神様のいないセカイ(Novel Version)
Episode3 束の間の平穏
唯一の休息とも言える、一週間に一度のバザーへの外出の日。
強制的に労働部屋から出され、監視役の兵士から「時間が来たら三度鐘を鳴らす。三度目の鐘が鳴っても戻らない場合は罰則がある」と説明を受け、労働者たちは散り散りになり、買い物や散歩へと出かけて行く。
バザー周辺の各所には監視役の衛兵たちが立ち、捕虜である労働者たちを見逃さないように目を光らせていた。
ミカは気の合うサーマとバザーを見て回る約束をしており、自由行動が始まった際に合流した。
「衛兵がいることさえ気にしなかったら、最高の休日なのにね」
空は青く澄んでおり、風も心地よい日だ。
「ミカ?」
サーマはさっきから無言で暗い面持ちのミカの様子を気にした。
「あっ、え? どうしたの、サーマ」
「……昨日、なにかあったんだね?」
昨日、中佐に呼び出されて行ってからミカの表情が暗いことを、サーマは気付いていた。
「無理に話してくれなくてもいいけど、ミカが元気ないと気になって」
「……お母さんが……」
ミカは言いかけて、はっとして続く言葉をのみこんだ。
サーマは目の前で両親を殺されている。ここで母が殺されたことを正直に話しては、サーマに余計な心配をかけてしまうことになると思ったからだ。ミカは頭を横に振る。
「ううん、なんでもない」
「そっか。無理、しないでね……とりあえず、美味しいものでも買いに行こうよ。食欲に勝るものはないからね」
サーマは笑ってミカの手を引き、様々な食品が売られている商店へ向かう。サーマは察して、話題を逸らしてくれているのだろう、とミカは悟った。
「ありがとう、サーマ」
ミカは人混みの騒々しさにかき消されるほどの小さな声で言い、サーマの手のひらをしっかりと握った。
「いらっしゃい、保存のきくパンやクッキーはいらんかね?」
香ばしいパンから、カチカチに硬くなったパンを売る商店へ顔を出す。まずは、配給だけでは足りない食料をキープしておく必要があったからだ。下手をすると、こうしたものはすぐに売り切れてしまう。
「クッキーひと袋と、保存用のパンをふたつ」
「このパンをふたつと、クッキーをひと袋ください」
ミカは保存用のパンを買い求めたのに対し、サーマは真っ先に焼きたてで柔らかいパンを買い求めた。
「はいよ」
店主は二人から銅貨を受け取り、指定の商品を渡す。
「ミカ、待っててね」
サーマはすぐに、反対側にあった肉屋へ行って、味を付けて焼かれた薄く切られた肉を買って来ると、柔らかいパンの中心を裂いて肉を挟み、ミカに渡した。
「はい、ミカ。水もあるから、そこの木陰で食べよう」
「いいの? お肉なんて、高価だったでしょ」
「給料を多めにもらったから。たまに贅沢もいいかなって」
二人は人混みを離れた木陰で、肉を挟んだパンを食べた。
独特な香辛料のソースが付いた肉とパンはいつも口にするようなパサパサと乾燥した食感に反し、みずみずしくて柔らかかった。
「美味しいね」
質素な配給では満たされない分まで、十分に満たされた気分だった。
「さあ、どこに行こうか。服もそろそろボロボロになってきたよね」
二人は食べ終え、再びバザーを見て回ることにした。
近くで、別の労働部屋の子だろうか。ミカたちと同い年か年下ほどの少年が、母親らしき女性と再会を喜び、抱き合っていた。
「母ちゃ~ん! 母ちゃん! 会いたかったよぅ!」
「母ちゃんもだよ! どれだけお前のことを心配したか……!」
中にはこうして、外出が許された日に別れた親子や恋人、友人が再会を喜ぶ姿を目にすることがある。ミカも外出の都度、母の姿を探したが、一度も再会できた試しはなかった。久し振りの再会の末が最後の別れになってしまったミカは、目の前の母子がうらやましくて仕方がない気持ちでいっぱいになり、目頭が熱くなる。
「……ミカ」
サーマはミカの手を強く握る。再会を喜ぶ母子を見せないように配慮してか、サーマはミカの目の前を歩く。
「ねえ、ミカ。僕、最近、不思議な夢を見るんだ」
「えっ?」
話始めるサーマに、ようやくミカは顔を上げた。
「鳥になって、空を飛ぶ夢でね――何もない砂漠の上を、きみが一人で歩いてた」
「ぼくが……?」
サーマは頷く。
「そう。少し寂しそうな顔をしていたから声をかけようとしたけれど、甲高い鳴き声しか出なくて。それでも気付いてくれたらと思って、何度も、何度も鳴くんだけど……ミカは気付いてくれない。疲れて、砂漠の上へ降りて、歩くことも飛ぶこともできなくなった僕から、きみはどんどん離れて、きみの姿が見えなくなって、夢から覚めるんだ。最近、毎日のように同じ夢を見るよ」
「なんだか、悲しい夢だね」
「うん……こんな夢を見るのは、いつもミカがいてくれるから、少し不安なのかもしれない」
「不安?」
「単なる、僕の甘えってこと。いつまでも、一緒にはいられないんだなって……」
サーマの言葉で、ミカは母のことで落ち込んでいた自分が恥ずかしく思えた。
「ごめん、サーマ。ぼく、いつもサーマに心配ばかりかけてるね」
今、大切にするべきなのは、失ってしまった母や父への執着ではなく、目の前にある守りたいもののはずだ。
「離れることがあっても、サーマは、ずっと大切な友達だから」
「ありがとう、ミカ。……そうだといいね」
サーマが最後に付け加えた「そうだといいね」は、騒々しさの中に溶け、ミカの耳には入らなかった。サーマは、形は違えど、見た夢は恐らく正夢になってしまうだろうと感じていたのだ。
衣類を並べた商店へ来ると、二人はお互いに合いそうな服を選んだ。買えるものはどれも質素でボロのようなものばかりだったが、店主の好意で派手なものを鏡の前で合わせてみたりと、普段できないような時間を味わい、二人の間に流れていたしんみりとした空気も、どこかへ消えてしまったようだった。
ミカがほつれてしまった服の代わりを見繕っている端で、サーマは衣料店の奥にあった楽器を眺めていた。
「坊ちゃん、さっきから竪琴を見ているようだが、弾けるのかい?」
「……あっ、ああ! ごめんなさい。つい」
店の人に声をかけられ、サーマは驚いて振り返った。店主の親族だろうか、店主と面持ちの似た、人の良さそうな老婆がサーマのそばに寄り、小さな竪琴を手に収める。
「いいや。この辺りでは楽器に興味のない客ばかりだからね。もし、弾けるなら少し触って行ってごらんよ。楽器も喜ぶさ」
「ありがとうございます。でも、僕はナセルトゥールの人間ではなくて」
衛兵を恐れ、サーマは断るが、老婆はにこにこと優しい笑みをたたえたまま、竪琴をサーマへ押し付ける。
「わかってるよ。この店では、ナセルトゥールもエラ・シムーも関係ないのさ。もし、監視の兵に何か言われたら、このお婆が止めてやるよ。いいから、弾いてごらん。デタラメでも、可愛い子に弾いてもらえたら楽器も婆も嬉しいからね」
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」
サーマはまんざらでもなく、小さな竪琴を老婆から受け取る。竪琴の弦を手慣らしになぞり、音色を試した後、慣れた手付きで一曲弾き始めた。老婆は満足そうに、うんうん、と頷く。
店の客や通行人は竪琴の旋律に振り向き、足を止める。ミカも、サーマの演奏に釘付けになった。やはり衛兵は文句を言いに来たようだったが、店主が「私たちが一曲頼んだ」と一点張りで、衛兵を追い返していた。
演奏が終わると、辺りは拍手喝采となっていた。
「素晴らしいじゃないか。思った以上だよ、坊っちゃん」
「竪琴が素晴らしいんです、おばあ様。造りが良くて、調律もきちんとされてますし、隅々まで手入れが行き届いてる。こんなに素晴らしい竪琴を触らせていただいて、ありがとうございました」
「おやおや、ご丁寧にどうも。また会うことがあれば、弾いてもらいたいくらいだよ」
サーマは拍手をくれた人たちへ一礼すると、竪琴を老婆に返し、店から出て、すでに買い物を終わらせていたミカと合流する。
「ごめん、ミカ。待たせたね」
「ううん。サーマの演奏良かったよ! 楽器が弾けるなんて、すごい!」
「たまたま、家で習っていただけさ」
エラ・シムーでは、弦楽器を弾ける人間は王家の親戚筋か裕福層の一部と限定される。その大半は、女神に曲を捧げる《聖楽士》になるために腕を磨き、三年に一度だけ王宮で開催される聖楽士を選出する演奏会でその腕前を披露する。
ミカは、ナセルトゥールが侵攻してくる少し前に、両親と三人で演奏会を見に行ったことがあった。サーマほどの金髪なら一目見ただけで忘れないが、記憶にあるのは、褐色の混じった金髪と茶髪、時々珍しく黒髪の人がいたくらいだろうか。
容姿を思い浮かべる間にミカは、当時、一人だけ優れて素晴らしい演奏をしたにも関わらず、家の事情で辞退してしまった楽士がいたのを思い出した。
まさにサーマくらいの年齢ではなかったか。髪は布で覆われ、真っ白な肌で、身長は同じくらいだったように思う。布で頭を覆っていたせいもあって、女性だったように記憶していたが、弦楽器を扱う人間が国内で限られるとなると、サーマが参加していた可能性はあるのではないだろうか?
「ね、ねぇサーマ。それじゃあ王宮であった聖楽士を決める演奏会に――」
集合時間を知らせる鐘が激しく鳴らされる。
「そろそろ時間だね。あと二回鐘が鳴る前に戻らないと」
間が悪く、出かかった疑問はためらいに変わった。思えばミカは、サーマのことを……そしてお互いのことをよく知らないのだと、これまでにない距離を感じた。
強制的に労働部屋から出され、監視役の兵士から「時間が来たら三度鐘を鳴らす。三度目の鐘が鳴っても戻らない場合は罰則がある」と説明を受け、労働者たちは散り散りになり、買い物や散歩へと出かけて行く。
バザー周辺の各所には監視役の衛兵たちが立ち、捕虜である労働者たちを見逃さないように目を光らせていた。
ミカは気の合うサーマとバザーを見て回る約束をしており、自由行動が始まった際に合流した。
「衛兵がいることさえ気にしなかったら、最高の休日なのにね」
空は青く澄んでおり、風も心地よい日だ。
「ミカ?」
サーマはさっきから無言で暗い面持ちのミカの様子を気にした。
「あっ、え? どうしたの、サーマ」
「……昨日、なにかあったんだね?」
昨日、中佐に呼び出されて行ってからミカの表情が暗いことを、サーマは気付いていた。
「無理に話してくれなくてもいいけど、ミカが元気ないと気になって」
「……お母さんが……」
ミカは言いかけて、はっとして続く言葉をのみこんだ。
サーマは目の前で両親を殺されている。ここで母が殺されたことを正直に話しては、サーマに余計な心配をかけてしまうことになると思ったからだ。ミカは頭を横に振る。
「ううん、なんでもない」
「そっか。無理、しないでね……とりあえず、美味しいものでも買いに行こうよ。食欲に勝るものはないからね」
サーマは笑ってミカの手を引き、様々な食品が売られている商店へ向かう。サーマは察して、話題を逸らしてくれているのだろう、とミカは悟った。
「ありがとう、サーマ」
ミカは人混みの騒々しさにかき消されるほどの小さな声で言い、サーマの手のひらをしっかりと握った。
「いらっしゃい、保存のきくパンやクッキーはいらんかね?」
香ばしいパンから、カチカチに硬くなったパンを売る商店へ顔を出す。まずは、配給だけでは足りない食料をキープしておく必要があったからだ。下手をすると、こうしたものはすぐに売り切れてしまう。
「クッキーひと袋と、保存用のパンをふたつ」
「このパンをふたつと、クッキーをひと袋ください」
ミカは保存用のパンを買い求めたのに対し、サーマは真っ先に焼きたてで柔らかいパンを買い求めた。
「はいよ」
店主は二人から銅貨を受け取り、指定の商品を渡す。
「ミカ、待っててね」
サーマはすぐに、反対側にあった肉屋へ行って、味を付けて焼かれた薄く切られた肉を買って来ると、柔らかいパンの中心を裂いて肉を挟み、ミカに渡した。
「はい、ミカ。水もあるから、そこの木陰で食べよう」
「いいの? お肉なんて、高価だったでしょ」
「給料を多めにもらったから。たまに贅沢もいいかなって」
二人は人混みを離れた木陰で、肉を挟んだパンを食べた。
独特な香辛料のソースが付いた肉とパンはいつも口にするようなパサパサと乾燥した食感に反し、みずみずしくて柔らかかった。
「美味しいね」
質素な配給では満たされない分まで、十分に満たされた気分だった。
「さあ、どこに行こうか。服もそろそろボロボロになってきたよね」
二人は食べ終え、再びバザーを見て回ることにした。
近くで、別の労働部屋の子だろうか。ミカたちと同い年か年下ほどの少年が、母親らしき女性と再会を喜び、抱き合っていた。
「母ちゃ~ん! 母ちゃん! 会いたかったよぅ!」
「母ちゃんもだよ! どれだけお前のことを心配したか……!」
中にはこうして、外出が許された日に別れた親子や恋人、友人が再会を喜ぶ姿を目にすることがある。ミカも外出の都度、母の姿を探したが、一度も再会できた試しはなかった。久し振りの再会の末が最後の別れになってしまったミカは、目の前の母子がうらやましくて仕方がない気持ちでいっぱいになり、目頭が熱くなる。
「……ミカ」
サーマはミカの手を強く握る。再会を喜ぶ母子を見せないように配慮してか、サーマはミカの目の前を歩く。
「ねえ、ミカ。僕、最近、不思議な夢を見るんだ」
「えっ?」
話始めるサーマに、ようやくミカは顔を上げた。
「鳥になって、空を飛ぶ夢でね――何もない砂漠の上を、きみが一人で歩いてた」
「ぼくが……?」
サーマは頷く。
「そう。少し寂しそうな顔をしていたから声をかけようとしたけれど、甲高い鳴き声しか出なくて。それでも気付いてくれたらと思って、何度も、何度も鳴くんだけど……ミカは気付いてくれない。疲れて、砂漠の上へ降りて、歩くことも飛ぶこともできなくなった僕から、きみはどんどん離れて、きみの姿が見えなくなって、夢から覚めるんだ。最近、毎日のように同じ夢を見るよ」
「なんだか、悲しい夢だね」
「うん……こんな夢を見るのは、いつもミカがいてくれるから、少し不安なのかもしれない」
「不安?」
「単なる、僕の甘えってこと。いつまでも、一緒にはいられないんだなって……」
サーマの言葉で、ミカは母のことで落ち込んでいた自分が恥ずかしく思えた。
「ごめん、サーマ。ぼく、いつもサーマに心配ばかりかけてるね」
今、大切にするべきなのは、失ってしまった母や父への執着ではなく、目の前にある守りたいもののはずだ。
「離れることがあっても、サーマは、ずっと大切な友達だから」
「ありがとう、ミカ。……そうだといいね」
サーマが最後に付け加えた「そうだといいね」は、騒々しさの中に溶け、ミカの耳には入らなかった。サーマは、形は違えど、見た夢は恐らく正夢になってしまうだろうと感じていたのだ。
衣類を並べた商店へ来ると、二人はお互いに合いそうな服を選んだ。買えるものはどれも質素でボロのようなものばかりだったが、店主の好意で派手なものを鏡の前で合わせてみたりと、普段できないような時間を味わい、二人の間に流れていたしんみりとした空気も、どこかへ消えてしまったようだった。
ミカがほつれてしまった服の代わりを見繕っている端で、サーマは衣料店の奥にあった楽器を眺めていた。
「坊ちゃん、さっきから竪琴を見ているようだが、弾けるのかい?」
「……あっ、ああ! ごめんなさい。つい」
店の人に声をかけられ、サーマは驚いて振り返った。店主の親族だろうか、店主と面持ちの似た、人の良さそうな老婆がサーマのそばに寄り、小さな竪琴を手に収める。
「いいや。この辺りでは楽器に興味のない客ばかりだからね。もし、弾けるなら少し触って行ってごらんよ。楽器も喜ぶさ」
「ありがとうございます。でも、僕はナセルトゥールの人間ではなくて」
衛兵を恐れ、サーマは断るが、老婆はにこにこと優しい笑みをたたえたまま、竪琴をサーマへ押し付ける。
「わかってるよ。この店では、ナセルトゥールもエラ・シムーも関係ないのさ。もし、監視の兵に何か言われたら、このお婆が止めてやるよ。いいから、弾いてごらん。デタラメでも、可愛い子に弾いてもらえたら楽器も婆も嬉しいからね」
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」
サーマはまんざらでもなく、小さな竪琴を老婆から受け取る。竪琴の弦を手慣らしになぞり、音色を試した後、慣れた手付きで一曲弾き始めた。老婆は満足そうに、うんうん、と頷く。
店の客や通行人は竪琴の旋律に振り向き、足を止める。ミカも、サーマの演奏に釘付けになった。やはり衛兵は文句を言いに来たようだったが、店主が「私たちが一曲頼んだ」と一点張りで、衛兵を追い返していた。
演奏が終わると、辺りは拍手喝采となっていた。
「素晴らしいじゃないか。思った以上だよ、坊っちゃん」
「竪琴が素晴らしいんです、おばあ様。造りが良くて、調律もきちんとされてますし、隅々まで手入れが行き届いてる。こんなに素晴らしい竪琴を触らせていただいて、ありがとうございました」
「おやおや、ご丁寧にどうも。また会うことがあれば、弾いてもらいたいくらいだよ」
サーマは拍手をくれた人たちへ一礼すると、竪琴を老婆に返し、店から出て、すでに買い物を終わらせていたミカと合流する。
「ごめん、ミカ。待たせたね」
「ううん。サーマの演奏良かったよ! 楽器が弾けるなんて、すごい!」
「たまたま、家で習っていただけさ」
エラ・シムーでは、弦楽器を弾ける人間は王家の親戚筋か裕福層の一部と限定される。その大半は、女神に曲を捧げる《聖楽士》になるために腕を磨き、三年に一度だけ王宮で開催される聖楽士を選出する演奏会でその腕前を披露する。
ミカは、ナセルトゥールが侵攻してくる少し前に、両親と三人で演奏会を見に行ったことがあった。サーマほどの金髪なら一目見ただけで忘れないが、記憶にあるのは、褐色の混じった金髪と茶髪、時々珍しく黒髪の人がいたくらいだろうか。
容姿を思い浮かべる間にミカは、当時、一人だけ優れて素晴らしい演奏をしたにも関わらず、家の事情で辞退してしまった楽士がいたのを思い出した。
まさにサーマくらいの年齢ではなかったか。髪は布で覆われ、真っ白な肌で、身長は同じくらいだったように思う。布で頭を覆っていたせいもあって、女性だったように記憶していたが、弦楽器を扱う人間が国内で限られるとなると、サーマが参加していた可能性はあるのではないだろうか?
「ね、ねぇサーマ。それじゃあ王宮であった聖楽士を決める演奏会に――」
集合時間を知らせる鐘が激しく鳴らされる。
「そろそろ時間だね。あと二回鐘が鳴る前に戻らないと」
間が悪く、出かかった疑問はためらいに変わった。思えばミカは、サーマのことを……そしてお互いのことをよく知らないのだと、これまでにない距離を感じた。
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