零の英雄譚
プロローグ すべて失った日
今夜は月が赤かった。こんな日にはいつも良くないことが起こるんだ。大好きだった母が病で亡くなったのも、飼っていた地竜の子が逃げ出した時もこんな赤々とした月が昇っていた。
「ロノア様、15歳のお誕生日おめでとうございます。」
「ロノア様!娘が今年で14になります。よろしければ一度お会いになってはいただけませんか。」
ロノア様、ロノア様...
今日は僕の誕生日だ。それを祝うために開かれたこのパーティーには、多くの商家や貴族、王家に連なる人物までもが招かれていた。
というのも、我がエイジス家は、代々、隣国との国境に位置するアルシュ地方を統治してきたのだが、未だに他国がこの国境を越えた事は無く、不落の国境線と呼ばれるほどであった。
防衛戦に際して数々の武功を立てているエイジス家は国王からの信頼も厚く、お近づきになりたいと思う人物も多いという訳だ。
そして今日はその家の一人息子の誕生日。この国では16歳で成人と認められるため、娘との婚約を勧めてくる者の多いこと。正直うんざりしてしまった。
「父上。少々、お手洗いに行ってまいります。」
僕は父にそう告げると、パーティー会場である広間を出て誰も使用していない空き部屋へと向かった。掃除もほとんどされていないこの部屋は少し埃っぽいが、僕以外に誰も入ってこないことからよく休憩場所として使っていた。
ふと、窓から外を見ると、武装した一団がこちらへと向かってくる。人数は30人ほどだが、貴族の護衛として来たにしては多すぎる。目深に黒いフードをかぶっていることも気になる。
僕はこのことを伝えようと、この屋敷の警備をしている兵を探すが、先ほど広間にいた数人の兵士以外の者を全く見かけない。
「おかしいな、100人近くが屋敷内を警備してるはずなのに、一人も見当たらないなんて。」
嫌な予感がする。そして僕のこういう予感は外れたことがないのだ。
僕はすぐに広間へと戻り、父にこのことを伝えた。
「わかった。念のために、別室に待機していただいている付き添いの兵士に声をかけ...」
――ドカンッ!
父が言い終わるその前に異変は起こった。屋敷の門の方から大きな爆発音と、黒煙が上がったのだ。他の貴族達も気づいたらしく、ざわざわと騒ぎ始めていた。
「皆様方、落ち着いてください。すぐに状況を確認いたします。」
広間の警護をしていた兵に状況の確認と、他の兵を集めることを命じたが、賊は既に屋敷に侵入しているだろう。明らかに後手に回っている。
「お前はお客様の避難を手伝いなさい。私は防衛に向かう。」
父は兵士の一人から剣を受け取ると、共に広間を出て行った。遅れて護衛として別室で待機していた貴族の私兵が広間に集結する。護衛の人数は20名ほどだが、この人数を連れて戦いに参加するわけには行かない。僕は隠し通路のある地下の部屋へと貴族たちを案内し、先に外へと逃がした。
すぐに僕も父上の元へ向かわなくては!
練度の高いエイジス家の兵士なら問題ないと思いたいが、廊下で兵士を見かけなかったことがどうしても気になってしまう。
廊下を走っている途中で数人の賊の亡骸を見た。流石は父上たちだ。もしかしたら賊は既に倒されているかもしれない。
そう思いながら正面の玄関ホールに来ると僕は衝撃的な光景を目の当たりにすることになった。
「エイジス様、申し訳ありません。」
そこで見たのは、父と、それを守るように構えた5人の兵士。それに敵対するよう剣を構えているのは20人の賊と、我が屋敷の衛兵たちであった。ちょうど父を守ろうとしていた兵長が数人に胸を貫かれて倒れた。
「おやおや、そこにいるのはロノアお坊ちゃん!少々お待ちくださいませ~。すぐにお父様と一緒に天界へと送って差し上げますので。」
前に一歩出てきたのは元兵長のゴルドルフだった。前々から人を殺すことに喜びを覚えている節があり、父によって解雇されたばかりであった。
「ロノア!お前だけでも逃げなさい!」
父がそう叫んだ。だが僕も、父親を置いて逃げ出すわけには行かない。
しかし。
「残念ですがここまでですね~旦那様!」
グサリと、鈍い音が鳴り響いた。ゴルドルフが父の身体に深々と剣を突き立てたのだ。父はそのまま床に倒れこむ。
「父上!」
僕は父に駆け寄ろうとするが、賊が邪魔をする。
「大丈夫でございますよ~。すぐに一緒になれますからね~。」
ゴルドルフはニヤニヤとへばりつくような嫌な笑みを浮かべながら僕の方へと迫る。
その時だった。
「―我が言の葉をもって...い奉(たてまつ)る。...をもって異なる......を、繋げ―」
父上の身体が光を放った。何かを詠唱している…?
「止めろ!お前ら!!」
賊が父の腕や足に剣を突き立てる。
「…っ! …地平を駆けろ!空間跳躍(テレポート)!!」
父上は何とか詠唱を終えた。
その瞬間、僕の身体はまばゆい光に包まれた。最期に見た父は、僕に向けて微笑んでいるように見えた。
続く
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