きみのとなり

佳川鈴奈

5.言い出せない問題 -嵩継-



「安田先生、ケアセンターまでお越しください」


医局の電話の取次でケアセンタースタッフからの連絡を受けると、
オレは白衣を脱いで、ケアセンターの方へと足を向けた。


ケアセンター入口で手の消毒だけ済ませると、
建物の中へと入っていく。



「あっ、おはようございます。先生」

「おはよ、安田先生」


すれ違う患者さんたちに返事をしながら、
ケアセンターの詰所へと顔を出した。



「遅くなりました。
 作元さん」


詰所のデスクから顔を上げたのは、
センター設立当初から、いろいろと手伝ってくれた存在。



「先ほど時任夏生【ときとう なつき】様73歳の方が、
 娘さんと来院されました。

 現在、カウンセリングルームにお通ししています」



そういって、あの時任夏海の父親が、娘と共にこの場所に来たことを知った。


彼女の父親は、すい臓がんの末期。
体に異常を覚えて受診したときには、癌はすい臓内部に留まっていたものの、
第二リンパ節まで転移。

ステージ3での発見だった。

その後、放射線化学療法にて経過監察したものの癌は小さくなることはなかった。



経営していた病院は人手に渡り、自身はいかに自分らしく最期を迎えたいか……。
在宅での生活を経て、ショッピングモールでの突然の再会から約一ヶ月過ぎたところで、
このケアセンターへと移ってきたと言う事だった。



「それではスタッフが時任さんの部屋へとご案内の後、
  施設内をご案内します」

「宜しくお願いします」


患者さんの状況を全て確認した後、その書類を預かって立ち上がるとドアを開けてボランティアスタッフを呼び寄せた。



このケアセンターは、医療スタッフは鷹宮総合病院と連携していているが、
それ以外にも、ボランティアスタッフと言う善意で手助けてしてくださっている皆さんが多く活躍している。

それぞれに鷹宮で助けて貰った人が社会復帰するまでの間でリハビリもかねて手伝ったり、
近所の人たちや、鷹宮の患者さんたちが、話し相手を求めてボランティア登録して手伝ったりといろいろだ。



「すいません。
 時任さんを桜の部屋へとご案内してください」

「車椅子はどうされますか?」


すぐにボランティアの男性から返事があり、
時任さんの意思を確認して車椅子を用意する。


癌による闘病で筋力が落ちて細くなってしまった患者さんたちが多くいる、
この施設ないは、海斗の時もそうだったが、車椅子で庭まで出られるようになっているのが特徴だった。
 
  
カウンセリングルームから車椅子に乗せられた時任さんが終末期を過ごす部屋へと移動されていくと、
本館に戻ろうとしたオレの腕を、時任夏海が掴み取った。



「嵩継君……。
 父は?本当に父は、もう治る見込みはないの?」


縋るようにオレを見つめる時任。


「エンドオブライフケア。
 この場所に来たと言うことは、そういう事だろ?」

「でも……私、何も出来なかったの。

 傍に居たのに父の病気にも気が付かなくて、
 その後も……。

 親孝行……何一つ出来てないのよ。だから……」



そういってオレに縋ってくる時任夏海の声に、
遠い日のオレの心が突き刺さる。



オレだって……気が付かなかったさ。

おふくろが肺炎になるまで……。
肺炎になっても倒れるまで無理してた。

親孝行なんて、何一つ出来ちゃいねぇ。



だからこそ……時任の悲痛な思いに答えてやりたいって思う部分もあるが、
これ以上は時任さんの体力を奪うだけで、寿命を縮めてしまうことになる。



「時任、お前の親父さんは今も必死に癌と共存しながら生きてるだろ。
 だったらまだ、オレと違って親孝行はいくらでも出来ると思うぜ。

 ほらっ、時任さんの部屋に案内しよう」



時任を先導するように、桜の部屋まで移動している間も、
このセンター内は賑やかだ。


集会場でボランティアの人に教えて貰いながら、編み物をしている人もいれば
同じくボランティアの人に演奏してもらうピアノに耳を傾けている者もいる。



そして……院長夫人である、Riz夫人の倍音ヒーリングを家族で体験している人たちもいる。



「嵩継君にぎやかな場所なのね……。
 本当に、これから死ぬ人たちが過ごしている場所なの?」

「時任、これから死ぬ人たちが過ごしてる場所じゃなくて、
 必死に残された時間を輝いて生き抜いてる、そんな人たちが溢れてる空間。
 そこがこの場所だよ。

 あそこの輪の中心になって歌っているのは鷹宮の病院長の奥様だよ。
 だからこそ、時任にもこの場所で、親父さんの笑顔を沢山見れたらいいな」



そう……オレには見ることのできなかった、
最期の瞬間の笑顔をさ……。



「ほらっ、ここが桜の部屋だ。
 まだある程度、プライベートが確立するように家族を中心とした空間になってる。

 ベッドは介護ベッドではあるけどソファーも机もトイレもお茶をいれるくらいなら、
 この場所で出来るようになってる。

 基本、ボランティアスタッフと医療スタッフで24時間管理体制だが、
 時任が毎日、この場所に帰ってきて親父さんと過ごすと言うなら、
 簡易ベッドをいれることも可能だ。その時は何時でも言ってくれ」

「……有難う」


時任はオレにそう言うと、親父さんの傍へと移動した。


ゆっくりとドアを閉めて詰所に顔を出すと本館に戻ることを伝えて、
オレは医局へと白衣を取りに戻る。


「嵩継さん、さっき南病棟の松岡さん急変したんで処置してきました」

「おぉ、ありがとな。飛翔」

「さっきの呼び出し何かあったんですか?」

「あぁ、新しい住人を迎えたってことかな」

「どれだけ手を尽くしても、報われない命もありますからね……」


そういって早城は悔しそうな表情を見せた。


そんなアイツの肩をトントンと軽く叩いて、
オレは医局を出ると南病棟へと松岡さんを訪ねて顔を出す。


その途中、氷夢華と遭遇した。


前回のデートから今日まで同じ病院で同じマンションにいるものの、
時任の話をする機会もなく、時間だけが過ぎてしまった。


「氷夢華……」

「あっ、兄貴、アタシ今日は友達と晩御飯食べて帰るから」

「おっおぉ、食べ過ぎんなよ」


なんて他愛のない会話をしながらも、
また時任の話をするタイミングを逃してしまった。


松岡さんの状態を確認しながらカルテに一通り目を通した後は、
特別室へと足を向ける。


その場所に向かう途中には、水谷さんとすれ違う。



「あらっ、嵩継君。勇ちゃんのとこ?」

「はいっ」

「今、リハビリから帰ってきてゆっくりしてるわよ。
 それより、嵩継君少し疲れてる?

 今夜、氷夢華ちゃんと一緒にご飯食べにくる?」

「あぁ、氷夢華はいないけど、オレだけ甘えてもいいですか?
 アイツ外食らしくて。
 マンション戻るの邪魔臭いからコンビニで済ませようかなーって思ってたんですよね」

「あらあらっ。
 なら仕事が終わったら鷹宮のお家に集合ね」

「お邪魔します」



晩御飯の約束を取り付けて勇人の部屋へと顔を出すと、
アイツはベッドの上で落ちてしまった筋力を回復させようとボールを使った簡単なリハビリを続けていた。  


「嵩継さん、お疲れ様です」

「おっ、おぉ。
 元気そうじゃねぇか?」

「おかげさまで、順調に回復は出来てるみたいです。
 嵩継さんは、ちょっとお疲れ気味ですね。

 氷夢華さんと何かありました?」

「何かあったと言えばあった……。ないと言えばないんだが……」


言葉にすることが出来ずに、濁すと勇人は何かを察したようにベッドの上で笑い出した。


「あったんですね。
 吐き出しちゃえばどうですか?

 今は嵩継さんが、僕のところに来てくれてる一時間ですよ。
 一時間は誰も来ませんよ」


そう言うと勇人は手を伸ばして冷蔵庫を開けると、
そのまま飲物を入れて、オレの前へとコップを置いた。


そしてそのまま、オレは……アイツの誘導尋問に引っかかる様に、
氷夢華と時任との一件……、そして時任の言葉にグサリと突き刺さってしまった
おふくろの話とかを吐き出してしまった。


アイツはただ、オレの話を聞き続けてくれた。



おいおいっ……これじゃ、どっちが病人かわかんねぇだろ。
この馬鹿野郎。




「……嵩継さん、駄目ですよ。
 ちゃんと話さなきゃ。話すって……本当に大切なことですから」



そういって、アイツは窓の外へと意味ありげに視線を向けた。 




あぁ……こいつらの問題もまだ片付いてなかったんだな。



窓の外へと視線を向けた勇人を見ながら、
千尋君と勇人の問題が解決していないことに気が付いた。




言い出せない問題は今も山積みだ。


一時間の特別病室での看病と言う名の休息を経て、
オレは再び現場へと踏み出した。



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