天才にして天災の僕は時に旅人 第一部

流川おるたな

成長する

 僕は父と母の愛に育まれ、それはもうスクスクと成長していった。
 と言っても身体的な成長がスクスクとしていた訳では無く、行く行くはIQ300以上になる天才的な頭脳の話だが。
 生後3ヶ月が経過して首が据わる頃には、パパ、ママと言葉を発して両親を驚かせ、1歳になる頃には絵本に興味をしめし、書いてある文字を少しずつ覚え出し天才の片鱗を見せ始めていた。
 3歳になる頃には絵本どころか普通に小説を読み始め、その内容を全て暗記して読み上げて、両親を喜ばせるどころか青ざめさせたらしい。
 ただ、3歳になるまでの期間に両親は不思議な体験をする。
 我が家にだけ雨が降ったり、やたらと家の周囲の木に雷が落ちたり、庭に小さい竜巻が幾つも発生したり、庭の木が突然燃え出してしまう現象だ。
 普通ではあり得ないし起こらない現象。
 頭の良い両親だったのだけれど、原因が僕にある事を突き止められなった。いやいや、柱間響子さんは気付くべきだろ!とツッコミだけは入れておく。
 両親は気付けなかったのだが、当の本人は3歳にして自分の仕業だと認識していた。認識出来てからは徐々にその力を調整していたと思う。
 この力は言わずもがな、僕が胎児の時に身体の中に宿ってしまった妖怪の大嶽丸の所為である。幸い大事件にならず済んでいたけれど、3歳の僕には必要の無い能力だったので迷惑なだけだった。否、たまにその能力で「キャッキャッ」言いながら遊んでいたので、実際のところ満更でもなかったかも知れない。
 5歳にもなると僕はパソコンに手を出した。
 最初はゲームで遊ぶのが目的だったのだが、7歳でプログラミングをマスターして自分でゲームを作り出していた。
 出来の良いゲームを作ったと確信が持てた時はゲーム制作会社にネットを使って売り込み、商品化されて多額の報酬を得る事もあったのである。おっと、もちろん売込みは父の名前を使用していたので問題ない。
 ただ、父の口座を黙って使用した所為で、記帳をして多額の入金に気付いた母が卒倒した事もあった。それからは、ゲーム制作で得た報酬の入金がある前に、両親には経緯を説明するようにしている。
 家の直近にある公立の小学校にも普通に通ったと言いたいのだけれど、天才にして天災の僕が普通に通える訳が無かった。
 普通の小学生が6年間で学習すべき内容を小学1年生でマスターした僕にとって、授業は拷問にすら感じてしまっていたのである。
 授業に苦痛を感じる事だけが理由では無かったけれど、2年生に進級してからは小学校に通う回数がめっきり減ってしまった。
 だが生物にとって有限である時間を無駄にする僕では無い。
 学校に行かない日は自宅でゲーム制作をしたり、報酬で購入した大量の本を読み漁り、知識を吸収する事に没頭していたのである。

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