日々

増田朋美

日々

2020年は本当に悲劇的な年でした。いろんなことが在りすぎて、大変すぎておかしくなったことも多々ありました。テレビも見れないし、相変わらずスマートフォンを見ることも、怖くてできません。其れでも、何とか私の家族は誰も感染せず、過ごしてくれています。其れだけでも、まだ、幸せなのかなと思い、静かに過ごすことを決めました。
四月五月は、そういう風に、非常につらい生活でした。スーパーの中も物々しく、もう商品の取り合いというか、奪い合いをしている光景をたくさん見ました。私自身は、勤め人ではありませんので、本当に生きていてはいけないのではないか、もう死んだほうが良いのではないかと、本気で思いました。何回も、死にたいとSNSに投稿し、そのたびに多くのひとからおしかりを受けました。本当に、死にたかったです。もうこんな世の中は私は生きていけないと、本気で思いました。甘えるなという人もいましたが、本当にそれしかできなかったのです。
できることは、死にたいと言って騒ぐこと、リストカットすること、自分を傷つけることしかできなかったような気がします。其れから逃げたくてさらにピアノや、小説などを書いて、その繰り返しでした。
六月七月は雨の多い日でした。本当に今年は雨が降りましたね。一日一回は、大雨に見舞われて、もう川が決壊するのではないか、と思われる報道が何回もあって、死にたいとそのたびにパニックを起こしました。停電もあり、一時失語症を起しました。何を言っていいのか全く分からなくなったのです。文字には起こせますが口に出して言えない。停電は数時間で終わりましたが、停電の間は、完全に言葉が出なくなってしまい、多大な迷惑を掛けました。さらには、誤報ではありましたが、緊急地震速報が流れたこともあり、さらにパニックを起こして、自傷を繰り返しました。入院することも考えましたが、家族の反対もあり、出来ませんでした。
八月九月は、猛暑が続きましたが、其れより雨のほうがこわかったという気がします。大雨が降って、雷が鳴る、停電は起こる。夏というのはとても楽しめる季節ではありません。危険がいっぱい。外へ出るなんてとてもできない季節だと思います。いずれは、空襲警報の代わりに、大雨警報がやってくるようになるのではないか、本当にそう思ってしまいました。もう夏は、危険な季節だと思っておかなければ、私たちも生きていかれないかもしれません。
そういうわけで、薬を貯蔵しておくのも本来はしたくないのですが、これからはしておかなければならないなと思いました。今年は、ヘルプマークをつくることは言いだすことはできなかったのですが、来年はぜひ、やりたいと思います。現在は、医療費控除しか受けていないので、来年は障碍者手帳もと思うのですが、家族が反対していて、これだけはどうしてもできません。自分の子のことを障碍者と認めたくない気持ちはわかりますが、もうこうしないと生きていけないんだということをわかってもらえないのが、つらいところです。
そんなわけで、今になって、この年を振り返ってみますと、ワーワー騒ぐしかできなかったのでした。泣いて、切って、自分のことをとにかく消したい。消えたい、死にたい。其ればかり叫んでいた、夏だったような気がします。たくさんの恐怖が一度にやってきた年でもありました。
やっぱり、人間は、何かしていないと、こういう風にダメな人間になってしまうのです。そうではなく、しっかり働いて、お金をためて、自立して生きていくことこそ正しい生き方に他ならないのです。其れができなかったら、死ぬしか方法はないので。私はいつでも死ねるように、農薬を入手できるところとか調べてあるんです。
いいことなんて、働いていないのですから思ってはいけません。わるいことだけ、しっかり覚えていなければ犯罪者になってしまう。私が何もしないでこれたのは、そういう風に自分を抑えてきたからだという自負心があるのです。
車の免許がないので、どこにも行くこともできないし、支援センターに行くこともできない。変わろうと思っても、変わることができません。何も変わる手段がない。変化するための道具も入手できない。そんな中で、死にたいと言って騒ぐしかできなかった、ダメな一年だと思いました。
ただ、昨年と比べると、小説だけは描くことができたのではないかという気も致します。入選こそしなかったのですが、初めて富士市民文芸に作品を提出しました。そうやって外部のひとに作品を提出したのは初めてです。作品を、見せてとはよく言われるんですけど作品を見せると、大体関係はそれで終わってしまいます。なぜなのか私にもわかりません。今年も、相変わらず長続きする人間関係は持てませんでした。何人かお会いした人もいましたが、そうなればもうそれで最後です。もうそれっきり連絡は来ないのです。正直、私も、何を話したらいいのかわからない時もあり、何も、話すことなく黙ったまま終わってしまうので。本当に話せる、話題にできることは全くありません。テレビだって今は怖くて見ることはできませんし、出来ることと言えばピアノを弾くかお箏を弾く、あるいは着物の勉強をするそれしかできませんから。其れがほかのひとに通じることもないので、人間関係を結ぶことができないんだなと痛感しました。やっぱり人付き合いは、SNSに投稿して、それにコメントをもらうという形が理想的だと思います。
日ごろから、周りのひとを見て不思議に思うのですが、なぜ平気で外へ出られるのか不思議で仕方ないのです。平気な顔をして、電車に乗ったり、車で移動したり、そういうことがなぜできるのでしょうか。私はとても怖くてできない。災害にいつ遭遇するかわからないのに、なぜ、平気な顔していられるのだろう?私はその部分が理解できません。
人に会うときも、おかしなことに遭遇したこともありました。待ち合わせしたのに突然連絡が来なくなって、仕方なく一人で帰ってきたりとかもありました。この時ばかりは、サイトの運営にも通報しましたけど、ほんとに変な人がいるものだと思います。変に性交渉を求めてくる人はこれまでにたくさんいましたけど、待ち合わせまでして人を呼びつけておきながら、突然連絡が来なくなるというケースは初めての事で、怒り心頭になったこともありました。
結局のところ、今年は、災害への恐怖と、停電時に失語症になったりしただけで、何も得られなかったと思います。
また同じような繰り返しをしないために、来年はぜひこそ、障碍者認定をとりたいものです。もうこういう風に扱ってもらうしかないと思ったので。
本当に恐怖との戦いの一年でもありました。
もう、希望を持っても無駄という世界に近づいているのでしょう。
来年も、出来ることをやるしかないと思いますが、出来ることなら災害が少しでも少なく、なるべく何も起こらない平凡な日々がずっと続いていってほしいと思います。それさえ在れば、何もいらないという日も近いでしょう。
自分は、あと数年あればいいと思っているので、長生きというものもしたくありませんが、もし将来というのがあるのなら、どこかで仏門に入れたらなと思います。つまり、これ以上世の中がひどくならないように、また、迷惑しかかけることができず、ありふれた幸せにありつけなかった家族に謝罪をするためです。そうすることによって、私は家族に謝罪し続けることができるのだと思います。


コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品