永遠の抱擁が始まる

悪魔めさ

第三章 最初の抱擁が始まる【五千年の約束1】

「そなたのような人ならぬ者の血が赤いとは不可解な」
 
 女王は言って、笑います。
 彼女がけたたましい声を上げながら鎖を振るうと、男は顔面の痛みのために悲鳴を上げ、床を血で汚しました。
 男は後ろ手を縛られており、うつ伏せのような体勢で吊るし上げられています。
 服の一切は脱がされていますが、女王のせいで全身はくまなく赤く濡らされておりました。
 
「ははははは! 良い気味じゃ!」
 
 女王は、それはそれは嬉しそうです。
 しかし彼女の目は少しも笑ってなどいません。
 
「そなたのような愚者でも、さすがに自分のなにがどう悪いかを理解したであろう? 申してみよ。そなたの罪は何じゃ?」
 
 しかし男は呻くばかり。
 言語を発しようとはしません。
 
 女王はしゃがみ込むと、男の髪を掴んで顔を自分に向けさせます。
 
「痛みの余り、口が効けぬか。では少しばかり治してやろう」
 
 血に塗れながらも美しい手。
 それを男にかざすと、みるみるうちに傷口が塞がってゆきます。
 
「どうじゃ? 話せる程度には痛みが和らいだであろう? さあ言え。そなたの罪は何じゃ?」
 
 男はそれで、恐る恐る口を開くことになります。
 
「私の言葉が足りず、女王様に誤解をさせてしまうようなことを申し上げてしまいました」
「違うわ愚か者めが!」
 
 怒声と同時に鎖が飛びます。
 男の眼球に、それは強く当たりました。
 
 男は身動きを封じられているせいで、もがくこともできません。
 ただただ悲痛の声を上げ続けるばかりです。
 
 そんな男に、女王は何度も何度も鎖を振るいました。
 
「そもそもは! おぬしが! わらわの言を勝手に曲解し! 先走って! わらわに無駄な忠告をよこしおったのだ! 愚か者! 無礼者! そなた! 聞く耳がないのか!? わらわが! 祭り事を中止にするなどと! いつ申した!? 言え! いつ申した!? それを! おぬしは! わらわに! 祭り事を続行すべきと! 馬鹿者が! そういったとは! 祭り事の中止を! 提案した者に! 申せ! 愚か者! 愚か者! 愚か者!」
 
 女王が最も嫌うこと。
 それは言葉が通じぬことでした。
 説明の足りぬ者には「人に伝わらぬ言葉など言葉ではない」と責め、理解が及ばぬ者には「正確な言葉を正確に聞けぬ者は人ではない」と責めました。
 
 今から記す物語は、遠い遠い昔の、ある国の御話です。
 
 現代の巷では太古の男女が抱き合ったまま発見されたとか。
 その数は三組に及ぶと耳にしております。
 
 ですが、世にある抱き合った男女の遺骨は果たしてその三組だけなのでしょうか?
 いえ、そうではありません。
 未だに見つからぬ四組目があるのです。
 
 片方は男。
 片方は女。
 
 女は、誰よりも人に苦しみを与えたこの女王です。
 彼女には地位があり、名誉があり、富があり、足りぬ物などありません。
 その権力は天にそびえる巨大な塔を建設させるに至っております。
 
 全てを与えられ、何不自由ない暮らしを続けると人はどうなってしまうのでしょうか。
 通常の娯楽では満たされず、女王は常に拷問を行うこと快感を得ておりました。
 
 あまりに酷い拷問に耐えられず、自分の非を認めることで逃れようとする者は少なくありません。
 しかし女王は不敵に笑みます。
 
「そうかそうか。ようやく解ったか。おぬしがどれだけうつけ者なのか、ようやく解ったか。人はな、頭が良いから人なのじゃ。言葉の通じぬそなたはしたがって、人とは程遠い。人間以下じゃ。そのような馬鹿はわらわの国に要らん」
 
 そう言って、今度は死に至るまで何日間も苦しめ続けるのでした。
 
 どんなに酷く痛めつけられても、女王に逆らい続ける民も稀にいます。
 そのような数少ない人種にも、彼女は高らかに笑いました。
 
「ほう。ここまでわらわが尽くしても、まだ解らぬと申すか。おぬしほどの阿呆は珍しい。褒美に、先ほど潰したおぬしの目、見えるよう戻してやろう」
 
 男の両目にしばらく手をかざしてから、女王は部下に合図をします。
 すると、男の前には巨大な水槽が運ばれてきました。
 中にはおびただしい数の小魚が泳いでいて、まるで風に散る花びらのようです。
 
「見えるか? 西より取り寄せた人喰いの魚じゃ」
 
 水槽に肉を放り込むと、魚たちが一斉にむらがって喰らい、あっという間に骨だけが水底に沈みます。
 
「この魚、血の匂いを好む好む」
 
 女王の目が残酷な光を帯びました。
 
「おぬし、妻があったな? 連れてきてある」
「おやめください!」
 
 何かしらの悪い予感を察して声を荒げる男の顔を、女王は冷たく一瞥します。
 
「うるさい」
 
 言うが同時に部下の一人が手慣れた手つきで男に猿ぐつわを噛ませました。
 
 石だけで作られた地下の拷問部屋に、男の妻が通されました。
 彼女は男と同様に後ろ手を縛られ、一糸纏わぬ姿です。
 
「なかなか美しい女ではないか」
 
 女王はそして、部屋中を見渡します。
 
「誰か! こやつを犯したい者はおるか! 何人でも構わんぞ」
 
 おお、と声がして、兵士の数名が手を挙げます。
 
 満足したかのように女王は深く頷き、他人の妻を部下たちに与えました。
 男は「んー!」と何度も喉を鳴らし、激しく首を横に振り続けます。
 その表情は、女王が最も見たかった光景でした。
 
 女王は片手を自らの乳房に、もう片方の手を下腹部に忍ばせます。
 自身を愛撫しながら、恍惚とした顔で命じました。
 
「大臣を呼んでまいれ」
 
 やがて兵士たちが果て、男とその妻ががっくりとうなだれる頃、女王は舌舐めずりをします。
 
「おぬしの妻、おぬしが馬鹿なせいでずいぶんと汚されてしまったのう。言葉が通ずる程度の最低限の英知がおぬしにあればよかったのにのう」
 
 言われた男は顔を上げ、涙をいっぱいに溜めた目で女王を睨みます。
 
「ははははは! まだ怒れるとは気の強い男じゃ! だが安心せい。おぬしの女、たっぷりと清めてくれようぞ」
 
 女王の合図で女は吊り上げられます。
 彼女の股から兵士たちの体液がボタボタとしたたりました。
 
 女王は小さな刃を持ち、女の足に当て、すっと引きます。
 白い素肌に、一本の赤い線が引かれました。
 
 女は「痛い」と声を出し、男は再び激しく喉を鳴らせ、許しを乞うような表情を浮かべます。
 女王はそれを、当然のように無視しました。
 
「そなた、わらわの言いたいことが理解できぬのであろ? ならばわらわも解らんな。そなたが何を望んでいるのか、わらわには見当もつかぬ」
 
 そして女王は小さな刃を走らせます。
 薄く小さく、女の足の指を、足首を、膝下を、太ももを。
 女の足元では、白い物と赤い物とが混ざりました。
 
「この魚、血の匂いを好む好む」
 
 先と同じことを言う女王の目の先には例の巨大な水槽があります。
 男がそれに気づき、今までにない大声を喉の奥で鳴らしました。
 妻は泣き叫び、全身全霊を持って抵抗しています。
 
 女王はその悲痛な妻の声を男に聞かせるために、わざと彼女に猿ぐつわを使わなかったのでした。
 
 妻の下半身は赤く染められ、もはや肌の色をした部分がありません。
 暴れれば暴れるほど滴が散って、女王の服に紅色の染みを作ってゆきます。
 
 自分の口元に跳ねてきた女の血を、女王はうっとりと舐め回しました。
 
「やれ」
 
 ジャラジャラと鎖の音がして、女が吊り上げられ、水槽の上まで運ばれます。
 地下室は、嫌がる女の声と男の大きな唸り声でいっぱいになりました。
 
 女は少しずつ、少しずつ降ろされてゆきます。
 しばらくは足を上げて逆らっていましたが、やがて足の一部が水面に達してしまいました。
 魚たちがバシャバシャと、まるで喜ぶ子供のように激しく飛び跳ねます。
 女を中心に赤い物が広がって、水槽の中がどうなっているのか見えなくなりました。
 
 女の悲鳴がさらに高く、大きく響きます。
 男の唸りもさらに激しく、大きくなりました。
 女王の高笑いが止まりません。
 
 女はさらにゆっくりと、少しずつ、少しずつ降ろされてゆきます。
 その都度、魚たちが飛び跳ねました。
 
 女王は先ほど呼んだ大臣を自分の背後に立たせます。
 大臣は既に下半身を露わにしており、男の中心を突き立てると、そのまま女王の中で踊らせました。
 
 貫かれながら女王は喜び、白目を剥いて気を失っている女と、血の涙を流している男の顔を交互に見比べ、快楽をむさぼり続けます。
 
 女王と大臣が満足をする頃になると、男の妻は腰まで水に浸かっていました。
 着衣の乱れを整えると女王はふっと一息つき、尻まで伸びた美しい金髪をかき上げます。
 
 男の猿ぐつわを外すと、女王は優しげに言いました。
 
「先ほどはわらわの部下がそなたの妻を犯してしまったであろう? それはそなたが愚か者だからなのじゃが、だからといってそなたの妻を孕ますのはわらわの本意ではない。子ができぬよう、計らってやったぞ」
 
 女王の合図で滑車が動きます。
 赤く濁っていた水から、女の下半身が引き上げられました。
 
 それを見た男は一瞬押し黙り、しかしすぐに何もかもを吐き出すかのようなとてつもない絶望の悲鳴を上げます。
 
 女王は「次はそなたの番じゃ」と微笑み、愛用の鎖を手にするのでした。
 
 彼女は人の怪我や病を治すことができたので「愛の女神」などと呼ばれ、持てはやされてきましたが、実際は残酷な女でしたから民は安心して暮らすことなどできません。
 いっそ別の言語を作り、会話が通じないことを女王に知られないように工夫する者まで現われる始末です。
 
 しかし女王は「痛み」に興味深々。
 あまりにも拷問をしたいとき、彼女は町娘に扮して街を行き、理不尽を探すようにさえなりました。
 
 酒場で議論を交わしている最中、人の話を途中で遮った酒飲み。
 息子に解りにくい指示を出しておきながら、間違えたら怒るといったパン屋。
 
 城の中でも女王の目は光ります。
 会議の際、気にすべきではないどうでもいいことにこだわった者。
 現実に行ったらどうなるかの想像をせず安易に「こっちのほうが早い」などと間違った手段を提示した者。
 
 彼女の鎖は、多くの者に飛びました。
 
 一方、城の者も国民も、女王に対して油断をしなくなってゆきます。
 どういったことで彼女が怒るのかを観察し、研究し、逆鱗に触れぬよう努めたのです。
 おかげで、拷問死させられる者は一時的に減りました。
 
 そうなると今度は女王が面白くありません。
 以前は自分を怒らせる者をこらしめていましたが、今となっては拷問できないことが腹立たしいことなのです。
 女王の矛先はそこで、娯楽の世界に向けられました。
 
「そなたの舞台、見させてもらったが、あれは一体なんじゃ? なぜあのような下品な言動で民が笑ったのじゃ?」
 
 そのように喰ってかかり、議論を生じさせるのです。
 論争になればこっちのもの。
 噛み合わない会話が出てくるまで言葉を交わし、そこを指摘し、拷問部屋に連行するだけです。
 
「わらわが思うに、そなたの作は二通りの解釈ができるように思う。一つは同じ題材の作品に対して明確な反論を呼びかけるという考え。もう一つは――」
「恐れながら女王様、それは誤った見方にございます」
「わらわの話はまだ途中じゃ! 何故もう一方の説を最後まで聞けぬのだ愚か者めが!」
 
 この流れは非常に便利で、ごく自然に人を痛めるつけることができます。
 女王はすっかり味を占めてしまいました。
 少しでも評判に上ると、どんな娯楽でも進んで観覧するようになります。
 音楽、本、舞台、絵、踊り。
 彼女は様々なものを味わい、わずかでも生じれば疑問をぶつけ、言葉が通じぬという理由で表現者を殺してしまうので、結果的には様々な娯楽をこの世から葬っていきました。
 
 そんな中、ある青年の噂を耳にします。
 彼は物語の使い手で、書ではなく噺で人を魅了するとか。
 
「文字ではなく、物語を喋るのか」
 
 女王は興味を持ちました。
 言葉を使う者がどれほど自分との会話を成立させられるか、試してみたくなったのです。
 
「その者を呼んでまいれ」
 
 再び女王の瞳が残酷に輝き、人を屠るための鎖を手で撫でました。
 
 しかし彼女は結局、その青年を責め殺すことができませんでした。
 彼の繰り広げる物語が、とてもとても面白かったからです。
 それは次のような、壮大で神秘的な物語でした。

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