【死に損なった朝は蒼】

ちりぎわ

NYガール

 …。

 ふらつく。

 足取りがおぼつかない。

 殴られた痛みと腫れで視界が酷く悪い。
 
 強いお酒が効いてるのか吐き気もする。

 もういっそこの場に倒れ込んで楽になりたい…。
 
 このまま眠ってしまいたい…。



 「あの…。」
 「あの。大丈夫ですか?」


 誰かが呼んでる。
 でももう応答する力もない。
 ごめんね。無視したくてしてる訳じゃないんだよ。ごめんね。
 声にならない。


 「血が出てる。コレで拭いて下さい。」
 「お水飲みますか?ちょっと座って!」


 心優しい誰かの呼び掛けに従ってビルの脇に腰を下ろした。
 額から流れ落ちる血をタオル生地のハンカチで拭ってくれる誰か。
 良い匂いがする。
 香水を振り撒いた様な鼻に強く残る匂いじゃない。
 洗濯物をお日様の下で干した匂い。
 フワッと香るシャンプーの匂い。
 




 あぁ…。そうだ。
 こういう匂いが大好きなんだ…。
 忘れてた…。
 優しい匂い…。


 力を振り絞って見上げた空は蒼く。
 光の中で私に微笑む女性は凄く美しかった。








10ヶ月前
ー新宿二丁目ー


 雑居ビルの狭間を夏の夜の湿気を帯びたぬるい風が通り抜ける。
 もったりとした。少し汗ばむそんな夜。
 意気揚々と軽快な足取りで歩みを進める。

 狭い路地でイチャつくゲイや、綺麗なお姉さんを必死に口説いてるボーイッシュな女の子など。ご機嫌な若者達の邪魔にならぬ様に身を交わして擦り抜けたその先に目的地はある。


 「ここか…。」


 ドンっドンっドンっ。
 中から内臓に響く重低音が聴こえるビルに入ろうとした時、体重が100キロ近くあるであろうゴールドジムの看板ビルダーの様なガチムチに声を掛けられた。

 「止まって。入れないよ!今日は女性だけのイベントだから。」

 男性に見間違えられる事は日常茶飯事なので慣れている。

 「紛らわしくてごめんなさい。私女なんです。はい!保険証。」

 IDチェック前に静止した事に対しガチムチは直ぐに一言謝罪を入れ、重い鉄扉を開けた。
 

 ドンっ!ドンっ!!ドンっ!!!!
 
 扉が開いた瞬間に外に漏れていた重低音は更に強みを増し、鼓膜を叩き鳴らすかの様な大きな音で私を迎える。

 「フウッーーー!!!!!」

 色んな香水のどぎつい匂い。
 出会いと刺激を求めた女達の楽しそうな歓声と笑い、声を荒げて話す音が入り混じっていた。



 今日の目的は顧客探しである。
 5日前に九州の田舎街から都心に引っ越して来た。
 日本一の歓楽街歌舞伎町で水商売をする為にである。
 「細くてもいい。少なくとも4人5人の客を持った上で面接に行かなければナメられる。東京はおっかねぇ街だから…。」

 誰に言われた訳でもなく、自分の中でそんな気がしてた顧客ターゲットである女性。
 それもいちいち説明の必要の無いレズビアンが集まるクラブイベントに足を運んだ訳なのだ。

 「落とす…。落としてやる…。ここにいる女の子全員落とす勢いで行ったる。」

 ギラギラした目でクラブ内を歩く。

 「大丈夫。可能性を感じる人がいたらまず声を掛けてお酒をご馳走する。そして話が弾んだら近隣のバーに連れて行って2人の時間を作る。もっといたいと思わせたら連絡先だけ渡して即その場を後にする。大丈夫。今日は2万円も持ってるから。大丈夫。」
 
 何度も何度も頭の中でシュミレーションした言葉と表情と順序を脳内でリピートしながらターゲットを探した。


 「ねぇ!」
 「ねぇっ!!!!ちょっと!!!」

 突然死角から肩を叩かれて耳元で声をかけられた。

 「!?!?ふえぇ!?あぁっ…。」

 脳内シュミレーションの真っ最中だった為、突然の女の子からの呼び掛けに対してシュミレーションとは真逆の情け無い声と反応をしてしまった。

女「あんたFTM?ボイ!?!?」

私「あ…。えっと…。…。」

女「どっちでもいーけどロン毛なのに完成度高いね!!本物の男みたい!!!」


 なんだかよく分からないが、褒められたのか何なのかも不明の中、どうにかシュミレーション通りに持って行きたい。
 しかし対応力が無い為モジモジしてしまった。


女「ねー!一緒飲もうよ!!何飲みたい!?!?」

私「あ。いや。ご馳走する。」

女「へ!?いーよ!!だってあんたお金持って無さそーじゃん!!あたしの方がお金持ちだから甘えた方がいいって!!」
 「ね?ほら!!何飲む!?」

私「あ。じゃー。あの。ソルティードッグ」



 私という人間はいつだってそうだ…。
 妄想に妄想を繰り返し何度もシュミレーションした事がいざとなると不意打ちを食らって崩れ去る。
 そしてそれに対応出来る程のコミュニケーション能力を持ち合わせて無い。

 不意打ちのあまりソルティードッグなんて答えたが、そもそも私は酒が飲めない。
 父ちゃんも下戸。母ちゃんも下戸。
 更にソルティードッグも飲んだ事無いし何のお酒かも知らない。
 でも最近見たドラマの中でイケメン俳優が飲んでて耳に残っていたからついうっかり口から飛び出してしまったのだ。
 

女「はいっ!おじさんみたいなの飲むんだね!!」

私「あ。ありがとう。好きなんだ。」


…。嘘をついてしまった………。





ー3ヶ月前ー
某県警内





私「お世話になりました。」

上司「おい。まだ戻れるぞ?辞めるの辞めないか?」

私「いえ。決めた事なので…。本当に良くして頂き感謝してます。」

上司「県警初の女性警部はお前がなると思ってたのに…。」
「俺はな。寂しい。本当に寂しいっ…。」


 涙を流して私の辞職を悔やむ上司に熱い抱擁をされつつ、貰い泣きで泣きじゃくりながら前職の警察を辞めた。
 

上司「おいっ!最後に。」
「正直過ぎる。お前は。馬鹿正直過ぎるんだよ。」
「死ぬなよ。お前は…。これだけは約束しろ。死ぬなよ!!!!!」

 
 「人間遅かれ早かれいつか死ぬ日は来るのに何言ってんだ。」と思いながら上司の肩に付けてしまった鼻水をビヤァーっと手で伸ばして抱擁を解いた。 
 おじさんが付けるムスクの香りがした。


私「ありがとうございました。」


 バックミラー越しに最後まで私に向かって手を振り続ける上司を見納め、脳内は次のプランと制約された日々からの脱却で心がご機嫌に浮き足立っていた。





 「死ぬなよ…。か…。」




 最後に上司にかけられたその言葉はこれまでに2度ほど聞き覚えがある。


 一度目は中学卒業の時。
 私が絶大なる信頼を置く恩師から別れ際に言われた。 
 二度目は高校卒業の時。
 それも私が親並みに慕う恩師にかけられた言葉だった。


 「あたしそんな直ぐ死ぬ様な顔してんのかな。死相でもでてんのかね。」

 「そんで馬鹿正直って。笑」

 自由の身に浮かれた若者はその言葉の意味を大して深く考えずに意気揚々とこれまでと景色の一変した帰路を楽しんだ。








二丁目 クラブ内



 嘘を1つついた。

 初めて飲んだソルティードッグは凄く濃くてしょっぱくて。「何でこんなもん頼んじゃったんだろう…。」と後悔が頭を渦巻いていた。


女「ねぇ!!彼女いんの!?」
「今日1人!?!?」


私「彼女?いないよ。」
「今日は1人。引越して来たばっかで知り合いいない。」


女「マジ!?じゃー飲まなきゃ!!次何飲む!?!?」

 きっとこの子は私がどんな返答をしたとしても次のお酒を勧めて来るんだろうな…。と思いながらオーダー用紙に目を向けてると。


女「お姉さん!この人にさっきと同じやつ!ソルティー!!!」

私「!?」

女「好きなんでしょ!?いいよ!ちょっと高いけど私が出すんだから!!ねっ!!!」


 あぁ。なんて良い子なのだろうか。
 本当に。
 久々に口にするアルコールで一気に頭がボーっとする。


女「ねー!!私何やってる人に見える!?」

私「んー。分かんない。ホステス?」


女「ブー!!!!ソープだよーん!!」
「引いた!?!?!?」



 天真爛漫に微笑むその子に、何故こんなにも可愛い子がソープにと。そんな得体の知れない正義感の様なものが込み上がった。



私「何で!こんなに可愛いのに!ソープなんか!!」


 酒が効いていたのか緊張で思考回路が狂ったのか、それかただの世間知らずだったのか。
 頭ごなしに彼女の職業を「なんか」呼ばわりしてしまった。



 彼女はそれまでの笑顔を解くとキッと睨み付けて言った。

女「は?おめぇそれ本気で言ってんの?」
「私が働く店はな。1本10万近くする高級店なんだよ。おめぇが血ぃ吐いてでも稼げねぇお金をあたしは一晩で稼ぎ上げんだよ。『なんか』呼ばわりするなら1日で私の一晩分の金稼いでみろよ。」



 怒らせてしまった…。

 彼女の言う通りだ。
 私は女だけどオンナは売れない。

 
 そもそも東京に出て来て水商売をするにあたってキャバクラや高級クラブにも面接には行った。
 結果は不採用。
 「キャバクラの面接通らない女っているんだなー。」と感心しつつ、安心する自分もいた。


 コレで心置きなく女性を接客する道に進める。
 これが本来の姿だ。

 物心ついた時から女性に関心があった。
 綺麗な女性。
 何か一芸に秀でた女性。
 懸命に頑張る女性。

 生まれて初めて面と向かって「好きなんだ。」と思いを告げたのも女性。幼稚園の頃の話だ。

 その後も想いを寄せるのはいつも女性で、周りにそんな人間もいなかった事から
「自分は異常なんだ。」と自分に言い聞かせた。
 適当なイケメンを見つけては過剰に「ひゃだぁ!カッコいい!!」と下手くそなカモフラージュをして過ごした。

 高校卒業前には男にも抱かれてみた。
 全く好きとかそんな気持ちは何一つ無かったが、部活動で少し名前が通っていた為当時流行っていた掲示板サイトに「レズだ。気を付けろ。」等の書き込みが有るのを発見してしまったからだ。

 「とりあえずヤって噂流しときゃこの顔も名前も知らんくせに言いたい事言ってる奴らにも伝わるっしょ。」
 と、知り合いの元彼である自称ヤリチン男に「抱いてくれよ。」と頼み込んだのだ。


 そんな訳で女性に好意を抱く事は1つの事実として、その中でもこのレズビアンと総称される業界には他種多用の種類があるそうで。

 ・女として生きて女を愛す女。
 ・心は男で身体は女に生まれた女。
 
 大まかにはこの2つの軸に分かれるらしい。

 女として女を愛す女でも、可愛らしい服装や容姿の子もいれば、中世的な子。ボーイッシュな子もいる。

 心は男で身体は女という人でも同じ括りの人間を好む人もいる。

 なんとも複雑な世界。

 自分が何の種類に属しているのかはさっぱり分かってはいなかったが、取り敢えず進むべき道は絞られた。
 そんなこんなで面接を控えていたのはオナベのショーパブだった。
 オナベかどうかも不明のまま。


 売れっ子オナベは確かにいる。
 しかしその売り上げや給与はソープの子達とは比にならない程低いものである事は既に知っていた。 


 それなのに私ときたらソープ店にて裸一貫プライドを持って生き抜く為に戦う戦士に向かって「なんか」呼ばわりだ。

 恥を知れ。自分…。





私「ごめん…。ごめんね。」
「考えてない事言った。ごめん。」


女「は?ちょっと本気になんないでよ!こっちが悪い事したみたいじゃん!」
 
 「お姉さーん!テキーラ注射ちょうだい!!」

 「おいっ!真面目君!コレ全部一気にイったら許してあげる!!」


 初めて目にするテキーラ注射を、女は躊躇無く私の喉ちんこ目掛けて噴射した。


私「うぅ!うえぇ!!!えぇ!!!」


 むせて咳が止まらない。
 胃と喉と胸の奥が熱く焼ける様な感覚。
 

女「いい飲みっぷり!またね!どっかで会ったらまた遊ぼ!バイバイ!!」



 注射器を店員にポイっと投げ渡し、咳の止まらぬ私を放置して女は颯爽と出口に向かって歩いて行った。





 あれ。
 なんだこれ。
 グラグラする。
 立てない。
 あ。気持ち悪い…。




 1人取り残された私は「フロアの中で吐く事だけは避けなければ。」と千鳥足で店の外に飛び出し、ビル脇の側溝に盛大に吐いた。
 



 …気持ち悪ぃ…。
 …何してんだ…。くそぉ…。



 鉛の様に重く動かない体と、目的1つ果たせない自分へのやるせなさと酔いがジワリと涙を滲ませた。




 一体何時間経過した事だろう…。


 「ちょっと!大丈夫ですか?ちょっと!!動けますか?」

 入場時に私を静止したガチムチだった。
 どうやら近隣の店舗から「あの酔っ払いをどっかにやれ。」とでも通報があったのだろう。


ガチムチ「1人でしたよね?歩けます?最悪パトカーに保護に来てもらいましょう。」

私「いや。大丈夫。絶対大丈夫…。」



 
 先日までお巡りやってた人間が酩酊者案件で保護されてたまるかよ…。

 ふらつく手足を踏ん張り、必死に立ち上がろうとするも駄目だ。立てない。
 ガチムチも迷惑そうな表情で携帯で警察を呼ぼうか否か思案しているそんな時だった。




 「あ。この人私の知り合いだよー!」
 「連れて帰るから平気ー!ありがとう!お疲れ様ー!!」



 誰だろう…。知り合いなんかいない…。



 ガチムチはその声の元に感謝を一言伝えるとサッと業務に戻って行った。
 

私「誰?」
 俯いたまま声の主に問う。

女「アミだよー!!!」


 はて。アミなんて知り合いは部活の後輩ぐらいしかいない。
 本当に誰だ…。



 顔を上げると、スラッと高身長で目鼻立ちのハッキリとした雑誌が何かのモデルさんでもやってそうな綺麗な女の子が立っていた。


アミ「酔っちゃったの?可哀想。帰ろ?連れて帰ってあげる!」


 勇み足でイベントに駆け込み、自らの失態で出鼻を挫き、更にはゲロを吐きまくって歩く事も出来ない世界一のダサ女に高身長の女神が微笑んでいた。





アミ「家は?近い?」
私「多分近い。電車で7分で新宿。」



 細身のアミは私に肩を貸し、懸命にタクシーに私の身柄を投げ込んでくれた。



アミ「心配だから付いてくよ?嫌じゃない?」
私「ありがとう…。嫌じゃない…。嬉しい…。ありがと…。」



 テキーラ注射で喉もガッサガサにやられ、まだ朦朧としている私をアミは車内で抱き寄せてくれた。初対面なのに…。
 







 目が覚めると太陽は既に昼過ぎの方向から窓に陽を差し入れていた。

 3年後に取り壊し予定の1K和室6畳トイレ風呂別の3万円の部屋。
 部屋に染み付いた古い畳の匂いと共に、女の子の良い匂いがフワッと香る。


アミ「おはよ。大丈夫?」


 昨日目にした光景はどうやら夢では無かったようだ。
 引越して来たばかりでテレビも何もない殺風景な私の部屋に、昨晩見上げた高身長の女神様が隣でこちらに向かって微笑んでいらっしゃるではないか。


私「あぁ…。なんてこった。」

アミ「ふふっ 笑 何で?連れ込んだ事後悔してるの?」


 後悔などするものだろうか。
 寧ろ今ここでこの命が尽き果ててしまっても何一つとして遺恨は残らぬ。
 とさえ思ったが、気持ち悪がれたくは無いので言葉を飲み込んだ。


アミ「あ。待って。電話。」
「今日仕事サボっちゃったの 笑」

アミ「Hi!!△ ︎♪※ ︎○…。」
「sorry…。△ ︎♪※ ︎○…。」

 
 私の真横で寝そべりニューヨーカーも驚きな流暢な英語で通話する彼女。
 その姿はとても美しくて。そして堪らなくカッコ良くて。
一瞬たりとも見逃すものかと。
 気が付けば目を細めて見つめてしまっていた。 
 





ーーーーー君をもっと知りたいーーーーー




 仕事をサボったアミと二日酔いの私はその日1日何も無い部屋で色んな話をした。


 何故警察を辞めて水商売をしたいのか。
 今までの交際経験や生い立ち、10年後はどんな大人になってたいかなど、大して面白くもないであろう話をアミは楽しそうに笑って聞いてくれた。


 アミの方はと言うと、麻布の時計ブランド店で店長をしているらしい。
 年は私より2つ上で、語学堪能。
 留学経験はないが夜の街に英語を学ぶたに繰り出し、外国人と話す事で英語を習得したそうだ。
 

 一通りお互いの話をし終わった後にアミに聞く。

 「なんで昨日は助けてくれたの?」


 アミは笑って答える。
 「面白そうな子が来たと思ったら派手な女に速攻捕まって秒でダウンしてたから!」
 「可愛いな!って思って見てたの 笑」
 「そしたら外に落ちてたから。あ。今だ!って捕獲しちゃった!笑」



 恥ずかしくて何も言い返せなかった…。
 二日酔いも治って少し忘れかけてたのに…。



 
 
 「ねぇ!源氏名どうするの!?」

 天真爛漫にアミが聞く。



 「んー。何も考えてないんだよね。」

 アミは少し考えた顔で私の顔をジロジロ見た。



 「ちょっ!恥ずかしい!そんな見られると。恥ずかしい…。」

 童貞の様なリアクションで頬を赤らめてアミの視線を解こうとした。
 近くで見るにはこの子は美し過ぎる。


 「あ!!ねぇ!翔は!?翔!!翔で行こう!!!決まり!ね!!ね!!?」

 
 特に意味は無いけどアミの中でピンと来たらしい。


 「翔!!新宿の夜を翔けー!!!」





 2人で笑い合ったその夜。
 私の名前は『翔』になった。 

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