線香花火

銀足車道

巻狩

 夏が終わり涼しくなった頃、北条時政の一族は天城で巻狩を行った。時政は、喜衛門の武芸が上達していくのを見ていたが、それは平均的であり驚くほどではなく、まだ納得できずにいた。
「猪が出たぞ」
 多助が叫ぶと、武士たちは囲むようにして追い詰めていく。
「それっ。」
 まず初めに、多助が矢を放った。が、矢は猪と全く違う方向に飛び、木に刺さった。他の武士たちも懸命に射るが、全く当たらない。速水も同じだった。止まった的では百発百中の速水も、動く的は難しかった。
「情けない」
 時政は、そう呟くと喜衛門の方を見た。驚いた。猪が喜衛門の方へ向かって突進していくではないか。いけない。このままでは、怪我をするぞと思ったその時であった。ストン!矢は猪の脳天に突き刺さった。猪は静かにぱたりと倒れた。見事だ。時政は感心した。射たのは喜衛門であった。
 突進してくる猪を見た瞬間、喜衛門は河津三郎祐泰と刀を合わせたときのように無心だった。そして体が勝手に動いた。
「おお」
 と武士たちは、ざわめいた。射たのが喜衛門であることを知ってまたざわめいた。
「へっぽこ侍、まぐれの巻」
 多助はそう言って皆を笑わせようとしたが、誰も笑わなかった。そればかりか、皆、多助を睨んだ。この日以降、喜衛門のことを馬鹿にする武士はいなくなった。また、多助に従って弱い武士を馬鹿にするということもなくなった。皆、必死に武芸を鍛錬するようになった。こうした動きは多助にとって気持ちよくなく、くだらねえと言って、どんどん落ちぶれていった。そんな多助についてく者はいなくなった。
 時政は源頼朝に言われた言葉を思い出していた。天性のもの。動いている猪の脳天を射る。そんなことを常人ができるはずがない。こいつは得をした。凄まじい家来を得たものだ。戦のときにはこいつを頼ろう。と固く決意をした。

「線香花火」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「文学」の人気作品

コメント

コメントを書く