白犬の一生

黄舞@ある化学者転生3/25発売

白犬の一生

やぁ。初めまして。私の名前はコロ。北国に住む6人家族の飼い犬だ。。
これは私が経験した日常のお話。多分どこにでもある、特別なことは何もない、そんなお話。

私は今住んでいる家の長女が生まれた年に産まれた。何かの縁だろうと家長が知り合いから私を引き取り、大切にするでもなく、邪険に扱うでもなく、ごく自然に家族の一員として迎え入れてくれた。
冬には一面を雪で覆う寒い北国なのだが、私の家は外に置かれた大きくも小さくもない、赤い尖った屋根を持った犬小屋だ。ご飯は毎日3食。料理好きのお母さんが作った食べ残しを毎日貰った。4人の子供達が大きくなり、食べ盛りになると、食べ残しが少なくなって来たのか、市販のドックフードが増えた。

若い頃は子供達が私を散歩に毎日連れていってくれた。理由は流行りのテレビゲームの本体を買ってくれる条件として、1年間休まずに散歩に連れていくという、家長が一番上の子供、長男に約束をしたためだった。
若い頃というのは、いわゆる私の成犬期なのだから、子供の力では散歩に連れていくというより、私の行きたい方向に引きづられると言った方が正しかった。
たまに勢いに負け手網が幼い手から手放されると、私は駆け出し、春を謳歌した。と言っても夕方の食事時にはきちんと我が家に戻るのだが。

目当てのゲーム機を手に入れると長男はめっきり私を散歩に連れて行ってくれなくなった。それでも家長やら、お母さんやら、長女が散歩に連れていってくれた。その内、次男も散歩を買って出て、私に引きづられながらも、自分の意志を通そうと必死に綱引きさながら、全体重をかけ進む方向を決めようと頑張っていたので、その時ばかりは私も年長者として次男に勝ちを譲ってやった。
もう1人次女がいるのだが、次女はあまり散歩が好きでは無いようで、小さい頃に次男に付き添われ数回来た以外は、私と町の風景を楽しむようなことはしなかった。

この家の家長は、町にある私立高校の教諭だ。田舎の町特有のヤンチャな学生達相手に日々教鞭を振るっている。大の酒好きで、忙しい合間を縫って、家の近くの寮の親父とほぼ毎日のように深酒を楽しんでいた。普段は真面目が服を着ているような性格だが、酒に酔うと陽気になり、母親譲りの歌好きが顔を出すため、寮から離れたカラオケ付きの田舎のクラブまで足を運んでは、その美声を披露していた。
お母さんは専業主婦だが、婦人活動に熱心で、他の主婦仲間と一緒に毎日のように集会場に行っては、女性の権利の向上やら、子供の未来の安全やら書いたビラを、広報誌にせっせと挟んでいた。子供達も小さいうちはそこに連れていかれ、近所のおば様達が子守り代わりだった。

長男は可もなく不可もない、平々凡々な男で、それなりの学力、容姿、交友関係を持ち、地域で2番目の進学校に行き、と言っても地域に進学校は2校しか無いのだが、自分の趣味の工学の大学へ進み、片道1時間半の通学を初年度に試みたが、欠席過多による留年を期に一人暮らしを始めた。
長女はこの家では1番の才女で、家長がいつも家族に自慢していた、自分は学生の頃は成績表で甲しか取ったことがないというのを地でいっていた 。長男と一緒に習い始めたピアノを全校集会で伴奏したり、小学生、中学生と生徒会長を担ったり、美術部に所属し、友達と一緒に書いた本を街のイベントに持ち込み販売したりと、才能に事欠かなかった。運動も飛び抜けて優れていた訳では無いが、持ち前の170cmを越す長身を活かし、そつなくこなしていた。今は地域の1番の進学校に通っている。

次男は一風変わった男で、家長に似て理系の学問に秀でていたが、中学生になった最近は毎日学校の図書室に篭もり、中国の思想家や詩歌の本を漢文で読んでいた。仕舞いには白文でも読めるようになっていた。努力家の長女とは異なり、勉強が嫌いで好きな事は人一倍優れていたが、興味が無いものは赤点を取る始末だった。本人曰く授業中に理解できない事があるのは先生の教え方が悪いからなのだという。
次女は非常に愛嬌のある顔立ちと性格をしていて、他の兄弟の誰よりも外交的だった。一方、学力に関していえば兄弟の誰よりも不得手で、次男に分からない所を質問しては、何故こんなことも分からないのかと言われ、更に苦手意識を強めていく悪循環に陥っていた。また、小学校中学年のクラス替えの際に運悪く環境の犠牲者となり、外交的だった性格もなりを潜め、保健室に通う毎日を過ごしていた。

最近私もめっきり体が弱り、昔ながらのヤンチャな学生が消え、代わりに不登校など問題が内在化した影響で、自由な時間が増えた家長が連れていってくれる散歩も、億劫に思うようになってきた。家長は健脚家で50の声も近いというのに、1時間以上も早歩きで休みなく歩くから、こちらが先に息を上げてしまう。
歳をとったせいか自制もきかなくなり、この前などいつもの様に夕食を運んでくれたお母さんの手が目の前に来たのを煩わしく思い、つい、勢いよく噛み付いてしまった 。口に血の味が広がり、お母さんは悲鳴を上げたが、大雑把な性格なのか、逆にごめんねと一言発すると、手当のため家に入っていった。

その後姿を現したお母さんは右手に包帯をしばらく巻いていたが、家族の誰も私を責めることは無かった。どちらかと言うと、お母さん、おっちょこちょいだねと、話の種にしていた。
思えばこの家の住人達は怪我に対して寛容だった。長男が小学生の頃、草刈り用の鎌で遊んでいて、長女の親指と人差し指の間の付け根に消えない傷を付けた時も、次男が幼稚園を卒業した春、長男を追いかけて、ガラス張りの扉に飛び込み、左胸や手首に深い傷を負い、救急車で運ばれた時も、適切な処置はしたものの、話の種にはするばかりで、起きてしまったことをくどくどとぶり返したり、激しく叱責するような事はしなかった。

そんなお母さんが運んで来てくれる食事も最近は喉を通らなくなった。本能に従い、長持ちしそうな物は穴を掘ってそこに埋めた。たまに食事を与えるのを忘れられるため、非常食代わりだった。
今日も次女が残した学校の給食のコッペパンを雪の中に埋めた。

正月の間、家族は毎年家長の実家の本州へ出かけ、1週間ほど家を空ける。その間は隣のおばさんが食事をくれるのだが、言っては悪いがその時の方が食事は豪華だ。
旅行から帰ると家族は冷え切った家を暖めるためストーブを付け、6人分の荷物を家の中に運び、凍結防止のために落としていた水道の元栓を開けて回っていた。その間次男と次女はストーブの前に陣取り、お尻を温めていた。

その日は特に寒い日だった。帰省に同行するために家に戻ってきている長男が雪掻きのため、家を出た。
外は一面真っ白で、くるぶしまで積もった雪をママさんダンプで掻き出し、玄関先に積み上がった雪山をさらに高くする。ふと、その麓に目をやると、長年一緒に暮らしてきた老犬が雪の上に横たわっているのが見えた。

寝ているにしては様子がおかしい。ママさんダンプを壁に立て掛け、頭に積もった雪を払いながら近づく。痩せ細って骨が浮き上がった肋骨は、浮き沈みを見せることなく、時間が停まったかのように動かなかった。
履いていた手袋を外すと、そっと触れてみた。周りの雪のような冷たさを与えるその身体はひとつの命の終わりを示していた。

慌てて長男は家に入り、家族に老犬の死を伝えた。誰もがその言葉に驚き、我先にと玄関先に向かった。
家族は亡骸を裏庭に植えているりんごの木の根元に埋めた。この木は次女が生まれた年に記念にと家長が植えた木だった。

植えてから1度も実をつけたことない木だったが、その年の秋、木には小さな赤い実がなっていた。

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