた。バリケードの前に出た5人の百人隊長の後ろには、35人の隊長たちがクリスタル武器を手に待ち構えているのが市民病院の上階からはよく見て取れた。
「副梯団長から来ると思ったが、いきなり梯団長か。奴らも本気だな」
「こっちだって捨て身さ。あの姿がその化身だ。勇ましい、勇者の姿だ」
エクスカリバーの感想に、レーヴァテインは戦争に臨む百人隊長たちを指して言った。
クリスタルを扱う訓練は彼らの細胞に影響した。純血の幹部たちとは違い、ルナベーヌスとの混血である彼らの細胞は高出力で発するクリスタルの放射線に耐え切れなかった。コスモフレアの祈り子が鎮魂舞の演出効果に使用する被爆時間とはまるで段違いの放射線量は彼らの細胞を破壊し、冥王星の遺伝子がそうさせたのか、前例のない方法で新たに作り変えた。
その姿かたちは、2つの星の尺度からしても、異形だった。
異常に筋肉の肥大した者、角の生えた者、すべての体毛が角質化した者、白目が深紅に変化した者、四肢が複数になった者、背骨がダイアモンド化した者、皮膚に鉄の鱗が生えた者、中には神話に登場する怪物の具現とも呼べる姿の者もあった。
フラガラッハは彼らを称賛した。その異形を、「覇を成す英雄の姿だ」、そう褒め称え百人隊長の証として勲章を与えた。勲章は勝利後の地位を約束する手形だった。
ノバラ冥王星軍の兵士たちも、人間の限界から逸脱し突破したかに映るその異形に、頼もしさと勇敢を覚え皆が憧れを抱いた。
しかしその異形は、敵方からしてみれば格好の的印となる目立ち姿だった。
そのため百人隊長は主に暗殺の危険から常に防護服で姿を目眩ませていて、シリウスとプロキオンの奇襲時にもベヒモスは防護服を着たまま相手取っていた。
しかしもう、その必要は無くなった。決戦に及んで彼らは防護服を剥ぎ取り、謳うかに異形を誇り梯団長と相対した。その覇気は窓ガラスを隔てたエクスカリバーにも届き、純血の幹部の中でも最高の戦闘力を誇る彼の胸を熱くさせた。

5人のアマノガワ銀河軍と5人の百人隊長の戦闘は、しかし呆気なく決着がついた。
装甲車を降りると同時にエリクサーを服用したベガが合図も無く先陣を切り、立ち並ぶ5人の百人隊長を一網のもとにあっという間に打尽した。文字通り、素手で悉(ことごと)く打ち尽くした。
エリクサーとは、ルナベーヌスの南の海域に生息する「ヨロイガニ」、地球で言うところのカブトガニと良く似た節足動物の血液から抽出される劇薬で、服用すると身体の機能を極限を超えて高める、つまり異形の百人隊長らと同じく人間の限界を突破する事を可能にしたシロップである。
しかしエリクサーの薬効には適応が必要で、ほとんどのルナベーヌス人には適応せず飲んでも苦いだけの長物だった。そして、エリクサーに適応する事はアマノガワ銀河軍の副梯団長以上の位に就くための必須条件だった。
エリクサーの製造と管理は南方地域を担当するアマノガワ銀河軍南方基地が管轄した。ベガがその基地長に選別された理由の一つが、エリクサーに関する知識の深さと原料調達の上手、なにより銀河軍史上、最もエリクサーに適応した遺伝子を有した存在だからであった。ゆえに、女だてらに星の血祭りを制覇することが可能だった。
エリクサーを服用したベガの身体は柔軟性を維持したまま高密度で結晶化した。言うなれば、撓(しな)るダイアモンドだった。
エリクサーは外見に作用することは無かった。だが、ベガに限ってのみ、彼女の皮膚の内側をほんのりと紅く色づけた。
皮膚の肌色と重なるその紅は、春間に咲く花の色への染まりを想わせて、ベクルックスを始め多くのアマノガワ銀河軍の女性兵までを魅了する美しさを存分に発揮した。銀河軍はその姿を、畏怖と尊敬を込めて「赤鬼」と呼んだ。
撓(しな)るダイアモンドで蹴る地面はベガを高速で反力方向に飛ばした。5人の百人隊長は自分を叩きつける赤鬼の表情すら識別できずに叩き潰された。クリスタルなど、発動する暇は皆目なかった。
開放されたバリケードの前は5人の百人隊長から溢れ出た血で石の道路が黒く染まり、まだ沁み込んでいない表層の新鮮な血液は太陽の光で赤く輝いた。
急激にバリケードの中へと進撃するベガの姿に驚き対応が遅れたゲイボルグらと、それに続いて前進する4人の梯団長の配置が市民病院の上階からは良く見て取れた。
一瞬で血の海と化した哨所に、エクスカリバーもレーヴァテインも慌てた。
想定を遥かに上回る第5梯団長の戦闘力は、エクスカリバーに大剣を強く握らせ、レーヴァテインを走らせた。
先端にエメラルドの鏃(やじり)、シャフトを超硬合金で設(しつら)えたゲイボルグの槍は混血の血液に反応した赤色と緑色のクリスタルを纏い、奮うと爆炎を起こし強烈な熱旋風を発生させ、その熱と風圧はベガの進撃をかろうじて押しとどめた。予期せぬ突如とした襲来に対応が遅れたため、押しとどめた時にはすでにバリケードの内側にいた残り35人の百人隊長のうち9人が赤鬼の餌食となり地に伏せていた。
効果あり、と判断したゲイボルグは、「くらえ!」と大きく叫んでからもう一度槍を奮った。だがすでに赤鬼は、押しとどまっていたはずの場におらず、ゲイボルグの頭上を跳躍で飛び越えて奮う槍先の反対方向にいた。その跳躍は最早、鬼との例えが例えで無くなるほど人間の運動能力を遥かに超越していた。
赤鬼の眼がゲイボルグの背を捉えた。
(狙われている)
ゲイボルグがそう感じた次の瞬間、彼の胸は赤鬼の右手に貫かれ、引き千切られた心臓が体外に飛び出し、鬼の手の中で訳も分からずどくどくと脈打っていた。ベガは初めて出会った宇宙人を配下にするつもりなど、エリクサーの昂奮作用も加味して自分でもすっかり忘れていた。
ベガは握った心臓を持ち主の体内に戻し、抜いた手にべとりと付いた血を振るい、
(ここはもう大丈夫)
そう判断して残りの百人隊長をレグルスらに任せ市庁舎を目指した。戻された心臓は、もう再び同じように機能することは無かった。
「90じゃきかねえんじゃねえか、これ」
敵隊長の半数を担うと豪語したベガの決戦前の宣言を指して、始まってものの数分で14人の百人隊長と1人の純血の幹部を打倒した事実を評して、レグルスが呆れた物言いで呟いた。

             §

「ちょっと、いいかな」
ノックの後すぐに扉が開き、シリウスが顔を覗かせた。
出軍まで1時間を切った緊張体制だったため、第30梯団副梯団長アヴィオールはぎょっとした。
「どうされたのですか?シリウス様。もうご出陣では?」
「ああ、俺は遊軍だから。ちょっと、話したいことがあるんだ。いいかい?ナナユウ」
「まあ。総大将が遊軍なんて。うちの子は大丈夫かしら」
アヴィオールはそうぷりぷりして仮設の第30梯団長室、つまりミアプラキドスの部屋を出て行った。「うちの子」とはミアプラキドスを指した言葉で、一廻り以上年下で、優秀なゆえに精神の幼い梯団長をアヴィオールは我が子の様に扱っていた。
「なんでしょう?シリウスさん」
梯団長室といっても簡素なテーブルセットとベッドがあるだけで、白いシーツで整えられたベッドに座っていたナナユウはそう言って端にずれた。ミアプラキドスが持ち込んだ緑色の恐竜のぬいぐるみがベッドに転がっていて、白と茶色の仮設室に彩りを与えていた。
「君は、仇を討ちたいかい?」
ナナユウがずれたおかげで空いたベッドのスペースに腰かけてシリウスは尋ねた。中空パイプのベッドが人の重みでギシリと軋んだ。
「・・はい。叶うならば」
予期せぬ質問ながら答えは決まっていたのか、瞬間の戸惑いの後、ナナユウは瞳に意志を灯してはっきりと答えた。
「そうか。あまり気は進まないんだが・・」
シリウスはそう言って一心に自分を見つめるナナユウの瞳を見た。しとやかながら意志の強い瞳に、今年15歳になるはずの娘の姿を重ねた。ベガの言う通り、確かに似ているのかもなと思った。
「わたし、戦えます!」
ベッドに立てかけていた、フォーマルハウト作のビルシャナの杖を握ってナナユウは力強く言った。ヘーゼルの瞳が天井の蛍光灯の光を螺旋状に映し込んでいた。
「わかった。加勢しよう。俺が従伴するよ」
「えっ?」
「遊軍だからな、暇なんだ」
シリウスはそう言って、予想外の言葉に驚くナナユウの小作りな頭を優しく撫でた。娘と重ねたせいか、シリウス自身にも無意識の行為だった。
シリウスが自隊を遊軍、つまり基本戦術を待機にとる部隊扱いにしたのは、ナナユウに理由があった。
梯団会議ではナナユウを戦場には出さないと言ったが、それは軍としての意見で個人的な本意ではなかった。
ミアプラキドスからコスモフレアの長とナナユウの関係性を聞いた。
「自分を助けるために村は、彼は命を落とした」
どう言葉を尽くして整理しても、ナナユウからその念が消えることは無いだろうと思った。それはとても重い枷(かせ)で、彼女を放さない呪縛だと思った。
呪縛を断つのは、圧倒的な決別だ。そして決別を促すものは、自らの行動でしかない。シリウスはそう結論し、ナナユウに仇討ちを果たさせようと決めた。
(ああ、そうか。だからだな)
ナナユウの頭を撫でながら、シリウスは納得した。
(悲哀の祈り子に、俺は未練を重ねているのだな)
呪縛とも言える、離してしまった娘への想いが自分を動かしている、シリウスは星を守護する軍隊の大将としては間違った自身の行動をそう分析し、
(だからこそ、人間は・・)
美しくあれるのだと思った。

コスモフレアを蹂躙したのは、ノバラ冥王星軍の内、「エクスカリバー」と「ゲイボルグ」という幹部の命令だったということを、東方基地に梯団長が集結してシリウスとプロキオンが奇襲を行ってすぐ後に捕えたノバラ冥王星軍の一兵卒からの証言で確認できた。一兵卒は大胆にも、東方基地内に潜入しようとしていた。
尋問はベガが担当した。尋問と言うよりは始めから拷問だった。戦闘に及んで冥王星人を配下に手に入れたいという欲求をベガが忘失したのは、この時のなかなか口を割らない兵卒の頑固さに嫌気が差したせいもあるのかもしれない。戦闘狂と評される第5梯団長も、拷問の阿鼻叫喚は嫌な気分を覚えるもので、他の誰にも経験させたくはない凄惨な職務だった。
シリウスは、ベガ達が出陣して39分後にナナユウを連れて南砦に向かった。
ノバラ冥王星軍の将配置は第21梯団の偵察のおかげでよく知れていた。
基地からすでにシリウスはエリクサーを服用し、腰には1本の武器を携えていた。武器は蠟(ろ)色(いろ)塗りの黒文目(くろあやめ)の鞘に納められた太刀で、刃にはヨロイガニの血液が練り込まれてあり、ために青みの深い黒刀だった。
鉱物がヨロイガニの血液に適応することは極めて稀で、アマノガワ銀河軍はヨロイガニと遭遇してその青色の血液の価値を発見して以来200有余年、7つの武器に血液を適合させることに成功し、それらは歴代のアマノガワ銀河軍梯団長の中でも特別に授与され、そのうちの一つがシリウスの持つ黒刀とベガが拳にはめたグローブだった。
つまり、冥王星人がルナベーヌスに降り立った時点ではまだ、アマノガワ銀河軍もクリスタルに南砦のベガほどに圧倒できる戦力は備えてはいなかった。
クリスタルの発する炎はナパーム弾よりも強力で、冷気はあらゆる火器を無効にし、暴風は絶対無二の盾となることは、アンタレス隊が身をもって経験するまで銀河軍にも想像に計り知れない脅威だった。
エリクサーを服用したシリウスの移動は常軌を逸していた。黒刀を携えていない方の脇に抱えられたナナユウは、戦闘機にでも乗っているような気分になって迫りくる風圧に必死に眼を瞑(つむ)った。戦闘機はミアプラキドスが自慢げに中央基地で披露し、一度乗せてくれた。
シリウスの脇に抱えられながら、ナナユウはビルシャナの杖にしがみついてコスモフレアを飛び立ったことを思い出した。長の顔がフラッシュバックした。けれど今は、シリウスの身体から伝わる温かさがこみ上げる涙を押し戻してくれた。

「もう始まってるか」
南砦の右翼、市民病院の屋上から戦線を見てシリウスが言葉を漏らした。ちょうど、ベガがゲイボルグの心臓を抉(えぐ)り出したところだった。
「はは、めちゃくちゃするな、あいつ。エクスカリバー君はと・・あれか」
ゲイボルグを打倒して進撃しようとするベガに立ちはだかろうとするエクスカリバーの姿をシリウスは認め、ナナユウを脇に抱えたまま一目散に市民病院の屋上から足場となる突起を段階的に選んで、対峙しようとする二人の間に降り立った。
「よお、ちょっといいか、ベガ。彼に用事があるんだ」
空から降ってきたみたいに突如として現れたシリウスにベガは驚いて、彼が脇に抱えているものを凝視した。
「ナナユウ!?なに連れて来てんのよ、あんた!」
「仇討ちさ。なあ、エクスカリバー君、コスモフレアの民を殺しまくったのは君だろ?」
大剣を掲げるエクスカリバーを見据えてシリウスはそう言い、脇に抱えたナナユウを優しく地面に降ろした。
「若造が・・だとしたら、どうだ?」
「この子が、許さないってよ」
シリウスはそう言ってナナユウの肩にポンと手を置いた。ナナユウの手には新しくなったビルシャナの杖が握られていた。
エクスカリバーとシリウスは、ほとんど同年齢だったが、星の自転期の違いから老化の早い冥王星純血のエクスカリバーはシリウスよりも一廻り以上年上に見えた。
「ベガ、回収したか?」
「もちろん」
シリウスの問い掛けに答えたベガは、軍外套のポケットから百人隊長の武器に備え付けられていたクリスタルを取出し、赤みの深いオレンジ色の一つをシリウスに投げて渡した。シリウスはそれをビルシャナの杖にセットして、
「さあ、戦うんだ。あの男が、君の村を全滅させた仇だ」
そうナナユウの耳元で囁いた。
その言葉にナナユウは奮起して、ビルシャナの杖を掲げてエクスカリバーに対峙した。
手足が神経を失ったかに大きく震えた。制御できなかった。杖も小刻みに左右に振れた。
「驕るなよ、第1梯団長。我らの決死、思い知るがいい」
ナナユウでは無く、シリウスに向けて言葉を発したエクスカリバーは大剣のクリスタルに混血の同志の血を振りかけた。黒と赤のクリスタルが、地の底から湧くような音を立ててエネルギーの発動を始めた。
「君の全霊をぶつけるんだ。自分の手で、掴み取れ」
シリウスはそう言ってナナユウの背中を優しく押した。
ナナユウはビルシャナのビルシャナの杖のトリガーを握った。赤みの深いオレンジ色のクリスタルがブナと樫の混合樹液に反応して発動を始めた。冬の朝の太陽の様に優しいエネルギーだった。
「貴様を仕留めれば終わりだ!食らうがいい!」
エクスカリバーはそう大声を発して大剣を奮った。黒いブラックホールの様なエネルギーが地獄辺土から沸き起こったかのどす黒い炎を纏って、シリウスとナナユウを目がけて発射された。あわよくば、後ろに控えるベガまでも巻き添えにする、大きくて正確な飛弾だった。
迫りくる恐怖に、ナナユウは眼を閉じて杖を振った。陽光のしゃぼんの様なエネルギーがキラキラと輝きながら、黒く、見るからに凶悪なエネルギーに向かって飛んでいった。
眼を閉じると、長の顔が見えた。手足の震えが止まった。とても敵いそうにない相手だと思った。けれど、ナナユウは強く願った。一矢を、コスモフレアのみんなの、長の無念を弔うため、目の前の相手に報いたかった。
シリウスは黒刀の柄を掴み居合に構えた。そのまま鞘を滑らして居合に斬った。音速を超えた斬撃は衝撃波を生み、ナナユウのしゃぼんと凶悪なエネルギーとエクスカリバーの首を両断した。エリクサーを服用したシリウスの筋力と同成分を練り込まれた黒刀の強度はその衝撃波に難なく耐え、断ち切られたしゃぼんは大気に溶け合って融解し、凶悪なエネルギーは当てずっぽうに市民病院と酒蔵を大きく損壊させ、エクスカリバーの首はごろりと地に落ちた。
「やるじゃないか」
黒刀を鞘に納め、眼を閉じたナナユウの肩を叩いてシリウスは声を掛けた。
目の前には、胴と首の離れた仇の遺骸が、まだ生命力を残したまま命を失っていた。
「え?え?これ、わたし?」
「そうだ。見事なもんだ」
「そうよ。ひどいことするわね」
シリウスとベガの言葉にも、ナナユウは実感が湧かなかった。
人を殺したという実感も、仇を討ったという実感も無かった。
ただ、何か重いものが自分から離れていく気配だけは分かった。時間は掛かるだろうけれど、長の言うように、達者に前を向いて生きていくための細い光明の一筋が見えた気がした。
「ベガ、お前何人やったんだ?」
「15人」
「うわっ、よく見りゃ返り血まみれじゃねえか、えげつねえな」
「うっさいわね、あなたこそ手助け、バレバレよ。気付かないなんて、あの子、バカなの?」
「なーに。あの子の力さ」
少し小さな声で話す二人の梯団長の会話も、自分と向き合うナナユウには聞こえなかった。

             §

(目論見が甘かった。出直さなければ全滅する)
ゲイボルグを一瞬で殺した第5梯団長の、想定を遥かに超えた戦闘力を目の当たりにしたレーヴァテインは、市庁舎に向けて車を走らせた。フラガラッハに戦争の中止を進言するためだった。
クリスタルは確かに終局的な力を持った神の兵器だが、この星の局所戦闘向きでは無かった。都市や基地の破壊は可能なのに、人間個人の速度にまったく対応できなかった。
「速すぎだろ、なんだよ、あれ、ほんとに人間か?反則だろ」
ハンドルを握りながらレーヴァテインは呟いた。口に出して愚痴らずにはいられなかった。
アマノガワ銀河軍は組織表を開示するなど民衆にオープンな軍隊だったが、エリクサーの存在は秘匿にされ、星の血祭りも閉鎖的(クローズド)な場で行われ結果のみが演習結果として公表された。
ノバラ冥王星軍も開示された断片的な演習風景とその演習結果を以って銀河軍の戦闘力を測り序列を定めていたが、エリクサーという薬物の存在には空想さえ及ばなかった。
そんなものは父母に聞いた母星にも無いものだったし、そもそもノバラ冥王星軍には軍隊の戦闘というものを直に体験した者が唯の一人もいなかった。だから、神の力を手にし、小都市を掌握したぐらいでアマノガワ銀河軍にも対抗できると目論んだ。初めてルナベーヌスに降り立った地球人、イエス・キリストの教義が主体のノバラの神は旧約聖書をその原典とした。
セオリーから言えば通信で本部に異常事態を連絡し指示を仰ぐ手順が正解だろうが、可能な限りアクセルを目いっぱい踏み込んだレーヴァテインは、通信では伝えきれないと思った。
(半分は言い訳だな、くそ)
あの場にいれば確実に死ぬ、そんな確信が彼を市庁舎に向かわせた。純血の誇りとしては立ち向かうべきだとはわかっていた。
(クリスタルをもって一旦、潜伏だ。銀河軍には俺達の知らない秘密がある。 じゃなきゃ、あんな動きはおかしい。人外だ。生物の動きじゃねえ。第5だけじゃないとしたら、この作戦では敵う訳がない。調査からやり直しだ)
南砦が遠退くにつれて、つまり神話の中の化物みたいな第5梯団長の気配が薄らぐにつれて冷静な思考を回復させたレーヴァテインは、とりあえず連絡はやっぱりしておこうと思い、内ポケットに入れたはずの携帯端末をまさぐった。喫煙具なども一緒に入れているため手探りではなかなか探り当てられず、レーヴァテインは片手でハンドルを握ったまま視線をポケットに落とした。その瞬間、急にフロントガラスが翳(かげ)った。
(太陽が金星に隠れたか?)
レーヴァテインにそう、予測のない日食を思わせるほどの翳りだった。
それ(、、)はレーヴァテインの運転する車の後方の空から、車の進行方向に向かって伸びていた。
(樹木・・?)
フロントガラス越しに見上げたレーヴァテインはそう自問し、何事だと思い車を止め車外に出た。
見上げた空、いや空と言うよりはその奥、宇宙から巨大な腕が降臨していた。樹木色の巨大な腕だった。
(巨人(タイターン)の腕だ)
咄嗟にレーヴァテインはそう思った。神話に出てくる巨人だと直感しながら口では、
「なんだ、こりゃあ・・」
と不可解を呟いた。巨人の腕の指先は何かを掴もうとする形をしていた。
腕の先はレーヴァテインと同じ方向、つまり市庁舎の方角を目指していた。ただならぬ予感に、レーヴァテインは急いでアクセルペダルを踏み込んだ。

フラガラッハが市長室の窓からそれ(、、)を視認したのは、各砦から続々と敗北の報が届き始めた時だった。
特に南と北砦の被害が尋常でなく、北砦に出陣したザイテングラートの安否を求めるアリアンロッドの声が頻(しき)りに市長室に響き渡った。
アリアンロッドの狂騒も息子の討死も覚悟の内にあったフラガラッハだったが、それはこんなに早い段階ではなかったしこんなに圧倒的なものでもなかった。戦況を知らせる兵士の報声は、悉(ことごと)く焦燥していた。
(読み違えたか)
フラガラッハがそう自責した時、南砦からエクスカリバーの討死の報せが届き、冥王星軍で最も戦闘力の高い戦士の呆気ない死亡に、息子の死を連想したアリアンロッドが狂声をあげた。
フラガラッハが歯噛みをしながら南砦の方角の窓に眼を向けた時だった。南の空に何かが浮かんでいて、こちらに向かってぐんぐんと近付いていた。
それは遠近の変化でどんどんとサイズを大きくした。巨大な腕の形をした樹木だとフラガラッハが認識するのにあまり時間は掛からなかった。
「なんだ、あれは」
レーヴァテインと同じ台詞をフラガラッハが呟きとしては大きな声で吐いた時、天空の大地に生える巨大樹が下界の水脈を探るかにうねうねとした動きをする巨大な腕は、市庁舎に届く目前で東西南北に音もなく枝分かれした。
その内の1本は明らかに市長室を目がけており、
「鬼か蛇か、あるいは・・」
星を跨(また)ぐかに天空から迫り来る不可解に、母星からの救援である淡い淡い期待を込めフラガラッハはそう呟き、
(呆れるほどに、儚い願いだな)
すぐにそう自嘲した。
200年以上も放っておかれた、今更あるはずもない冥王星の援助を期待するほどに、市長室に届く戦況報告ははっきりとノバラの完敗と間も無くの陥落を伝えていた。
そして事実、最初の200人を送り出した冥王星は、星の住人同士の争いですっかり疲弊し、秘密裏に行われた200人の派遣は、星の老人の死亡と同時に忘れ去られていた。

             §

カーボンナノチューブでできたケーブルの終点が見えたのは、ヒライスが地球を出発して82時間後だった。ケーブルの先は、金星の陰に隠れた星に繋がっていた。
それは地球のように、とても青い星だった。大気があるのだとヒライスは思い、フランス人学者の知識には無かった、宇宙からも観測できる光の灯が輝く異星に心が躍った。
(生命がいる)
光の灯は、超自然的な輝きを宇宙に放っていた。
大気圏を突破し大空に出ると、まず海が確認できた。ついで陸地が見えて、ケーブルの繋がる大地には人工的な建造物が確認できた。
海と大地の地形は地球とは似ておらず、一つの大きな大陸の周りを海が取り囲み、その所々に島々が点在していた。
(古代の地球も、このような姿だったか)
地質学者でもあったフランス人学者の知識から、地球の陸地が五大陸に分裂する前の地形、いわゆる「パンゲア大陸」と呼称される古代地球の姿をヒライスは思い描いた。
ヒライスは眼を凝らした。ケーブルの終点と思しき建物の近くに、見たことのあるような建造物を見つけた。
それは王宮だった。アトランティス人の建築家ファウストが設計し、地球人の建築家アントニオ・ガウディが偶然踏襲し、ヒライスが模倣した、ルナベーヌス王都アトランティスを象徴する星の王の住処だった。
(はは、でかい聖堂だな。神でも棲まうのか)
果てしなく暗黒の広がる宇宙を乗り越えた先に見つけた、とても偶然とは呼べない類似にヒライスの心は高ぶり、異星の空を降りながら彼は思わず笑った。
人間に比べて巨大な樹木の連なりへと変態したヒライスの笑い声は樹木の体内で広範囲にくぐもり反響し、ルナベーヌスの空に大地が鳴くような終末の音響を谺したが、しかし短い節で星の大気に溶け消えた音声に気付いたルナベーヌス人は誰一人いなかった。
王宮のおよそ3000m上空の地点、地球と良く似た雲が自由に広がる空で、ヒライスは追いかけてきたエネルギーの存在を受感した。雲は地球と同じように、無数の雲粒に太陽の光を錯乱させ青い空に白く輝いていた。
王宮の手前でヒライスはエネルギーの方角に舵を切った。東西南北は分からなかったけれど、掴み取るために樹木の造形をヒトの手の形に変化させた。天から伸びる巨大な樹木の腕を見つけた王都アトランティスの住人達は、突如とした超常物の出現に危険予測は追い付かず、ただこぞって空を眺めた。
エネルギーの主たる発現場所は、神の住処かと思った王都からわずかに離れた小都市に集結していた。地球から旅をして来たヒライスにとって、王都からノバラへの距離はとても短いものに感じられた。
途上、1台の車を見つけた。車の中にはエネルギーが保管されている感覚がして追いかけた。車は停止して、人間が1人車外に降りてきた。
(やはり、人間か)
降りてきた人間を見てヒライスはそう思った。地球の人間となんら変わりの無い姿の生命体にヒライスは多少は驚いたが意外では無かった。宇宙に垂れさがるケーブルを見つけた時点で地球人の星間移住を彼は予測し、少し驚いたのはその成功度が予測を大きく上回っていたためだった。
けれど、ヒライスの感想は間違いだった。車から降りてきたのは地球の人間ではなく冥王星の人間だった。
ヒライスは冥王星人を地球人と誤認し、彼を見上げるレーヴァテインは地球の生物を神話の神と誤識した。ヒライスの予感通り、車の助手席にはクリスタルを搭載したブーメラン型の武器が乗せられていた。
自分を見上げる人間には興味を抱いたが、進行方向の前方からエネルギーの大きな鳴動を感じたヒライスは、レーヴァテインをひとまず置いておいて市庁舎の方角を目指した。市庁舎では続々と届く敗戦と味方の死亡の報せに、百人隊長の数名が弔いと鼓舞のためか、空に向けてクリスタルを発動し、兵隊がそれに向かって決起をしていた。
エネルギーの発現場所に近付くにつれて、四方八方からも鳴動を感じた。
(分かれるか)
できることならすべてをマザーランドに持ち帰りたいと思ったヒライスは、身体を分裂することに決め、市庁舎前の上空で一気に樹木の腕を5本に増やした。

             §

ティエラアトランティス政府からの要請で化物退治の先遣のために地球に降り立ったアマノガワ銀河軍第26梯団長シャウラは、ティエラアトランティスの軍基地でやきもきとしていた。
検体は入手できたし、戦力もそこそこ把握し化物の目的も知った。
(指令は全うしたよな・・うん、したな)
自問に自答してすぐにシャウラは、小型の飛行船の使用許可をローラン首相に請い、
「南極に、忘れ物をしちゃいまして」
という梯団長の言葉の裏に含まれた何かしらの有意義な意図を感じた首相はそれを了承した。
小型の飛行船、「チコペリカン」号に乗り込んだシャウラと副梯団長とパイロット2名は、大西洋を南下し再び南極を目指した。自己犠牲、親子愛、聖贄の象徴とされるペリカンは、地球では飛行船だけでなく万年筆やクーラーボックスメーカーの紋章にも使用されていた。
チコペリカン号を発見したのは、今度もゲイだった。好奇心旺盛な彼女は一度シャウラらが撤退したわずか3日の間に、人間で見れば3歳ほど成長しており、チコペリカンに手を振るその姿の超常的な可憐はシャウラの意欲を促進させた。
(すみずみまで、調べ尽くして手中にしたいなあ)
喉から出そうな言葉を、付き合わせてしまった副梯団長とパイロットの手前、シャウラはぐっと飲み込んで我慢した。

マザーランドは宇宙を乗り越え異星に到着したヒライスから逐一の報告を受けるため、ヒライスが形成する樹木の根と自身を聖堂の地下を通して繋げほとんどの意識をルナベーヌスに集中させていた。南極にある本体の自己防衛を疎かにする必要があるほど、ヒライスの発見を画期的だとマザーランドは判断し、わずか3日でシャウラらが再度上陸してくるとは思ってもいなかった。
リジムゲとジジムゲは、ヒライスからの連絡を受けたマザーランドの命令で、宇宙を乗り越えるのに足りなくなりそうな生体材料の調達のため、1日前からオーストラリア大陸西部に渡っていた。ヒライスは当初の想定通り補給をマザーランドに頼んだが、守護を最早不要と判断したマザーランドが双子に調達を橋渡した。つまり、北アメリカ大陸に付きっきりのケルビムの不在も含めて、いま南極大陸でゲイは一人っきりだった。
チコペリカン号は、聖堂から50mの位置に着陸した。
「近付き過ぎではないですかな」
副梯団長の声を待たずに、シャウラは氷の大地をふたたび踏みしめた。ざくりという、氷結の爆ぜる音が綺麗に響いた。
「いらっしゃい!ほんとにまた来たね!でもね、ママ、いまいないの」
「どこかお出かけかい?」
「うん!お空にちょっと!」
外見は成長しても口調の変わらないゲイの無邪気にシャウラは機を得たと思った。天に伸びる樹木の柱を見たとき、もしかしたら不在のチャンスがあるんじゃないかと思っての今回の行動でもあった。
シャウラは外套からエリクサーを取出しゲイの目の前で服用してから、携えた剣を抜いた。
南極の氷の青に映える赤い刃は、ルナベーヌスの鉱物とヨロイガニの血液が化学反応した色で、地球に来る前にデネブ基地長に貸与された特別な武具だった。
「わお!かっこいいね!」
そう言いながらもゲイは、警戒しているのか樹木のそばを離れなかった。
「だろう?こんな赤、ここらにはあまりないだろ」
シャウラはそう言って、剣の切っ先を氷の大地に刺しながらゲイの方へと歩を進めた。抵抗もなく両断される氷の大地に刺さる赤い刃が、大地の噴く血のようにも見えた。
ゲイは身構えた。攻撃が来ると思った。構えた瞬間に右腕が飛んだ。
氷の大地に突き刺した刃をシャウラは連続して振った。氷の飛礫(つぶて)と斬撃がゲイを目がけて無数に飛んだ。エリクサーに強化された剣と肉体は、無限に攻撃を生み出せそうだった。
ゲイは飛翔した。母のいる聖堂と兄である樹木に攻撃が当たらないよう、それらを避けた方角に翼を開いた。
それまで翼など持った試しはなかった。危機意識が瞬時に創造した、氷の大地を超高密度で凝縮したような最深部に青みを持った純白の翼だった。
右腕をそのままに空に退避したゲイを見てシャウラは疾走し、1秒後には切り落とした右腕を確保した。切り口を見ると、細胞がうようよと蠢(うごめ)いて復活しようとしていた。
(すごいな。まるで、これだけで一つの命だ)
そう思ったシャウラは嬉しくなって、切り口をべろりと舐めてゲイを見上げた。大空に浮かぶ、天使を思わせる飛翔姿が余計に嬉しくて、シャウラはゲイの右腕を大事に外套の内側に仕舞った。
南極に来る途中、シャウラはチコペリカン号の中でローラン首相から緊急連絡を受けていた。
「ルナベーヌスに化物が出現した」
その報せに、
(あの樹木だ)
とシャウラは思い、大きな溜息を吐いた。不可解な樹木のことは報告済だった。
(せっかく、進化のチャンスなのに)
次いだ討伐の命令にシャウラは更に大きな溜息を吐いた。
元々、何とかしてもう少し検体を入手しようとシャウラはチコペリカン号を出した。最大目標はあの小さな方、ゲイの捕獲だった。それを退治しなければいけなくなった。だからこそ、手に入れた右腕に嬉しくなって思わず舐めてしまった。味わったことのない、とても甘い味だった。
「げげー、気持ちわるーい」
大空でこだまするゲイの声に、
(やっぱり、すごく勿体無いけど)
仕舞った外套の中の右腕に手を当てて、
(残念だ)
そう呟いてシャウラは氷の大地に向かって無数に剣を振った。
「なにやってんの?ゲイはこっちだよ?」
理解のできないシャウラの行動に、すでに再生させた右腕でラッパを作ってゲイは言った。
「なーに心配しなさんな、お嬢ちゃん。いいもの見せてあげるからさ」
そう言ってシャウラは一心に、地下へ地下へと剣を振った。
連続して放たれる斬撃は、氷の層を貫き南極の無垢の大地を穿(うが)った。そして、穿ってもなお止まらない追撃は、遂に氷の大地の深くに眠るホットスポットにまで届いた。つまり、シャウラは斬撃でマグマ溜まりの火口を開いた。
「地球時間で24年前、この棚氷の地下25㎞から40㎞付近で群発地震の発生を地質学会が記録している」
シャウラは独り言のように、1人の人間と1本の剣の所業とはとても思えない巨きな穴を見つめて言った。
「南極は非常に大きな大陸だ。ただ太陽に愛されないってだけでね。星の一部に変わりはない」
穴は、果てしないものの姿が見えないように、その声が聞こえないように、暗く深く沈黙していた。
「群発地震の原因はマグマの移動だ。マグマを大地に押し留めているのは星の圧力で、マグマは絶えず出口を求めている。なぜかわかるかい?」
シャウラは言葉を続けながら穴に向けて斬撃を繰り広げた。火口が開いて星の圧力から解放されたマグマが斬撃で発泡を促進され、みるみるうちに体積を大きく増やした。
「なにブツブツ言ってんの?聞こえないよー!」
不気味な穴を明け、不可解な行動と言動を繰り広げるシャウラに、ゲイは生まれて初めて苛立ちを覚え強い口調で叫んだ。
「こういうことさ。マグマだって、宇宙を憧れるんだな」
飛翔するゲイを見上げて明瞭に言ったシャウラは、エリクサーが可能にした超高速で穴から離れ、シャウラがゲイに近寄ると同時に距離を離していたチコペリカン号に乗り込んだ。マグマ噴火を攻撃手段に使用することは、行きの飛空船内で打ち合わせてあった。
穴から轟音を上げて火柱が噴き出した。摂氏1200℃、玄武岩質のさらさらとした火柱だった。チコペリカン号の操縦席からそれは、氷の大地を呑み尽くす大いなる蛇に見えた。
標的を定められないマグマは、当てずっぽうの空と面積の大きなヒライスと聖堂を襲った。ヒライスの樹木は幹が大きく抉り取られ、聖堂の内のフルーツを意匠した尖塔が4本熔け落ちた。尖塔のフルーツは、アントニオ・ガウディの意志を継承した日本人の彫刻家がデザインしたもので、フランス人学者の知識にはフルーツのデザインと彫刻家の経歴も記憶されていた。
母と兄の危機を感じたゲイは、翼を出来る限り巨大に造形し直し、降りしきるマグマから聖堂と樹木を防御した。
絶えず熔け落ちる翼を、毎度瞬時に回復させる必要があったため、身体は地表に降ろし足を根にして氷の大地と繋がった。
ゲイを中心にして氷の大地はみるみるうちに氷層を失い、彼女の翼は赫灼(かくしゃく)と純白を混沌のように繰り返した。
(このままじゃ負けちゃう、どうしよう)
噴き上がるマグマから必死で母と兄を守りつつも、限界は自分の方が早いことをゲイは悟った。すべてを浄化するかの星の鳴動は鳴り止む気配がしなかった。
ゲイはマグマの噴き上がる穴を見た。
(あの穴を塞がなきゃ。贄(にえ)になっても)
危機意識と大地との連結がゲイを急速に成長させた。彼女は容姿をほぼマザーランドに同一化させ、思考から幼気さを消していた。
飛空船からオペラグラスでそれを見ていたシャウラは、心臓の鼓動の様に赫灼と純白で脈動する巨大な翼を生やし、必死に家族を守ろうとするゲイの姿に美しさの究極を覚えた。
「ははは!すごいな!女神は実在した!」
あまりに美しい生命体との邂逅に、シャウラは狂ったように絶叫した。

             §

ヒライスに起こった異変にヒライス自身とマザーランドが気付いたのは、市庁舎で64個、西砦で22個、東砦で24個、北砦で22個、南砦で44個のクリスタルを人間から簒奪(さんだつ)した頃だった。
最初に市庁舎前の野営地で60個のクリスタルを見つけた時、ヒライスは攻撃を受けた。
攻撃は市庁舎屋から飛んで来た。小さな隕石の様な火球で、市庁舎から大剣を手にこちらを睨みつける男の姿が見えた。フラガラッハの放った攻撃だった。
攻撃は結構なエネルギーで、直接食べさせた方が早いと判断したヒライスは意識を地球に戻し、根を通じてマザーランドに呼びかけた。星と宇宙を跨ぐ自身の中の移動は、脳指令が手足を動かすような伝導で、行きに要した82時間という時間に比べればあっという間だった。
「母上、素晴らしいものを見つけたぞ。来てくれ、星と星が溶け合うかもしれない」
突如として帰還した息子の要望に、マザーランドは聖堂の外で鳥と遊ぶゲイを見やって躊躇したが、思慮深いヒライスの少年のような物言いに促され要望を了承した。
「ゲイ、ちょっとお兄ちゃんの所に行ってくるから。良い子にしててね。お家の中にいた方がいいんじゃない?」
鳥との遊びに夢中なゲイは、
「わかったー、いってらっしゃいー」
とうわの空で応え、聖堂に入ろうとはしなかった。
(まあ、しばらく何もないでしょう)
先日に見せつけた圧倒的な武力と防御力に、しばらく人間は手を出してこないだろうとマザーランドは見当を付けた。
ヒライスと意識を繋げたマザーランドは、ごく短い宇宙旅行でルナベーヌスに到着し、ノバラ市庁舎に伸びたヒライスの枝先に意識を集中させた。
「すごいだろ?母上。まさか異星に文明があるとは」
少年が冒険の成果を誇るかの様にヒライスは言い、
「まあ、すごい。よく見つけたわね、ヒライス。えらいわ。私の自慢の子」
そう言ってマザーランドは息子を褒め称えた。
眼下には地球の人間とまるで変わらない生物の群れがこちらを見上げていた。しかしよく見ると、人間と獣のハイブリッドの様な生物もあり、それらを見てマザーランドは異星に来たことを実感した。
異形を中心に、星の生物は攻撃を仕掛けてきた。異形の姿と同じように、火や風や水や土や金のエレメントを混配合した、とても栄養価の高そうな攻撃だった。
「あれだ、母上。食べてみて」
ヒライスの呼びかけに、マザーランドはヒライスに取代わって枝幹の面積を大きく拡張し、飛んでくるエネルギーを捕獲した。
「とっても、おいしい」
笑顔でそう言う、簡明だがそれだからこそ実感の篭ったマザーランドの感想にヒライスは嬉しくなり、宇宙を乗り越えた甲斐があったと自慢した。
攻撃は異形の振るう武器にセットされた、宝石のような鉱物様のものから発射されていた。
「そう、あれ。あれを持って帰ろう。ゲイやリジジジ、ケルビムにも食べさせてあげよう」
意識の繋がった親子は思考を共有し、マザーランドの思考に答える形でヒライスはそう提案した。異星で母と二人きりの状況に甘んじてか、ヒライスは少し口調を幼くした。
ヒライスとマザーランドは樹木の枝幹から触手を無数に造形し、クリスタルを目がけて伸ばした。槍や金槌などの武器を持った兵士が抗戦してきたけれど、人間サイズのちゃちな武器は触手に届きさえしなかった。
クリスタルの放つエネルギーは苛烈だった。使い方によっては我が身も危ういなとマザーランドは感じたが、惜しむらくには使い手の練度が足りていなかった。
異形の百人隊長が放つエネルギーはマザーランドを肥えさせるばかりで、純血の幹部の放つ複数のクリスタルを掛け合わせた攻撃も、マザーランドにしてみれば百人隊長のそれと大差なかった。
市庁舎のクリスタルをあらかた簒奪し尽くしたマザーランドは、ヒライスの呼びかけで南砦方向の枝幹へと意識を移行した。
市庁舎では、60名の百人隊長のすべてが頼みのクリスタルを失い、苦心して築き上げた軍事力を為す術なく奪われたフラガラッハは、茫然と簒奪者を見つめ、空の広さと星の大きさを知った。
クリスタルのみをターゲットとして奪うことは他愛も造作も無く、東西南北に枝分かれしたヒライスの枝幹から伸びた触手は、市庁舎と同じように各砦のクリスタルを奪取していた。
異形だが脅威に乏しい星の人間はまったく問題にならなかった。アデリーペンギンのように踏み潰し、ナンキョクユスリカのように食い荒らすことも容易だったが、せっかく見つけた異星人を理由もなく殺すことは不利益だとヒライスは考え、積極的にノバラ冥王星軍を攻撃することはしなかった。
その中で一ヶ所、市庁舎からみて南に位置する砦に毛色の違う人間たちがいた。
揃いの衣装に身を包んだ彼らはクリスタルを有する連中とは別軍隊に思われた。
そして、彼らの中には目立つ装いで外套を羽織った者が数名あった。
その数名の内の、長い金色の髪をした女にヒライスは伸ばした触手を殴られた。痛みはなかったが、ビリビリとした衝撃と甚大な欠損感覚をヒライスは覚えた。生まれて初めて感じる感覚だった。
(まさか、打撃か?)
そう思考する間も無く、今度は斬撃で触手を一度に3本断ち切られた。斬撃の指向元では黒髪の男が不敵に笑っていた。
(なんだ、こいつらは)
ヒライスはえも言われぬ感覚を覚えた。地球で対立した、南極海沖合のザトウクジラにもアルゼンチン軍の小隊にもオーストラリア軍の戦闘機にも覚えなかった感覚だった。
(これが、畏怖か)
フランス人学者の知識の中から最適な言葉を探り、
「母上、こっちに来てくれ。面白い生き物がいる」
市庁舎に集中しているマザーランドにヒライスは呼びかけた。

マザーランドはヒライスの欠損した身体を見て、驚くより先に心配をした。
「痛くない?ヒライス、大丈夫?」
元より痛覚など無いのに、過保護ともとれる言葉がヒライスには嬉しかった。
「大丈夫だよ。それより彼らを見てくれ。畏怖を与えてくれる者だ。恐ろしくもあり、身の引き締まる思いだ。この邂逅はきっと、母上を神に近付ける」
ヒライスの言葉にマザーランドはアマノガワ銀河軍に視点を合わせた。
刀身が細く黒い剣を持った男にまず目が行き、あれは東洋の刀だと判読したマザーランドは、その傍らにいる戦闘員にはとても見えないうら若い少女に惹きつけられた。
「・・ヒライス、貴方は本当に良い子。思ってもみなかった再会です。彼(か)こそ・・」
マザーランドはそう言葉を切って、ヒライスにナナユウを見つめるように促した。そして、
「我らの父です」
慈しむ様にそう断言した。
「父?彼女が?」
木の杖をぎゅうっと握る、見るからに薄弱なナナユウを訝(いぶか)んでヒライスは言った。ヒライスとマザーランドの会話は樹木の中だけで伝達されており、シリウスらには何も聞こえなかった。
「そう。でも彼女は持ち主。原初の私にしか感じないのですね。彼女の持つあの(、、)火(、)が、眠っていた私を起こし、貴方を育んだ。遠く、青い星で」
マザーランドはナナユウが祈り子の衣装の下に縛り付けているイーシャの火を見透かして言った。決戦に及んで、イーシャの火はシリウスからナナユウへと手渡されていた。
「混成物(ハイブリッド)の体液が発動条件ならば、彼女が最も強く発動する可能性が高い」
クリスタル、冥王星、コスモフレアに関して判明した諸々の情報を統合して帰結したフォーマルハウトの結論に、シリウスはイーシャの火をナナユウに返すことに決めた。
「もう一度、親に会いたい。そう願う気持ちは森羅万象なのでしょうね。私が貴方を生んで、貴方が私をこの星へ連れて来てくれた。ヒライス、実は私、この星に来てからずっとわくわくしているの。きっと父なるあの火のせい」
喜色ばんだ乙女のような物言いで言うマザーランドに、ヒライスは星を見つけて本当に良かったと思った。
(だとすれば、ここが終着か?いや・・・)
マザーランドに共有されない意識で自問して、
「だとすれば、お連れしよう。地球へ。家族が増えれば、ゲイが喜ぶ。そして、統べよう。我ら一家で。貴女は神になるのだ。青い星の神だ」
ヒライスはそうマザーランドに進言した。生まれてきた意味などを探していた愚かな自分は、ケルビムの思想に触発され、母の笑顔に灯されて、星の彼方へ霧散していた。

その時だった。
地球の異変をヒライスとマザーランドは同時に感じた。多大な被害を感じさせる凶悪な異変だった。
「ゲイ!」「ゲイが!!」
ヒライスもマザーランドも瞬時にゲイの身の危険を予感し、同時に言葉を発した。
同期して意識を集中し、急いで地球に帰還させた。けれど、4200万㎞を超える距離を移動する時間が、寸前に見えた希望と悲劇をひっくり返した。
南極の光景に、ヒライスは言葉を失いマザーランドは絶叫した。一面の氷は溶け、樹木の幹は抉られ、聖堂の塔は崩され、ゲイが何かを塞ぐ格好で朽ち果てていた。
灰と化した天使像のように、巨大な翼を生やし外見は急成長していたが紛れもなくゲイだった。
「ゲイ!嗚呼っ、ゲイ!!ゲイ!ゲイ!」
迷い子を探す様に、マザーランドは朽ち果てた娘に必死に呼びかけた。本体が消滅しているのは明らかで、親子ゆえに、マザーランドはゲイの死を狂おしいほどはっきりと感じ取っていた。
樹木の殻から人型に戻ったヒライスは、ゲイの死骸が塞ごうとしているものを確かめた。
深く大きな穴だった。ゲイが造形した翼とほとんど同じ大きさだった。奥のほうで溶岩が冷え固まって赤身が息も絶え絶えに蠢いていた。
(ああ、マグマから聖堂と俺を守ろうとしたのか)
そう答えを付けると、いじらしさにヒライスは涙を流し嗚咽を堪えられなかった。
「ゲイ、ゲイ、ゲイ、ゲイ」
マザーランドは、触れたら崩壊しそうな娘の死骸の傍らに泣き崩れ、空しく名前だけを呼び続けた。その姿はとても神らしくなどなく、無力で平凡な普通の母親の嘆く姿だった。
「母上。あれを」
上空の飛行船を見つけたヒライスは冷静にマザーランドに呼びかけた。非常な理性で彼は、自身の中の憤怒と悲哀と絶望と狂気を抑えつけた。
飛行船の操縦席からこちらを見ている者、と言うよりはその衣装に卑近な覚えがあった。激情のまま相手取るのは危険な連中だという認識がヒライスを冷静にさせた。
しかし、マザーランドの狂気は抑えきれないほどに膨大だった。
ヒライスの言葉に、涙にまみれた顔を上げた先にあった小蠅のような飛行船を認めたマザーランドは、それがゲイの命を奪った畜生物であると理解するや髪の一束を巨大化させ、空に浮かぶ飛行船を一瞬で叩き潰した。
マザーランドに食べられたいという願望を叶えることなく、シャウラと副梯団長とパイロット2名は、その予感すら感じる暇もなく命を落とした。それはまるで、人間に潰される虫けらの死に様にそっくりだった。
「準備をなさい、ヒライス。貴方の言う通り、私は神になります。こんな世界、滅ぼしてしまいましょう」
部分だけを切り取って見るならば、天上から、青い星に神が降臨した。

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