きみのとなり

佳川鈴奈

11.すれ違う時間Ⅴ~心の悲鳴~ -氷夢華- 


嵩兄がマンションに戻らなくなって約三ヶ月。
アタシが退職願いをだしそびれてから二週間と少し。


流石のアタシも限界来るよ。

嵩兄……もうすぐ兄貴が消えた大嫌いな桜の季節だよ。


何時までアタシを放って置くつもりだよ。
嵩兄。



此処にきて体調がよくないのを感じる。



けど体調を戻したところで今の状況が変わるわけでもなく、
時折鳩尾辺りの痛みを感じながら何時もの生活を送る。



嵩兄が戻ってこないマンションに一人で居ても面白くない。




今はただ、あの人と……総師長と約束したから、
だからあの二人が戻ってくるまでやってやるよって言った手前、
途中で抜けるのもアタシが許せない。



けどロシアンルーレット正直わかんなくなってきたよ。
まっ、だからと言ってアタシが今の生活習慣を改めるなんてこともしたくない。


最近、食べる気もしない。
けどストレスを一時的でも忘れるにはやっぱりアルコールは必需品。


空きっ腹に流し込んでは嘔吐して……そんな生活だけど、
やることがなくて持て余してるよかは考えなくていいぶんラクだった。



ぶっちゃけ、やろうと思ってやりだしたわけじゃなくて、
何時の間にか、こんな状態になってたんだけどねー。



だけど今では仕事終わって峠走って帰って来ても眠れない。



嵩兄と病院内で顔を合わせることがあっても、
チラチラっと見るくらいでアタシから声なんてかけない。


それに嵩兄の方はアタシに気がついてるかどうかすら怪しい。



アタシなんて、それくらいの価値しかないんだって思っちゃったら、
もうどうでも良くなった部分もかなりあってさ。



それ以来、嵩兄も無視。



鷹宮に入ってきた当時から何かとアタシに生意気な先生様口調で、
命令し続けてきた神島の態度にも完全無視。



神島の方はアタシが無視するようになって面白くないのか、
今まで以上にキツクなって来てたけど、とりあえず言われたことは『はいはい』って二つ返事して完璧にこなしてそれ以外は無視。


仕事だけは、ちゃんとしてんだから別にいいでしょ。



まっ、最近そいつの姿も院内であんまり見なくなってきたけど、
アイツが何も言ってこなくなって邪魔者がいなくなったって言うか、
ウザイのが一人居なくなっただけって言う感覚で別に何もとくには思わないけどさ。


今日も殆ど眠ることが出来なかった体をベッドから無理やり這い出させて、
病院に向かうしたくをする。


化粧品のパウダーの匂いで気分悪くなるって……どうよっ……。


何時もなら手早く三十分もあればメイクまで完璧にこなすアタシなのに、
ここ最近はちょっちペースが落ち気味。


どうにかこうにか、メイクも無事に終えて何時ものように出掛ける。


あっ、ちょっと今日は遅れ気味かな。


腕時計の針を見ながら慌てて駐車場へと向かう。
駐車場っていっても嵩兄が使ってるマンションの地下駐車場じゃない。


あの場所にはアタシの車を駐車していい場所なんて決まってないから、
個別にマンション近くに借りた駐車場。



マンションから少し歩く。


正面フロントから出て暫らく道沿いにマンションの裏道を
歩いて抜けた場所に駐車させてある愛車にどうにかこうにか辿りついて乗り込む。



山桜が少しずつ開き始める季節。
山桜が咲いて、暫くして街路樹の桜が沢山の花弁をつける。


だけど桜は……苦手。


今年こそは嵩兄と一緒にお花見をして桜の木の下でお弁当箱広げて、
小さい頃みたいに好きになりたいって思ってたのに、
今年もその願いは叶いそうにない。



春のクリアランスセールで賑わうデパートでの買い物も、
今年はいっても疲れるだけで何も思考が働かなくて
友達の誘いも断った。


こんな生活しか出来ないのも、それもこれも嵩兄の責任なのに、
嵩兄を捨てることなんて出来なくて、嵩兄に再び見捨てられるのを怖がってる。



知ってんのかよ、嵩兄。




相棒のエンジンを掛けて何時ものように病院へと滑り込みで飛び込むと、
医局へと早々に顔を出して先生たちのと打ち合わせ。


今日の検査予定を早々に受け取ると医局を退室しようとする。



嵩兄と何でも気軽に話せてる状況ならまだしも、
今のこんな状態で……会いたくない。



打ち合わせも早々に医局から退散しようとするアタシに誰かが声をかける。




「何してんだ?」


突然の言いように思わず勢い良く振り返って相手を睨みつける。
途端に響くように走る鳩尾の痛み。


必死に顔に出さないように耐えて黙って一礼だけすると慌ててトイレへと駆けこんで、
個室の中で痛む鳩尾にそっと手を当てる。

痛みの波が少し軽くなったところで何事もなかったかのようにアタシの居場所へと戻った。


ちょっとマジで、やばげ?
ロシアンルーレットに負けるのも……嫌なんだけど……。



痛みと格闘しつつ何とかやり過ごしながら仕事をこなし続けるアタシ。


途中、同僚の技師が心配そうに声をかけてくるけど、
同情されたり心配されるのにはウンザリなアタシは丁重に辞退して仕事に集中する。


午前中の仕事をどうにかこうにかクリアしてせっかくの休憩時間。



思う存分、休めると緩んだ開放感も束の間、
ERからの急ぎの検査の要請にスタッフサロンから慌てて飛び出す。



その途中、嵩兄の声を聞いた気がしたけどアタシ的には答える気力もなくて、
今は仕事をクリアして今日を一日無事に少しでも早く終わらせたい一心で。


こんなにも一日が長くてウットオシイなんて思いもしなかった。



貴重な貴重な昼休みも急ぎの仕事で奪われ、そのまま午後の検査に突入。




マジっ、この状況早く終わってよ。


今日は残業なんて頼まれてもしないんだからっ。


定時で帰るんだから。
呪文のように何度も心の中で繰り返して望む仕事。


流石にこんな状態になったのは初めてで一分・一秒がかなり長くて、
検査の合間合間に何度も時計を見てはがっかりするのを繰り返す。



それでも、どうにかこうにか今日最後の仕事に取り掛かる。


担当医、早城飛翔って。


確か、嵩兄のマンションのオーナの叔父だったよなー。

無口で無愛想。


アタシ的にはあんまり相手にしたくないタイプなんだけど、
仕事が出来ない奴は容赦なく切り捨てるっとかって看護師たちのなかで恐れられてるとか言ってたよ-な。


検査に同席していた早城先生の指示に従いながら、
とりあえず機械的に今は仕事に集中する。



後、一つ。
これが終わったら絶対に帰るっ。


もう一分・一秒だって、この場所にはいたくない。



「お疲れ様でした」


検査を受ける為にセデーション【※薬を使って意識を落とすこと】をかけられた患者を看護師がゆっくりと運び出す。


その途端、突然視界が暗くなる。


物凄い力で重力がアタシを引き寄せているような感覚が突然襲って、
その場でアタシの体は傾いた。



……嵩兄……。








気がついたとき、アタシは見慣れた天井を見つける。


……自宅だ……。


朝からの痛みは今は消えていて自宅にも関わらず腕には点滴の針が突き刺さってる。
何となく倒れたらしいことを悟る。



「嵩兄?」



もしかして嵩兄が連れて帰ってくれたのかも知れない。
期待を込めて名前を呟く。



「気がつきましたか?」



嵩兄とは違う声が部屋の中から聞こえてくる。


「アンタは?」

「安田先生の後輩、氷室由貴です。
 覚えてませんか?」



その人の顔に見覚えはあった。


「知ってる……その氷室先生が何で此処に?」

「病院より御自宅の方が落ち着くと思ったので、
 飛翔と簡単に処置だけ済ませてお連れしました」


お連れしましたって。


慌てて自分の着替えも済ませられてる事実に思わず困惑する。


そんなアタシを見て氷室先生はくすくすと笑う。



「何、気にしてる?
 別に珍しくもない」

「飛翔、そんな言い方ダメです。
 もっと柔らかい言い方をですね……」



飛翔って、もしかしなくても早城飛翔。



……マズイ……。


アタシ、アイツの前で倒れちゃったの?
思わず停止する思考回路。



「あっ、橘高さん大丈夫ですよ。
  着替えの方は妃彩さんに手伝って貰いました」
 


妃彩って誰だよ……そう思ったのが顔に出ちゃったのか、
慌てて氷室先生は妃彩さんの説明をする。

何でも氷室先生が親友と住んでる家に同棲している女性で、
氷室先生のフィアンセと言う存在らしい。


妃彩と呼ばれた女性は柔らかに微笑んでアタシをゆっくりとみる。



「嵩兄は?」

「安田先生は今日はERです。
 私と飛翔はオンコールで病院を離れられるので代わりに参りました。

 安田先生のマンションは飛翔の家が経営しているマンションですし、
 鍵も神威君に事情を話せば開けてもらえますから」



嵩兄ERなんだ。


普通……アタシが大切だったら、
当番代わってもらってでも傍にいるよね。


それでも嵩兄は帰ってこなかった。
オンコールの奴と交代してでも帰ってこれるはずなのに。


それが呼び出されるギリギリまででもさ。
それすら嵩兄はしなかったんだ。


何か、そう思うと今度は胸が苦しくて痛くなった。
かきむしりたいほど、抉り出して捨ててしまいたいほどに……。



「最低だな」


そんなアタシに突然、低く吐き捨てるような声が耳に届く。


「飛翔っ!!」

「自宅に戻る。

 とりあえず暫らく休んでろ。
 今のまま仕事されて、また倒れられても迷惑だ」


その人の声が、必要以上に耳に付く。


何度も何度もリフレインしていく。
足音が遠ざかり扉が開いたかと思うと冷たく閉ざされる。



「由貴、出るぞ」


扉の外から聞こえる催促の声。




「橘高さん、安田先生と何かあったんだよね。

 多分、ずっと苦しんでたんだよね。

 私は詳しく事情はわからないけど、
 それでも薄々にでも気がつくものがありました。

 安田先生も同じように苦しんでると思いますよ。
 安田先生には鷹宮の要となる立場もありますから。

 せめて私たちがもっとサポート出来れば良かったんですけどね。

 来週、千尋君が正式に復帰することになりました。
 後、千尋君の従兄弟の伊舎堂さんたちが少し応援に入ってくれることになりました。

 だから安田先生も時間が作れるようになると思うから。
 まだ顔色も良くないから、今日はゆっくり休むんだよ。

 今の橘高さんを見たら安田先生が一番心配されると思うから、
 今週は総師長にも話を通したから自宅静養ね」



氷室先生はそれだけ言い残すと妃彩さんと共に、
ゆっくりと扉の方へと歩いていく。


足音が次第に遠くなって重い扉が閉まる音が微かに聞こえる。



後、一週間かっ。
来週、復活するなら今度こそ退職願受理して貰わなきゃ。



このまま此処にいても兄貴の荷物になるだけなら、
兄貴に迷惑かけるだけならアタシなんか居ない方がいい。


どうでもいい存在なら……居ても居なくてもいい存在なら、
嵩兄に何か言われる前に自分から出て行ったほうが、
これ以上、傷つかなくていいから。




やっと離れられる……この場所から。



どれだけ追い続けても縮まらないこの距離から、
同じ距離でも、同じ場所に居て届かないより、
違う場所に居て届かないほうが心がラクだから。




今週中に荷物引き払わなきゃ。
やること沢山あるなー。



休みなんて貰っても、嵩兄が傍にいるわけでもなし。


例え、このまま大人しく休んで回復しても暇な時間を
持て余すだけだし……いいよね……。


一週間は病院行かなくていいわけだし。
休み明けには退職願出して、もう消えるからさ……。





バイバイ嵩兄、アタシ出ていくから、今週中に……。




今でも、今でも好きなんだよ。
嵩兄……こんなにも傍に居て欲しいのに……。

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