トップウォーター

銀足車道

美術館

 俺は今、伊豆高原の新世紀美術館にいる。ゆかりちゃんと二人で。ルノワールの描く少女はおしとやかで純粋で澄んでいる。
「ゆかりちゃん、みたいだな」
「うそ?あたしこんなに美しくないですよ」
「そこだよ。そこ。ゆかりちゃんの美しさの定義が美しい。この絵を見て美しいと感じるゆかりちゃんが素敵」
「そうですかね。ありがとうございます」
「俺なんかこれを美しいと思うんだ」
 俺はマティスの絵を指差した。
「これですか?あたしにはわからないです。不思議な絵ですね」
 マティスのその絵は、いくつも連なる黄色い紐のようなものが中心に描かれていて、俺はそこに遺伝子の連なりを想起する。人間が浮かび上がってくる。作者の意図は知らないが、俺の心がどう感じたかが大切だ。
「ゆかりちゃんがその絵を見て不思議だと思ったってことは、俺はゆかりちゃんの中で不思議な男なんだな」
「あはは。そういう訳じゃないですよ。素敵な絵です」
 ゆかりちゃんは俺を見つめながらはにかんだ。俺はぎこちない笑顔を作った。自然な笑顔で返すつもりだったが、半笑いみたいになってしまった。誤魔化すように、俺はサルバドール・ダリの絵を指差した。
「キリンに穴が空いてるよ。面白いな」
「面白いですね」
 俺とゆかりちゃんの考えが一致した。この後、新米作家の貼り絵や、宇宙をイメージしたという彫刻などを見て出口を抜けた。外は日が落ちて虫の鳴き声が響いていた。
「これからどうするロゴスでも行く?」
「ロゴスかー。うーん。少し歩きません?」
「そうしよう。散歩したらどこかで飯でも食おうか?」
「そうですね」
 眼下に見える一碧湖の湖面には丸い月が浮かんでいる。心地よい風に吹かれながら俺達は目的もなく歩いて行く。すると大きなカエルが道を横断していた。
「まずいな。あんなのろのろ歩いていたら轢かれちまう」
 俺はカエルに近づくと両手で掴んだ。柔らかく生暖かい身体の感触。気持ち悪い。できればこんなことはしたくなかったが、緊急事態だ。しょうがない。「ゲゲゲ」とカエルは言った。
「ゲゲゲじゃないよ。惹かれるぞ」
 俺はカエルを草むらに逃がした。
「カエル、よく触れますね」
「いや、本当は苦手。緊急事態だったから」
「うふふ。優しいんですね」
 坂道を登っていく。薄ぼんやりと大室山が見えた。まさかあそこまで歩くまい。
「ゆかりちゃん、そろそろ車に戻ろうか」
 そう言ってゆかりちゃんを見た。ゆかりちゃんは別の方向を見ている。その方向を見てみるとラブホテルがあった。ゆかりちゃんが俺の手を握った。

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コメント

  • 銀足車道

    ありがとうございます!うれしくて飛び上がりそうです。ちょっと飛び上がりました 笑
    ブローティガンって作家に影響を受けて、詩のような小説を作ろうと思って書きました
    でもちょっと、物語に引っ張られてしまいました
    物語は中盤です
    長い小説です 楽しんでください!

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  • 藤野

    文章が繊細で綺麗だと思いました。
    暗い心情すらも美しくて、それに惹かれてしまう自分がちょっと憎いです。
    続き楽しみにしてます!

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