線香花火

銀足車道

祖先

 平安時代後期、一一七五(安元元)年、賀茂郡川津郷稲取村。漁師の喜衛門は海を眺めて溜息をついていた。
 そう後太朗の祖先は、漁師だった。
「おうい。喜衛門。運脚に決まっただってじゃあ」
 幼馴染の漁師、八兵衛に話し掛けられると、喜衛門は、また溜息をついた。喜衛門は、税であるところの調を都まで運搬する運脚に選ばれたのだった。伊豆における調とはカツオ節である。旅費は、村から出るとはいえ、平安京までの旅は命懸けだ。
 それに都の良い噂は聞かない。この時代、伊豆は配流の地であった。都から配流されてきた武士や貴族たちは、金や地位に目がくらみ、権力に溺れた平氏の腐敗した政治の様子を次々に説いた。
 都の様子は伊豆に伝わり、伊豆の武士たちは、不満を募らせていった。
「都に行けるなんてうらやましいなあ」
 八兵衛にそう言われて喜衛門は腹が立った。
「おめえは、平氏が好きなのか。こないだも藤原の貴族が配流されてきただってじゃよお。平氏以外は、良い思いできねえんだって。歯向かえば終わりだ。税も高くなってるし。都に行って、税が足らねえって言われたらどうするよ。おらあ、終わりさ」
「わりいわりい。そんな怒るなえ。ところで冷には言ったのけ」
「結婚のことけ?まだだよお」
 喜衛門には、冷という恋人がいた。漁師の娘であったが、色は白く、透き通った肌、さらさらとした長くつややかな黒髪にぽってりとした唇。どこか気品に満ちていて美しい女性であった。
 村民は、当初、都から配流されてきた藤原氏の娘だと言って噂したものだった。実際は、隣りの白田村から越してきた漁師の娘であった。
 喜衛門は十七歳で、冷は十五歳。当時としては、結婚してもおかしくない年齢、この運脚が無事に終わったら結婚を申し出るつもりだった。
「今日にでも知らせるよお」

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