僕のことを愛してください(仮)

みーなつむたり

22話 守りたいもの


仕事を終えて直接瑞季のアパートに来た新堂が、一度帰ってもう一度来るから電話番号を教えてほしいと瑞季に言った。
すると瑞季は、スマホは今、流し台にあると答えた。

「え?なんであんなとこに?」
「片瀬さんから連絡があったんです。」
「・・・は?」

新堂があからさまに声のトーンを落とした。

「カタセさんがなんで今更、」
「そうなんです。だから、縁、切りたくて、・・・えっと、その、・・・スマホ、ボウルに投げました。」
「え?えーーー!」

急いで流し台に見に行き、覗き込みながら新堂は腹を抱えて笑い出した。

「縁切りたくてスマホ水没させたんですか!いいですね!そういうの好きですよ!」

新堂の「好き」という言葉に心臓が跳ねる。顔が赤くなるのがわかる。

「でも、考えなしでやっちゃったから、電話できなくなってしまって、」
「どこに電話するんです?俺の貸しましょうか?」
「会社です。」
「会社?ああ、休みの延長ですか」
「いえ。退職の連絡です。出社していきなり言うのは、工場長も驚かれるだろうし、だから事前に電話でお話ししとこうかと思ったんです。」
「・・・そうですか。」

新堂の顔から笑みが消える。

確かに前を向こうとしている瑞季は、しかし昨日もおそらく何も口にしていない。
丸一日、スマホが浸されたこの流し台は、使われた形跡がまったくなかったのだ。

新堂は、水没したスマホを取り上げながら、「頑張ろうとしてるんですね」と静かに言った。

「あ、今日、スマホ買いに行きませんか?退院してからずっと家と職場の往復でしょ?ちょっと外に出るのもいいかもしれませんよ。」

新堂の提案に、瑞季は微笑み頷いた。

・・・

一度着替えに戻った新堂は、引き出しに納めていた、くしゃくしゃになった一枚のメモを取り出した。

「・・・やっぱりここに行き着くのか。」

瑞季は今、スマホを水没させ、仕事を辞めることで過去と決別しようとしている。

「・・・もう、隠しきれねぇよなぁ、」

だが、過去との決別おいて一番やらなくてはいけないのは、ここへ行くことだと、新堂はずっと密かに考えていた。

源双寺合同墓苑。

行政の依頼で無縁仏を埋葬し供養している寺の一つで、石田連太郎はここに埋葬されている。

調べた時は、こんな事態になるとは思わなかった。
単純に、石田連太郎が誰からも忘れられて一人で眠るのは気の毒だと思ったのが、石田の墓を調べるきっかけだった。

「こんなことになるなら、調べなけりゃよかったな。」

新堂の本心としては、ここに瑞季を連れていきたくはなかった。
連れていくことで、「今」が変わるかもしれない。
それは新堂にとって最も恐れることだった。

だが、

『新堂、あの患者と今後も関わるなら、きちんと覚悟を持っておけよ。下咲瑞季の中には今、2つの人格が存在している。それはあり得ないことだ。今後命に関わるほどの不条理が現れれば、できるだけ早めに、どちらか一人を選ばせなくてはならなくなるかもしれんぞ。』

瑞季の入院中、新堂は何度か谷口にそう告げられていた。


下咲瑞季の身体の中には、二つの人間の魂が宿っている。
一つは死を選びながらも肉体は生きている「下咲瑞季」。
もう一つは生を与えながら肉体は死んでいる「石田連太郎」。

相反する二つの魂は、精神と肉体の拮抗を崩し始めていた。

正すためにはどうすればいいのか。
行き着いた結論が、石田連太郎の供養だった。

死んでいる人間を真に成仏させることで、二つの魂が一つに淘汰されるかもしれない可能性。

「・・・」

それは、下咲瑞季の中にいる石田の魂を淘汰させることになるかもしれなかった。

「・・・くそ、」

それでも、「下咲瑞季」を救うためには、やはりどちらか一人しか生きられないのが、自然の摂理。

もはや無視はできなかった。

「・・・そんなのは、嫌だ。」

新堂はこれまでも、何度も何度も、メモを握り潰しては広げてを繰り返していた。

そして今再びメモを握り潰して、捨ててしまおうと拳を振り上げる。

「・・・くそ!」

だが結局、今日もこの紙を捨てることができなかった。

鼻頭がつんと痛む。

「・・・救いたい。助けたい。失いたくないんだよ、・・・神様」

神様にすがることのほとんどなかった人生で、新堂は丸めたメモを両手で包んで額にあて、何度も見えない神に祈った。

「・・・」

そして新堂は悲痛な面持ちで、手の中で丸まったその紙をポケットにねじ込んだ。


          

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