魂/骸バトリング
20・イゴールちゃん
藪の中を荒れ進む者が怒声と供に飛び出した。
「うがぁぁぁああ!」
緑の鬼が獰猛に飛び掛る先は黒衣の男。
赤と青の鬼を睨む軒太郎を目掛けて真横から鈍鬼が突っ込んで来る。
そして両手の爪を獣のように突き立て、大きく口を開けて牙を光らせる鈍鬼が、軒太郎の首筋に喰らいつこうとしていた。
しかしイゴールに、迫る鬼を任せた軒太郎は、避けるどころか鈍鬼のほうに視線すら向けない。
「パーーンチ!」
飛び掛る鈍鬼の脇腹へ、可愛らしい声と共に放たれたイゴールの巨拳が炸裂する。
「ふごぉ!」
下から突き上げるようなボディーブローが力任せに振り切られると、古タイヤをバットで殴ったような音が響く。
巨拳を命中させたイゴールは、楽しそうな笑顔のまま飛び行く鈍鬼を見送った。
「何ぃぃっ!?」
藪の中から飛び出した鈍鬼の軌道が、イゴールの殴りによって直角に曲がり飛んで行く。
そして地面を滑ってから二人の鬼仲間の足元に転がった。
「普通の人間じゃあねえなぁ、あらぁ~」
「そのようですな、兄貴……」
赤と青の鬼が足元に転がって来た仲間を見ずに話す。
視線は二人の退魔探偵に向けられていた。
勇ましく冷めた眼差しは仲間に慈悲すら掛けていない。
「だが、あいつらを食らえば当分の妖力が蓄えられそうだぜぇ」
「ええ、そうですな」
猛る熱い瞳の龍鬼。
残忍で冷め切った瞳の蛇鬼。
二人の視線が鋭く伸びる。
その先は、軒太郎と憑き姫。
龍鬼が軒太郎を睨み、蛇鬼が憑き姫を睨んで居た。
緊張勘が更に増す。
四つの視線が火花を散らすなか、その間に立ち上がる鈍鬼。
緑の顔面には怒りの青筋が無数に浮き出ていた。
音が聞こえそうなぐらい歯軋りをしている。
「イゴールちゃんは玩具で遊ぶですの~」
イゴールが軒太郎たちの頭の上を飛び越え前に出る。
跳躍の着地に重い体重が地鳴りを波立たせた。
ニッコリと強面を微笑ますイゴールの仕草は子供同然の無邪気だ。
無垢な思考が残忍な天使へと見え始める。
「引き千切ってやるズラ!」
「わーいです」
巨漢の二人が真っ直ぐに走り出す。
互いの仲間二人は動かない。
軒太郎と龍鬼の二人は、先ずこの二人で相手の力量を計るつもりだ。
体の良い捨て駒が、互いに全体重を掛けて体ごとぶつかり合う。
まるでアメリカンフットボールのようだった。
ぶつかり合った肉体が空気を揺らし振動を響かせる。
未だ燃え続ける車の炎を大きく靡かす。
そして、体当たりの激突に二体の巨漢が弾け合う。
ぶつかり合った反動で2メートルほど後方に飛んだ。
「当たりは五分五分だな」
軒太郎が言う。
「あの傷男、鈍鬼と互角か」
龍鬼が言う。
二人の見た目は、突進力を引き分けと述べる。
更に体躯を唸らせ二人が踏み込む。
震脚が地面にめり込み、振動と一緒に砂埃を上げると、握り締められた二つの拳が力任せに発射された。
唸る巨拳と鬼拳。
気合いの両拳が狙った先は、互い共に相手の顔面だ。
緑の顔と、傷だらけの顔に、鉄球のような拳が突き進む。
二人とも攻撃に専念するあまり回避も防御も考えていない。
故に正面から拳激をお見舞いし合い、拳打を喰らい合う。
「「っ!!」」
二体の化け物の口から声にならない声が漏れると、体を仰け反らせながら後ろに倒れ込む。
ドスンッと、敷布団でも二階のベランダから落としたような音が二つ鳴った。
その音の中に混ざって空中に何かが舞っている。
「お?」
呟く軒太郎の視界に、白い歯が数本飛んでいるのが見えた。
龍鬼の視界に、尖った牙が一本飛ぶ様子が見えた。
化け物の歯と牙が地面に転がるとほぼ同時に、二体の怪物が素早く立ち上がる。
「オラの牙が!」
「わはは、楽しーです」
破損した牙の痛みに頬を押さえ怒鳴り声を吐く鈍鬼と対照的に、へらへらと笑うイゴール。
「おお、にゃんだにゃんだ?」
楽しそうに言ったイゴールが、台詞の後に表情をキョトンとさせる。
そして首を右に傾げると視線も右に移動させ、続いて反対側に首を返すと視線も同じく左に向ける。
飴玉を舐めるように、何やら口の中で舌を転がしていた。
「ペッ、ペッ、ペッ!」
突如イゴールが口の中に溜まった血と唾の粘り気を、口を尖らせ三度に分けて吐き出す。
土の上に吐かれた濁る液体には白い歯が数本混ざっていた。
イゴールは、その歯を見てニッコリと笑った。
満面の笑みだ。
「あははは、歯が折れちゃってます」
口を広げ無垢に微笑むイゴールの前歯が、上下共に無くなり、暗く、黒く、惨く見えた。
前歯が在った隙間から赤くくすみかかった舌が見える。
その歯の隙間からは赤い鮮血が溢れ顎を伝って落ちて行く。
それでも笑うイゴールの様子が怪異の如く怖い。
「な、なんズラ、こいつ……」
レスラーのように腰を落とし低い構えを見せる鈍鬼が、イゴールの態度を見て戸惑いを威嚇に隠していた。
鬼が怪物に気後れを表す。
微笑む強面に、屈強な体躯。
そして物騒な全身の傷跡の数々。
その化け物が自信に溢れた足取りで構えらしい構えも見せず歩き出す。
どんどんと――。
隙だらけのイゴールが鈍鬼に近付く。
「鈍鬼、何してやがる! ぶちかましてやれ!!」
鈍鬼の背中に向かって兄貴分の龍鬼が一喝を浴びせる。
その激に答えるかの如く鈍鬼が太い両腕を前に突き出した。
掌は開いている。
その掌内で妖術の影響だろう嵐が誕生しようとしていた。
「喰らいやがれズラ!」
鈍鬼が意気込むと突き出された掌前が陽炎のように揺れながら歪む。
すると掌内から風切り音が吹きすさぶ。
空間が熱を帯びて不自然なままに屈折していた。
そこから強い妖気の流れを感じる。
それは濃縮された妖気だった。
「んん~?」
何が起きているのかと不思議に眺めるイゴール。
揺れる景色に好奇心を示すと車の前に飛び出した猫のように動かない。
ただ、対戦相手の両手の前に現れた歪みをあどけない表情で黙って見ている。
鈍鬼が目の前の歪みを突き出した両手で握り締めるように集めた。
歪む空間が見る見るうちに鬼の掌内に集結して透明な球体を作る。
弾丸だ。
弾丸を作っている。
「鬼門咆哮!」
近寄る為に歩き、好奇心に動きを静止させたイゴールに向けて鈍鬼が鬼道の術を撃ち放つ。
「にゃにゃにゃです!!」
鈍鬼の両掌から発射された見えない弾丸が、空気を巻き込み、風を孕み、妖気を凄めて飛んで行く。
すると二発の剛速球がイゴールの両胸に炸裂して渦巻きながら服を切り裂き、革を抉り、大胸筋を八つ裂きにして行く。
その衝撃にイゴールの巨体が発泡スチロールで作られた像の如く軽々と後方に吹き飛んだ。
飛ぶイゴールの巨体を窺えば、鈍鬼の使った術の破壊力が鑑みれた。
威力は上等な純度である。
イゴールの巨大な図体が後方に居た軒太郎と憑き姫に飛び迫る。
しかし二人は左右に一歩動いて仲間を避けた。
まるで両開きの自動ドアのように動くタイミングがピッタリだった。
二人の間をイゴールの巨体が越えて、更に後ろに飛んで行く。
ずっとずっと後方へ。10メートルほど後方へ。
二人の間にイゴールが飛んだ証の如く赤い血が舞い散る。
軒太郎と憑き姫はイゴールの巨漢を弾き飛ばした鈍鬼の術を目の当たりにしても臆する事無く真っ直ぐ前を見ていた。
その憑き姫の肩に舞っていたイゴールの鮮血が僅かに掛かる。
肩に出来た数滴の血痕。
憑き姫が始めて蛇鬼から視線を外し、己の汚された巫女服の肩を見る。
露骨に嫌な顔だった。
整った顔の眉間に不機嫌な皺を深く入れる。
純白を汚された怒りの眼差しを、八つ当たりのように青鬼へと戻す憑き姫。
それは先ほどよりも凄みを増していた。
再び四人の視線がぶつかり合う。
軒太郎と憑き姫が威嚇を放つ先は――鈍鬼で有らず。
睨む双眸の先は、龍鬼と蛇鬼。
二人には、鈍鬼なんぞ眼中に入っていなかった。
「うがぁぁああ!!」
雄叫びを上げながら鈍鬼が走る。
軒太郎と憑き姫の間を駆け抜け倒れるイゴール目指してだ。
サシの勝負を繰り広げるなか、敵の仲間が野暮な手出しをしないことが悟れているのか、何の警戒もなく鈍鬼は敵二人の間を走り抜けた。
「うらぁぁぁ!」
そして鈍鬼が高く飛ぶ。
太い脚で加速のままに跳ねた鈍鬼が、爪を立てるように開いた両掌内で、妖術にぶれる空間の塊を握り締める。
「鬼門咆哮!!」
妖力で風を渦巻かせながら圧縮した魔弾の飛び道具。
威力も命中精度も上等な鬼の妖術だ。
その術を両手に握りながら宙に跳ねた鈍鬼は、右手、左手と順々に鬼術の弾球を投げ落とす。
投擲された二発の弾丸が唸りを鳴らして迫るとイゴールは、両拳を顎に添えながら「いもむしさん、ゴロゴロ~♪」と、楽しそうに歌いながら横に転がった。
鬼門咆哮が狙いを外す。
二つの弾球が地面を激しく抉って消える。
そこに遅れて鈍鬼が着地した。
転がったイゴールは既に立ち上がっていたが反撃に転じられる程の体制でなかった。
「なめるでねぇズラ……」
鈍鬼は侮蔑されているかのように嘆息を吐いた。
勿論イゴールには、そのような気はない。
ただ、無邪気に振る舞っているだけなのだ。
この戦いを楽しんでいるだけなのだ。
故にたちが悪い。
「うがぁぁぁああ!」
緑の鬼が獰猛に飛び掛る先は黒衣の男。
赤と青の鬼を睨む軒太郎を目掛けて真横から鈍鬼が突っ込んで来る。
そして両手の爪を獣のように突き立て、大きく口を開けて牙を光らせる鈍鬼が、軒太郎の首筋に喰らいつこうとしていた。
しかしイゴールに、迫る鬼を任せた軒太郎は、避けるどころか鈍鬼のほうに視線すら向けない。
「パーーンチ!」
飛び掛る鈍鬼の脇腹へ、可愛らしい声と共に放たれたイゴールの巨拳が炸裂する。
「ふごぉ!」
下から突き上げるようなボディーブローが力任せに振り切られると、古タイヤをバットで殴ったような音が響く。
巨拳を命中させたイゴールは、楽しそうな笑顔のまま飛び行く鈍鬼を見送った。
「何ぃぃっ!?」
藪の中から飛び出した鈍鬼の軌道が、イゴールの殴りによって直角に曲がり飛んで行く。
そして地面を滑ってから二人の鬼仲間の足元に転がった。
「普通の人間じゃあねえなぁ、あらぁ~」
「そのようですな、兄貴……」
赤と青の鬼が足元に転がって来た仲間を見ずに話す。
視線は二人の退魔探偵に向けられていた。
勇ましく冷めた眼差しは仲間に慈悲すら掛けていない。
「だが、あいつらを食らえば当分の妖力が蓄えられそうだぜぇ」
「ええ、そうですな」
猛る熱い瞳の龍鬼。
残忍で冷め切った瞳の蛇鬼。
二人の視線が鋭く伸びる。
その先は、軒太郎と憑き姫。
龍鬼が軒太郎を睨み、蛇鬼が憑き姫を睨んで居た。
緊張勘が更に増す。
四つの視線が火花を散らすなか、その間に立ち上がる鈍鬼。
緑の顔面には怒りの青筋が無数に浮き出ていた。
音が聞こえそうなぐらい歯軋りをしている。
「イゴールちゃんは玩具で遊ぶですの~」
イゴールが軒太郎たちの頭の上を飛び越え前に出る。
跳躍の着地に重い体重が地鳴りを波立たせた。
ニッコリと強面を微笑ますイゴールの仕草は子供同然の無邪気だ。
無垢な思考が残忍な天使へと見え始める。
「引き千切ってやるズラ!」
「わーいです」
巨漢の二人が真っ直ぐに走り出す。
互いの仲間二人は動かない。
軒太郎と龍鬼の二人は、先ずこの二人で相手の力量を計るつもりだ。
体の良い捨て駒が、互いに全体重を掛けて体ごとぶつかり合う。
まるでアメリカンフットボールのようだった。
ぶつかり合った肉体が空気を揺らし振動を響かせる。
未だ燃え続ける車の炎を大きく靡かす。
そして、体当たりの激突に二体の巨漢が弾け合う。
ぶつかり合った反動で2メートルほど後方に飛んだ。
「当たりは五分五分だな」
軒太郎が言う。
「あの傷男、鈍鬼と互角か」
龍鬼が言う。
二人の見た目は、突進力を引き分けと述べる。
更に体躯を唸らせ二人が踏み込む。
震脚が地面にめり込み、振動と一緒に砂埃を上げると、握り締められた二つの拳が力任せに発射された。
唸る巨拳と鬼拳。
気合いの両拳が狙った先は、互い共に相手の顔面だ。
緑の顔と、傷だらけの顔に、鉄球のような拳が突き進む。
二人とも攻撃に専念するあまり回避も防御も考えていない。
故に正面から拳激をお見舞いし合い、拳打を喰らい合う。
「「っ!!」」
二体の化け物の口から声にならない声が漏れると、体を仰け反らせながら後ろに倒れ込む。
ドスンッと、敷布団でも二階のベランダから落としたような音が二つ鳴った。
その音の中に混ざって空中に何かが舞っている。
「お?」
呟く軒太郎の視界に、白い歯が数本飛んでいるのが見えた。
龍鬼の視界に、尖った牙が一本飛ぶ様子が見えた。
化け物の歯と牙が地面に転がるとほぼ同時に、二体の怪物が素早く立ち上がる。
「オラの牙が!」
「わはは、楽しーです」
破損した牙の痛みに頬を押さえ怒鳴り声を吐く鈍鬼と対照的に、へらへらと笑うイゴール。
「おお、にゃんだにゃんだ?」
楽しそうに言ったイゴールが、台詞の後に表情をキョトンとさせる。
そして首を右に傾げると視線も右に移動させ、続いて反対側に首を返すと視線も同じく左に向ける。
飴玉を舐めるように、何やら口の中で舌を転がしていた。
「ペッ、ペッ、ペッ!」
突如イゴールが口の中に溜まった血と唾の粘り気を、口を尖らせ三度に分けて吐き出す。
土の上に吐かれた濁る液体には白い歯が数本混ざっていた。
イゴールは、その歯を見てニッコリと笑った。
満面の笑みだ。
「あははは、歯が折れちゃってます」
口を広げ無垢に微笑むイゴールの前歯が、上下共に無くなり、暗く、黒く、惨く見えた。
前歯が在った隙間から赤くくすみかかった舌が見える。
その歯の隙間からは赤い鮮血が溢れ顎を伝って落ちて行く。
それでも笑うイゴールの様子が怪異の如く怖い。
「な、なんズラ、こいつ……」
レスラーのように腰を落とし低い構えを見せる鈍鬼が、イゴールの態度を見て戸惑いを威嚇に隠していた。
鬼が怪物に気後れを表す。
微笑む強面に、屈強な体躯。
そして物騒な全身の傷跡の数々。
その化け物が自信に溢れた足取りで構えらしい構えも見せず歩き出す。
どんどんと――。
隙だらけのイゴールが鈍鬼に近付く。
「鈍鬼、何してやがる! ぶちかましてやれ!!」
鈍鬼の背中に向かって兄貴分の龍鬼が一喝を浴びせる。
その激に答えるかの如く鈍鬼が太い両腕を前に突き出した。
掌は開いている。
その掌内で妖術の影響だろう嵐が誕生しようとしていた。
「喰らいやがれズラ!」
鈍鬼が意気込むと突き出された掌前が陽炎のように揺れながら歪む。
すると掌内から風切り音が吹きすさぶ。
空間が熱を帯びて不自然なままに屈折していた。
そこから強い妖気の流れを感じる。
それは濃縮された妖気だった。
「んん~?」
何が起きているのかと不思議に眺めるイゴール。
揺れる景色に好奇心を示すと車の前に飛び出した猫のように動かない。
ただ、対戦相手の両手の前に現れた歪みをあどけない表情で黙って見ている。
鈍鬼が目の前の歪みを突き出した両手で握り締めるように集めた。
歪む空間が見る見るうちに鬼の掌内に集結して透明な球体を作る。
弾丸だ。
弾丸を作っている。
「鬼門咆哮!」
近寄る為に歩き、好奇心に動きを静止させたイゴールに向けて鈍鬼が鬼道の術を撃ち放つ。
「にゃにゃにゃです!!」
鈍鬼の両掌から発射された見えない弾丸が、空気を巻き込み、風を孕み、妖気を凄めて飛んで行く。
すると二発の剛速球がイゴールの両胸に炸裂して渦巻きながら服を切り裂き、革を抉り、大胸筋を八つ裂きにして行く。
その衝撃にイゴールの巨体が発泡スチロールで作られた像の如く軽々と後方に吹き飛んだ。
飛ぶイゴールの巨体を窺えば、鈍鬼の使った術の破壊力が鑑みれた。
威力は上等な純度である。
イゴールの巨大な図体が後方に居た軒太郎と憑き姫に飛び迫る。
しかし二人は左右に一歩動いて仲間を避けた。
まるで両開きの自動ドアのように動くタイミングがピッタリだった。
二人の間をイゴールの巨体が越えて、更に後ろに飛んで行く。
ずっとずっと後方へ。10メートルほど後方へ。
二人の間にイゴールが飛んだ証の如く赤い血が舞い散る。
軒太郎と憑き姫はイゴールの巨漢を弾き飛ばした鈍鬼の術を目の当たりにしても臆する事無く真っ直ぐ前を見ていた。
その憑き姫の肩に舞っていたイゴールの鮮血が僅かに掛かる。
肩に出来た数滴の血痕。
憑き姫が始めて蛇鬼から視線を外し、己の汚された巫女服の肩を見る。
露骨に嫌な顔だった。
整った顔の眉間に不機嫌な皺を深く入れる。
純白を汚された怒りの眼差しを、八つ当たりのように青鬼へと戻す憑き姫。
それは先ほどよりも凄みを増していた。
再び四人の視線がぶつかり合う。
軒太郎と憑き姫が威嚇を放つ先は――鈍鬼で有らず。
睨む双眸の先は、龍鬼と蛇鬼。
二人には、鈍鬼なんぞ眼中に入っていなかった。
「うがぁぁああ!!」
雄叫びを上げながら鈍鬼が走る。
軒太郎と憑き姫の間を駆け抜け倒れるイゴール目指してだ。
サシの勝負を繰り広げるなか、敵の仲間が野暮な手出しをしないことが悟れているのか、何の警戒もなく鈍鬼は敵二人の間を走り抜けた。
「うらぁぁぁ!」
そして鈍鬼が高く飛ぶ。
太い脚で加速のままに跳ねた鈍鬼が、爪を立てるように開いた両掌内で、妖術にぶれる空間の塊を握り締める。
「鬼門咆哮!!」
妖力で風を渦巻かせながら圧縮した魔弾の飛び道具。
威力も命中精度も上等な鬼の妖術だ。
その術を両手に握りながら宙に跳ねた鈍鬼は、右手、左手と順々に鬼術の弾球を投げ落とす。
投擲された二発の弾丸が唸りを鳴らして迫るとイゴールは、両拳を顎に添えながら「いもむしさん、ゴロゴロ~♪」と、楽しそうに歌いながら横に転がった。
鬼門咆哮が狙いを外す。
二つの弾球が地面を激しく抉って消える。
そこに遅れて鈍鬼が着地した。
転がったイゴールは既に立ち上がっていたが反撃に転じられる程の体制でなかった。
「なめるでねぇズラ……」
鈍鬼は侮蔑されているかのように嘆息を吐いた。
勿論イゴールには、そのような気はない。
ただ、無邪気に振る舞っているだけなのだ。
この戦いを楽しんでいるだけなのだ。
故にたちが悪い。
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