神様のいないセカイ(Novel Version)

Pt.Cracker

EX【エラの毒蛇】神の毒蛇

 エラ・シムーの首都、エドにある人知れぬ町外れの屋敷から、赤子の産声が響き渡った。新たな命が生まれた瞬間であった。

「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」

 母親のワルダは寝台の上で息を荒くしながら、産婆に取り上げられた赤子を見て微笑みを浮かべた。
 産婆は慣れた手付きで素早く赤子の体に付着している血液や羊水をタオルで拭き取ってやり、柔らかい布で包み込む。
 ついたての向こうから無表情の男性が顔を出したと思うと、産婆の横から赤子を奪い取るように抱き上げ、机上に赤子を寝かせる。夫のノーマンである。
 彼は生まれたばかりの泣きわめく自分の子供の指先に、容赦なくナイフの切っ先を立てた。

「血を調べるぞ」

 赤子の柔らかい指先からぷっくりと血液が浮かび上がる。ノーマンはそれを小ぶりの匙ですくい取ってから、部屋の端に置いていた籠に手を伸ばして籠を開いてネズミを一匹、片手で掴み、引きずり出す。そして赤子の血液が乗った匙をネズミの口元へ運び、匙とネズミの顎を傾けて血液を流し込み、じっと様子を見た。
 一分もしない内にネズミはよだれを流し、もがき始める。二分ほど経過すると、ネズミの四肢は力なく垂れ下がり、口からは泡を吹き出して間もなく絶命が確認された。
 ついたての向こうから、杖をついた初老の男性がやって来る。

「ふむ。さすがは二人の子といったところか。歴代のエラの毒蛇の中でも見込みがあるぞ」

 杖をついた厳つい表情の初老の男性がノーマンに声をかけた。赤子の祖父にあたる、カイスという名の男性だ。
 ノーマンは赤子の指先に薬を塗り、妻の腕の中に戻した。ワルダは優しく泣きわめく赤子を腕の中で揺らし、微笑む。
 孫と娘の様子に、カイスの厳つい表情も嬉しそうに和らいでいた。

「お父様が命名してください」

「私がか?」

「ええ。最近は親に子供の命名をしてもらうと先祖代々の加護を強く享受できると言われているそうですから。縁起が良いですし、ぜひ、お義父様に命名していただきたい」

「そうか……」

 二人に頼まれ、カイスは照れくさそうに頭をかき、しばらく考え込んだ。じっと赤子の顔を見て、よほどしっくりきた名前が思い浮かんだのか、何度か頷く。

「サマエル、でどうだ」

「まあ。お父様、初代の名を頂くなど畏れ多いのではありませんか?」

「先祖の加護を得るには良い名だろう? この子は〝エラの毒蛇〟としての能力も優秀なようだ。名に劣らぬだろう。これ以上縁起の良い名前は思いつかん。この子はサマエルだ!」



――エラ・シムーに伝わる神話である。

 豊穣の女神と安らぎの女神は国を外敵から守るために、あちこちへ毒を持つ花を植えた。
 愛の女神は美しい花に見とれるあまり、花の毒に触れて苦しんだ。
 平和の女神が愛の女神の受けた毒を切り離すと、毒は一匹の毒蛇となり、女神たちは愛の女神を苦しめた毒蛇に罰として死を与えようとした。
 しかし、愛の女神は毒蛇をかばい、毒蛇は死を免れる。
 愛の女神に感謝した毒蛇は末代まで四女神に仕え、助けになると約束したのであった。

 諸説あるが、一部の神話の中では曰く、後に愛の女神と毒蛇は夫婦となり、ふたりの子孫は人間の王の補佐として女神の声を伝えたとされる――



 エラの毒蛇――
 エラ・シムーには、そう呼ばれる影の一族があった。

 神話の時代からエラ・シムーを守る四女神の使者として王家に仕えてきた一族である。
 毒蛇という名を持つ通り、一族は体に毒を持ち、血液、汗、涙、爪のひとかけら全てに毒を含み、彼らは持ち前の毒と訓練された技術により、国に害を成す存在を影で葬ってきた。
 エラの毒蛇の存在を知る者はエラ・シムーの王位継承者、宰相、大神官の数人のみと限定され、彼らは通常、一族と洗礼を受けた王族以外との接触は禁じられていた……

 七歳になったばかりのサマエルはそのように祖父カイスから一族の成り立ち、心得を教わっていた。

「おじい様、なぜ王族は良くて、他の人たちは駄目なのですか」

「エラ・シムー王族は毒蛇一族と同じく、女神の血を引いている。王位継承の資格がある者は必ず我ら一族の血で洗礼を行い、我らの毒に耐性のある王族が選ばれる」

「ですが、おじい様。お父様とお母様は仕事で王族以外のものと同伴しています」

「あれは中和薬を使っているんだ。人にまぎれなければ、任務をまっとうできないからな」

「じゃあ、僕も……!」

 サマエルは、時折見る同い年くらいの子供たちが遊んでいる光景に憧れを抱いていた。中和薬があれば、自分もあの子供たちのように遊べるのではないか、と期待に満ちた目を祖父に向けた。しかし、祖父は複雑な表情を浮かべ、真っ直ぐに見つめる孫の頭を優しく撫でて答えた。

「お前もいずれ使うことになるだろうが、今はまだ早い。体の毒を抑える分、強い副作用がある。育ち盛りの子供に使わせるわけにはいかんのだ。――特にサマエル、お前の毒は強い。体内の毒が強いほど、中和薬は体をむしばみ命を削る。覚えておきなさい」

 成長につれ、サマエルの持つ毒は強さを増していた。
 エラの毒蛇としては誇らしいことだったが、祖父のカイスは中和薬による副作用により、こなせる任務が限られてしまうのではないかと心配していた。
 カイスは若さゆえに外に憧れを抱く気持ちを理解しており、どのような形でも一族以外の人間と交流のない生活を強いられることが孫にとって大きな障害になるのではないかとも案じていた。

 孫の両親であるワルダとノーマンに相談をしていたところ、まだ五歳になったばかりの孫娘が通りがかりに聞いてしまっていたらしく、とことこと三人の前に出て、言った。

「大丈夫ですよ。サマエルにはシファーがおります」

 孫娘、シファーはにこにこと屈託のない笑みを浮かべる。

「シファーは大人になったらサマエルと結婚して、ずっと一緒にいるんです。絶対に寂しい思いはさせません」

 シファーはサマエルと二つ歳の離れた妹だ。そして、将来伴侶となる相手でもあった。
 エラの毒蛇の一族は体内の猛毒によって一族以外の血とは交われず、より近い血縁者と結ばれることでより強い毒を持つ子孫が生まれ、エラの毒蛇としての価値を高めるとされていた。
 シファーは五歳という幼さゆえか、大人たちの取り決めた将来の約束を受け入れ、それが当たり前だと信じて疑わなかった。
 父ノーマンは表情に乏しい顔でシファーの頭を撫でる。はたから見れば無表情だが、これでも彼なりに微笑んでいる。

「シファーは良い妻になるな。そうだ、サマエルは無理に人混みに行かせずとも良いではないか。人には適不適があるのだから」

「そうね。けれどサマエルはどう思うでしょう。他所で子供たちが遊ぶのを見るあの子の目は、外の世界に憧れる目だわ」

「どうして? シファーはサマエルと二人だけの世界でいいのに」

 シファーは首を傾げて純粋な気持ちを口にした。カイスは孫の発言に口元を緩ませる。

「……サマエルも同じ考えなら良かったがな」

 カイスは自分のぼやきを誤魔化すように幼いシファーを抱き上げ、高くかかげて遊んでやった。シファーは高く持ち上げられ、無邪気に笑う。



 家の一室から、ハープの音色が聞こえてくる。
 サマエルが母ワルダから教わった奏法を思い出しながら、二階の部屋の中央にあるハープを奏でていた。
 エラの毒蛇でも、王宮で開かれる聖楽士を決める演奏会に参加できるのだ。
 演奏会なら他人と触れ合う機会は少なく、参加者は王族が多数であるため、毒に耐性のない人間との接触という危険は少なくなる。
 それに加え、聖楽士に選ばれたならエラの毒蛇として働く年齢を十二歳のところを十六歳までに延期できるというのも目指したい理由だった。
 サマエルは、毒蛇として働くことに前向きではなかった。
 エラの毒蛇として働くということは、エラ・シムーに害を成すものを排除するということであり、親族の話を聞き技を教わる限りでは人を騙し、命を奪うことが大半だった。
 相手が純粋な悪であれば躊躇う必要はないが、サマエルは祖父の体験談の中から、純粋な悪というものは滅多にないということを教わっていた。
 貧困な家庭に生まれ家族を養うために諜報として送り込まれた者や、神話の探究心のために王家を探ろうとしていた者、中には、偶然秘密に気付いてしまった者――そのどれもが毒蛇の牙によって命を奪われた。
 王家やエラの毒蛇の秘密をはじめ、国の平穏を脅かす要素がひとつでもあれば、どんなに相手が許しを乞うても命を奪い取る。それが、エラの毒蛇なのだ。

(僕にはできない)

 できない、というよりは、したくない、というのが本心だったかもしれない。小窓から遠くの景色が小さく、子供たちが噴水の前で戯れる姿が見えた。
 サマエルは一層ハープに祈りを込め、かき鳴らす。

 どうか、どうか女神よ、今日も明日も永遠に変わらず世界が平和でありますように……

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