永遠の抱擁が始まる

悪魔めさ

第四章 三人の抱擁が始まる【エンジェルコール3】

 小出しに運ばれてくるいくつもの料理に舌鼓を打つ。
 
 キャンドルに灯った小さな炎がわずかになびき、それがあたしには喜びに震えているように見えた。
 このような空想をするあたり、自分は単純なのだろう。
 
「展開からしてさ」
 
 テーブルの上に指を組んで、あたしはそこに顎を乗せる。
 
「まだ続くんでしょ? その話」
 
 ワインでほんの少し頬を赤らめながら、彼は頷いた。
 
「もちろん」
 
 キャンドルの炎が、また小さく揺れる。




 裁判官のおじちゃんは懺悔すると宣言しておきながら、なかなか最初の一言を切り出そうとしない。
 お客様が話しやすくするために、僕からフォローを入れてあげなきゃ言い出しにくいみたいだ。
 
 僕は微笑みかけるように問う。
 
「お客様のようなお仕事の場合、一般的には珍しいケースに遭遇することもおありではございませんか?」
「ああ、まあ、そうかも知れないな」
 
 何でもいいから喋らせれば人間はいつの間にか饒舌になってゆく。
 その習性を利用するために、僕はわざとどうでもいい話題を口にさせる。
 
「印象に残ったエピソードといいますと、どのようなものがございました?」
「ロウ君は私のことを見守っていたのではないのかね?」
「見守るといっても期間がございましたし、お客様のプライバシーに関わりそうなことには触れぬよう注意しておりました」
「そうか」
「ですのでお客様がどのような体験をなさったのか、全てを知っているわけではないんですね」
「まあ、そうだろうな。すまん」
「いえいえ、とんでもございません」
 
 僕は再びモニターに向かって頭を下げる。
 
 裁判官のおじちゃん曰く、ほとんどの公判は「どちらか一方が悪い」っていう事件は少ないらしい。
 だいたいは揉めてる両方に何かしら、それぞれの非があるんだって。
 なんだけど例外もたまにあって、おじちゃんの印象に残っているのはある小学校の土地の権利を争った裁判だって言ってた。
 
「あれは楽だったな」
「と、申しますと?」
「被告も原告も、どちらも嘘を言わないんだ」
「ほう。それはまた何故でございましょう?」
「解らん。学校を守るための訴えを起こした教師側が正直なのは解るが、何故だか不正行為を犯していた土地貸しまで嘘を言わない。嘘をついたとしても、自ら『嘘だけど』と口を滑らせてしまうんだな。もちろん学校側の大勝利で幕を閉じた」
「それは審議が楽でございましたでしょうね」
「皆、ああだったらいいんだがな」
 
 おじちゃんはそう言って少し苦笑した。
 いつも苦労しているんだろう。
 
 僕は再び優しげな声を出す。
 
「懺悔の内容というのも、やはりお仕事に関することでございますか?」
「関係なくはないが、話はもっと前まで遡る」
「さようでございますか」
「ああ。私が妻と死別しているのは知っているかね?」
 
 ええ、存じております。
 って応えたら、おじちゃんは声のトーンを暗くした。
 
「妻は重い病にかかっていた」
 
 あえて相槌を打たず、僕は黙って続きを待つ。
 
「脳にまで影響があったんだろうな。末期になると、実際には無い記憶を持つようになっていった。錯乱状態というべきか」
「実際には無い記憶、でございますか?」
「ああ。自分の鼻の穴は十個以上あったはずだとか、まえからあった家よりも巨大な剣士の像が無くなっているだとか、それはまあ色々と騒いでいたよ」
「それはご苦労なさったことでしょう」
「いやなに。ただ、最も厄介だったのが『幼い娘がいる』という記憶だった」
「お嬢様が?」
「いや、うちは子宝に恵まれなくてな。娘なんて最初から居ないんだ」
「ええ、さようでございますよね」
「その記憶だけはなかなか消えてくれない」
「と、なりますと」
「うむ。毎日のように妻は『娘はどこだ』と探し出そうとするんだ。最初から存在していない娘をな」
 
 そんな折り、おじちゃん夫妻は病院で栗毛の綺麗な女の子と出逢ったんだって。
 女の子は予防接種か何かで病院にいたみたい。
 奥さんはその女の子を「私の子だ」って思い込んじゃって大変だったんだそうだ。
 
「よその子に、妻が泣きながら抱きつくんだ。自分で名付けたであろう架空の娘の名前を叫んでな」
 
 あれは奇跡のような子供だったって、おじちゃんは言う。
 
「その子は妻の様子と慌てている私の顔を見て、何かしらを察してくれたんだと思う」
 
 女の子がはっきりと奥さんの目を見て言ったんだって。
 
「心配かけてごめんね、お母さん」
 
 おじちゃんが思い出話を続ける。
 
「賢いのか、妻の迫力のような気配に流されたのかは判らないが、まだ小さな女の子が、妻に対して『お母さん』と──」
 
 それがどれだけ私と妻を救ったのか計り知れない。
 って、半分泣き声になっておじちゃんは言った。
 
「女の子がしてくれたのはそれだけじゃない」
「ほほう」
「ベットから起き上がれない妻を毎日のように訪ねてくれるようになった。妻は嬉しそうに、その子に本を読んで聞かせていたよ」
「それはまた心が洗われるようなお子様でございますね」
「全くだ。結局その子は妻を看取ってくれた。私と一緒に涙まで流してくれたよ」
 
 で、それから数年後。
 つまり最近のことだ。
 ある事故が起きちゃったらしい。
 どっかの大富豪が乗っていた大型の馬車が暴走して通行人に突っ込んでしまったんだって。
 
「大通りでのことだったから被害者は大勢いてね。裁判は長引くことが予想された。なんせ大事故だ。富豪は腕のいい弁護士を雇い、慰謝料を抑えようとする。『不可抗力の事故』として処理しようとするわけだ。一方被害を受けた側は仕方がなかったでは納得できない」
「そういうものでございましょうね」
「被害者のリストを見て、私は愕然としたよ」
「あ、まさか」
「ああ。妻が娘と信じた、あの子の名があった」
 
 あの子は両親も兄弟も、右腕も失っていたよ。
 おじちゃんは沈んだ調子でそう言った。
 
「その裁判はまだ続いているのでございますか?」
「いや、先日終えた」
「結果は……」
「私は法を守る立場にある。いかなる理由があろうとも個人的な感情による判決は出せない」
 
 事故の原因になったお金持ちは結局、慰謝料を最低限に抑えることに成功しちゃったみたい。
 
「女の子はもう十歳になっていた」
「お逢いにはなられたんですか?」
「一度だけ、本人確認の意味もあって見舞いにな。確かにあの子だった。最も昏睡状態で話は出来なかったが」
 
 そこで突然、変な音が耳元で鳴った。
 ヘッドフォンが壊れたのか、通信障害でも起きたのかって思っちゃったけど、それはおじちゃんの泣き声だったんだ。
 
「私と妻の心を救った恩人に、私は何もしてやれなかった!」
 
 猛獣が吠えるみたいな大泣きだ。
 ここまで涙を流す成体なんて初めて。
 
「ロウ君、お願いだ。あの子を救ってほしい」
「かしこまりました。わたくしにお任せください」
 
 よーし、魂ゲットのチャンスだぞ。
 ここは精一杯恩を売らなくちゃ。
 
 僕は内心、よっしゃーと両拳を天に突き立てる。
 
「今後のためにお客様のポイントを最小限に抑えつつ、その子が救われるような手はずを整えましょう」
「あの子の家族は生き返らせられないんだったな」
「はい、残念ながら。腕の再生に関しましても凄まじいエネルギーを必要とします。とても千ポイントでは足りません」
「ではせめてあの子から苦痛を取り除いてやってくれないか?」
「かしこまりました。ただ精神的な苦痛を取り除いてしまいますと、今後少女が冷たい人間に育ってしまう可能性がございます。ですので今回は一時的に肉体的な痛みのみを取り除きましょう」
「しかし彼女はまだ十歳だぞ? 家族を失った精神的ダメージに耐えられないのではないか?」
「そこもお任せください。傷が完治した後、少女はすぐに施設に送られると思うのですが」
「ああ、そうなるだろうな。私が引き取っても構わないんだが、家族愛で癒してやることが私一人では難しいと思うんだ。正直、どこで暮らすことが少女にとって幸せなのか考えつかず、悩んでいる」
「さようでございますよね。では、こうしてみるのはいかがでしょう? わたくしがすぐ少女が暮らすに適した環境を捜索いたします。基準は『少女の将来性を高めること』と『少女が幸福感を得られること』を前提といたします」
「うむ」
「もちろんお客様のご自宅も選択肢の中に含んだ上で彼女にとっての一番を探させていただきますのでご安心ください」
「そうか、すまん」
「とんでもございません。ただですね? お客様のご自宅が選考から漏れてしまった場合は……」
「解っている。了承しよう」
「ありがとうございます」
 
 それではすぐに理想的な施設を探し出し、そこに入れるよう手配させていただきます。
 おじちゃんにそう伝えると、彼はまた泣いた。
 
 もう大人なのによく泣く人だなあ。
 でも、なんかいい人だな。
 
「ありがとう、ロウ君。本当にありがとう」
「いえ、そんな、とんでもございません!」
 
 見えてないのに、慌てておじぎをして返す。
 
 ありがとうってたくさん言われちゃった。
 いいことすると、なんか気持ちいいなあ。
 ちょっとだけほっこりした気分だ。
 
 おじちゃんはというと、懺悔も済んでスッキリしたんだろうね。
 さっきとは全く逆で、ご機嫌な声色になっている。
 
「ロウ君。次の願いなんだが今決めたよ」
「今、でございますか? 慎重になったほうがよろしいですよ?」
「ああ。慎重だし、冷静だとも」
 
 続けておじちゃんは願い事を言う。
 それを聞いて、僕は思わず「ええ!?」って大きな声を出しちゃっていた。
 
 ヘッドフォンをしたまま、改めて広大なオフィスを見渡す。
 数え切れないぐらい、もの凄い数の悪魔たちがお仕事してる。
 
 周りの仕事仲間たちに聞こえないよう、おじちゃんには忠告を何度も残した。
 でも、意思は固いみたい。
 僕はペコペコとおじぎをしながら回線を切る。
 
 これだけいるオペレーターの中でも、きっと僕が初めてだろう。
 当コールセンター史上初の願い事を、おじちゃんは次に叶えようとしている。

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