きみのとなり

佳川鈴奈

10.虚しいデート -氷夢華-


嵩兄と同じ職場で、同じマンションで過ごしながらも
すれ違いばかり続いた時間は、季節を夏から秋へと移していた。

小悪魔プロジェクトは今も実行中で、
毎日、全身のお手入れとコーディネートに余念がない。


小悪魔プロジェクトの成果なのか、
街を歩いているだけで知らない男性に声をかけられることが多くなった。

鷹宮で仕事中でも『お世話になりました』って連絡先の入った名刺を握らせて来る患者さんの存在、
今までは声すらもかけられなかったのに『橘高さんって素敵ですよねー』なんて、
事務員や看護師さんとかにまで声をかけられるようになった。


声をかけられるって言うのは兄貴を振り回せるってことで、
それはそれは計画が一つ実現したって喜ばないといけないのかもだけど、
アタシはそこまで嬉しくない。


だけど時折揺らぐ、そんな歯止めの心も、兄貴があの女と一緒に歩いている姿を
病院内で見つけるたびに、イラっと来て、罪悪感なんて吹き飛んでしまう。


これは全部悪い、兄貴への復讐なんだからっ。



そして勢いで華奈子たちと一緒に出掛けてしまった合コン。
そこでアタシは、岩本鼓【いわもと つづみ】と出逢った。


岩本は弥英の想い人の友人で、今回の合コンの仕掛け人でもある存在だった。


弥英の願いを受けて、弥英の想い人を合コン会場へと呼び寄せて、
二人のキューピットを買って出た人。


岩本だって弥英に告白するほど好きだったはずなのに……。



岩本が連れてきた男たちは皆、高校時代の同級生だったらしく、
一流企業に努めるサラリーマンな岩本を筆頭に、弥英の想い人の会社経営者、
二人の知人である日本舞踊の時期家元。

そんなメンバーたちに交じって、アタシと弥英と華奈子は同じテーブルを囲んだ。

弥英の隣には会社経営者の想い人。
華奈子の隣には時期家元。

アタシの隣には岩本だった。




「氷夢華ちゃん、そんなに飲んでないんじゃない?」



そういってアタシの前にアルコールのメニュー表を出してくるものの、
アタシはお酒にも走れずにいた。



『おいっ、氷夢華ほどほどにしとけ。
 また胃潰瘍なっても知らねぇぞ。

 飲みたくなったらオレが付き合ってやるから、外で悪酔いするなよ。
 お前は酔っぱらうと絡み上戸になるからな』



その後、兄貴はこう言葉を照れくさそうに続けたんだ。


『お前の絡み上戸は目の毒なんだよ。
 オレが、気が気じゃねぇだろうが……』



そんな言葉を守って、こんな場でもお酒の量を調整するようになったなんて
アタシも優秀。兄貴のためのいい女でしょ。



「岩本さん、すいません。アタシ、ウーロン茶で。
 春に胃を壊しちゃってから、自粛中なんです」

「自粛って、一緒に同棲してるお医者さんの彼に言われて?」



岩本さんの口から、意表を突かれたように飛び出してきた言葉に驚く。


「えっ……嵩兄のこと、どうして?」

「知ってるよ。弥英ちゃんに教えて貰って。

 嵩兄って呼んでるんだ。
  だけど氷夢華ちゃん、まだまだだね。

 とっさにふられて彼のことを名前で呼んであげられないなんて、
 その程度なんじゃない?」


その程度?
アンタにアタシの何がわかんのよ。

アタシは新しく運ばれてきたウーロン茶を一気に飲み干すと、
カラリとグラスの中の氷が音を立てた。



「鼓、朔優【さくや】、俺、弥英ちゃんと抜けるわ」


突然、弥英の想い人がそういって合コン会場から抜け出すと、
んじゃっと、朔優さんと呼ばれた次期家元と、華奈子も出ていく。


『バカ……』


華奈子のバカ……どうして、この男とアタシを二人きりで残すのよ。

弥英はわかるとしても彼氏がいるアンタまで、
その次期家元にお持ち帰りされなくてもいいじゃん。


心の中でそんなことを思っていると、岩本はアタシの正面をまっすぐに見た。



「バカって華奈ちゃんへの抗議かな?
 でも氷夢華ちゃん一つ誤解してるよ。

 朔優は華奈ちゃんの彼氏。もうすぐ婚約もするんじゃないかな?

 んで僕も知っての通り、今、弥英ちゃんに振られちゃったんだよね。
 だから少し、その医者の彼に危機感を抱かせてみない?

 そのついでに僕のことも慰めてよ」


人懐っこい性格でアタシの意思なんて無視して勝手に予定を組んでいく強引なところなんて、
兄貴みたいだなーなんて思ってる間に、気が付いたら翌日のデートのセッティングなんてされてしまった後だった。



その日、シンデレラタイムにタクシーで岩本に送ってもらって帰宅したマンション。
だけど兄貴は、その時間になっても帰宅していない。



バカ……兄貴がちゃんと帰ってきてアタシを抱きしめてくれたら、
岩本との明日の約束なんて絶対に断るのに……そんなきっかけすらくれない。



兄貴のバカっ!!


湯船にお湯をはって入浴剤を放り込んでゆっくりと体を温めると、
いい女になるための努力をして、翌日、何事もなかったように出勤した。



鷹宮に到着して仕事用に着替えた後は、いつもの日課がはじまる。



えぇーっと、今日の検査。
早城と一緒かぁー。

検査のときにも兄貴に会えないじゃん。


今日の検査予約のスケジュールを追いかけても、
兄貴の名前は残念ながら見当たらなかった。


一日の検査を予定通りこなすと、
アタシはロッカールームへと貴重品を持って戻る。


ロッカーの前で着替えをしながら、
メール受信か着信で点滅している携帯に手を伸ばす。






氷夢華ちゃんへ

予定通り、今、会社をでました。
今日、楽しみにしています。

17時30分に本館の入り口ドア付近でお待ちしてます。









そのメールを見て思わず髪をガシガシとかいた。




ロッカードアの裏側にセットしていた鏡に顔を映して、
軽くメイクを直すと、アタシは覚悟を決めたように入口へと向かった。




「あぁ、氷夢華ちゃん。
 仕事お疲れさま」


ドアが開いてアタシが姿を見せた途端に岩本は笑顔を見せてアタシに近づくと、
さりげなく腰に手を回してエスコートするように歩き出す。



その後も、逃げ出すきっかけが掴めぬままアタシはズルズルと岩本のペースに乗せられた。


最初に出かけたのは、ムーンライトプランで夕方から入れる遊園地。

遊園地内のホテルのレストランで予約されたディナーを頂いて、
その後はアトラクションに一つだけのって、フィナーレの花火を楽しむ。



楽しい時間のはずなのに、隣に兄貴が居ないのが寂しくて虚しかった。





「氷夢華ちゃん、今日はお付き合い有難う。
 ずっと浮かない顔してたね」


遊園地から肩を並べて出ている間、岩本はそう切り出した。



「ごめんなさい。
 だけど……」

「氷夢華ちゃん、謝らなくていいよ。
 こんな強引なやり方をして僕も悪かったと思ってる。

 だけど僕と過ごしていてどうだった?」

「楽しく……楽しくなかったです」




そう……岩本さんには悪いけど、楽しくなかった。



「楽しくなかったか……。そう面と向かって言われちゃうと、
 僕も傷ついちゃうな……」

そういって、寂しそうに笑う岩本さん。

「あっ、ごめんなさい」

「いいよいいよ。

 僕はこんなそんな性分なんだ。
 弥英ちゃんと、華奈ちゃんに頼まれて仕組んだんだ。

 二人とも、氷夢華ちゃんのこと心配してるからさ。
 医者の彼との関係ね。

 だけど……僕なんかが付け入る隙がないくらい、
 氷夢華ちゃんには医者の彼しか入ってない。

 多分……会ったことはないけど、医者の彼もそうなのかも知れないね。
 お互いがお互い、溺愛しあってる二人を誰も邪魔なんて出来ないよ。

 もっと素直に甘えてみればいんじゃない?」




小悪魔プロジェクトのある意味指導者の岩本は、
そんな言葉を最後に残して、タクシーでアタシの前から走り去った。




今日のディナーも幸いにしてアルコールは飲んでない。



マンションに戻って部屋に戻る。


兄貴の仕事用の靴は下駄箱に片づけられているし、
仕事用の車の鍵は鍵置き場に戻されているのに、
その隣のシルエイティーの鍵が消えていた。


慌てて荷物を自分の部屋に放り投げると、
愛車の鍵を握りしめて必要最低限の免許証の入った財布ポーチだけ手にすると、
アタシは地下駐車場へと走り出した。



今朝の出勤時、お留守番させてた愛車に滑り込むとエンジンをかける。
心地よい振動が体に伝わると、ゆっくりと車を発進させた。





兄貴に会いたい……今すぐ嵩継に触れられたい。




それだけを願いながら再会したF峠に向けて、
車のスピードを一気に加速させていった。


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