僕のことを愛してください(仮)

みーなつむたり

19話 僕の仕事


約束の時間になっても、新堂の車はどこにも見当たらなかった。
瑞季は駐車場の角でフェンスに背中を預けてぼんやり空を眺めていた。
曇りがちの空には星が見えない。

「瑞季、」

ふと名を呼ばれ、瑞季の身体がびくんと揺れた。その声で、誰が呼んだのかわかった瑞季は振り向かなかった。

身体が強ばる。

「あんた、病気してちょっとは大人しくなったみたいだけど、やっぱりビッチなのは変わってないね」

案の定、声の主は山岸比菜子だった。

山岸は長い髪を風にたなびかせ瑞季の傍に来ると、高圧的な笑みを浮かべた。

「人の彼氏に手を出しておきながら、他の男にも手をつけるって、ホントやりたい放題だよね」

瑞季は何も答えず、俯き、山岸がどこかへ去るのをじっと待った。

だが山岸の嘲笑は止まらない。

「どこで引っ掛けたのか知らないけどさ、そんなガリガリのあんたでもいいなんて、その男もどうかしてるね。そいつ、知ってんの?あんたが友達の男を寝取るビッチだってことをさ、」
「・・・寝取ったのは、比菜子じゃない」

意図せず口をついて出て、瑞季は驚き手で口を塞ぐ。

「はあ?何言ってんの?私が先に片瀬さんと付き合ってたんでしょ?あんたが後から手を出してきたんじゃない!」

(違う!)

山岸の言葉を脳が激しく拒絶する。

だが瑞季は歯を食い縛ってやり過ごし、事なきを得ることだけを必死に願った。

「・・・!」

その時、突然やってきた車が目の前に停まり、激しい光でパッシングした。

あまりの眩しさに、瑞季も山岸も目を細める。

「何やってんだ!」

怒号に近い声で叫び、車から降りてきたのは新堂だった。

その姿を見て、山岸は鼻で笑って車とは逆方向に歩き出した。だが去り際、とても小さな声で瑞季に言った

「あんたなんか、死ねばよかったのにね」

瑞季に向けられたその冷笑が、脳の一部を激しく焦がす。

(そうよ、私なんか、死ねばよかったのよ)

「ああああ!」

血の気が引き、身体が一気に震え出す。
瑞季は崩れるようにその場に踞った。

「下咲さん!大丈夫ですか?」

慌てて駆け寄る新堂に肩を捕まれ、身体がいっそう震える。
荒い呼吸のまま、瑞季は涙で濡れた真っ赤な瞳で新堂を見上げた。

「新堂さん、違った」
「え、何が、」
「・・・瑞季さん、自殺でした」
「え、何、どういう、」
「俺、よけいなことをしたみたいです。瑞季さん、自殺だったんです。あの日、コーヒーに薬を混ぜて、・・・瑞季さんは死にたかったのに、俺ホント、バカだ」

止めどない涙を流しながら、瑞季は小さく声を立てて自嘲気味に笑った。

「俺、何てバカなんだ、俺、」
「もういい。とりあえず、帰りましょう。立てますか?」

新堂に支えられるように立ち上がろうとするが、足が震えて上手く立てない。

「・・・もう、放っておいて。」

俯き、消え去るような声で瑞季が呟いた。
新堂には、それがどちらの言葉なのか判断できなかった。だが、

「放ってなんておけません。ほら、帰りましょう。」

至極穏やかに瑞季を抱き抱えようとした。

「もう放っておけよ!俺のことなんか、俺たちのことなんか、お前に関係ないだろう!」

強い口調だが震えた声で言う瑞季は、力ない両手で新堂を突き放す。
そしてそのまま両足を抱えて小さく踞ってしまった。

「もう、放っておいて。」

震える声は嗚咽に変わる。

「放っておきませんよ。俺は救急救命士ですから。」

新堂の声は、今まで聞いたどの声よりも凛と筋が通ってまっすぐに響いた。

「何度でもあんたを救いますよ。それが俺の仕事ですから。」
「・・・仕事、」
「そう。仕事です。俺がこの世に生まれてきたのは、この仕事のためだって、今朝気がついたんで。」
「仕事のため、」
「そうです。だから、あんたは気にせず、俺に救われてください。」

恐る恐る瑞季が顔を上げる。
新堂は瑞季の目の前にしゃがんでいた。

「仕事は報酬がないと成り立ちません。俺の仕事の報酬は、あんたが幸せになることです。そのためなら、俺は何度でもあんたを助けに来ますよ。」

もう涙で何も見えなかった。
瑞季は声を上げて泣くことしかできなかった。
新堂はゆっくり瑞季に手を差しのべ、ゆっくり自らの胸に引き寄せた。

「あんたはもう、頑張らなくていい。頑張りすぎです。ちょっと、休みましょう。」

暖かい腕の中で、ようやく瑞季は小さく頷いた。

          

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