きみのとなり

佳川鈴奈

4.あんた誰?突然現れた女 -氷夢華-


久し振りの兄貴とのデート。


兄貴とのデートは、ほぼ成功したためしがない。

医者の彼女なんだから多少は理解しなきゃって、
自分にも言い聞かせながらやってきたけど今度のデートは特別。


まだ小っちゃかったアタシが、
初めて嵩兄に映画とプールに連れていって貰った日。


多分、嵩兄なんて覚えてないと思ってるけど、
幼い頃から、カレンダーに印が付けられたその日は、
アタシにとっては大切な日で、今も手帳にその印を書き込まれ続けている。


だからこそ、次のデートだけは中断なんてしたくなくて、
春に胃潰瘍でズタボロの醜態をさらして以来、
何となく会話が出来るようになった、早城と氷室っちを早々に味方に引き込む。


だって、兄貴のことだから、そんな約束すぐに忘れて
予定変更、仕事を詰めるってやりかねないんだから。


だからこそ先に医局内に協力者を準備したアタシは、
安心して、当日を迎えていた。


その日はアタシは休みだったけど兄貴の着替えを届がてら、
朝一で兄貴の顔を見た後も念押しの一言。


協力者にも再度、お願いしてマンションに戻ると、
ゆっくりとデートに備えて準備をする。


兄貴の車で出掛けるだろうから、アタシの相棒は駐車場において
バスで鷹宮へと顔を出した。



約束の時間の10分前になっても、兄貴は姿を見せない。


たまりかねて病院内を歩いてみると兄貴はケアセンターの方に、
私服姿のまま顔を出していた。


海兄が亡くなった時期と、重なる様にして新設されたらしいケアセンターは、
この周囲の病院には珍しい施設だった。

ケアセンターの中には車椅子などの生活で余儀なくされる人たちの介護療養施設と、
癌などの末期で回復の見込みもなく、病名を告知されたうえで、残された余命をいかに自分らしく生きるかに
重きをおいた終末期医療専用の施設。


海兄が最後に過ごしたケアセンターの責任者は兄貴だった。



兄貴はケアセンターに居る余命少ない少年と向き合って、
ビニールのボールを蹴っては、サッカーの相手をしてるみたいだった。


やっぱ兄貴にはサッカーが似合うよ。


暫くそんな風景を眺めた後、慌てたようにアタシに気が付いて
男の子に声をかけて嵩兄はアタシの傍へとやってきた。


予定時間より15分ほど終わって始まった記念日デート。


やっぱり兄貴は、この日の意味なんて覚えてそうじゃなかったけど、
映画を見たり、記念プレゼントをお互い購入出来たりと充実した時間だった。


夜勤明けで眠そうな仕草をしてる兄貴。
だけど今日だけは患者さんの為じゃなくて、アタシの為の兄貴だもん。


いっぱいいっぱい楽しんで、明日以降は、また患者さん優先の兄貴にも寛容にならなきゃって
そうやって思ってたのに、ショッピングを楽しんでる途中に突然、兄貴と親しげに話してる女発見。


その後は、楽しかった空気も全部消えて楽しくない。
楽しみたいのに、その女が私の脳裏から離れてくれない。



兄貴のこと『嵩継君』って親しそうに呼びやがって兄貴も兄貴で、
アタシのことちゃんと彼女だって紹介してくれて、相手との関係を教えてくれたら
こんなもやもやすることないのに、一切なし。


って、最低。
兄貴と一番最初にしたデートの記念日に、この仕打ち酷すぎる。



そう思ったら、兄貴のいろんな気に入らないところが次から次へと出てきて
イライラがおさまらなくなっちゃった。



しかも去り際のあの女。

兄貴がアタシの名前をその女の前で呼んだとたん、
その女がアタシに視線を向けて『あらっ、おつれさんがいたのね』って
アタシに向かって声にならない声を発する。




居たわよっ、悪い?
ほらっ、とっとと消えてよ。

アタシに兄貴返してよ。

大切な記念日なんだから。




心の中で罵りながら、唇をぎゅっと噛みしめて
相手に鋭く視線を送り続ける。



「じゃ、またね嵩継君」


じゃ、またね。じゃねーよ。

兄貴との次はないんだから。
兄貴の傍にはアタシが居るんだから。



っと、あの女が残した言葉にやっぱり心の中で反発しながら、
ムカムカがおさまらない心を必死になだめながら、
兄貴の手首をきゅっと掴んで、ツカツカと駐車場に向けて歩き出す。



途中まで行くと、掴んでいた手首を放した。



「ねぇ、兄貴。さっきの誰?
 感じ悪いし、嵩継君って、兄貴の名前、馴れ馴れしく呼んでくるし」


っと、兄貴に苛立ちをぶつけるように言葉を発する。



空気最悪。
こんなことがしたかったわけじゃないのに。



その後、ショッピングモールを出たアタシは、兄貴が運転する車で見知らぬ小料理屋へと連れられて行く。


「いらっしゃいませ。
 あらっ、嵩継君いらっしゃい。

 まぁ、珍しい。今日はお連れさんと一緒ね」


って、アタシたちを座敷へと案内してくれた年配の女の人。


あれっ……、アタシ、どっかで見たことあった気がする。



「氷夢華、海斗のおふくろさん」


兄貴が耳打ちするように教えてくれる。


「まぁ、貴女が氷夢華ちゃんね。
 嵩継君と良く来てくれたわね。

 そう……ちゃんと再会してたのね」


意味深に、おばさんは呟いて嬉しそうに微笑んでくれた。


そのおばさんの顔立ちから懐かしい海兄の特徴が見えてくる。



「氷夢華、料理はおまかせでいいか?」

「あっ、うん。大丈夫」



この場所に連れてきてもらって嬉しいのと、さっきの女がチラチラと思い出されていらだつのと
女心は複雑。


今も、あの女の説明をしてくれない兄貴に苛立ちは募るばかりで、
運ばれてきたコース料理をただ無言で食べ続ける。


いつものアタシのテンション返してよ。
ったく、バカ兄貴。


海兄を慕って後を継いでくれたお弟子さんが作ってくれた、
綺麗な彩の料理を食べても、正直、今日は味がわからない。


あぁ、胃も痛くなってきちゃったよ。


兄貴は早々に食事を終えると、逃げるように店の手伝いなんてしてる。


一人、座敷に残されたアタシに気を配る様に話し相手になってくれるのは、
海兄のお母さん。


「氷夢華ちゃん、ごめんなさいね。
 せっかくのデートを邪魔しちゃったわね。

 おばさんもね、今、嵩継君にお世話になってるのよ。
 海斗の病気が見つかる少し前に、肝臓壊しちゃって。

 だから嵩継君、こうやってあの子が入院してる時から、
 店に来ては、おばさんの仕事手伝ってくれるのよ」



そうやって、海兄のお母さんはアタシに申し訳なさそうに話してくれた。



その後は閉店時間が近づいてお店が一息つくまでおばさんがアタシに気を配りながら、
アタシの知らない闘病生活を過ごしていた海兄の写真を見せてくれた。



海兄の病名は骨肉腫。

そのアルバムの中には、車椅子のままケアセンターで過ごしている海兄と、
その傍で笑ってる嵩兄の写真が沢山あった。


兄貴が少年とサッカーしてた庭ではバーベキュー大会なんてしてたんだ。



写真に刻まれた日付が海兄が生きていた時間を教えてくれる。


アルバムの最後の方には、
海兄がバーベキューの日に作ったらしい懐石料理のコースの写真。



そして最後の頁には眠る様に息を引き取った直後の海兄で終わっていた。
その隣にも、嵩兄はベッドサイトで映ってる。


二人の兄貴の写真を指先で辿って、そして兄貴の方へと視線を向けた。



「悪かったな。氷夢華」



そういってアタシの方に近づいてくる兄貴に慌てて、
その今まで見ていたアルバムを閉じて、机の下へと隠した。


何となく、見ちゃいけない写真を見てしまった気がして。



「帰るか」


アタシの傍まで来て、そう告げると嵩兄はアタシの鞄を持って履きやすいように靴をそろえてくれた。


「すいません。氷夢華さん、嵩継さん有難うございました」


板前服に身を包んだ青年が、調理場から出てきてアタシに会釈した。



「じゃ、ごちそうさまでした」



っと支払いを済ませて、嵩兄は小料理屋を後にする。
「また来ておくれ」っと言う優しい声を受けながら、アタシはマンションへと戻った。


イライラしてただけの時間に比べて、
もっとアタシの胸中は複雑で、女の存在は気になるけど……アタシもも嵩兄と海兄の時間を盗み見したような
罪悪感も重なって、どうしていいかわからず、マンションに帰った後もまっすぐに部屋に閉じこもった。




……ねぇ、海兄。アタシと兄貴、どうなっちゃうの?……


写真にうつる海兄に吐き出してみる。
もやもやした気持ちのまま、ベッドに倒れこんで翌日からいつもと変わらない時間が始まった。





あの女のことは忘れよう。




そうやって思ってたのに、翌週になってアタシの想いは叶わなかった。




鷹宮の病院内で、兄貴の傍で笑うあの女を見かけた。





バカ兄貴っ!!
アタシの気なんて知らないんだから。



怒りに任せるように近くにあった、ゴミ箱にやつあたりした。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品