なかむら先生の怪しい歴史授業 ~人生残酷物語~ (注) 残酷描写はありません。

なかむらふみじ

第2話 少年よ「周りを見ながら」大志を抱け!

絶望的な配属発表の翌日、つらい気持ちを抱えて研究室に向かった。途中で、まなちゃんが楽しそうに話しかけてきた。
「君、昨日は大丈夫だった?」
「ありがとう。もっと何にでも挑戦しろって言われたけど、それ以外は大丈夫...」
「ひょっとしたら、君、中村ゼミを生きて出ることができる最初の学生になるかもね。」軽く僕の肩をたたいて彼女は東洋史のゼミに軽やかな脚で向かっていく。
「そうなれるように頑張るよ。」その背中に弱弱しい声で返事をする。今すぐ、彼女の後ろについていって東洋史のゼミにもどりたいとすら思う。


さて、教授室で落ち武者のような禿げ頭の中村教授は、僕に向かって言った。
「君、研究テーマは『天皇と軍隊』で一つどうだね?」
「はあ。」僕に拒否権は基本的にない。
「『天皇と軍隊』の関係から日本の近代に通底する古代からの精神を読み解く!!なんてどおだねえぇ!?」妙に盛り上げる中村教授。
「先生、そのテーマ感は学部の卒業論文というよりは博士号がふさわしいような・・・。僕の学力ではとてもとても...。」僕は恐る恐る申し出る。当たり前だ、この教授を納得させて学位をとるためにはそれ相応の努力量が要求される。しかし、そこにリソースを割いてしまうと、就活に差し障る。まして、そのテーマが超難易度の高いものとなると....。きっと無限にリソースが研究に吸い込まれて行ってしまうだろう。それに、天皇が絡むテーマで卒論発表なんてしたらパヨ..じゃない、左翼の教授連中に何をされるやら。
しかし、中村教授は大笑いしながら言う。
「君は何もわかっていないな。君の能力に併せて目標を決めることに何の意味もないのだ。君ができることばかり考えていたら、あっという間に周りに埋もれてしまうよ。」
「お言葉ですが、先生。背伸びばかりして生きてもろくなことはないのでは?東芝みたいなチャンレンジ文化とかブラック企業とか社会的にも問題になってますよね?」
「はあ、君は本当にわかってないな。そうやって、きっとデキルことだけやっていけば無難な人生が送れると思っているのだろう?残念ながら世の中は君を中心に回っているわけじゃない。君の周りのライバルたちの力量も踏まえて目標を定めないと意味がないんだ。そんなこともわからずに社会に出ようというんじゃあないだろうねえ?みんな大好き戦国時代で例えてみよう。」また、書類の山から何か表を取り出してきた。
「下に、信長が本能寺の変で倒れた年の理論上の動員兵力と一方面あたりへの動員実績を並べてみた。」

◆ 天正10年 各大名の最大動員兵力推定//確認されている実績
1万石 300人としたときの兵力数をならべています。
・織田信長 700万石 ⇒ 21万人 //一方面最大動員実績 :5万人(有岡城の戦い)
・毛利輝元  130万石 ⇒ 3万9千人 //一方面最大動員実績:4万人(高松城の救援)
・上杉景勝 145万石 ⇒ 4万4千人//一方面最大動員実績:不明、おそらく理論値下回る。
・北条氏政  250万石 ⇒  7万5千人//一方面最大動員実績:5万3千人(天正壬午の乱)
・徳川家康     80万石 ⇒ 2万4千人//一方面最大動員実績:1万人(天正壬午の乱)
・伊達輝宗 70万石 ⇒ 2万1千人//一方面最大動員実績:1万人(人取り橋から概算)
・長宗我部元親 76万石 ⇒ 2万3千人//一方面最大動員実績:2万3千人(中富川の戦い)
・島津義久    130万石 ⇒ 3万9千人//一方面最大動員実績:2万~3万人(耳川の戦い)

教授はこの表をなぞりながら言う。
「単純に考えてみれば、天正10年(1582年)時点で織田信長が差し向けてくる5万ていどの方面軍に対抗する兵力を準備できないと、その攻勢をしのぐことはできない。この時点で、
毛利、北条、かろうじて上杉くらいしか信長の攻勢に対抗できない。というのはわかる?」
「まあ、そうですね。信長の総兵力じゃなくて一方面軍とだいたい同程度の数を一方面に投入できるのはそのくらいですね...、島津とか長曾我部じゃあ方面軍の1/2くらいしか準備できなさそうですもんね。」
「その通り。彼らは結果的にみると信長の圧力に対抗するために一方面に5万くらいの兵力を割ける程度の国力(経済力、人口)や周辺との外交関係(同盟、従属させるなど)を達成しておかなければならなかったのだ。ちなみに、天正10年時に当主になって何年目かもならべてみた。」

・織田信長 30年目
・毛利輝元 19年目
・上杉景勝 5年目
・北条氏政 23年目
・徳川家康 22年目
・伊達輝宗 18年目
・長宗我部元親 21年目
・島津義久  16年目

「信長は結構当主になってから時間が経っているんですね?信長以外の有力大名は、この限られた期間の間に少なくとも織田信長が一方面にさく最大5万から10万の兵力に対処できる程度にまで成長する必要があったわけですね。」僕は感心してしまった。競合の成長に対抗して成長し続けなければ駆逐されることになるのか。

「そうだ。自分にできる範囲のことだけやっていたも、ライバルに呑まれるだけ。実際に、毛利輝元、上杉景勝、北条氏政はその在任中、領土をあまり伸長できていない。それゆえに、伸長する敵勢力に服従するか、時代の表舞台から消え去運命をたどることになったんだ。」教授はしんみりとした顔で言う。

「だからな、君。周りの成長率を踏まえて困難な課題に取り組むことは、生存のために必要な行為なんだよ。」教授はにっこりと笑う。
「私はこう考えている。近代の天皇と軍隊というテーマで日本人の精神性を見直すこの研究をやり遂げることができれば、君はほかの学徒を引き離すことができる。この道で食っていくことができる良いテーマだと思う。」教授は深くうなずく。
「先生。有難うございます。廣瀬さんとも相談しながら頑張ります。」僕は少し感動しながら言った。そうだ。自分にできる事を目指すんじゃない。環境・競合を考慮して、生存に必要な目標を定めて突き進むんだ。

「で、このテーマを受け取って帰ってきたわけね。」巨乳美人の廣瀬さんはにこにこ笑いながら言う。心なしか、顔は笑っているんだが、目が笑っていない気がする。
「そうです。しっかり頑張りたいと思います。」僕は、廣瀬さんに宣言する。
「うーん、結構大変そうなテーマねえ。これ、2月に学卒発表できるレベル達成できるかしら?このテーマ他の先生もうるさそうよねえ。」廣瀬さんは首をかしげる。
「それでも達成する価値のある目標だと思います。自分にできることを中心に目標を考えても仕方がないんです。だから...」熱心に話そうとする僕。
「ねえ、君、就職活動頑張るって言ってなかった?」廣瀬さんが言う。
「あ.....」思わず言葉を無くす僕。
「責任ある立場の人間が、何を目標に掲げるかをしっかり考えることは大事よ。だけど、どう達成するかを検討せずに目標を立てるのは無責任よ。君はもう少し先生の言うことをきちんと聞いて反論すべきじゃないかしら?君が先生のパペットマペットになっちゃったら、私が大変なんだけどなあ。まあ、もう遅いか。」

僕は、自分がいいように言いくるめられて爆弾をしょわされたことに気が付いた。

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