トップウォーター

銀足車道

ニューヨークアフタヌーン

 銀色のコインが春の陽光にキラリと光る。いやらしく。俺はそいつを二枚重ね、指でこするようにしてカチカチと鳴らす。伊豆高原にある一碧湖の上空に、爆音を轟かす黒い戦闘機。かくして、俺の繊細で愛おしいコインの音はかき消された。
 ロマンス(恋物語)を書きたい。と思っている。
 思いながら俺は不安だ。だって恋人の一人とていやしないのだから。怠惰な日々をピストルで打ち砕いて焦がれるいくつもの恋。
 アカネ。アカネちゃん。アカネさん。とはロゴスという伊豆高原のジャズ喫茶で出会った。彼女は小さなステージで歌っていた。リッチーコールのニューヨークアフタヌーンを哀愁の歌声で響かせていた。俺の席に寄って来て挨拶をしてきたときには心臓が口から飛び出そうだった。
 いくつもの恋をピストルで打ち抜き捕まえるたった一つの恋。
「伊豆高原には一碧湖っていう小さな湖があるの。幼いころはそこでよく釣りをしたものよ」
「俺も海のある町、稲取に生まれたので幼いころには釣りに夢中になったよ」
 俺は、吸い終えて半分になったシケモクに火を点けると彼女にこう言った。
「じゃあ、今度一緒に釣りでもどう?」
「いいわね。いきましょう。楽しみだわ」
 曜日の決まっていないあいまいな約束で、二人とも酔っていたために頼りない約束でもあった。
 ガチャンと音が鳴って自動販売機から缶の紅茶を取り出す。急いで口に含んだために唇の端っこから垂れる一滴を服の袖で拭う。袖には茶色い染み。かまわない。服など汚れるためにある。こんな一滴で心が崩れるほど弱っちくはない。
 それにしてもアカネさんは小さい湖といったが、いったいこの湖は幾つの水滴が集まって形成されているのだろうか。また俺という存在は幾つの細胞が集まって形成されているのだろうか。宇宙にはどのくらいの星が集まって、その星のもとには幾つの粒子で構成されているのだろうか。果てしない疑問でいっぱいになって気づくとまた紅茶の水滴。
 一碧湖の水面は鏡のように太陽を映す。湖面の太陽は恋人同士が乗るスワンによってギザギザに切り裂かれる。女は無邪気な声を上げてはしゃいでいる。俺はアカネさんが恋しくなる。二人であんな風に太陽をバラバラにしたい。
 粒子と粒子がくっついて新たな粒子が生まれ、その粒子はDNAによって連続性がある。あの夜、粒子と粒子はくっついた。けれども俺はコンドームをつけていたために新たな粒子は生まれない。残念ながらどうしてあんな風な展開になったのか覚えていない。俺はジャックダニエルとチョコレートの相性の良さに心酔して何杯も何杯も喉を通した。どうしてあんなに綺麗な人と同じ夜を重ねることが出来たのか。泥酔して全く覚えていないのだ。もったいない。大切な思い出にしたかったって思ったら、涙ぐんできたので空を見た。そしたらパラグライダーが浮いていた。彼はこちらに向かって「グッドラック」と言って笑ったような気がした。

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