幸福戦争

薪槻暁

3、幸福への道標

 僕だけが、僕しか存在しなかったのならばこの世界は平和に成り得ただろうか。「僕」だけしかいないということに対して傲慢で強欲で強引な考えだと感じるかもしれない、時には非難することもあるだろう。なぜ自分以外の誰もが消された世界を前提にしているのか、と。


 ならば、全ての悪を「僕」という一個人に背負わせれば世界は平和になるのだろうか。自分以外の人間がいるという傲慢な前提を取り払ったもう一つの平和になる方法。無論、「僕」との関係を持たない「ヒト」は喜んで迎い入れる。喩えるなら劇のようなものだ、観客席にいる人間は舞台に立つ登場人物が大切な誰かを失う場面を目撃したとしても「可哀そう」、「悲劇だ」なんて他人事に落とし込む。


 どうせ作り話、フィクションなんだからそんな真剣に考えなくても……と切り捨てる。出演者なる者は舞台上で真の悲しみなんて生まれないと、虚言を劇場で吐露している機械みたいなものなんだって。




 だが、それは関係の無い「人間」のみに繋がる。




 ケリー、そしてトレア。




 僕に関わった、関わってきたヒトは一丸にこの言葉を僕に振り撒いてくれたのだ。


 「僕」だけが生きているんじゃない、と。


 確かに、「僕」だけが生きていれば争いは起きない。それは「僕」しかいないのだから。




 あるいは「僕」が人類全ての罪を償ってしまえば隣人同士のトラブルだって起きない。それは「僕」がその分非難されるのだから。


 けど、それを許してくれない、許さない誰かが僕の傍に留まってくれている。


 自殺願望がある少年が両親の事を考えると申し訳なく思うように。


 気楽に話せる仕事仲間が失うと人生がつまらなくなるように。


 恋人が事故で死んでしまえば立ち直れなくなるように。




 大切な誰かが傍にいるのなら、いてくれるのなら。


 自分は簡単に失うものではないと思う。




 生きている価値は、自身だけで作るものじゃない。




 そう心に留めておいた。










「よっ、何て呆けた面してんだ?飯でも食ってねーのかよ」




 ほらよ、と片手を僕の肩に打ち付けてきた。薄く広がった金属が皮膚に伝わり神経に染みわたるような冷たさが体の一部分を占める。




「お気遣いありがとさん、相棒。まるで変わらないね君のその陽気っぷりは」




 渡された缶コーヒーを片手で受け取り、再び眼前に広がる海原と街並みを俯瞰する。涼しげな青風と潮風が混ざり合っているようで僕の鼻孔に潮の香りを充満させる。


 彼は鉄柵に手を乗せ上半身の重みをそこに預ける。




「なんだか見たことあるような風景だな」




 両手の人差し指を親指に付けて風景の一部を切り取るようなポーズを取るケリー。




あのとき第二章エピローグは夜景だった、地球がかつて産声を上げたときと同じような星空のような感じ……かな」




「面白いな」




 彼は光悦に浸りながら缶の淵に溜まったコーヒーを啜った。




「本当の物じゃないのに、それが本物であるようにも思えちまう喩え。比喩。隠喩、暗喩。そいつは「ヒト」しか生み出せねーし、味わえるのも同じく「ヒト」だけだ」


「珍しい洞察力と考察だね」




 彼は耳の後ろ側を掻くように片手を寄せながら、




「まさかここまで来て褒められるとはな……まさか死ぬつもりじゃないだろうな、遺言とか止めてくれよ縁起でもあるめーし」




 とばつが悪そうにその場をやり過ごした。




「ねえ、なぜ君は戻ってきたの?」




 僕が隊の長だからそれに従うまでとか、そういった偽善的な理由ではなさそうだったので僕は興味があった。




「なぜ、理由か……スケールが大きいもんから説明するとあの国に嫌気が差したってのがあるのかもな。機械的で、自動的で、家畜のように誰かもわからない第三者の為の部品に成り下がるなんてまっぴらごめんだって魂胆だ」


「てのは嘘で……そりゃあ建前だ」




 ここでの僕の胸中を語るとなると変なむず痒さを覚える。彼が仕事に支障が出るというような合理的な理由で僕の元へ戻ってくるはずがないという根拠なき自信。対して理性が働いて反論しようとする知能。




「本当の話、お前さんのバディとして過ごしてた方が他に生きる手段があったとしても何倍も滑稽で悦ばしいんだよ」


「なんつーか、誰かの為に行動を起こすってのも重要だが……」


「俺自身が人生を謳歌しないって生き方、勿体ないだろ?だからよ、今回の件はケースバイケースってことよ。お前さんは「俺」という貴重な人員を得ることが出来た、俺は面白そうな生きる道を得ることが出来た。まさに、Win-Winだ」




 まるで虚言だ、と率直に思う。




「またまた自分勝手だね、それも君の特技、『直感』なのかな」


「そうかもしれないぜ?」




 会議室を備えるビル屋上でどこか古臭い会社員のように休憩時間を過ごす僕ら二人。


 そよ風なびく僕らを迎い入れる空は、どことなく晴れ渡って澄んだ青色をしていた。




『どことなく変わったか?』




 会話が盛り上がる一方、テレパシーのように彼の真意を受け取った僕は、




「変わったよ」




 缶コーヒーをゴミ箱に捨てながら、言葉も捨てた。


 彼は分かったのか、分かっていなのか混迷したような表情を一瞬取り繕ったのだが、




「俺も行く」




 僕の背中を追ってくるようだった。










「それでは、次に考慮すべき議題に取り掛かりたいと思います」




 僕たちが知っている情報から現世界の状況を把握することが第一の議題。ひとつ暇を取ってから次の議題、予想される将来像を語り始めたのである。




「私たちが今後において採るべき行動について」


「何かアイデアが思いつく方はいらっしゃいますか?」




 第一と同じ室内、ポジションにて会議を執り行う僕ら、変わっているのはケリーの長机にさっきまで飲んでいた缶コーヒーが置かれているのと全身気だるそうに突っ伏しているトレアだけ。


 前回と異変はないかどうかほんの些細な興味で周囲を見渡していると一人、挙手をする人物に焦点が合った。


 テンプル騎士団国防官サミエル・アイネオラは不躾にも僕の方を無言で見つめていたのである。




「どうぞ」




 僕は自分に与えられた司会という役割を淡々とこなすように、彼もまた自分に課せられた職務のために至極真っ当なことのように語った。




「私らは何も行動を執らない、という選択肢は無いものかね?」




 骨張った指、皺が寄せられた顔面。彼の長年のキャリアを鑑みればそれもアリなような気がする。一度、彼の提案に頷こうとしたのだが、やはり相棒はそれを制した。




「見捨てんのか……」




 それは自分の意見を主張するような真っ当なものではない、他人の主張に対してただ異論を呈するような反抗心を潜めた声だった。




「俺らと同じ人間がどうなってもいいってのか?どうせ俺らには何も関係ねえし、所詮はただの他人事だ、他人なんて救っても意味もねえ、無駄な浪費、労力、そんなの無価値そのものだってな」


「私はそこまでは言っとらんが……」


「その態度が物語ってんだよ。何もしないってことは手を下しているのと何ら変わらないってのを知らねーのか?」


「コロシアムで人が殺し殺されているのを優雅に見物するような奴らとお前は同じな……」


「そこまで」




 話の展開が煙の如く靄がかかってしまったようなので霧払いをするように声を挙げた。




「ケリー、話が逸れすぎているよ。この場は論争してもいいけど解決策が一向に見えない非難だけはやめよう。それと、サミエル国防官、今後の雲行きが怪しくなることは重々承知なのです。それを踏まえたうえで何か行動を起こさなければこの世界は破綻します」


「どういうことだね。私らが動かないことがそんなにも罪深いのか?」




 一国の行く末、鍵を握る彼は罪に関しては微塵も感じてはいないよう。だから僕は予想される全ての真相と事実を明かすことにした。被るだろう罪を知らせるために。




「罪深いのではなく、世界が終焉に向かうことが事実だということ」


「つまり実際問題、大部分の土地を占拠しているのは私たちではなく彼ら、アンドロイドなのです。それが何を指し示すのか把握出来ますよね?」




 ほんの僅かでも意図する意味を捉え違えば脅迫みたいなものだろう。しかし、今の僕にはそれを阻止したりニュアンスを変える余裕なんて無かったも同然だった。




「分かりやすく説明すれば僕たちは管理する側から管理される側になってしまうのです。まるで生かされる家畜のように、食物を与えられ肥やされるだけの生命体。権利なんてものは無いようなもの」


「それでも、『ヒト』が築いた歴史を消されてもなお、そのままでよいと?」




 彼は自国の民を守るような立ち位置は変えずに厳格な声色で訊いてきた、まるで何かを諦めたような気もしたのだが。




「だったら何をすればよいのか、君には考えがあるのだね?」




 僕はその彼の胸中に語り掛けるように答えた。




「はい、要は取り返せば良いのです。私たちの手で彼らから世界を取り戻す、元にあった立場へと還元させる。それが最善策とも呼べます」




 納得がいかないらしく、さらに眉間に皺を寄せたので僕もそれに応じることにした。




「具体策というとまず、僕と彼とで当事国に潜り込み、看守棟を制圧。以後占領地を開放、政権をヒトに委譲します」


「そんな簡単にいくものかね?」




 おそるおそるサミエルは作戦の危険性について疑問視するが、僕はそんな思慮を少々有り難く受け取って返す、つもりだった。




「やるしかねーんじゃねえか?」




 やれやれ僕の相棒は何かと行動を起こすのが早くて仕方ない、がそれも一興だ。




「そう、やるしかないのです」




 だからこそ、僕もその一興とやらに乗ることにした。










 そこは熾烈重ねられた議場なんて酷く物々しい場所ではなく、少し前まで今後についていわゆる将来像を語っていた会議室。第二の議題を終えた僕たちはサミエルのみが退出した部屋でゆったりと暇を持て余していた。




「な、なあ。こいつって結局誰なんだ?」




 こいつ、会議中でも何も言葉を発することなく仮眠をとっていたトレアの頭を指差す。




「誰って言われてもね、昔ながらの幼馴染って言えばいいのかな」




 僕は微動だにしないトレアを見ながら、応える。




「故郷にいた時にね、少しだけ関係があっただけなんだ。もう何年も前だけどね」




 ケリーはにんまりと表情をゆがませながら僕の方を俯瞰するようで決して良い気分とは言い難い。




「ほーーお、てっきり俺は婚約者なんかと思ったぜ」




 未だに眠っている彼女の指先に目線を当てて僕に知らせようとする。無知は罪だ、この時ほどそう思ったことはないだろう。僕は悟るように、冗談を軽く話すなとあしらえるように言った。




「違うよ」




 眠っているという状況、シチュエーションが僕の口を唆せたのかどうか分からないけれど。とにかく口が滑った。




「確かに彼女の事を気にしていないわけではないけれど……それでも他人の幸せにずかずかと踏み入ることはしたくないから」




 口が滑るというのは話してから分かってしまうものだ。だから僕はしまったと言わんばかりに恥辱を覚える。




「やっぱり、ゾッコンじゃねーーか」


「うるさい」




 この一言で全てを一蹴したかったのだけれど、そう上手くいかないようだ。




「まあな……愛すことを奪うって考えるんじゃなくてよ、『支える』って捉えればいいんじゃねえかな?」


「分かったよ、もういいもういい。当事者が起きていたらどうするんだよ?」




 最後は僕の方で沈黙を取ることにしたのだが、それでも僕の頬に残る熱やほとぼりは冷めないようだった。






 意識が無いか確認しようと彼女の顔色を伺うと横顔が赤面しているようで不思議でならなかったけれど、


 聴いていたのか。それとも聴いていなかったのか、それだけじゃ判断はつかなかった。

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